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●『王と鳥』公開記念●

大塚康生氏 特別インタビュー

「論理と寓意が練り込まれた誇り高きアニメーション」

聞き手/叶 精二

▲ 大塚さんが東映動画時代にフィルムを元に描いた王様のポーズ集より。勲章を与える王様。
(「王と鳥 スタジオジブリの原点」未掲載作品)


以下の記事は、単行本「王と鳥 スタジオジブリの原点」(大月書店刊)用に脱稿されたものの、掲載には至らなかった“幻の原稿”です。当初は大塚康生さんの「読者が親しみを持てる原稿にしたい」という御希望もあり、叶によるインタビュー形式の原稿が掲載される予定でした。約4時間のインタビューの要点を叶がまととめ、大塚さんが大幅に訂正・加筆をする形で一端原稿は完成しました。しかし、諸般の事情でモノローグ談話として圧縮・改稿された形で掲載することに変更されました。このため、半分ほどの内容は「王と鳥 スタジオジブリの原点」と重なっていますが、もう半分はやむなく削除された内容を含んでいます。貴重な証言も多々あることから、ここに資料として復活掲載することに致しました。なお、掲載にあたっては、大塚さんの許諾を頂きました。

禁無断掲載 (c)YASUO OHTSUKA 2006


●『やぶにらみの暴君』との出会い

―大塚さんは、1955年3月に『やぶにらみの暴君』が公開された時に東京・新橋の映画館で御覧になり、翌56年に日本動画社の門を叩かれてアニメーターへ転職されたわけですが、『やぶにらみの暴君』を御覧になったことが、そのきっかけの一つになったと考えていいのでしょうか。
大塚 違いますね。当時はもう職業的アニメーターに進路を決めていて、自立するための勉強中でした。上京する前、まだ山口(県)に居た頃に『せむしのこうま』(1947年ソ連/イワン・イワノフ=ワノ監督)を見た時は、火の鳥や二頭の馬の造形と動きなどに感心しました。綺麗な画面や如何にも東洋風な美術(背景画)にも驚きました。一方、はじめて『やぶにらみの暴君』を見た時はボ〜ッとしていたのか、印象がはっきりしませんでした。その後東映(動画)で試写会のときの印象がこの作品を決定づけています。大きなテーマを内蔵した作品で、その深い意味や構成上の驚くべき技術と創意は今でも若いアニメーション作家を刺激するものがたくさんあると思っています。


▲ 1955年3月18日付「朝日新聞」広告。大塚さんは併映については全く記憶にないとのこと

―率直な第一印象をお聞かせ願えますか。
大塚 中身の問題よりも末節的な技術ばかり見ていたんじゃないかと冷や汗です。最初の印象としては、鳥の羽根の動きの柔らかさや子犬などの動きが何だかアメリカ的で気になったことを憶えています。それに比べて、王様の演技はいかにもフランスらしい優雅さと冷酷さが描かれていて関心しました。短い「トメ」を駆使した王様の演技・姿勢・表情、その繊細な変化などは大変勉強になると感じていました。
―当時からテーマ云々よりも作画技術を中心に御覧になっていたのでしょうか
大塚 そこから眼が離れなかったんでしょう。昔はレシーバーが鈍かったのか…、この作品のテーマや思想についてはすぐには反応しなかったんですね。そうしたことを考えはじめたのは、東映動画で仲間達と一緒に観て討論していくうちに自覚したと記憶しています。一発で思想的・美術的な意味を掴んだ高畑(勲)さん、宮さん(宮崎駿)とは全然違う入口でした。

