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宮崎 駿 インタビュー

映画がいつも希望を語らなければいけない

なんて思わない

聞き手/叶 精二

※このインタビュー原稿は「TECH WIN 10月号別冊/VIDEO DOO! vol.1」(97年10月1日/アスキー発行)に掲載されたものです。ただし、掲載時タイトルは編集部で付けたもので、上記タイトルが原文のものです。


―今回の作品は「宮崎駿監督の集大成」と宣伝で流されていますが、監督御自身はどうお考えですか。

宮崎 ぼくはそういう意識は全くないです。

―「全く新しい作品を撮っている」という意識ですか。

宮崎 うーん。そういうカッコいいこと言わなきゃなんないんですかね。(笑)

困りながら始めたんです。いつも困っているんですけど、今回は困り方の度がひど過ぎて…しかし、避けるわけにはいかない、というところまで来ているからやろうということで。何も企画が通ってしまったからとか、会社が命令したからとか、そういうことじゃなくて、自分自身が「作るならこれをやるしかないだろう」というところに来たということですね。自分の作った企画がもう一本あって、それも意味のある企画だと思っていますけど、それをやって「もののけ姫」をやらないというのは逃げたことになるだろう。もうモラトリアムは赦されないだろうと。誰が赦さないのかはよく分かんないですけど。(笑)

 今年の正月に最後の絵コンテを描いたんですけど、それまでは、スタッフの全員が「どうやって終わるのか分かっていないんじゃないか」「本当に終わるのか」という気分になっていたのも事実ですね。絵コンテが終わったら「ああ、やっぱりこの作品は終わるんだ」と、ようやく先が見えた感じで。しかし「もう間に合わんぞ」という話になって、ありとあらゆる手を使って何とかギリギリで頑張ってます。

 一種の「業」だと思ってるんですよ。だから、集大成もへったくれも、そういう風なカッコイイ言葉で括れるような作品ではないと思ってるんです。

―宮崎さんがお感じになっている、その「業」の中身なんですが…、絵コンテを読ませて頂いて、これまで宮崎さんが深めていらした中尾佐助さんの「照葉樹林文化論」や、藤森栄一さんの「縄文中期農耕起源説」、そういう考古学や民俗学、植物学的興味などの一切を一つのエンタテイメント作品としてまとめるんだ、というすさまじいエネルギーを感じたんですけれども。

宮崎 それは日本を舞台としたファンタジーを作るということでね、時代劇と言うよりファンタジーですから、自分にとっては否応なくそういうものが入って来るんです。そういう要素が抜けたら、つまり誰かが作って来たような時代劇の方向を分母にして時代劇を作ることになる。そういうものは作ってもしょうがない。

「自然と人間」というテーマにはらまれる罠

―その辺りは、絵本になった十七年前の「もののけ姫」から今回の作品への飛躍の中身だと思っているんですが。

宮崎 日本ということに限定しなくてもいいんですが、人間にとって自然というのはどういう意味を持っているんだろうと。「自然」という言葉は非常に曖昧ですけれども、要するに人間の周りにまだ残っている他の生物ですね。動物たちだけじゃなくて、たくさんの植物たちも…そういうものの持っている役割にもっと光を当てようということです。それから、人間というのは空間に棲んでいるんだから、人間同士の関係だけでドラマを作っていればいいのではなくて、そこにある季節とか天候とか時間とか、そういうものを含めて、それが世界なんだから。太陽の光もそうだし、風もそうだし、雨もそうだし、そういうものも含めて世界を描かなければいけない。そういう画面作りとか映画の組立方をやって来たわけです。同時にぼくらは、自然と人間―俗流の「自然」という言葉でいいと思うんですけど―自然と人間との関わり合いについて否応なく触れざるを得なかった。

