HOMEへ戻る
「宮崎駿論」トップへ戻る

宮崎駿の創作論

―またはT再構築作家Uとしての肖像―

文責/叶 精二

注)この文章は「別冊 COMIC BOX vol.6/千と千尋の神隠し 千尋の大冒険」2001年7月31日発行(ふゅーじょんぷろだくと)に掲載されたものです。掲載に当たっては、編集部の都合でサブタイトルを「イメージボードからの飛翔」と変更されてしまいましたが、こちらがオリジナルのタイトルです。


 「宮崎駿監督は天才的・独創的アニメーション作家だ」という評価が定着して久しい。実際、多くの関連記事は、この評価を前提として、シナリオ・設定・キャラクターの解釈・感想の類で構成されているが、一様にその創作の原点には踏み込んでいない。「どこが独創的なのか」を人格評価にすり替えてしまう傾向さえ見受けられる。
 確かに宮崎作品は誰も見たことがないようなイマジネーションに溢れており、一作毎に新しい世界観を提供し続けている。では、その独創性は一体どこから来たのであろうか。
 新作「千と千尋の神隠し」を含む多くの宮崎作品が、完全なオリジナル作品であることは疑いがない。しかし、それは「天才だから」全てが降って湧いたわけではない。「天才とは努力家の別称である」という定説通り、宮崎監督は日本のアニメーション史に新しい何かを付け加える映画のアイデア探し・技術的可能性を模索していると思われる。
 本稿では、作品の準備段階に絞って、創作過程の一面をあぶり出してみたい。宮崎作品に見られる変則的な制作システムと高度の技術、飽くなき知識欲と大海のごとき読書歴から生み出されるアイデア、イメージの断片を特異の情念で生き生きと膨らませ物語に仕上げてしまう力技など、その実体に少しでも迫ることが出来れば幸いである。

1. 創作のスタートライン

●イメージボードの役割

 宮崎監督が独特の制作手順を踏むことはよく知られている。一言で言えば、T数枚のボード(シーン)から発想し、次第に一本の映画に膨らませるUという創作法である。
 宮崎作品は、多くの場合、文章としてのシナリオからではなく、「絵」すなわち物語のある場面や情景を凝縮したTイメージボード(イメージスケッチとも言う)Uから全てがはじまる。この作業により、作者のウォーミング・アップと作品の方向付けが行われる。
 通常、このようなイメージスケッチは、制作の準備段階で主要なアニメーターやアーティストたちが各々のアイデアを具体的に描いて壁一面に貼り出し、それを取捨選択しながらストーリーを紡ぐという行程で用いられる。一種のアイデア合戦であり、アニメーターは「動かしてみたいシーン」や「出してみたいキャラクター」などを、美術担当者は「斬新な舞台設定」などを各々設計し、来るべき映画を視覚的に豊かなものにしようと試みる。
 これらが取捨選択され、本番に採用されたものは、TストーリーボードU(ストーリースケッチとも言う)として改めて再構築される。これは、ディズニーをはじめアメリカの制作工程の重要なステップであり、宮崎監督の出身スタジオである東映動画の初期長篇でも当然行われていた。スタッフの参加意欲を高め、創作力・クオリティを競い合う合理的なシステムである。
 しかし、この作業は多くのアニメーターやデザイナーの自己主張によってしばしば深刻な不統一が起ったしてり、その調整には卓越した指導力と、大変な時間がかかる。制作予算の少ない日本では成立は極めて難しいのが実態であろう。
 その点、宮崎作品ではその作業が専ら監督一人の頭の中から生み出され、全編宮崎色で統一することよって成り立っている。集団創作といわれるアニメーションの現場では、これは極めて効率的かつ独裁的とも言えるが、他のメンバーを排除しているわけではない。何時の場合もスタッフは彼等独自のイメージを提示する余地が残されているが、実際問題として限られた時間内で、監督を越える説得力をもつイメージを出すのは至難の技というのが実態であろう。
 このように、宮崎作品においてはイメージボードは作品の源泉となり、必然的に各ボードは物語を内包するに足る強烈なインパクトを持つものが採用される。
 たとえば、「天空の城 ラピュタ」の空から降ってきた少女シータを受け止めようとする少年パズー、「となりトトロ」のバス停に横並びで現れたトトロ、「千と千尋の神隠し」では自動車の後部座席に花束を持ってつまらなそうに横たわった千尋と、豚舎の前に立つ千尋…。これらのボードはごく初期に描かれたものだが、いずれも本編に組みこまれた上、改めて清書され宣伝ポスターとして使われた。一つのイメージが作品を方向づけている典型と言えるのではないだろうか。