▲ 公開時のパンフレット表紙。発行は外国映画社、大塚さん提供。


●アニメーションで人間の内面を描くという挑戦

―具体的に印象深かったシーンなどを挙げて頂けますか。
大塚 とにかく、王様の登場するシーンに衝撃を受けました。仕草や一挙手一投足にびっくりしまして「こんな描き方があるのか!」と。後になって見返す度に、その生々しい人間性を描いていたスゴさをひしひしと感じるようになりました。あの王様のデザインは簡単そうに見えて、眉や瞼の微妙な動きで、複雑な表情を描いている。画家が描いた肖像画を見た時の演技など、見事ですね。ちょっとDVDで見てみましょう。
(王様が奥から優雅に肩を揺らしながら歩いて来て、一歩下がって絵の前で腕を組んで眺めるシーンを再生)
 この仕草と表情の変化を観て下さいよ!
―大胆に眼の周りの筋肉を収縮させて、権威やコンプレックスなどが混ざった複雑な感情を表しているように見えます。
大塚 そうなんですよ。アメリカだったら、もっとスピーディなオーバーアクションでやるでしょう。ここは静的な芝居で、なおかつ大胆に表情を崩している。これに驚いたわけです。それから、変な所で止まっていたり、演技と演技の間が、パッと素早く切り替わる。このシーンを観て下さい。
(去っていく画家を見送るふりをして落とし穴の紐を引くシーンを再生)
 王様が紐を掴むまではゆったり動かしていますが、掴んだ瞬間の絵と、振り下ろす絵の間に中(動画)が一枚もないでしょう。パッと引く。
―本当に中がないですね。しかも振り下ろす途中でさっとカットが変わりますね。
大塚 後にぼくたちが取り組んだ日本のアニメーションに対する考え方に近いんですね。中を丁寧に入れないで、原画と原画の間で特殊な省略をする。「何て大胆なんだ!」と感心しました。
―始終中を割って丁寧に動いているフルアニメーションとは全然違って、演技の緩急にキレがあると。
大塚 そうです。ディズニーとは全く違うタイミングが随所にありますよ。ソ連の『せむしのこうま』や『雪の女王』(1957年ソ連/レフ・アタマーノフ監督)とも明らかに違います。トメの使い方も効果的でね。ポール・グリモーという人は根っからのアニメーション作家で、演技のタイミングについて色々と研究していたんだと思いますね。
―画家の筆運びも絵の具を混ぜる仕草まではゆっくりで、キャンバスに向かった途端サッサと色づけをしますね。
大塚 黒服の警視総監が落とし穴を避けてあちこちパッと移動するカットとかね。丁寧に見てみたいところです。
―グリモーは前作の『小さな兵士』(1947年)でも少年・少女は硬直したトメ、びっくり箱の悪役は柔軟な演技という対比を成功させていますね。
大塚 『小さな兵士』は後になって見ると、いかにも『やぶにらみ―』の練習作という感じですね。ずっと後になって考えたんですが、トメを効果的に生かした緩急ある演技をどう描くかという意味で、『小さな兵士』や『やぶにらみ―』の影響というのもあったのかも知れませんね。
 ほかにも、『やぶにらみ―』には、カットとカットの間に時々気になるものがあるんですよ。
(いくつかのカットをスローで再生)
―ああ、これですか。白黒の格子縞のようなもの。
大塚 一コマだけなんですが、カットの繋ぎ目に縞模様とか、真っ白なコマが時々挟まれてるんです。
―これは編集上のミスなどではなく、意図してやっていますね。
大塚 特に暗い画面から明るいカットに切り替わる時など、一瞬にしてカットが変わったことを観客に確認させるためのサインなんですよ。白コマを挟むのは『雪の女王』でもやっています。
―カットの切り替わりの設計も繊細だということですね。
大塚 (プライベートルームでうっとりと絵をながめる王様のシーンを再生)
 このシーンは大好きでした。王様の屈折した感情が滲んでいる。
―絶妙な表情と、一見地味な、さり気ない仕草の中にそれを表現していますね。
大塚 公の席では暴君として権威を振りかざして悪事を働くわけですが、独りになると激しい劣等感と自己嫌悪、孤独にさいなまれている。まるでスターリンや毛沢東を見ているみたいでね。
 それと、やぶにらみの王様が絵の中の普通の目の王様と入れ替わるという発想!そこに感嘆しました。入れ替わった後の王様の演技は冷たくて、人間でない本当の暴君、一種の象徴として描かれている。生の人間だった王様の表情の方がずっと生きている。そうした二重三重の構造で「人間の何たるか」を描いているわけです。
―人間の内面をアニメートするという点にもっとも惹かれたということですね。
大塚 こんなに人間を深く描いたアニメーションはありませんでしたからね。この王様を見ていると、ジャン・コクトーの『美女と野獣』(1946年フランス)を思い出します。コクトーは野獣の暗い内面に迫って描いている。屈折した人間を深く描くという大きなテーマですね。ディズニーの『美女と野獣』(1991年アメリカ/ゲーリー・トゥルースデイル、カーク・ワイズ監督)には、それが完全に抜け落ちている。あの巨大な王宮を描いたCGをバックにダンスする有名なシーンがあるでしょう。華麗だとか何とか言われましたが、人間を描くという姿勢から見れば最低だと思いますね。単なる美男美女の舞踏会にしてしまってはつまらないわけです。

