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新説 高畑勲 論
「高畑演出」はこうして生まれた。

文責/叶 精二

※「別冊COMICBOX/Vol.5『ホーホケキョ となりの山田くん』を読み解く!?」(99年8月10日/ふゅーじょんぷろだくと発行)掲載。再録に当たって若干加筆しています。 


●序文 ―なぜ「高畑アニメ」という用語は使われないのか

 「ホーホケキョ となりの山田くん(以下『山田くん』と略)」は、紛れもなく高畑勲監督の集大成である。評者の中には、表層を捉えて「これまでのスタジオジブリ作品からの転換」と見る向きもあるようだ。しかし、それは大きな間違いである。この作品には、過去の高畑作品で磨かれた思想と技術が脈打っている。筆者は、「山田くん」はこれまでの演出路線を徹底して突き詰めた作品であり、一つの究極形であると考える。
 この十年、高畑勲・宮崎駿両監督は、交互に監督作品を世に送り出し、ほぼ互角の興業成績を上げて来た。にもかかわらず、一般に「宮崎アニメ」「宮崎ブランド」という用語は使われても、「高畑アニメ」「高畑ブランド」という用語は聞かれない。高畑作品は特集誌類や研究書も少なく、まともな評価は数少ない。不思議な現象だが、これはここ十年の高畑演出が以下のような特徴を有するためと思われる。

 1. 作品の多くが原作付であること。高畑作品は決して原作の世界を損なわない。このため、原作者の株は上がるが、監督の評価は二義的になる。
 2. 実に淡々とした自然体の演出であり、物語に作為的な刺激が薄いこと。誰もがじわりと共感を持つ表現で、流行のアトラクション的爽快感は少ない。
 3. 監督自身が絵を描かないこと。代わりに、スタッフから最良の仕事を引き出す。このため、作品は作画・美術などスタッフの個性が融合したものになる。
 4. 好みでない素材でも徹底した事前学習と論理化により、同化吸収的に作品化してしまうこと。このため、扱うモチーフが幅広く、毎回実験的で情報量が多い。統一したキャラクター・イメージや強烈な作家色を感じにくい。
 5. 舞台が常に日本で、現実の社会問題と向き合う傾向が強いこと。観客が作品世界に没頭(逃避)することを許してくれない。

 このように、高畑監督の作風はあらゆる意味で宮崎監督と対照的だ。二人の巨匠の間に立つプロデューサー・鈴木敏夫氏は、「もののけ姫」の「生きろ。」に対し、「山田くん」では「適当」という正反対のコピーをぶつけている。まるで、「問」と「答」のように一対。作風の差異を際立たせた名コピーである。
 宮崎作品は監督自身の強烈な個性でまとめられるが、高畑作品はスタッフとの総合的バランスの上に成立する。宮崎演出の即効性の感覚直撃型に比して、高畑演出は遅効性の感覚浸透型。宮崎作品は完成された別世界へと観客を誘うが、高畑作品では現実へ還るようにと背中を押される。要するにどれも奧が深い作品で、つまらない日常に還りたくない若い観客には居心地の良くないシーンもある。
 宮崎作品に代表される「あり得ない出来事をありありと描く」ファンタジーは、世界を無から創り出すアニメーションの特性にふさわしいジャンルである。高畑監督も、当初は心地よいファンタジーを目指していた。高畑・宮崎コンビ時代の「パンダコパンダ」の例をひくまでもない。監督は幾多の名作で「子供たちを幸福にするファンタジー」に磨きをかけて来た。以降も、勝手知ったる土俵で宮崎監督と肩を並べる作品を作ることも出来た筈である。
 しかし、高畑監督は「ある時期」を境にこの路線の継続を拒否。以降は「日常的でありふれたものを再発見し、刻印する」という独自の道を歩んでいる。更に、「ある時期」からは日本を舞台とした作品以外作らなくなった。作品は一作毎に莫大なリスクを背負いながら、技術的・内容的なスケールアップを実現して来た。それは、アニメーションの新たな可能性を開拓するイバラの道でもあった。
 監督は、毎回「誰も見たことのない新技術のアニメーション」を作り出し、そこに「いかに現代を生きるか」というメッセージをサラリと込めた。監督個人の知名度はともあれ、革新的な個々の作品は確実に人々の心に根を下ろしている。それは上昇を続ける興行成績が証明している。要は、評価する側の意識が追いついていないだけである。
 では、一体なぜ高畑監督はファンタジーを捨てたのか。「ある時期」とは何時のことで、その前後に何があったのか。日本を描き続けることに、どのような意義を見出しているのか。それらを考察することは、「山田くん」の制作動機にも深く通じる筈である。
 以下、高畑演出の成立過程を主要作品にしぼって、周辺事情をまじえながらざっと追ってみたい。

(主に思想的・技術的変遷を論旨としているため、音楽・キャストやプロデュース・制作・興行面には触れない。
 また、各作品はいずれも絵コンテ・レイアウト・作画・美術・彩色・撮影など優秀な各パートのスタッフとの共同作業を経て完成したものである。よって、監督とメインスタッフ諸氏の成果とだけ評価するのは不充分だが、ここでは誌面制約上スタッフ諸氏の尽力も含めて「高畑演出」「高畑作品」という用語で扱う場合が多いことをお断りしておく。)