●絵コンテと脚本は同時に完成する

 通常、脚本に基づいて描かれたイメージボードは討議の上で整理され、そこから脚本の改訂作業、具体的な設計図である絵コンテが作成される。この過程は、シナリオライター・演出家・コンテマンなど多数の人間が参加する集団作業である。
 一方、宮崎監督は、物語の大筋程度の目算を立てると、いきなり絵コンテを一人で完成させてしまう。完全なシナリオ(決定稿)はコンテ以前には存在しない。脚本はコンテの進行に伴って完成する。このため、コンテが仕上がるまで、メインスタッフはおろか、監督自身も物語の全貌は明らかにし得ない。それが模索中の場合もあれば、変更の可能性を留保している場合もある。ともかく、シナリオ上の整合性は間違いなく後から着いて来る。
 また、この絵コンテが異常なほど綿密であり、変更の余地がないほど完璧に描き込まれている。全ての設計は、このコンテにあると言ってよい。カメラワークや動画技術が分からない素人でさえ、コマ漫画として楽しめる水準となっている。(これについては、詳述を要するので今回は述べない。)
 要するに、こうした基礎設計の行程は全て監督個人の作業となる。これは、監督個人に比類のない負担を強いる行程であり、この間に費やされる労力は延べ数十人分にのぼると思われる。
 なお、初期の演出作品「未来少年コナン」「ルパン三世 カリオストロの城」「名探偵ホームズ」などには、別人による脚本が存在しているが、それ自体が監督の構想をライターが汲んで文章化したものであった。しかし、それでもコンテ執筆時に随所に変更が施されており、決定稿は大幅に違ったものになったケースも多々ある。
 「風の谷のナウシカ」は当初、伊藤和典氏による準備稿が書かれていたし、「魔女の宅急便」は一色伸幸氏が脚本を準備していたが、早い段階で決裂。いずれも、自身で脚本(コンテ)を書いている。おそらく、伊藤氏・一色氏の構想は完成したシナリオとは全く違ったものであっただろう。全行程を緻密に管理する宮崎作品には、自己主張の強い脚本は相容れない。より正確には、その脚本ですら、絵コンテを成立させるための一つのたたき台、素材に過ぎない。
 この過程に関して、監督はかつて下記のように語っている。
「シナリオは書きますよ。『ラピュタ』の時も書いたし、『トトロ』の時も、『トトロ』は粗筋でしたけど、ぼくにとってはシナリオだった。『カリオストロ』も実際書いたのはボクなんですよ。でも、自分のシナリオ通りの絵コンテにはならないですけど。(笑)」(「コミック・ボックス」八九年二月号)
 宮崎作品では、自己のイメージをより純化させる方向でシナリオが形成させて来たと言える。
 それにしても、各イメージを分散させることなく、無理なく物語にまとめ上げるバランス感覚は驚異的と言える。監督はよく「最後には作品の方が自分で映画に収まろうとする」と語って来たが、これは特異なシナリオ制作行程を感覚的に表現した発言と思われる。

●ワンショットの力

 監督がコンテ作成に当たり、各シーンの設計をどれだけ重要視しているかは、以下の発言に顕著である。
「フィルムのどこか途中から観始めても、力のある映画は、瞬時に何かが伝わって来る。数ショットの映像の連続だけで、作り手の思想、才能、覚悟、品格が、すべて伝わって来るのである。要するに、どこを切ってもたちまち当りかはずれか判ってしまう。まるで金太郎アメだ。B級C級は、どこを切ってもB級C級の顔しか出て来ない。」
(東宝レーザーディスク「生きる」解説より)
 実際に宮崎監督は、映画を途中から見始めて途中で退席することもしばしばであるし、テレビ放映で気に入った作品でも途中で満足してチャンネルを変えてしまうと言う。監督にとって、「ワンシーン・ワンショットに全知全能を傾けた作品であるか否か」が作品の評価基準なのだ。
 どこから見始めても観客を惹きつける映画。それは監督自身の創作理念であり、自らに課した重い枷でもあろう。観客に全シーン・全カットを一目でハイ・クオリティと分からせたい。そのためには、洪水のようなイメージの積み重ね、たたみかけるような名シーンの連続、それらを実現するための技術的試行錯誤などが不可欠だろう。監督が「徹底非妥協の作風」と語られる由縁は、これらを実践して来たためである。
 ワンシーンから全体を構想するというスタイルは、宮崎監督に限らず、しばしば聞かれる創作法である。例を挙げれば、アンドレイ・タルコフスキー監督は一本の樹と老人のツーショットのから遺作「サクリファイス」を語り始めている。また、ジェーン・カンピオン監督は海辺にピアノがある風景から「ピアノ・レッスン」のシナリオを構築したという。こうした強烈な表現欲求を伴うイメージが閃く瞬間は、その監督にとって天啓とでも言うべきものであろう。
 しかし、シーン先行型で撮り続けるスタイルは、毎回前作以上の発案・設計が要求されることになり、不安定になりがちである。実際には、ある作品はシナリオ先行、ある作品は原作尊重、ある作品は役者先行といった企画毎の使い分けが演出スタイルの裾野を広げて行く。
 しかし、宮崎監督は、事前にシナリオがあろうが、原作が存在しようが、シーン先行・イメージ先行の創作法を変えていない。汲めども尽きぬ泉のように、毎回毎回強烈なインパクトのあるイメージの断片をひねり出し、それを作品に醸成し続けている。その情熱は一体どこから来ているのだろうか。