 だから、もっと前だったら能天気なものを作った筈なんです。それが「ナウシカ」なんていうこんがらがった作品を作り始めたのは、時代がこんがらがって来てその結果なんだとぼくは思ってるんですけどね。「自然は大切です」とか「宇宙船地球号」とかね、そういう甘い言葉で括れるほど単純な問題ではないんです。人間というものの存在の本質の中に、どこかで自分たち以外の生物を虐殺したり、生け贄にしたり、勝手に色々作り変えたりしながら、それが文化であったり文明であったりするわけです。そうして、人間というものが今日在るわけです。そのやり方についての反省はあったとしても、人間の存在そのものを否定するのかどうか。

 つまり、愚か者どもがゴルフ場だらけにするとか、用もないのに干潟の湾を仕切ってしまうとか、ダムを作り過ぎちゃうとか、そういう突出しているものだけを扱えばいいという訳じゃない。電気を使う暮らしとか、病気を克服しようとか、貧乏を無くそうとか、不条理な死から解放されたいとか―そういうありとあらやる人間のやって来たこと、それがいいことだと思ってやって来たことが、実は自然というものを人間のために利用するということに尽きるわけですね。だから、悪い奴が悪いことをやって来たからこうなったわけじゃないんです。いいことをしようと思ってやって来たことに原因があるんですよ。

 そういう風に考えていくと、自然の問題というのは簡単に残せばいいんだとか、樹を植えればいいんだとか、それは大事なことで日常的にやんなきゃいけないことですけれども、実際にはバランスを取るしかないんですね。他の生物の犠牲の上に人間が存在しなければならないという、この問題をどういう風につかまえるんだろうと。そこまで考えないと。

 そういう恐ろしい罠が「自然と人間」というテーマの中にはあるんですよ。

自然界の残酷さを見つめる

宮崎 自然というのは美しくてとてもいいものであると同時にとても凶暴で恐ろしいものなんですよ。残忍なものだと思うんです。この個体とこの個体がどうして生き残るかというと、こいつはたまたま何かに喰われたとか、樹が倒れて来て死んだとか、残忍でしょ?そういう不条理なもの、あるいは意味もなく突然抹殺するものに対して「残忍」とか「野獣のような」とかそういう形容詞を作って来たんですね。大した野獣なんて日本にはいないのにね。「人間のように残酷だ」という形容詞は使わないですよね。実は人間の方が残酷なのに。

 人間は残酷なもの、残虐なものを自分たちの世界から排除したいと思ってヒューマニズムとか法律とか色んなものを作り上げて来ましたけども、実は自然界そのものが残忍なものなんですよ。

―人間は他の生物を殺して食べなければ生きていけないわけですからね。

宮崎 ええ。人間の本質って何だろうということを思うとですね、今話したことを抜きにして作品を作ったらダメだという。そんな恐ろしいものはエンタテイメントになりゃせんだろうと。でも、どうしても「もののけ姫」をやるというなら、これを機会にやってしまおうと。出発点はそういうことです。

 それをやり始めると、残酷な映像であるとかないとかっていうのはほとんど問題ない。世界そのものが残酷なんだから。違う尺度が自分の中に生まれてしまう。もちろん映画を作るんですから色々なものを落っことして作っていくわけですが、そういうものを作っていくんですから、自分の中で今までの映画作りの文体とかそういうものを捨てようと。毎回そう言ってるんですけど、結局後から見てみると似たようなものになっているんですけどね。(笑)―それにしても、とにかくそう思ったんです。

 しかも、今までやって来た成果で(制作費に)二〇億円かけるという話があったものですから、今まで遠慮していたものも少しはやれるだろうと。

道楽の娯楽作のために「引退」するんだ

宮崎 とにかく、世界全体―とは言いませんが、ちょっと不景気になったくらいで日本人がこんなに自信を失うのか―というくらいに情ない時期にですよ、ぼくらがこの映画を作るのなら、やっぱり自分たちがぶつかっている問題の本質に立ち向かっていく作品を挑まなかったら、今までの十年がどっかでいい加減になるな、と思ったんです。それから、これをやれば、興行的に失敗しても、チャンスがあればあと十年間はバカなものを作っていられるな、という。そういうものを作る切符を手に入れるというか、変な言い方だけど、そういう時期にこの作品をやるんだと。それを逃げるか逃げないか。逃げたら、それこそ自分がどこで隠居しようが関わりなしに、このスタジオそのものの存在がどこかでいい加減になるなと。それが「もののけ姫」を始める時の自分の基本的な考え方です。

