2007年5月に逝去された銅版画家・アニメーターの奥山玲子氏の業績を偲ぶページです。


      
▲ 銅版画作品「ニーナ・Standing」(2002年) ▲ 銅版画作品「But where」(2002年)  


▲ 1966年「女学生の友」が取材に来た際の写真
(「太陽の王子」準備室にて)

● 略 歴 ●
おくやま れいこ 10月26日宮城県仙台市生まれ。東映動画に入社し、『白蛇伝』の動画を担当。『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』で原画に昇格。『わんぱく王子の大蛇退治』ではヨルノオスクニのパートのデザイン・原画を担当。スタジオでは女性アニメーターのリーダー的存在として腕を振るう一方、労働組合の活動にも積極的に参加し、女性の処遇改善や合理化阻止を掲げて闘った。『太陽の王子 ホルスの大冒険』『長靴をはいた猫』『ながぐつ三銃士』などの原画、『海底3万マイル』の作画監督(共同)など、長編の筆頭原画やテレビシリーズの作画監督・原画を歴任。『にんぎょ姫』では女性初の長編作画監督を単独で担当。『母をたずねて三千里』『龍の子太郎』では、夫の作画監督・小田部羊一氏の補佐を務めた。銅版画家としても数々の個展を開催。1991年には銅版画調の異色短編『注文の多い料理店』の原画で新境地を開拓。2003年『冬の日』の一編を演出し、小田部氏が原画を担当。1986年以降は東京デザイナー学院アニメーション科の講師も務めた。2007年5月6日病没。


奥山玲子氏 フィルモグラフィー

公開・完成年/タイトル/奥山玲子氏 担当

●東映動画時代
1958.10.22.公開(映画)『白蛇伝』 動画
1959.6.20.完成(映画)『たぬきさん大当たり』動画
1959.12.25.公開(映画)『少年猿飛佐助』 セカンド原画
1960.8.14.公開(映画)『西遊記』セカンド原画
1961.7.19.公開(映画)『安寿と厨子王丸』原画補佐
1962.7.21.公開(映画)『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』原画
1963.3.24.公開(映画)『わんぱく王子の大蛇退治』原画
1963.12.21.公開(映画)『わんわん忠臣蔵』原画
1963.11.25.〜65.7.12.放映(TV)『狼少年ケン』 原画・作画監督(話数不明)
1965.11.1.〜66.4.25.放映(TV)『ハッスルパンチ』原画・作画監督(19話 小田部玲子 名義)
1966.4.23.〜67.3.21.放映(TV)『レインボー戦隊ロビン』原画・作画監督(話数不明)
1966.12.5.〜68.12.30.放映(TV)『魔法使いサリー』作画監督(77話ほか)
1968.7.21.公開(映画)『太陽の王子 ホルスの大冒険』原画
1969.1.9.〜70.10.26.放映(TV)『ひみつのアッコちゃん』作画監督(44・61話)
1969.3.18.公開(映画)『長靴をはいた猫』原画
1969.7.20.公開(映画)『空飛ぶゆうれい船』原画
1970.7.19.公開(映画)『海底3万マイル』作画監督(共同)・原画
1971.3.20.公開(映画)『どうぶつ宝島』原画
1971.7.18.公開(映画)『アリババと40匹の盗賊』原画
1971.10.4.〜72.3.27.放映(TV)『さるとびエッちゃん』原画(6話)
1972.3.18.公開(映画)『ながぐつ三銃士』原画
1972.7.8.〜72.3.31.放映(TV)『デビルマン』原画
1972.7.16.公開(映画)『魔犬ライナー0011 変身せよ!』原画
1972.12.3.〜74.9.1.放映 (TV)『マジンガーZ』作画監督(69話)
1973.4.7.〜73.10.6.放映(TV)『ミクロイドS』作画監督(話数不明)
1973.6.30.公開(映画)『哀しみのベラドンナ』原画(北川玲子 名義)
1973.7.18.公開(映画)『マジンガーZ対デビルマン』原画
1974.3.16.公開(映画)『きかんしゃやえもん D51の大冒険』原画
1974.7.25.公開(映画)『マジンガーZ対暗黒大将軍』原画
1975.3.21.公開(映画)『アンデルセン童話 にんぎょ姫』作画監督
1975.7.26.公開(映画)『宇宙円盤大戦争』原画
1976.3.20.公開(映画)『長靴をはいた猫 80日間世界一周』原画

●日本アニメーション時代
1976.1.4〜76.12.26.放映(TV)『母をたずねて三千里』キャラクターデザイン・作画監督補(22話〜52話)
1977.6.7.〜77.12.6.(TV)『シートン動物記 くまの子ジャッキー』原画(5話)

