Story #003:米国の最初の風景(1) |
入国審査・税関を経て、到着ロビーへの扉を開けた。ここからが本当の意味での米国であろう。入国審査の長蛇の列によって、だいぶ時間を費やしてしまい、待ち合わせの時刻はとうに過ぎていた。無事に入国できた安堵感も束の間、迎えの人に会えるかという不安感が出てきた。 ロビーに出て来た私が、最初に目にしたのは、人の群れ。当時のSan Francisco International Airportは、国内線・国際線のターミナルが分かれていなくて、ごちゃごちゃと混ざり合っていた。今は、国内・国際きちんとターミナルが分かれていて、人も多くいるが、国際線ターミナルは、どことなくゆったりとした雰囲気を持っている。せわしなく行き来する人々を背景に、到着出口の前には、誰かを迎えに来た人々が、おのおのにサインボードを持ってたっていた。私は、その一つ一つに素早く視線を走らせて、自分の名前が書かれているサインボードを探した。 程なく、50代の白人男性が、私の名前(と、もう一人の名前)が書かれたサインボードを持って、立っているのを見つけた。私は、ゆっくりと確認するように近づき、言葉を発しようとしたとき、その白人男性が声をかけてきた。"You're *****?", "Yes."そう答えた私に、安堵の表情をした。どうやら、かなり心配していたらしい。その白人男性の名前は、Ralphと言う。Ralphは、長旅と入国で手間取ったことへのの慰労の言葉をかけてくれた。このRalphとも、後に縁を作ることになる。ふと見れば、隣に、001:初めての飛行機で気になったと述べた、成田空港で見た女の子(Yちゃん)が立っていた。Yちゃんも、同じ飛行機で到着し、私よりもだいぶ早く外に出ることができたようだ。 まだ、英語が得意ではないながらも、Ralphに、時々、質問をしたり、Ralphの言葉に返事をしたりしながら、長いParking Lotまでの通路を、3人で歩いていた。Ralphの車に到着するまで、しみじみと米国の空気みたいなものを感じていた。今では、すっかり慣れきってしまって、特別に感じるものはないのだが、やはり、Californiaの空気は、日本のそれとは違う。言葉ではうまく表現できないのだが、乾いているのに、しっとりしているというか、それはまるで、風呂上がりに、洗い立ての柔らかいコットンのバスタオルをまとっているような感じがした。日本の空気は、それに比較するとすれば、夏に渓流を長時間歩いて、汗がしたたり落ちるようなとき、渓流の水で顔を洗い、その汗を流した後、木綿の和手拭いで、顔をごしごし拭いたときのような感じだろうか?(^^;) やがて、Parking Lotへ到着。到着と言うが、実のところParking Lot自体、ものすごく広大な広さで、一体、何台くらい駐車できるのか想像もできないほどだった。だから強いて言うのならば、Parking Lotの一角に出た・・・と言う方が、より正確な表現だろう。ステレオタイプ・イメージからすれば、米国の車はでかいと思っていたが、Ralphの車は、トヨタのセリカ(実は、この車はRalphの奥さんのMariaの車)だった。この車に2人の荷物を入れて、さらに3人乗れるのだろうか?と思ったが、ぎりぎり荷物を入れ、3人が乗ることができた。助手席に私が、後部座席に、Yちゃんが乗り、Ralphは、ゆっくりと車を発進させた。Parking Lotの中をぐるぐると走り抜け、だいぶ走ってから駐車場の出口の料金所から出た。 料金所を出ると、何となく裏寂れたような狭い道に出て、その道と平行するようにHighwayが、金網一つ隔てて走っていた。その道は、それまで私が旅行などで走った、日本のどの高速道路よりも広く、米国の広大さの一端を感じさせてくれた。後に、何回ともなく自分自身が車を運転して、友達の送迎のために、そのHighwayや、これから、San Joseへと向かうために使うHighwayを使って、この空港に来るとは、そのときは想像だにしなかった。その空港周辺の一般道から、Highwayへのインターチェンジへ乗って、いくつもの分かれ道を右へ左へと走りながら、一つのHighwayへと乗った。これが、今現在、私の生活に欠かせないHighway 280だった。 Highwayは(日本の感覚からすれば)すごく空いていて、快調に車は走っていた。