●キャラクターのデザインと演技について

―確かにコクトーの野獣は威厳がありました。大塚さんは以前から「美男美女の演技はつまらない」とおっしゃっていますが。
大塚 美男美女は崩せないんですよ。だから表情の振幅が狭い。ディズニーの場合は『白雪姫』(1937年アメリカ/デビッド・ハンド監督)以来、美男美女の源泉は創作でなく、ずっと実写ですからね。
―ライブアクションが作画の下敷きになっていますね。アニメーションの本質的表現にメタモルフォーゼがありますから、表情の変化も大きいほど面白いということもあるのでしょうね。
大塚 東映の長編でもね、『少年猿飛佐助』(1959年/藪下泰司、大工原章演出)の真田幸村やおゆうさんは実につまらないでしょう。
―どちらかと言えば、印象深いのは悪役やその手下、小動物や小人など、もっぱら脇役たちの演技ですね。最近はアメリカでも美少女や王女の顔を崩しますが。
大塚 ディズニーでも『ポカホンタス』(1995年アメリカ/マイク・ガブリエル、エリック・ゴールドバーグ監督)のように、デザインを工夫して生き生きした表情を作った例もありましたね。ディズニーじゃないけど、『シュレック』(2001年アメリカ/アンドリュー・アダ―ソン、ヴィッキー・ジェンソン監督)の豚みたいになっちゃう王女は面白いでしょう。
―『ポカホンタス』の作画はグレン・キーンでしたね。『王と鳥』も恋人の少年少女は美男美女に近いわけで、王様や鳥に比べると影が薄いですね。ロングショットの全身芝居が多いために感情移入がしにくいということもあるのでしょうが。
大塚 感情移入のテクニックのない時代ですからね。『せむしのこうま』もロングばっかり。特に日本の観客はアップのトメが少ないと、ダメでしょうね。王宮のフロアで延々とカツラを蹴飛ばすシーンなんか、今は全く見られませんからね。カメラを引くと世界全体が見えて距離感があっていいんですが、小さな画面のテレビが普及して以降は通用しなくなってしまいましたね。そういう意味では劇場で観ることに意味があると思いますよ。
―グリモーは多くの作品に犬を登場させていますが、『王と鳥』にも垂れ耳の犬が登場します。先ほど犬と小鳥の演技がアメリカ的だというお話がありましたが、アニメーションではなぜか古くから垂れ耳の犬のキャラクターが大変多いですよね。
大塚 確かにそういう一種の類型化はありますね。とがった耳は描きにくいからでしょう。
―耳は顔にくっつけて丸い塊として描く方が可愛らしいし、動かし易いと
大塚 そりゃそうでしょう。小鳥もそうですが、丸っこい方が楽ですよ。ただ、動かしても特徴は薄いよね。
―逆に極彩色の鳥が羽を手に見立てて歩きながら話すシーンなどは印象的でした。視線を集中させるように羽の先をブルーに染めている点も効果的だと思いました。
大塚 プロローグの鳥が歩くカットは良かったね。飛んでいるシーンはドタバタしていてちょっとおかしかったけどね。
 面白かったのは少年と少女が博物館に逃げ込んで、館主がそれをいぶかしげに眺めるシーンですね。これも静かな芝居で、足を組み替えたり、眼鏡を動かしたりする。その後気付いて、ドタバタと大げさに慌てて笛を吹く。その一連の仕草が実に新鮮で、誇張されたポーズがいちいちフランス的なんですよ。日本人のキャラクターで、あれをやったら滑稽ですからね。
―同じ誇張でもアメリカ的な演技とは明らかに違いますね。
大塚 ディズニーの長編で『スリーピー・ホロウ』という作品があったでしょう。
―はい、後にティム・バートンが実写でリメイクした(『スリーピー・ホロウ』1999年アメリカ)ディズニー唯一の怪談話ですね。日本のタイトルは『イカボードとトード氏』(1949年アメリカ/ジャック・キニー、クライド・ジェロニミ、ジェームス・アルガー監督)でしたか。
大塚 そう、それ。あの作品は怖ろしいシーンでも、妙に動きすぎて緊張感がないんですよ。それに対して、この博物館のシーンには見事な緊張感があるでしょう。警笛を吹くポーズの誇張も成功している。
 有名な大階段のシーンもそうです。少年と少女があんなに速く降りられる筈がないんですが、不自然さに陥ることなく、緊張感を演出している。
―とんでもなく高い階段という誇張に嘘臭さやおかしさがありません。気の遠くなるような手間暇をかけて足運びをきちんと描いているから説得力があるんですね。
大塚 ぼくは日本人の自然な誇張をどう描くのかと考えることがありますが、アニメーションで表現すべき民族的な面白さは、浮世絵の黄金時代に全てやり尽くしているんですよ。デフォルメとか、キメのポーズとかね。ぼくらは、実にいい国に生まれたと思いますね。