2. 創作に至らしめる情念

●対象物を破壊し、再構築する

 宮崎監督は、幾多の原作ものを手がけて来た。「未来少年コナン」「ルパン三世」「名探偵ホームズ」「魔女の宅急便」など。しかし、各原作を一読して分かるように、およそ原作を尊重しようという姿勢は感じられない。むしろ、既に整った形になってるものを一端否定し、乗り越えることに情熱を注いでいるようだ。小説家や漫画家にアニメーション作家として真剣勝負を挑んでいるとでも言うべきか。
 ともあれ、監督のオリジナリティは、原作を仮想敵とした闘争の過程で醸成されていく側面があると思われる。
 順を追って簡単に述べれば、まず「未来少年コナン」は、アレグザンダー・ケイの原作“THE INCREDIBLE TIDE”(直訳は「大津波」だが「残された人々」と意訳された)とは共通項を見つけることが難しい。残ったのは、超磁力兵器による絶滅戦争後という世界観と主要キャラクターの名称の一部で、基礎設定から物語構成、メカ設定、キャラクターの性格から思想に至るまで、ほぼ完全なオリジナルと言える。
 原作では、コナンは最初から一人暮らしの孤児であり、知能程度の低いやや力持ちの普通の少年。ラナはコナンの幼なじみで、特異な能力にも乏しく物語中一度もハイハーバーを出ない。ダイスは単なる悪徳船長で、マンスキー(モンスリー)は頭の堅い医者、レプコ(レプカ)やジムシィは端役に過ぎず、ブライアック・ロー(ラオ)は「先生」として万人に慕われる伝説の科学者…といった具合である。インダストリアとハイハーバーの二項対立も余りに単純で、冷戦構造の風刺の域を出ていない。これらの設定は、宮崎版「コナン」では完膚無きまでに覆されている。
 「カリオストロの城」では、当初予定されていた「モグラ・マシーンで古城を攻略する」というライターの準備したシナリオを一蹴。モーリス・ルブランの原作「カリオストロ伯爵夫人」から名称と一部設定を、「緑の目の令嬢」から水没したローマ遺跡という設定を、黒岩涙香の「幽霊塔」から時計塔の設定をそれぞれ拝借。「やぶにらみの暴君」や「長靴をはいた猫」の城攻略シーンを膨らませてアクションシーンを創作。結果的にオリジナルと呼べる作品になっている。
 「名探偵ホームズ」では、「青い紅玉」など原作からタイトルだけを引用した回もあるが、品物のすり替え事件という概要程度の他は原作の欠片も残っていない。短篇・長篇を含むシリーズから断片が流用されたようだが、そのままという話はなく、やはりオリジナル・シナリオと言っていい。
 「魔女の宅急便」では、冒頭の出発シーンこそ台詞まで忠実な箇所があるが、ほうきが折れてしまう中盤以降の展開は全く違っており、これもオリジナルと言える。原作では、お正月を知らせる時計塔の部品のお届け、春を知らせる楽器のお届けなどが後半の山場であり、幾多のエピソードが均等に扱われることで、キキが徐々に街に溶け込む構成になっている。宮崎版では、キキは途中から飛べなくなってしまう上、ジジは人語を話さなくなり、ウルスラや老婦人との交流を経て自信を回復、飛行船の墜落による大スペクタクルを経て街に溶け込んで行く。その急激な展開たるや、原作からは予想も出来ない。
 こうした傾向は、自ら原作漫画を描いていた「風の谷のナウシカ」や「紅の豚」、一端はストーリー・ボードとして完成形を見た「もののけ姫」(絵本として徳間書店より発行)についてもあてはまる。「ナウシカ」は原作の壮大な展開の枝葉を払ってコンパクトに作り直した。「紅の豚」はその逆にエピソードやキャラクターを増産して長篇化。「もののけ姫」は明解な活劇路線を難解な曲折路線に改作した。特に「もののけ姫」にあっては、一九八〇年頃に描かれた原案とは似ても似つかない作品になっている。
 余談だが、「カリオストロの城」の後、「じゃりン子チエ」の演出を依頼された宮崎監督は、「原作の絵は使わない。全て猫の視点でやる。」と語って、周囲を驚かせたと言う(大塚康生氏の証言)。これもおそらく、原作と闘う際の勝算に基づいた提起なのであろう。当然ではあるが、有名原作尊重の企画意図と矛盾し、実現はしなかった。
 宮崎監督が常に「過去は語らない」前傾姿勢で創作を続けていることはよく語られて来た。それは、過去のアイデアや他人の創作物にしがみつくことなく、それらを徹底して破壊・再構築することで成り立って来たと言えそうだ。
 近年、過去の名作映画が「完全版」「ディレクターズ・カット版」などとして別編集・一部撮り直しなどで再公開・再発売されるケースが多々ある。しかし、宮崎監督の場合、およそ過去の作品にこだわりがない。おそらく、過去の作品に向き合う時には、一部訂正などでは済まず、完全に別の作品になってしまうであろう。ある意味では、新作の制作が過去の作品に対する回答なのではないだろうか。