 それで、じゃあどういう映画を作るのか。ずーっと困っていよいよこれが出来ちゃうのかという話になって、ぼくは本当に心の底から地震が来るのを願いました。関東大震災で幻の名作になってしまったとかね。実際いい加減でね、関西大震災があってこの会社で費用出して、ボランティアへ行って代わりばんこに泊まったんですけどね、その時みんな「こりゃ『もののけ姫』やってる時に地震来ますねぇ」なんて話をしてたんですけどね。何でこう忘れっぽいんだろうね。半年も経つと「もう来ないねぇ」という話になってるんですよ。

―宮崎さんの引退というお話も随分話題になっているようですが。

宮崎 ぼくはもう、一人の個人としてはもうだいたい先が見えたなという感じになってます。このまま仕事を続ければうまく行って手塚(治虫)さんか藤子(F・不二雄)さんの年令で死ぬだろうなって気がするんです。そうなりたくないから、「これを最後にしたい」って言ってるだけでね、他のこともやりたいから。アニメーションだけやって「あーっ忙しい」とか「クソーッ」とか言いながら死ぬのイヤですから。だから、ちょっと道楽をさせてもらいたいと。金儲けしなくていいような作品を作りたいとかね。金集めなきゃいけないとかさ、作ったやつを人に見せなきゃいけなといか、面倒臭いじゃないですか。そういうことをしなくてすむようなものをやりたいと。勝手に作って勝手にインターネットで流しちゃったとか。そういうことが可能なのかどうか、それもわかんないですけど、そういういろんなことをやる可能性の方に踏み込んでみたいという。どうやって死ぬのかとかね。あんまりジブリに執着するのもイヤだから、震災時のトイレだけ(※ジブリの自転車置場は非常時に汲み取り式トイレとして使用出来るよう改造されている)を置き土産にしてですね、これで幕を引きたいという思いもあります。

 ただ、まぁとにかく死にもの狂いでやりました。ただ、残念なことに二〇年前の自分よりも力が落ちているから、大分甘いなと思う死にもの狂いしか出来ないんですね。鍼の先生は、「これじゃ、ものなんか考えられないでしょ。頭に血が行ってませんよ。」と言われて。で、バババッと打たれるとウワーッとなってね、翌日当たりから絵コンテが出来るようになるという。そういう情けない状態でやって来ましたから、だから呆然とする死にもの狂いなんですよ。困ってはいるんですけどね。

スタジオ全部を抵当に入れて誠意の証を見せる

―宮崎さんが2年の歳月をかけて映画を作るというのは初めてでしたよね。

宮崎 そうですね。でも、全然長くなかったですね。去年1年はなかったというやつがいましたけど、本当にそうでした。これまでいろんな作品で、ずいぶん自分が機関車でみんなを引っ張って行くんだというつもりがあったんですけど、今度の場合は、各セクションの責任者の人たちがよくやってくれて、そこがつっかえ棒になってくれて、ずいぶん助かりました。

―それはこれまでの作品で培われたスタジオの人材と技術の成果ということでしょうね。

宮崎 ええ。それを全部抵当に入れて、全部使い潰してもいいと思って。ぼく自身の勝手な考えですけど、ジブリのみんなの生活がかかっているというよりも、10年間やって来たことがウソなのか本当なのかと、その誠意の証を見せなきゃなんない。そういう所へ追いつめられた作品なんだと。だから全部抵当に入れて遠慮なくやろうと。だから制作費で3億5千万円赤字が出たんですけど、全然平気ですね。「何だ、三億五千万か。“住専”を見ろ。」とかね。(笑)そのくらいの図々しさになってますから。だから「今度は高畑勲のようにやりますから。」と鈴木プロデューサーに言いましたけどね。(爆笑)