●誇り高い『王と鳥』の志

―大塚さんはディズニーをはじめ海外のアニメーション制作者の方々とも親しいわけですが、日本とフランス以外で『やぶにらみの暴君』または『王と鳥』の反応について、何かご存知でしたらお教え頂きたいのですが。
大塚 少なくともアメリカでは『やぶにらみ―』も『王と鳥』も封切られていませんでしたね。『ニモ』(1989年日本・アメリカ/波多正美、ウィリアム・T・ハーツ監督)を制作している頃、藤岡さん(藤岡豊/東京ムービー新社社長)がアメリカに『やぶにらみ―』のVHSを持って行って、観せたことがあるんですよ。字幕もない原語版のビデオでしたが、アメリカのスタッフはみんなびっくりしてね。「こんな映画があったのか!」と、腕を組んで考え込んでいました。アメリカ人はもともと自国の映画で満たされていて、他国の映画には興味が薄いでしょう。
 後に『ライオン・キング』(1994年アメリカ/ロジャー・アラーズ、ロブ・ミンコフ監督)を監督したロジャー・アラーズからは「日本人はこの映画をみんな見たのか」と聞かれました。「みんなとは言えないが日本では上映された」と答えると、「アメリカでは、こういう映画はなかったなぁ…」とうつむいていましたよ。日本も戦後アメリカナイズされて現在に至っていますから、一般的にはヨーロッパの香り高い作品をちょっと敬遠する傾向があるでしょう。
―最近でも『キリクと魔女』(1997年フランス/ミッシェル・オスロ監督)や『ベルヴィル・ランデブー』(2002年フランス・カナダ・ベルギー/シルヴァン・ショメ監督)のような、欧州の意欲的な長編アニメーションは公開されていますが、日本ではなかなか大ヒットには至りませんね。一般の観客も増えているとは思いますが。
大塚 正直いうとヒットしなくていいんですよ。芸術というものは時代を超えて評価されますから、画家のゴッホの生き方を思い出して頂くとおわかりでしょう。真っ当な長編アニメーションが作られたとして、今でも国内市場の一次興行だけで採算がとれるのは、一億を越す人口密集国であるアメリカと日本くらいのものでしょう。ヨーロッパでもアジア諸国でも自国の観客だけで回収するのは難しいと思います。まして、あの時期のフランスの国内市場だけで回収するというのは、かなり難しかったと思いますよ。資本主義的な生産では、どんなに素晴らしい作品でも、費やした資金は回収しなければならないし、ヒットしないと認められませんし、後世にも残せないでしょう。そういう意味では、たとえグリモーの意志通り完成していたとしても、かなり無謀な企画だったのではないでしょうか。
―古くは『バッタ君町へ行く』(1941年アメリカ/デイブ・フライシャー監督)、最近では『タイタンA.E.』(2000年アメリカ/ドン・ブルース監督)の例に顕著ですが、どこの国でも長編でヒットしないと、スタジオの存続もアニメーター集団の維持も途端に行き詰まりますね。
大塚 天才の作品には、資金も時間も人材も費やされて当然ですが、ヒットするかどうかは宣伝も含めて別の問題ですからね。増して、政治的告発を含む作品、論理で作られた作品は大衆にはソッポを向かれますからね。そうした市場原理に左右されずに作れたのは、国が支援体制を採っていた時期の社会主義国だけでしょう。
―戦後から60年代までのソ連、中国、チェコなどは長編も短編も百花繚乱でしたからね。
大塚 ソ連のイワノフ=ワノやアタマーノフ、中国の特偉などが、まともに食べていけたという状況は資本主義国では考えられませんよ。いくらアニメーションに金がかかると言っても、一つの作品に戦闘機一機分も要りませんから、資本主義国でもそのくらい面倒みてやってもいい筈ですけど(笑)。いずれにしても、あの時期のフランスで長編を実現させたという意味で、『やぶにらみ―』の志は実に雄々しいと言うか、崇高ですね。
―ヒットは難しかったかも知れませんが、周辺諸国でもっと評価されていれば、フランスを含むヨーロッパのアニメーションの歴史は変わっていただろうという気がするんです。
大塚 そう思いますね。