●フリーランス時代
1976.10.1.〜79.2.2.放映(TV)『キャンディ・キャンディ』原画(話数不明)
1978.1.18.放映(TV)『まんが日本絵巻/29話 狂乱の炎 八百屋お七』キャラクターデザイン・作画(あんていろーぷ名義)
1978.1.25.放映(TV)『まんが日本絵巻/30話 この子らに愛を 聖母細川ガラシャ』キャラクターデザイン・作画(あんていろーぷ名義)
1979.3.17.公開(映画)『龍の子太郎』キャラクターデザイン・作画監督補
1981.4.11.公開(映画)『じゃりン子チエ』原画
1981.4.7.〜82.6.22.放映(TV)『名犬ジョリイ』原画(話数不明)
1983.11.8.〜85.1.29.放映(TV)『子鹿物語』原画(話数不明)
1984.7.8.公開(映画)『パパママバイバイ』原画
1985.6.22.公開(映画)『ペンギンズメモリー幸福物語』原画
1988.4.16.公開(映画)『火垂るの墓』原画
1991.完成/93.8.3.公開(映画)『注文の多い料理店』原画
2003.12.13.公開(映画)『冬の日』絵コンテ・レイアウト・原画

★主な著作
「おかしえんのごろんたん」1980.2.25.発行 太平出版社
「詩画集 墓標」2001.11.15.発行 文芸社

作成・文責/叶精二


●追悼の辞

大工原 章 氏

奥山さんは昔から動画の合間に変わった絵を描いていたことをよく憶えています。ぼくよりずっと若いのに、先に逝ってしまって残念です。

※2007年10月23日にご自宅で頂いたコメント。

大塚康生 氏

「白蛇伝」以来「じゃりン子チエ」に到るまで何時も小田部さんと一緒に会うとこが多く、折にふれて一緒に仕事をして来た仲間です。アニメ界最高のおしどり夫婦で、ファッショナブルで明るい彼女はアニメーションにおける女性の地位を高めるために戦って来た一面があり、常に自身について語ることを避けて来ました。その死を四ヶ月も伏したことはきっと彼女自身の意志だったと思います。ある日ひょっと出会えるような別れになってしまいましたが、ご冥福を御祈りいたします。

「大塚康生のWEB峠の茶屋」2007年9月12日付「お休み処 いっぷくBBS」より


林 静一 氏

奥山さんの訃報に接して

画ニメ『赤色エレジー』の完成トークショーへ、小田部、奥山夫妻が見えられると、東映アニメの方から聞いておりましたので、突然の訃報に驚いております。
また亡くなられたのが、画ニメ『赤色エレジー』の制作中の時期であったと聞き、二重の驚きを隠せません。

誰よりも長生きをし、あっはははと笑い飛ばす豪快な生き方をすると思えた奥山さんが逝くなんて、いまも信じられない想いで一杯です。

拙著『赤色エレジー』の幸子と一郎の関係には、やはり奥山さんの女性としての生き方が、大きく影響を与えていると、今は思えます。

ご冥福をお祈りいたします。

※ 2007年9月20日、特別に御寄稿頂きました。 林静一さん公式URL「心象花」


山下恭子 氏

 奥山さんが亡くなったって?そんなバカなそんなはずはない……。友 人から電話を受けたとき白日夢を見ているような気分でした。
 今年彼女からの電話で、相変わらずの取りとめのない楽しい長話しをしたとき、「少し体調が良くないけど、治ったらまた湯布院に遊びに行くから。」ということで秋にでも来るかなと待っていたところでした。
 今考えると、奥山さんとの話は本当に面白いものでした。情報通で、私がこちら(大分県由布市湯布院町)に来てから30年余りの動画の人たちのあらましが活写され、みんなに会っているような気になれました。スケッチに優れた才能を発揮したと同じ能力が話術の中にもあったと今気づかされています。
 東映動画時代に、まったく性格の違う二人が友だちになり、お互いの関係がいつも自由でいられたことは本当に得難い経験をさせてもらったと思います。居なくなった淋しさが大きく今は言い表せませんが、心から信頼し安心できる友だちを持ったことは人生の幸運でした。
 動画時代、交通量が増えて道路が次々に改良されていくときに、その方向をめぐって奥山さんと話しあったことがあります。私は現実的に「渡るのが負担になる歩道橋でも作らないより増し」と言いました。しかし彼女は「人間が優先の考え方をしなければおかしい。歩道橋は悪い妥協だ。」と譲りませんでした。懐かしい思い出です。
 本人は「いつの間にか居なくなった」のかも知れませんが、私に言わせれば「そんなのないよ! ダメだよ! 」。          

  2007年10月 


叶精二著「日本のアニメーションを築いた人々」
(2004年1月28日 若草書房発行)


※禁無断転載

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