●実景を記憶で濾過する

 多くの宮崎作品では、ロケハン(ロケーション・ハンティング)が行われて来た。
 「天空の城 ラピュタ」ではイギリスのウェールズ地方、「魔女の宅急便」ではアイルランドのアラン島とスウェーデンのストックホルム、及びゴトランド島、「もののけ姫」では白神山地と屋久島、「千と千尋」では江戸東京たてもの園。
 ただし、それらはあくまで架空世界のイメージを得るためであり、客観的現実世界をなぞった設定を作るためではない。実在の風景もまた、原作に向き合う態度と同様に、インスピレーションを得るための素材に過ぎない。逆に、実在の日本が舞台の「トトロ」、イタリアが舞台の「紅の豚」では、取り立ててメインスタッフ規模のロケハンは行われていない。
 監督はロケハン中に写真を撮る習慣がないとも聞く。あくまで己の両眼で確認した情報・印象を主観的に記憶するという思考パターンのようだ。実際監督は、「魔女の宅急便」の制作時、アラン島の民宿を舞台に起用するため、記憶だけを頼りに描き、後でスナップ写真と比べていたと言う。これは下記の発言にも顕著である。

「アニメーションで絵を描くということは、真っ白な紙に想像で自由に描くのではなくT写生することUだと思っている。頭の中にある具体的なイメージを写生する。建物ひとつにしても、ここは庭先から見上げているところなんだ、そこへ行って見上げてみてくれ、とスタッフには要求します。」
(八九年八月四日付読売新聞「『真っ正直な優しさ』受ける宮崎アニメ」) 

「風景というのは今まで見たことのあるものを自分の記憶で描いていますからね、違っているんですけど、共通したものもいっぱい持っているわけなんです。そこのところで自分の中で空間を作んなきゃいけない。」
(「月刊カドカワ」九〇年一月号)

 記憶で一端濾過することで、無味乾燥な写実一般ではなく、人間の住む空間としてのリアリティ、感情の通った風景を作り出すとでも言うべきか。要するに、写真からは感じ取れない自己の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を総動員して舞台を構築するということであろう。尤も、これを実現するためには、卓越した記憶力と構造学・設計学・文化人類学的興味が不可欠であろう。

●世界を丸ごと表現したい

 宮崎氏が、初めてロケハンに行ったのは一九七一年。「長靴下のピッピ」のメインスタッフとしてであった。作品は原作者の不承認により、実現しなかったが、日本の商業アニメーションの企画で当地までロケハンを行ったのは、これが最初ではないかと思われる。
 当時の模様を高畑勲監督は以下のように記している。

「以降のぼくたちの仕事を考えるとき、この経験が大きな基礎になっていることがわかります。とくに宮さんはロケハンにスウェーデンに飛び、古い街並みののこるゴトランド島やスカンセン野外民族博物館(民家・生活の動態保存)などを訪れたことで、名所旧跡などでは決して得られないいわば文化人類学的なヨーロッパを受けとめ、それをただちに自分のものにしていきました。」
(「あふれんばかりのエネルギーと才気」/「月刊アニメージュ」八一年八月号)

 一方、宮崎氏の側からは、以下のような自己評価が語られている。
 
「『丸ごと知りたい』というようなところが(高畑勲監督と)どこか似ていましたよ。一つの街の成り立ちとかね、こういう店の建物もそれから住んでいる人間も、何を食べているのかも、どういう商品が並んでいるのか、どういう風にそれを仕入れるのか、どういう風に支払いをするのかとか、そういうことまで含めて分からないと分かったことにはならないんじゃないかな。」
(「夢の対談 高畑勲と宮崎駿―豚から狸へ―」九四年一月一日日本テレビ系列で放映)