●東映動画社内試写の反響

―東映動画では何度か『やぶにらみの暴君』の社内上映が行われたと聞きますが、いつ頃から上映されていたのでしょうか。
大塚 高畑さんたちの入社が確か昭和34年(1959年)でしたから、その2〜3年後、手塚(治虫)さんが虫プロを立ち上げた後くらいからだったと思います。参考試写と称して借りて来て、何回も上映しました。
―特に高畑さんは熱心に御覧になって研究されたと聞きますが。
大塚 フィルムを借りて来て、一晩かかって全カットのフィルムの一コマ一コマをプロジェクターで投影してぼくが撮影したことがありました。フィルムを回しながら、どんな技術で作られていたかを分析したんですね。
―それはすごい。
大塚 それしか研究する手段がなかったんです。高畑さんは膨大なメモをとっていました。その後、ぼくが絵に描き起こして、ポーズ集みたいなものを作りました。
―その復元されたポーズ集は今もあるのでしょうか。
大塚 残念ながら、人にあげたりして全部は残っていません。(※注 冒頭掲載の作品はその一部です。)
―なんともったいない…。その後も新人が入社する度に上映されていたんですか。
大塚 社内では見ていないという人がいない、というくらいの回数は上映したと思います。月岡(貞夫)さんも、宮さん(宮崎駿)も社内で初めて『やぶにらみ―』を見たのではないでしょうか。月岡さんは東映動画を辞めてから、グリモーのスタジオを訪れて、意気投合して十泊したとも聞きました。
―『やぶにらみ―』の他には、どんな作品が上映されていのでしょう。
大塚 ディズニー以外の長編ですね。ディズニーは劇場で観られましたから。チェコのトルンカ作品や、『天地創造』(1956年チェコスロヴァキア/エトゥアルト・ホフマン監督)なども社内上映されました。少し後になってソ連の『雪の女王』とか。ぼくは『天地創造』が大好きでね、何故かこの作品を見て僕は涙を流しましたよ。

▼映画『天地創造』とJ・エッフェルによる原作漫画。映画は神と天使たちによるオムニバス風刺劇。

―社内での『やぶにらみ―』の反応はどのようなものでしたか。
大塚 みんな現場の人間ですから、ファンとは違った突っ込んだ見方をしていたと思います。アニメーターだけでなく、演出部の人も池田宏さんなどはエレベーターが画面を縦に割って動くシーンで、PANの移動速度を計算したりしていましたね。
―大塚さんや月岡貞夫が原画を担当された1965年3月公開の『ガリバーの宇宙旅行』(黒田昌郎演出)のラスト、紫の星のロボットが周囲を破壊し尽くして瓦礫の中で機能停止するという下りに『やぶらみ―』の影響が観て取れるのですが。
大塚 あれはちょっと浮いてましたけどね。ただ、露骨に真似したいと思ったんじゃなく、現場の誰もが何となく『やぶにらみ―』の影響を受けていたんですよ。「ああいうものを作りたい」という空気があったんでしょう。
―虫プロ発足時の内部資料の「どんな長編が好きか」という社内アンケートでも『やぶにらみの暴君』が圧倒的に1位でしたね。
大塚 業界の中に、そういう影響力はあったんでしょう。ただ、どのように論理的に分析して、自分のものにして作中に生かすかという論議は余りなかったんじゃないでしょうか。
―大塚さんが自主発行された『大塚康生のおもちゃ箱』に掲載された当時のスタッフ間の落書きによれば、同じ頃、宮崎さんが『やぶらみ―』を観て「闘志がわいて夜はねむれなかった」「十年前にあんな作品見た奴がいっぱいいる筈なのに今まで何やってたんだ まったくハラが立つヨ!」と語ったとありますが。
大塚 まったくねぇ、宮さんらしい(笑)。彼はそのことについて、ほとんど語ったことがないと思いますが、強烈な印象を刻まれたことは事実でしょうね。