 パクさん(高畑氏)に「いやーっ、2時間40分になりそうだ。」って言ったら「しょうがないじゃない、2時間40分でも。それでやれば?」と。あの人はすごい人だなと思いましたね。全然動揺を示さない。結局、こっちの方が二時間四〇分にする体力も気力もなかったんですけどね。

なぜ室町時代を舞台に選んだのか

―室町時に描かれた絵巻、『職人歌合』を参考にされたそうですが。

宮崎 そうはもう、ありとあらゆるものを参考にしてごまかしましたよ。というのは、ぼくらの世代もそうですけど、若いスタッフはそういうものに対して無知蒙昧の輩になっているんです。そのくらいのことは知ってるだろうと思っても、見て来た時代劇だって作り物ですから。どんな着物を着ていたのかというと、どうしても江戸の町人になっちゃうんですよ。裾も袂も長いんです。

―室町期の職人は袂が短い着物だったそうですよね。女性は「小袖」を着ていた。

宮崎 だから、長いのは町の遊び人だと。働いている人間たちは長い着物なんか着ることが出来なかった。経済的にも貧しいんだから、もっとツンツルテンのものを着ていたんだと。女もそうだった。そういうものをちょっと変えると全然違うものになっちゃうわけですよ。

 現代を舞台にした映画を作ると群衆シーンは手を入れなくていいんです。「飛行船が落っこちそうだ」と言ってワーワー、キャーキャー逃げ回ってりゃいいんで、ヘタな絵をそのまま出しても、画面でそれが致命傷になんないんです。でも、時代劇は群衆は全部直さないとダメだということが分かったんですよ。それによってどんなに変わったかということよりも、最低それだけやらなきゃならなかったから、手間がかかったんです。

―作品では女性たちが特に生き生きと描かれていますね。『職人尽』―『職人歌合』にもたくましい女性がたくさん登場します。炭俵をかついだ小原女とか。

宮崎 そういうのを全部取り込んでやれたら面白いなと思うんですけど、『職人尽絵』も美化してありますね。あんな美しい着物着て炭なんか売ってる筈ないと思うんです。こっちも、それを平気でやってるわけですけど。(笑)着物の模様を描くというのは物凄く難しいんで、結局全部省きました。それはもう仕様がない。それをやると、その手間だけでえらいことになりますから。

 甲冑なんかも戦国期と全然違うんです。一応“吹き返し”は付けてあるんですけど、面倒臭いから適当に描いてると『天と地と』とちっとも変わんねぇなー(笑)とかね。変えてあるんですけど、端から見ると分かんないんですね。それから、「槍はねぇんだ!」と言っても槍を描くんですよ。薙刀なんだと言ってるのに、持ち方が槍なんです。

 そういうことをやってるとね、薙刀が何故槍に変わったか分かりましたね。薙刀の方が難しいんですよ。槍は簡単なんです。突くか殴るかだけでしょ。

―薙刀は振り回して倒す武器ですよね。競技スポーツとして残ってるくらいですから。

宮崎 そう、槍は振り回さなくてもいいんです。だから、世知辛くなればなるほど槍になるんです。

―戦国期には随分世知辛くなるわけですね。

宮崎 室町期は充分世知辛い時代ですよ。要するにルール無視の時代になったわけですから。鎌倉まではルールがあったんですから。それが無くなって日本人の行動原理が損得だけで動くようにになってね、ちょっと上から見るとこいつ何考えてやってるんだろうというのが良く分からないのが『太平記』の世界だから。皇国史観でくくると必ずはみ出すものがあってね。