 この「文化人類学的」視点で作品世界を構築するという作風は、「太陽の王子 ホルスの大冒険」の頃から芽生えてはいたが、以降無国籍な作品に関わってきたこともあり、ずっと不徹底に甘んじていた。宮崎氏は、「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」という実在の地に根を張った長いシリーズを通じて、高畑監督の徹底した指導を受け、共同作業を行う過程で、この「文化人類学的」視点とそれを実践する技術的ノウハウを確立したと言える。
 初演出作「未来少年コナン」以降、全ての作品が生活様式・習俗・風習・歴史などを事前に想定して細やかに描いていること、何らかの実景や実在の場所を参考にしていることはここに起因している。
 また、「風の谷のナウシカ」のような異世界風の舞台であっても、中央アジアの乾燥地帯をイメージし、砂避けの柵、貯水池、風車といった生活を実感させる建物や、新生児の命名、胞子の焼却など村人の日常描写は実に丁寧に見せている。
 その世界丸ごとに理に適ったリアリティを与えたい。これも、他の凡百のアニメーションとは決定的に異なるモチーフである。

●テキストを映像に翻訳する

 更に、宮崎監督の創作力には、文化人類学的学習や、ロケハンの記憶に頼るだけではなく、次のようなT増幅装置Uも備わっている。

 シンガーソングライターの松任谷由実氏と対談した際、宮崎監督は「魔女の宅急便」のエンディングに使われた「ややしさに包まれたなら」の一節について、以下のように語っていた。

「雨上がりの庭でクチナシの香りがする―どういう庭なんだろう、なんてぼくは考えますね。それはけっこう古い日本の家ですね。」
(「月刊カドカワ」九〇年一月号)

 松任谷氏は、この指摘に驚き「本当にそうです。」と答えている。監督は以下のように自己分析している。

「商売柄っていうか、すぐ映像化するようになっちゃっているんです。小説を読んでいても、土地の説明なんかは、街の角のここを曲って、そこから登って……とか、頭の中で一種の図を描くんです。」
(「月刊カドカワ」同号)

 つまり、書物や詩の舞台説明にあたる箇所で瞬時に映像が構築出来るということであろう。文字列を映像に変換できる自動翻訳機のようなものだ。逆に言えば、いかに文学的なテキストであっても、映像的に矛盾しない舞台か否かが見極められてしまうことになる。多くのテキストは映像的整合性という篩にかけられ、ホンモノノの空間的リアリティを追求した作品だけが宮崎監督の記憶に残される。
 読書家として知られる宮崎監督は、ジャンル不問に読み込み、お気に召した作品は得意の想像力で映像化して、頭脳に貯蔵しているようだ。
 創作の引き出しは、こうして日常的に満たされていく。

●各作品の源泉を辿る

 実際に創作に当たり、幾多の作品の断片がオリジナル映像として浮上してくるケースも多々あるようだ。それは、パロディでもなければ、オマージュでもなく、あくまで監督の脳内発酵を経たイメージであり、無意識的なものもあったと思われる。以下、どのような作品が融合・昇華されたのか、考察してみたい。
 なお、書名・著者名は、各インタビューや記事で監督自身とスタッフ諸氏が挙げたものがほとんでである。

 「風の谷のナウシカ」は、当初砂漠を舞台にしてイメージボードが描かれて来たが、それらは「砂の惑星デューン」そのままであった。これに、食性植物が地球を覆うブライアン・W・オールディスの「地球の長い午後」のイメージ、中尾佐助の「栽培植物と農耕の起源」に代表される照葉樹林文化論、宮脇明の「植物と人間 生物社会のバランス」、藤森栄一の「縄文の世界」などがミックスされて、「腐海」を中心とした独自の生態系へと発展して行った。
 少女・ナウシカのイメージはバーナード・エヴスリンの「ギリシア神話小事典」と「堤中納言物語」の「虫愛ずる姫君」から創作。
 映画版の後半部はパウル・カレルの「バルバロッサ作戦」「焦土作戦」に描かれた第二次大戦末期の独ソ戦が参考になっているという。補給路を断たれた上、降雪と極寒の気候に阻まれてモスクワを目前にして潰走するナチス・ドイツ軍をトルメキアになぞらえたのであろう。
 「天空の城ラピュタ」のラピュタは「ガリヴァー旅行記」から名称と浮島の設定だけを流用。主人公・パズーのイメージは、ウェールズ出身のC・W・ニコルほか著「わが父なる大地」から、親方の娘・チビのマッジは、おそらくジル・ペイトン・ウォルシュ作「夏の終わりに」「海鳴りの丘」に登場する主人公の少女から、ドーラ一家の愛機タイガーモス号は実在のイギリス空軍機から名前を採っている。
 「となりのトトロ」でメイが行方不明になる後半の展開は、監督が愛読していた宮本常一の「忘れられた日本人」の「子供をさがす」や、林明子の絵本「あさえとちいさいいもうと」に似ている。監督は、林氏の絵本を大量にスタジオに持ち込み、子供の演技の参考にさせたと言う。また、縄文時代に憧れる考古学者というお父さんは、どこか藤森栄一を想起させる設定である。
 「紅の豚」には、ロアルド・ダールの短編集「飛行士たちの話」に収録された「彼らは年をとらない」の一節、飛行機の墓場の下りが見事に再現されている。また、ロバート・ウェストールの「ブラッカムの爆撃機」の雲海の中での一騎撃ちは、中盤のカーチスとの初戦を彷彿とさせる。ラストの賭博に沸く群衆・観客はジョージ・ロイ・ヒル監督の映画「華麗なるヒコーキ野郎」にも似ている。なお、この三人の作者はいずれも、大戦時にホンモノのパイロットだった人物である。
 「もののけ姫」については、多くの拙稿でも記して来たが、メソポタミアの神話「ギルガメシュ」、中尾佐助や佐々木高明の「照葉樹林文化論」、網野善彦の中世の民衆観、絵巻「一遍上人聖絵」、タタラ製鉄の行程を記録した山内登貴夫著「和鋼風土記」、ハンセン病国立療養所「多磨全生園」内に展示されている各資料など数え切れない断片が綴り合わされている。
 このように、世界各地の実景、実在の民族や歴史、各種学説、創作小説や戦史ドキュメンタリー、児童文学や絵本、映画など、あらゆるジャンルから拾い集められ蓄積された断片は、各々にふさわしい位置に織り込まれ、オリジナルの一部として溶け込んでいく。