●『カリオストロの城』はパロディでもオマージュでもない

―『やぶにらみの暴君』が後年、高畑勲さんと宮崎駿さんに与えた影響について伺いたいのですが。
大塚 高畑さんはさっき言った「人間の内面を描くことの可能性」という点が大きいと思いますね。宮崎さんの場合は、高低差を描くという意味で、技術的演出的な影響を受けたと言えるんじゃないでしょうか。
―『長靴をはいた猫』(1969年/矢吹公郎演出)の魔王の城から始まって、『千と千尋の神隠し』の湯屋に至るまで、高低差を生かした密室的な舞台設定と、それを活かした演出の源泉の一つであることは確かだと思うのですが。
大塚 『長靴をはいた猫』では、宮さんが背景原図に相当手を入れていましたね。
―地下と最高層だけで中間を省くという傾向がありましたね。中間もきっちりと生かした作品となると、やはり『カリオストロの城』ということになりますか。
大塚 あれは不思議な作品でした。宮さんはとにかく『ルパン』という企画を嫌っていましたからね。さんざん手垢のついた作品だし、イヤでイヤで仕方がなかった。しかし、無名の演出家に長編を預けられる機会なんて滅多にありませんからね。腹をくくって、是が非でも面白い話にしようと悪戦苦闘していました。言わばアレルギーの反動として、得意の縦の構造をとことん生かそうと思い至ったようなところがあったのかも知れませんね。
―皮肉なことですが、いわゆる「宮崎アニメ」ファンの間では、『カリオストロの城』の源泉の一つとして『やぶにらみの暴君』が再評価されるという現象がありました。「このシーンが似ている」「話の基本構造が同じ」云々の表層的な指摘は未だに語られているわけですが、実際に宮崎さんは『カリオストロの城』の演出に際して、『やぶにらみの暴君』を意識していたと考えていいものなのでしょうか。
大塚 第三者から見ると分かりにくいかも知れませんか、宮さんはおそらく『やぶにらみ―』を意識してはいませんよ。
―パロディでもオマージュでもないと。
大塚 ええ。『(未来少年)コナン』の第2話(『旅立ち』)の打ち合わせの時にこういうことがありました。宮さんが描いて来たおじいが死ぬ時のコンテを見て、ぼくが「これは『ホルス』そっくりじゃないか」と言ったんです。そうしたら、「えっ、そう?『ホルス』ってこんなだったっけ」と言うんですよ。冗談ではなく、本当に忘れていたんです。
―御自身で絵コンテと真剣に取り組んだ結果、無意識に似通ったシーンを創り出してしまったと。
大塚 『コナン』で、宮さんはインダストリアを三つの階層に分けて描いた。プラスチップ島など最下層の愚かな住人、コナンたち平民、そして支配層の役人たち。宮さんは、各層の人々をステレオタイプに描こうとした。つまり、プラスチップ島には無気力で愚かな人しかいない。この設定にぼくは異議を唱えたんですよ。「人間を層で分けて描くのはおかしい。どんな層にも賢い人もいるし、愚かな人も遍在している筈だ」と。そうしたら「そんなことはぼくには出来ない!自分でやって下さいよ!」と烈火の如く怒ってね。でも、しばらくしたら下層市民の中に蜂起の指導をするルーケとか、おじいそっくりの老人などがちゃんと出て来たんですよ。ぼくが進言したからというより、自分の中で徹底的に消化して生かした結果、そうなったわけです。ぼくの場合は、言う度に怒っても、後で生かされると分かったんで、平気でどんどん言うようにしてましたけどね(笑)。
―様々な作品の影響についても、大塚さんの進言と同じように消化した上で、自作の中に溶け込んでいるということですね。
大塚 そうです。『やぶにらみ―』だけじゃなく『雪の女王』やその他の作品も含めて、ゴチャマゼになって彼の中に渦巻いていると考えるべきでしょう。それは映画の影響だけじゃなく、子供時代から飛行機が好きだったとか、絶景の高所から下を見下ろしたいという願望なども合体してますからね。
―どうやったら高低差の快感を生理的に表現出来るか、それを物語の中に組み込めるかと考えた結果、脳内から『やぶにらみ―』的なものが浮き出て来たという感じでしょうか。
大塚 そんな感じでしょうね。むしろ技術的な引き出しの一つとして、『やぶにらみ―』のような構造を選んだということでしょう。
―『やぶにらみ―』の大きな特徴である物語の寓意性や、静かで淡々とした演技、抑制された展開などには宮崎さんは全く影響を受けていないと思います。もっと激しい喜怒哀楽の演技やハッピーエンドの大団円がお好きなわけですから。
大塚 そうですね。『やぶにらみ―』の物語は大変面白いんですが、一般の観客にとってはあの寓意性を理解出来ない人もいるでしょう。最後に王様が吹き飛ばれますが、ぼくも「あれで終わって良かったのかなぁ」と未だに思いますね。
―『王と鳥』になると、さらに引っかかるような独特の余韻がありますね。
大塚 ぼくは本当の王様が、最後にもう一度復活すると思っていたんですよ。絵の暴君が追放されて、本物の暴君が現れて、鳥を撃つのをやめてハッピーエンド―という話ならみんな喜ぶでしょう。でもそうはならない。
―改作の『王と鳥』で余計にはっきりしたのは、はじめからグリモーやプレヴェールは、宮崎さんのお作りになるような明快なエンタテイメントを目指していなかったということだと思います。

