”Well”





ファイナル・ツアー

 ファイナル・ツアーを最初に見たのは埼玉県大宮の”ソニックシティ”の公演だった。チケットを買ったのは発売日からかなり日がたってからだった。当時のチューリップにしては結構売れてはいたようだがまだまだ手に入れることは出来た。
 その当時は埼玉県の川口に住んでいて駅には大宮で行われる”ファイナル・ツアー”のポスターがしっかりと貼られていたのにもかかわらず、それに気付いたのはずい分あとになってからだった。いかに当時チューリップに対して興味が無かったことか。
 ”ソニックシティ”は2000人程度の収容人員で当時はまだ出来たばかりで、始めて行く会場だった。確か土曜日だったと思う。
 ちなみにこの頃の大宮は盛んに開発がされていて、今も”スーパー・アリーナ”のようなでかいホールやビルが立ち並ぶ、新都心”というよりはバブリーな町という感じ。

 開演前から長蛇の列ができていた。でもそこには解散という悲壮感は微塵も感じられなかった、私には。明らかに”最後だから見ておこう”というノリだ。当然といえば当然だ。でもなんなんだこの盛り上がりは?ついこの間まで全然客が入らず、それ故に解散せざるをえなかったグループだったはずなのに。
 自分は一応今までずっとコンサートを見続けてきた。多くのファンが見切りをつけ遠ざかっていく中、不満は持ちつつも見続けてきた。いつのまにか客の呼べない三流以下のグループになってしまったにもかかわらず。それが”解散”となったとたんにこの有様とは。このときはそんな客達に対して”こんなときだけ盛り上がりやがって、おまえらがちゃんとコンサートにきていれば解散せずに済んだんだ!”という気持ちでいっぱいだった。
 裏切ったのはチューリップ(財津和夫)の方だったけどね。

 このツアーには安部・姫野がサポートで参加していた。いくらファイナル・ツアーとはいえ、この2人の参加無しではこれほど盛り上がりなかたことだろう。
 二人の参加ということで私が期待していたのは、一時的であるにせよ安部・姫野・財津の3人がそろったチューリップ(言ってみればチューリップ”再結成”)だった。ところがMCもなくただ淡々と演奏するだけの二人の様子に、もうあの頃のチューリップには戻れないということを思い知らされた。ある意味解散よりも淋しいことだった(衣装もオールウェイズの流用だったな(笑))。
 唯一、安部がアンコールで”心の旅”を演奏するときだけ”335”を使用したことが、安部のチューリップに対する思いを感じさせてくれるものだった。
 聞きたかったけどね、「ハーイどうも〜」といういつものMC。

 それにしても解散ツアーといいつつ実に普通の選曲だった。本当ならグループの歴史を振り返る、ヒット曲・代表曲のオンパレードであっていいはず(例えば97年の再結成ツアーの時のような選曲がまさにそれ)。実際自分が今まで見た他のグループの解散コンサートはみなそうだった。
 それがメドレーを別にすれば、あとはどこが解散ツアー?といいたくなるような選曲だった。 <セットリスト>
 逆に考えれば第3期のチューリップでもこれ位に過去の曲をやっていればある程度お客をつなぎとめることは出来たはずということ。それをあえてやらなかったのは何とか新しい曲で新しいチューリップをやっていこうと考えてのことだろう。だからその結果こうなってしまったとしても、ある意味財津和夫としては満足なのかもしれない。
 まあ、ひねくれた考え方をするならば、最後だからといってヒット曲ばかりを聞きにきた客に対して、そうはいくかという財津和夫の仕返しのようにも感じられた。最後の意地とも言えようか。そうやっていつもファンの期待を裏切ってきた人なのだ。裏切りすぎてしまったところが問題なのだが。

 ファイナル・ツアーの最後はホーム・グラウンドである中野サンプラザでの4日連続公演。1度は見ることが出来たが最終日は流石にチケットは売り切れで見ることは出来なかった。たぶん最後は”涙、ナミダのコンサート...”になるだろうことは予想できたので最終日が見られなくても良かった気はする。
 自分の見たコンサートでは聞かれ無かったが、ファイナル・ツアーのビデオを見ると”やめないで!”と言う声が聞こえるがそれは非常に間違っていると思う。続けようにも続けられなかったのだ。どうしてそうなったかは言うまでもない。だからどうせ言うなら”お疲れさまでした”というのが本当だろう。私はこれで解散で、十分満足だった。最後に「Well」のような満足いくアルバムを残してくれたのだから。もし「そんなとき女を...」で終わっていたらこんなHPは作ってなかった。
 当時の雑誌のインタビューで解散の理由としては「やりたいことをやり尽くしたと言うことですよね?」というのがあったが当時の(ニューミュージック系)メディアがいかに馬鹿だったかが分かる。そんなわけねえだろう!!!

 「笑っていいとも」で明石家さんまがチューリップ解散を話題にしていたのが驚きとともにちょっとうれしかった。やはり昔は人気があったんだなと実感。当時はまだ毒気のあったタモリが妙に殊勝な態度だったのも印象的だった。同郷だしね(この時同郷の人は一人しかいなかったけどね)。

 ファイナル・ツアー最終公演は福岡で行われたらしいが、しかし五人で故郷福岡を旅立ったたチューリップが、一人になって帰ってくることになったというとき財津和夫の気持ちはどんなものだったのだろうか。
 97年再結成ツアーの最終公演も福岡で行われ、その時も財津和夫は涙を流していたそうだ。それはまた”五人になって帰って来ることが出来た”という涙だったのだろうか(正確には四人だけどね(笑))。


終り