 これは余談だが、「もののけ姫」の準備期間中、哲学者・作家の梅原猛氏が、自作の戯曲「ギルガメシュ」(新潮社)を宮崎監督に送り、アニメーション化の検討を頼んだという経緯があったと言う。しかし、監督は「内的に触発されるものがない」という主旨で丁重に辞退し、自作を創り上げた。その後、「もののけ姫」のパンフレットに寄稿を依頼された梅原氏は、一端断ったテーマを転用するとは何事かと固辞。ちょっとしたイザコザとなった。
 この顛末については、一年後に「木野評論」誌上に掲載された両氏を含む特別座談会の席上で無事和解となったようだが、監督自身は以下のように語っている。

「やっていくうちに『ギルガメシュ』の本を頂いたときの印象がずいぶん入っていたなと後で思って」
「ただ、ヒントはいろいろな所からたくさんもらっているから」
 (「木野評論・臨時増刊/文学はなぜマンガに負けたか!?」)

 これも宮崎監督の創作過程を知れば当然起こり得ることである。原作ですら跡形もなく改変されてしまうわけで、各素材は生のままで転用されたりはしない。「ギルガメシュ」も記憶の中から無意識に浮き出た一素材に過ぎない。

●キャラクターとの自己同化

 また、宮崎監督は、キャラクターに対して猛烈な感情移入を行うという。
 ワンシーンから物語を出発させながら、破綻のない結末に怒涛の如く突き進むことが出来るのも、キャラクターの言動に強烈な説得力があるからに他ならない。創作意欲の源泉はここにもある。
 こうした傾向は、長年机を並べた高畑勲氏の名文「エロスの火花」(宮崎駿著「出発点」に収録)に的確に表現されている。以下はその引用である。

「善玉から悪玉まで、美女から野獣まで、街から森まで、彼はつねにかくありたい、かくあってほしい、かくあるべき、かくあるはずという本人の熱烈な欲望と願望を込めて描く。」
「彼の人物のもつおそるべき現実感は、対象の冷静な観察によって生まれるのではない。たとえ彼の鋭い観察結果が織り込まれるとしても、彼がその人物に乗り移り、融即合体する際の高揚したエロスの火花によって理想が血肉化されるのだ。」

 映像への翻訳は風景や各種設定だけではなかった。監督はコンテを切りながら、各キャラクターの内面や記憶までありありと想像し、これも映像に自動翻訳してしまう。キャラクターの心情を思う余り、涙を流しながらコンテを描いていたこともあったと言う。物語の収拾は、客観的大局的シナリオ主導でなく、キャラクター個々に抱く強烈な理想や感情で推移する面があると言える。これでは善玉・悪玉を役割分担は全うされず、「正義が勝つ」式の予定調和は迎えられない。
 その結果、登場人物は本来の役割を離れて作品世界を闊歩しはじめる。悪役・敵役には人間性が生じ、立場の正当性を主張しはじめる。主人公の引き立て役にも見せ場が増え、メインに食い込んでしまう場合もある。
 こうして、全てのキャラクターが宮崎監督の分身となり、画面には生々しく魅力的なキャラクターばかりが登場することになる。敵味方・善悪入り乱れて登場人物が概ね幸福になって終わるという展開が多いことも、各キャラクターに自己投影しているとすれば、必然である。
 一例を挙げれば、「紅の豚」のラストシーンは、物語の結末としては曖昧模糊としており、シナリオ上のカタルシスは乏しい。ボルコ・ロッソはジーナもフィオも選ばずに飛び続け、ジーナはボルコと共に歩みたいと思いながらホテル経営を続け、フィオは設計技士として自立しながも友人関係を続け、カーチスはハリウッドで成功しながらも友人のまま、空賊たちは年をとっても騒いでいる…等々。一見矛盾だらけのこの結末も、各キャラクターの理想を突き詰めた結果、皆が幸福になるのは現状維持しかないという苦肉の選択であったのではないか。そこに説得力が生まれたとすれば、それは専らキャラクターの存在感によるものと考える。
 つまり、宮崎作品ではしばしばキャラクターの存在感と行動様式がシナリオの整合性を越える。これも、絵コンテ創作の大きな推進力となっている。
 逆に言えば、キャラクターの行動様式は絵コンテの進行と同時に刻々と変化するので、物語の結末は監督にも分からないのである。