●アニメーションで社会をどう描くか

―下層から上層に攻め上って権力を打倒するという構造も、社会の縮図のような描かれ方であって、エスコートヒーローの少女救出劇という形ではない。個人の立身出世や恋愛成就といった幸福な帰結じゃなく、社会がどうなっているのかを客観的に描こうという発想が根底にありますよね。
大塚 物語の進行は結婚式を頂点として、起承転結というエンタテイメントの常道を踏んでますが、推進軸が情に流されずに実に論理的なんです。階級闘争も共産主義も、ある意味で理想の論理化でしょう。そういう意味で階級闘争のフランスの土壌から生まれたという側面があると思いますね。
―パリ・コンミューンの国ですからね。
大塚 そう。そこが特に高畑さんに大きな影響を与えた点だと思いますね。極論ですが、『太陽の王子(ホルスの大冒険)』の時の高畑さんの脳裏には、『やぶにらみ―』がずっと頭の中にあったんだと思いますね。「あの高みを目差したい」という信念。そうでないと、あの驚異的な粘りは考えられません。長編の初演出にして、一ミリも妥協しないという姿勢でしたから。その後の作品にも、核の部分には、ずっと志としての『やぶにらみ―』が生きているように思います。
―そういう意味では、『太陽の王子―』で描かれた村人が団結を築くという過程には、『やぶにらみ―』の「社会を相対的客観的に描く」という内容が息づいているようにも見えます。複雑な影を背負うヒルダの繊細な演技は、単なる悪役でない王様の描写に源泉があるようにも思えます。より深いところで影響を受けていると申しますか。
大塚 高畑さんは「どんな映画を作りたいのか」という大いなる疑問に対する一つの回答を『やぶにらみ―』というアニメーションに見出したのでしょう。
 国を挙げて、人間の生活水準を良くしようとか、社会的な規範を作ろうとか、そうした思想は、当時は社会主義国が強烈に発信していた。その理想は輝いて見えましたし、物を売ったり買ったりして金儲けをして回す資本主義社会とは違った筈なんですね。しかし、そういう国家体制がスターリンのような暴君と個人崇拝を生み出してしまったのも事実です。一方で、そのスターリンがいなければ、ソ連はドイツに攻め滅ぼされていたかも知れません。日本でも明智光秀と織田信長のどちらが正しかったかという論争があるでしょう。もし、信長が天下統一していたら、強い政権が出来たでしょうが、朝鮮半島に侵略戦争を仕掛けたと思いますよ。
 つまり、歴史とか人物の評価は、一面的では本質を捉え切れません、今は「社会主義は失敗した」と言われてますが、百年後にはまた違った形で復活するかも知れませんからね。そういう風に、相対的に考えて映画を作るという発想は、実にスケールが大きいと思うわけです。
―ハリウッド映画とは正反対の、勧善懲悪の外側で映画を作るという姿勢ですね。
大塚 アメリカにもトンチンカンで強引な理想主義があるけどね。武力行使をしてでも民主主義を世界に広めたら幸福になるとか。
―「悪の枢軸国」を壊滅すれば、世界平和が訪れるとか。
大塚 そうそう。そういう単純明快な権力礼賛ではなくて、『王と鳥』には国家権力を斜めから皮肉に見るという面があるでしょう。今の北朝鮮の人が観たら、どんな反応をするのだろうと思いますね。