―南北朝の内乱の後ですからね。

宮崎 文壇には『太平記』を扱った作家はみんなダメになるという噂があるらしいですよ。一つの思想とか歴史観では切り取れないですから。でも混沌としていて面白いですね。だから、時代劇というジャンルで言うと、男が権力を持っていて女が虐げられて―となるけど、相当嘘でね、女が自由にやってるんですね。身分制度が決まってないですから、極めて曖昧でね、しかも色んな人たちが街道を歩き回り、山ん中にも人が大勢いるし、カオスの世界でね。一方ではひどく洗練された東山文化みたいなのが生まれて、辺境の地ではそういうことが起こっている。雪舟みたいな鋭い芸術家が生まれる一方でね。

―能や狂言もそうですね。

宮崎 「応仁の乱」なんてわけのわからない戦でしょ。そういうことも含めて、映画で作られ来た時代劇では収まらない世界がそこにあるから、それを作ってみたいなと思ったんです。

「太陽の王子」からこだわり続けて来た製鉄民の話

―製鉄を行っていたタタラ場が舞台になっていますね。これまでタタラ製鉄民を劇映画で扱った人はいませんから、実に画期的ですね。

宮崎 「タタラ者」と言ったり「タタラ師」と言ったりした山の中の製鉄民、製鉄集団の話にずっと前から興味があったんです。製鉄の話自体は古いものなんです。「太陽の王子(ホルスの大冒険)」を作った時に「鍛冶屋を出そう」と言ってね。

―あのガンコ爺さんの鍛冶屋ですね。ブタの吹子の。

宮崎 そう。それでガンコ爺さんは鍛冶屋になっちゃった。その頃から引きづっているんですよ。ものすごく巨大な物が山から生えてやって来るというのが、岩男になっちゃったんですけどね。ぼくの中では岩じゃなかったんです。それが今度はディダラボッチという形で出て来るんですけど。

 恐ろしいのは、「太陽の王子」の時には銀色の狼はただの悪の化身だったんですが、今度はただの山犬です。与えられた意味は全然違いますが、自分の30年間の迷走の結果かなぁと。「ぐるっと回ったんだな。でも、ずいぶん考え方が変わったなぁ」という。映画を作っちゃあ人に見せて、それで考え方変えていくんですから、ひどいもんですね。見せられた方はどうするんだろうと。(笑)

―「太陽の王子」では剣を鍛える製鉄・鍛冶が民衆の団結の象徴になっていた。今回は、製鉄が人間の村作りであると同時に、森林破壊と神との対立の元凶にもなっている。この違いは大きくて複雑ですね。

宮崎 でも、それはもうやっちゃったことなんです。出雲(島根県)の方に行くとすぐ分かるんですけど、あの中国地方の山は本当に穏やかな山になってますね。あんな筈はなかったんですよ、もともとは。

―起伏に富んだ原生林だったと言うことですね。

宮崎 ええ、ものすごい深い森だった筈です。それが製鉄民が入り込んで樹を伐って、山を削って砂鉄を採って、炭を埋めて鉄を湧かして、そうして漂泊していくうちに、だんだん自然破壊が進んで谷がすっかり埋まって平らになって、樹はそれでも生えて来て―クヌギっていう樹を植えたのは製鉄民じゃないかという説も最近あるみたいですけど、そういう風にして樹の種類から様子まですっかり変わってしまった。今の出雲は穏やかな日本の風景になってるけど、製鉄民が営々と鉄を湧かして、谷が埋まって田圃が出来ると農民になったりして、そういう風にして景色を作って来たんです。

「清浄の地」に憧れる日本人の自然観

宮崎 深山幽谷の中に、ものすごく清浄な世界があって、樹々に満ちて穢れていない世界があると言う、一方で日本人はそういう思いをずっと持ち続けて来たと思うんです。そこから清らかな水や清浄な空気が流れ出ているという思い。それが、ある時期までの日本人の中にはずっとあったんです。自分たちの国土は貧乏だけど、つまり石炭とか鉄とか―石炭なんて煙が出るようなものしかないし、石油はもちろんないし、戦争やる時に必要なアルミニウムも何もない。実に貧しい国なんだけど、自然だけはものすごく豊かだと。