走り始めた時こそ、Yちゃんも起きていて、何となく、皆で会話をしていたが、時差ボケと疲労のせいかYちゃんが眠り込むと、車の中は、無言になってしまった。時折、私が目についたものについて、質問しようとしたが適切な表現がわからず、考えているうちに質問しようとしていたものが、遙か後ろへと去っていった。Ralphも私やYちゃんの疲労を考えてか、無理に会話をしようとはしなかった。ただ、それは、私にとっては非常に重苦しく、また長い時間に感じていた。 Highway 280を走る車の中から私は、初めて見る米国の風景をじっと見ていた。空間的な広がりは、日本に比べようもなく、また、空を本当に青く感じた。Highway 280が、ゆるやかな山の間を走っているせいで、よけいにその印象が強かったのかもしれない。今でも、San Francisco方面に行くのに、私はHighway 280を使うのが好きである。他にも、いくつかのHighwayを使ってゆく方法があるだが。280の途中にきれいな湖畔があって、その美しさに見とれた。また、その湖畔と前後するように、電波天文台とおぼしきパラボラアンテナが、湖畔ある側と反対の丘の上に立っていた。見るものすべてが新鮮に感じられた。車は相変わらず単調なリズムで走り続けていたが、やがて山間を縫うように走る道になった。そして、それまで自然一辺倒だった風景に変化が現れて、道の両端に時々、人家や何かしらのビルなどが見えるようになってきて、それはやがて(先ほどの自然風景に比べたならばだが)密集した建物が両側に広がる風景へとなった。 San Francisco International Airportを出てから、1時間近くが経過して、Ralphは、高速道路の出口を出た。それと同時に、私とYちゃんに声をかけて、一度、Ralphの家に立ち寄るとのことだった。私の方のHome Stay先は問題はないのだが、YちゃんがHome Stayを予定していた家の都合が着かず、1週間ばかり他の家にStayしないといけなくなったのだが、そのStay先の家が、まだ決まらない様子だった。私にしても、Yちゃんにしても、異議を唱える理由もなく、また異議を唱えたところで、どうとなるわけでもなかった。Highwayを降りたRalphは、いかにも街中という道をゆっくりと進んだ。すべてが英語表記の看板、街行く人も車も全てが、ここ外国であることを教えてくれた。 車はさらに進み、ある交差点を右折した。そして、さらにすぐに右折を繰り返し、閑静な住宅街へと入っていった。あまり時を置かず、車は一軒の家の前に止まった。そして、Ralphが車を降りるのと同時に、私とYちゃんを家の中へと誘った。この家こそ、私が最初に足を踏み入れた、米国の家であり、また、それから数ヶ月後に、2つ目の米国での家となる場所だった。家の中に通された私たちは、一人の白人の中年女性と会う。この人がMaria。私の後のHost Motherとなる人であり、そしてまた、今現在、私が「米国でのお母さん」として、敬愛している人である。 この家は、本当になんというか、米国の家らしい家で、壁の至る所にRalphとMariaの子供たちと孫たちの写真や、壁飾り、タペストリー、ドライフラワーなどが飾られていた。玄関から入った所がリビングルームで、上品でかわいらしいカウチがあって、また、それに続くダイニング・キッチンには、大きなテーブルがあった。キッチンでは、電話を片手に話をしているMariaがいた。私は、初めて見るアメリカ人の家に、軽い興奮を覚えて、Mariaに許しを得て、リビングとキッチンを歩き回って、あれこれと見ていた。そのときの印象では、本当にかわいらし家だと思った。実際、Mariaは、少し少女趣味っぽい所があると言うことを知るのは、半年くらい先の話である。 20分くらいの滞在であったが、米国の家を堪能した。そして、YちゃんのStay先の都合が着いたことで、再びRalphの運転する車に乗り、私とYちゃんは、それぞれのHome Stay先へと向かうことになった。この後、どこをどう通って、それぞれのStay先へと向かったかの記憶が曖昧で、よく覚えていないが、先に、YちゃんのStay先へ行き、Ralphが(短時間だったが)、その家の人と何事か話し合いをして、Yちゃんがその家の人に引き渡してから、私の米国での最初の家となる、Jeanne&Bernieの家へと向かった。 |