●身近なものから発想する

 かつて、東映動画労働組合内には「宵瓶講」と呼ばれるT中傷絵画Uを志向する一群があった。同僚のアニメーター同士で、お互いの誹謗中傷を似顔絵にして描き、貼り出すという一種の内輪ネタ遊びであった。初期の東映長篇には、群衆シーンにスタッフの似顔絵が登場するのは日常茶飯事であり、こうした遊びも一種の伝統を汲んだものであったとも言える。ここで最も大量の作品を出品していたのが、宮崎駿画伯であった。それは単に悪戯好きという性格もあろうが、優れた人間観察と画力の賜物でもあった。
 宮崎氏が原画を担当した「ひみつのアッコちゃん/第57話 五年一組べこのクラス」では、話に無関係にフィアットに乗った大塚康生氏が登場。「旧ルパン三世/第23話 黄金の大勝負!」では、描き合いになったのか、宮崎氏自身と大塚氏が交互に登場している。
 露骨な似顔絵は、流石にその後の作品では影を潜めてしまったが、形を変えて残ることになる。それは親族・友人・知人のキャラクターの造型や演技、設定への投影である。
 「未来少年コナン」のジムシーが鼻くそをほじるポーズや中年男・ダイス船長の奇妙なポーズは、机を並べていた大塚氏の仕草を真似たものだと言う。
 「名探偵ホームズ」に登場する凸凹コンビ、無口で長身のスマイリーとおっちょこちょいのトッドは近藤喜文氏と友永和秀氏をイメージして設計したものだそうだ。
 「天空の城ラピュタ」のドーラは、実弟の宮崎至朗氏によれば、母のイメージと重なると言う。男四人兄弟の宮崎家と同じく、ドーラも息子ばかりに囲まれている。
 「となりのトトロ」のお母さんは療養しているが、宮崎氏自身少年期に母の長期入院を経験している。至朗氏によれば、「あのオンボロの洋館風の家の、今にも朽ち落ちそうな白いテラスに、35年前の永福町の家を思い出し」たそうだ。(宮崎至朗・著「兄・宮崎駿」/「魔女の宅急便」ガイドブック掲載)
 確かに、実在のモデルがいれば、よりリアルな説得力が生まれて当然である。ただ、宮崎監督の場合、それも生のままではなく、素材の一つとして充分に消化・吸収した上で使っていることは間違いない。
 更に、身近なものを創作に転用するという発想は、舞台や名称にも及ぶ。
 絵コンテを担当した「耳をすませば」では日本アニメーション時代に通った聖跡桜ヶ丘駅周辺を舞台に設定し、「もののけ姫」では信州の別荘周辺の地名「エボシ」「乙事」などを使っている。
 また、ごく身近に具体的なターゲットを設定した作品もあるようだ。
 「パンダコパンダ」は自らの子供たちを想定して制作。「魔女の宅急便」は鈴木敏夫氏のお嬢さんと勝負する(面白がらせる)目的で制作したと言う。対象が措定されない場合は、「紅の豚」のように「自分のため」というケースもあるようだ。
 ともあれ、目に見える具体的な観客の措定、より身近な者を喜ばせたいという純粋な動機に立ち戻ることによって、辛い作業にも耐え、常にモチベーションを高めることが出来るのかも知れない。
 鈴木敏夫氏は、これを「宮崎作品に登場するキャラクターには、なぜリアリティがあるのか?半径3メートル以内にいる人たち、実在する人たちをモデルにしているからなんです。」と表現している。
(LAWSON「ジブリがいっぱいカタログ」掲載インタビュー)