 これは本当に面白い話ですけど、奥日光(栃木県)の山中に小さな湖が幾つかあるんですけど、ぼくらが学生の頃そこへ行くとね、この奥に分け入って行くとまだ誰もたどり着いたことのない湖がある―という噂があるとかね。まことしやかに言われたもんです。何でたどり着いたことないのに噂になるんだと。(爆笑)―それはね、願いなんですよ。

―そういう未知の自然があって欲しいと。

宮崎 そう。人がたどり着けないような所が自然の中にあるんだと。この前ロケハンで、美術のスタッフにとにかくすごい森を見てもらった方がいいだろうと思って屋久島へ行った時に、そこの宿のおじさんが言ってたんです。「営林省が隠してるんだ。どうも、縄文杉のすごいのがあるって噂なんだ。」と。そう思うと、森ってすごく深く見えるんだよね。全部踏破しちゃって、「残ってる屋久杉はこんだけでございます」って言われるとね、ガックリ来て―それは保護する対象にしかならないんだけど、まだ誰もそこまでだどり着いていない所にすごい大きな樹があって、見つけた人はいるんだけど、黙っているからねと。そういう風に言われると、この森深そうだなって感じになるでしょ。いやー、同じようなことを繰り返しているんだなと思ったんですよ。

里山文化と原生林文化

―高畑さんが、「おもひでぽろぽろ」で「自然というのは人間が管理して来た里山なんだ」として、里山を懐かしく思うことの素晴らしさを描いていますね。「平成狸合戦ぽんぽこ」では、その里山すら勝手に破壊して行く人間を描いていた。日本人にとって、明るい里山というのは、稲作文化が始まってからずっと懐かしい故郷だったと思うんです。けれども、日本人の自然観のもう一方には、暗い原生林に対する憧れや恐れのような強い思いがある。その恐ろしい原生林を舞台に持ってきた所が、今回の作品のすごさだと思うんですね。

宮崎 いや、恐ろしい森に描けているかどうかは怪しいもんですが。とにかく、日本人の自然観の中では、それは重要だと思うんです。ぼくは、里山も嫌いじゃないですが、同時に近代・現代になって日本人が世知辛くなってから、樹を伐り始めてグチャグチャになっちゃったのも確実なんだけど、実は手が届く範囲のものはいつも伐ってたんだよね。たまたま残ってただけでしょ。ぼくは、過去の鎌倉や室町期や江戸時代の日本人が賢くて残したというよりは、手が届かなかったから残った。手が届くものはみんな伐った。江戸時代になると、藩の財政のために色んな森林経営が非常に金になるということになって、「枝一本、腕一本」みたいな強烈な禁制が敷かれることによって美林が残った。そういう形で緑になった山は結構多いんです。そういうことを考えると、生きものというのはバカなことをずっとやって来たんだと。

 それはね、パクさんと話してもパクさんと全く一致するんですけど、ある時期に非常にバランスのとれた風景が出来上がるんですよ。貧しいなら貧しいなりにね。里山文化の一番綺麗だった時期というのは、やっぱり国木田独歩が初めて「雑木林は美しいものだ。そこを散策するのは、いかにも現代の文学者にふさわしいことだ」と書いたわけですよ。『武蔵野』という本の中に。青年たちが雑木林を散策して人生を思い悩んだわけですね。そうするまでは雑木林というのはただの薪山ですから、別に誰も尊重しなかったんです。明治の中期から東京の人口が増えて来て、炭とか薪の需要が増えて、プロパンガスや都市ガスが普及するまでは、経済効率が高いものだったから、集約的に手が入って、結果的に雑木林がものすごく綺麗になったんですね。それもよく分かるんです。