●今、『王と鳥』をどう観るべきか

―最後に、『王と鳥』を今の時代に日本の観客がどう観るべきかという点について、大塚さんの御意見を伺いたいのですが。
大塚 日本人は明治以来ずっと外国に目が向いているでしょう。だから、昔のフランスの作品でも興味を持って観る観客は昔も今もいると思う。むしろ今の方がアニメーションを好きな人は多いし、DVDを買って持っている人だっている(笑)。
 ただ、ぼくらは、戦争中の軍国主義が終わって、ソ連を中心とした社会主義の理念が圧搾空気みたいに日本を覆っていた時期に、『やぶにらみ―』と出会っているでしょう。職場でも組合運動が盛んだったし、政治的社会的な寓意は、そのまま生々しい現実として理解することが出来た。あの時代の空気というものは、若い人には伝わりにくいでしょうね。
―1955年と言えば、日本では自民党が結成され、社会党が統一して“55年体制”となった年。レッドパージに朝鮮戦争、前年には自衛隊が創設されて、良くも悪くも“戦後日本”の基本構造がスタートした頃ですね。ソ連ではスターリンが死亡した直後で、フルシチョフに批判される直前…。
大塚 中国では毛沢東、北朝鮮では金日成が現役で権力を行使していた時代です。今は、冷戦が終わって、圧搾空気も吹き飛んじゃって、いきなりペタンと地面に腰を下ろしてるようなものでしょう。だから、社会主義も独裁政権もピンと来ないんじゃないでしょうか。日本もアメリカも、一応民主的選挙で選ばれた政権ですしね。
―「社会をどうするか」という理想や理念でなく、まず個人という価値観が優先されていますね。
大塚 そう、まず個人。それが理屈抜きなんですね。「絵柄が可愛いから好き」とかね。日本のアニメーション業界で流行っているトメ絵の洪水にしても、必然性や理屈がなく、ただだだ省力化のために濫用されている。『王と鳥』は全編論理に貫かれてますからね。論理的に観ることが出来ないと楽しめない面はあるでしょう。
 ぼくは、ヨーロッパ、アメリカ、中国と、色々な国でアニメーションを教える機会がありましたが、日本の生徒が最も論理に弱いんです。アニメーションの動きは「ここを引けばこう動く」という具合に、全て論理ですからね。そうした原理を説くとロクにノートも取らない。面倒な論理は棚に上げて、ひたすら好きな絵を描けばいいと思っているわけです。しかし、ヨーロッパや中国の学生は全然違う。こちらの提起した論理を発展させた質問をドンドン浴びせて来る。研究者にも、単なるファンではなくて、真面目な人がいるでしょう。この違いは大きいですよ。
―論理的思考の訓練としても、『王と鳥』を鑑賞し、大いに考えて欲しいということでしょうか。
大塚 そうですね。ここまで論理と寓意が練り込まれたアニメーションは滅多にないですから、一人でも多くの人に是非劇場のスクリーンで観て欲しい、考えてほしいと思います。
 それと、一部の共産圏とか軍部の独裁国家には五十年前とは規模が違いますが、今も圧搾空気が残っているでしょう。偶像を建てて崇拝している国がありますからね。『王と鳥』には独裁者の人間的な側面と権力機構のバカバカしさを戯画化していますが、現在でもそれを見破る英知は人々の間に育てなければなりません。だからこそ、若い人が今日なお『王と鳥』を見直す意味があると思いますね。

(2006.5.25. 大塚康生氏宅にて)


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