’88年5月26日汐留PIT
〜 財津和夫の裏切り! 〜
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PITというのはこの頃チケットの電話予約を開始した”ぴあ”がその一環として新橋の汐留め操車場跡地に建てた特設のコンサート会場で、正式名称は”PIA INTERMEDIA THEATER”といい、5千人位の収容人員だったと思う。
会場に入ってまずその客の少なさに驚いた。たしかに5千人というのは以前のチューリップだとしてもやや大きすぎるかもしれないが、それにしても半分も埋まらなかった。このあとコンサートのその内容のあまりのひどさを知ることになるわけだが、この時点はまだ前年の渋谷公会堂でのイメージしかなかったので、それからしたらここまで客が少ないということが信じられなかった。
もはやグッズの販売もなくパンフレットさえも売られていない状態だった。
と、長い間思っていたら何年か後にこのときのパンフレットが出てきたので、それだけは売っていたようだ。
そのコンサートの内容といえば...
※★〒○△▲≧♂Σ‖♀≒U≠なんなんだこれは???
最初は当時流行の「アンプラグト」かと思った。要するに生ギターコーナーを前に持ってきただけだと。しかし芝居じみたくさいセリフと中途半端な演奏が延々と続くのだった。
<セットリスト>
「玉川カルテットを見にきたわけじゃねえ!!」(と言ったら玉川カルテットさんに失礼だ)
バンド・スタイルに戻ったかと思えば洋楽のカヴァー、そしてニュー・アルバム(「そんなとき女...」)からだけの演奏。完全なアルバム・プロモーションのみのライヴという開き直りなのか?こんな内容でどれだけの人が満足したのだろうか。
チューリップのファンは財津和夫がどんなことをやろうと、”これがチューリップだ”と受け入れなければならないのだろうか。どんなに売れなくても「チューリップ」の看板だけは汚さずにいて欲しかったのに。
こんなひどい内容でありながら「Shooting Star」をやれば”パブロフの犬”のごとく盛り上がってしまう観客もなんだかな...。
このコンサートは”去っていったファンに対する財津和夫からのあっかんべー”というのが私の解釈。
その日、新橋のガード下でやけ酒をあおりながら「青春の影」を歌うサラリーマンがいたとかいないとか...いないつーの(笑)。
でももうこれでチューリップから足を洗える、もうコンサートに行くことも行く必要もない、そう思って会場を後にした、はずだった。
ところがそうはいかなくなってしまったのだった。
それにしても”LIVE ACT TULIP ’88 8 BIG CITIES”だって。本当にこのふざけた内容で全国8ヶ所も回ったのかね?
パンフレットによれば8都市とは札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡となんと上海とのこと。本当に上海でやったのだろうか。全く話題にもなっていないし資料も全然残っていないようだが...
あの当時、チューリップとわざわざ上海まで行く人がいたのでしょうか?