●追随を許さないハードワーク

 以上見て来たように、宮崎作品の準備段階には、次のような10の特徴が見てとれる。

1. 独力でイメージボードを制作し、イメージを固める。
2. 幾つかのシーン(イメージ)から物語を構想する。
3. 緻密な絵コンテを独力で描き切る。
4. 脚本は絵コンテ執筆時に自在に変更する。
5. 原作・原初案を破壊し、再構築する。
6. 実景を記憶で濾過して混ぜ合わせ、独特の舞台に仕上げる。
7. 文化人類学的視点で建物・生活・風習を丸ごと描く。
8. 文字媒体を映像に自動翻訳して断片を貯蔵し、必要に応じて、あらゆる断片を採り出す。
9. 全キャラクターに自己投影し、シナリオより感情を優先させる。
10. 身近な素材から発想し、具体的に見せたい誰かを想定して創作する。

 ただし、これらは「天才」だとか「独創的」だとか言われる根拠の一面でしかない。
 本格的に才気が発揮されるのは、むしろ膨大な時間を費やす集団作業の現場に於いてである。
 キャラクター・デザイン、メカニック・デザイン、小道具・大道具・各設定は元より、動画パターンの基礎設計、アニメーターの指導とサポート(全レイアウト・原動画のデッサン・タイミング・コマの操作・演技の修正)、美術ボード・背景原図・背景・特殊効果・CGのチェック、色指定・仕上げ、撮影・デジタル合成、現像、アフレコ、音楽、効果音など各セクションとの打ち合わせ・チェックなど気の遠くなるような作業が延々と続く。これに洪水のような宣伝展開が加わる。
 宮崎作品では、「全スタッフがアシスタントに徹する」という内部からの評価がよく聞かれる。これだけキーとなるハードワークを独力で支えていれば、無理もないことである。それを可能にしているのは、恐るべき創作力と集中力による労働量、そして、その名の通り駿馬のごとき処理速度である。独創的というより、独走的とでも言うべきか。
 こうした変則的独走的な行程は、良くも悪くも亜流や後続を退ける要因ともなっている。商業アニメーション群は、俗に「ロボットもの」「魔法少女もの」「スポ根もの」「名作もの」とジャンル分けが盛んだが、宮崎作品は道具立ては似ていても、必ずそれらの範疇外に置かれている。一般には、制作行程の実状など知られていないが、作品自体が強烈な独創性を主張するため、同じ枠に収めることが許されない空気があるのだろう。

 しつこいようだが、個人でこれだけの負担を背負って長篇アニメーションを作っている監督は、商業ベースでは他に例がない。個々の技術的ノウハウは引き継がれても、総体としての宮崎演出は引き継げるような性質のものではないと思われる。余りにも個人の負荷が重すぎて、宮崎監督以外では稼働しないシステムである。
 いわゆる「宮崎演出」とは、宮崎監督の体質・生理・個人史そのものであり、肉体・頭脳とは切り離せないものではないだろうか。

補論 ―如何にして孤高の作家となったか−

 最後に、角度を変えて宮崎演出の成立根拠を俯瞰してみたい。
 まず、宮崎監督の演出手法の形成史をざっと辿ってみたい。
 監督は、古くは「太陽の王子 ホルスの大冒険」「長靴をはいた猫」「どうぶつ宝島」に至る東映長篇の中核を担いながら、前述の手法を体得していった。それが、ほぼ完璧に近い水準で確立したのは「未来少年コナン」で、「ルパン三世 カリオストロの城」で磐石のものとなった。
 その後「名探偵ホームズ」「魔女の宅急便」等若手中心の制作を意図した作品では複数のアニメーターによってイメージボードが描かれた。これは数少ない例外だが、最終的には監督のイメージが先行する形で整理されている。
 スタジオジブリ時代を迎えると、劇場用長篇演出のプロセスは常人の歩み寄れない早さと水準にまで達して行った。
 しかし、卓越した才能は凡庸な制作システムから浮き上がる。同世代や一世代下のアニメーターはスタジオに残留することなく、次第に親子以上に歳の離れた若いスタッフがほとんどを占める事態に推移して行く。こうして、一作毎に監督と当該スタッフとの年齢差は開いて行った。
 また、監督御自身の加齢に対する焦りもあって、毎回「これが最後」という思いで純度の高い作品を作り出すことを余儀なくされた。当然、手間と時間のかかる集団創作のプロセスを受け入れる余裕はなくなって行った。更に、毎作大ヒットという看板がついて回ることになり、投下資金も回収額も莫大なものになってしまった。
 こうした背景から、アイデア合戦式の新しい宮崎作品を作る体制は事実上不可能となり、宮崎監督は名実共に孤高の人となって行った。「マルチに何でもこなす天才」と断じるのはたやすいが、それは環境によってやむなく選ばれた方策という側面があることも付記しておきたい。監督の創作意欲は、こうした手枷・足枷の中で余計に燃え広がったとも言えよう。


HOMEへ戻る
「宮崎駿論」トップへ戻る