●文化人類学的視点とアニメーションによる演技

 ある架空の物語を実感をこめて語るには、強いリアリティを持たせなければならない。観客にその世界を信じ込ませ、物語に立ち会っているような感覚を与えるためには、何が必要だろうか。
 最も必要なことは、舞台の空間丸ごとを「実際の人間生活」を前提として設計することであろう。
 具体的には、第一に社会生活一般の背景を設定することである。食物、衣類、習俗、風習、歴史、建築様式、芸術、宗教、芸能、教育体制、労働環境、政治的・経済的・社会的環境等々。
 第二に、自然環境と地理的条件などを設定することである。天候や温度・湿度、可視光線、山河や海の影響、動植物の生態系等々。
 これらの諸条件が矛盾することなく満たされていれば、かなりのリアリティを獲得できる筈だ。高畑監督はこのような諸条件を後に「文化人類学的」視点と呼んでいる。(「映画を作りながら考えたこと」一六五ページ参照)
 アニメーションの場合、こうしたリアリティの全てを絵で表現しなければならない。監督がいかにリアルな設定を作成したところで、画風と動きが稚拙であれば実在感は損なわれる。これを防ぐ手だては二つ。
 一つは、個人作家のように全ての絵柄と動きに監督が手を入れる演出法。もう一つは、アニメーターや背景画家など優秀なスタッフの力に頼る方法である。絵を描かない高畑監督は後者の典型である。ほとんど前者と呼べる宮崎監督でさえ、集団制作である以上、後者の条件は前提となる。
 しかし、優れたアニメーターと言えども得手・不得手はある。監督の主義主張以前に演出はスタッフの力量に左右されるわけだ。演技者次第で作品は駄作にも傑作にもなり得る。それは、実写に於ける監督と役者の関係と同じ。
 よって、演出はスタッフの適性を見極め、最大限に生かすことが最重要課題となる。「テーマと表現は一体」が理想である。
 これらの条件を満たすことは、映像文化創作のイロハであろう。
 
●60年代日本のアニメーション業界の惨状

 しかし、一九六三年の「鉄腕アトム」以降、日本で大量生産されたテレビアニメ(技術的には「リミテッド・セル・アニメーション」と呼ぶ)の多くは、こうした諸条件をないがしろにして制作されて来た。制作現場は、少ない予算・限られた時間・人手不足の「三ない条件」が支配。しかし、売り文句は「早く」「安く」「大量に」であった。
 素材の多くは原作漫画であり、アニメーターは絵柄の個性を許されず、「原作の絵に似せる」万能さ・器用さが求められた。微妙な演技の設計など初めから訓練されるわけもなく、枚数は際限なく減らされ、喜怒哀楽は極端に記号化された。いわゆる「口パク」「目パチ」などの技術がその典型である。
 ドラマも「子供向け」を意識して古典的で明解。毎回派手な山場と緊張感があり、一話完結方式が守られていた。具体的には、架空世界の大冒険、悪役退治、宿命の対決、必殺技の体得、友情、親子の愛憎、異性との恋愛、防衛戦争への従軍といった数種の類別で済んでしまう。ホームドラマ、スポ根もの、宇宙SFヒーローもの、ロボットもの、推理探偵もの、魔女っ子もの等々、ドラマのジャンルは時を経て細分化されたが、主軸はキャラクター(乃至その所属集団)間の対決と融和。これが、ありとあらゆる形でアレンジ・再生産されて来た。
 いずれも基礎設定は距離感も地理も曖昧な箱庭的空間。絵であることが一種の抽象化を許してしまうのか、荒唐無稽な設定が簡単に受け入れられた。
 多少の矛盾があっても、女性キャラクターが可愛く、男性キャラクターがカッコよければ誰も文句は言わなかった。〈キレイ・カワイイ・カッコイイ〉と〈キタナイ・カワイクナイ・カッコワルイ〉のシーン比率は反比例する。その結果、キャラクター中心志向は異常な発展を遂げる。
 メイン・キャラクターは軒並み美男美女。キメのポーズ、アップショットの多用、短いカットの積み重ね、派手なカメラワーク等によって、静止画のイラスト的美しさが強調された。動物は擬人化された愛玩物で引き立て役、植物は種別不明の風景程度の描写で足りた。表情だけが肥大化した動かないアニメーションは「電動紙芝居」と揶揄された。
 一方、汗水たらして働く地味な労働描写や、美味しそうに食べる、ぐっすりと寝るといった生活の基本動作など、非ドラマチックで手間のかかる「日常芝居」は「クソ芝居」と呼ばれ、切り捨てられた。
 こうして、「自分の得意の絵柄を確立し、アニメーション独自の演技を追求する」本来の意味でのアニメーターは姿を消し、アニメーションにふさわしいテーマやドラマを論議する時間的余裕も問題意識も消滅しつつあった。
 高畑監督の演出経歴は、このような惨憺たる周辺情況に対する深刻な危惧から出発する。監督は、初演出作品から、先に述べた諸条件を満たす演出姿勢を貫いた。つまり、アニメーションならではのテーマと表現法を真剣に模索したのである。

                                 (1999.6.)禁無断転載


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