 それ以前は、あんまり金にならない時は、自分の家の薪伐ったり、蔓抜いて食ってたりしてた頃は、大して手入れしてなかったという説もあるわけです。そこら辺も実に面白いもんですよ。

開発行政に寛容だった日本の自然

―戦後のスギの植林なども経済効率がいいから大量に行われたと聞きますが。

宮崎 確かにね、戦争負けた時にものすごく愚かな森林経営をやったわけです。カラマツ植えたり、スギ植えたり。営林省が独立採算制でやるなんて無理なんです。本来は税金をつぎ込んで国土を維持するという方向に向かわなければいけない。「お前たち、森から伐り出す樹によって賄え」なんて、とんでもない発想なんですけど、まだそういうことをやってる。

―幸い日本ではまだ原生林や雑木林が残っていますね。でも、建設省の姿勢は相変わらず樹を伐り続ける開発路線ですね。ダムもたくさん造ってますし。一体これはどういうことなのかと思います。残っているから伐るんでしょうか。

宮崎 朝鮮半島だったら、あれだけ長い間製鉄やってたら全部岩山になってたでしょう。日本は、やっぱり蒸し暑い夏を持っていることによって植物が元気だから、雑草がウワーッと生えて来てくれるから、表土が簡単に流出しなかった。ブルドーザーが出て来るまでは。それで岩山にならずにすんだ。岩山になったらもう何も生えませんからね。それは、一方では水田というものが表土の流出を食い止めて来たことは間違いない。その水田を作り過ぎた。戦後の食糧難の時代に、何でもかんでも水田にしちゃったんです。明かに水田が多すぎるんです。近代から続いた色んな戦争から第二次世界大戦まであって国土が荒れた。「国破れて山河あり」じゃなくて「国破れて山河も破れる」という状態になっちゃった。おまけにその時に有頂天になって何でも金の対象になると、土地は金なりという観念にとり憑かれて、行ける所まで行っちゃったんですね。このツケは大きいですよ。本当に。

殺して喰らうものへの礼儀作法

―一時期宮崎さんは「人間はドブ川にわくユスリカと同じだ」という発言を色々な所でおっしゃっていましたね。

宮崎 ええ。今でもそう思っています。

―そういう小動物から植物や微生物まで含めて、生命の重さを並べて見て行くという視点は、これからの世の中で特に重要だと思うのですが。

宮崎 「すみませんけど、食べさせてもらいます」という考え方を持っているのと、「どうせ喰うんだから同じだだろう」というのでは、大分質が違うと思いますね。行為としては、殺して喰わなけりゃいけないんだけど、殺すところをテレビで見ながら「うまそうだなぁ」とかね。そういう番組多すぎるでしょ。魚なんか、生け簀に入れといてヘロヘロにさせといて、「あれ、うまそうだなぁ」とか、イヤですね。魚は釣って放せばいいんだろうとか。あれも大嫌い。

―生命は生命を奪って生きる凶暴な本質がある。その本質と向き合う際に大切なことが、司馬遼太郎さんがおっしゃっていた「礼儀作法」ですね。

宮崎 そういうことに、ぼくらは否応なく関心を持たざるを得ないと思う。今の子供たちにですよ、とにかく丘の上に登って朝日を二人で並んで見てね、スモッグに包まれた朝日が昇って来る街にですよ、希望を見るか終末を見るかはともかくとして―「そういうことは悪くないよ」ということまでは言えるけど、「そこから先はまぁ自分でぶつかって」としか言いようがない―というわけにはいかんだろうと。

 ただ、「耳をすませば」を作ったということも、嘘じゃないんだけど、それだけで観客を励まして「私たちの仕事は意味があるんです」と言い切るのはちょっと無理がある。自分たちのやって来たことの総括の中ではそう思うんです。それで、この罠にはまったんですよ。(笑)本当に罠にはまったと思うんです。自分で作った罠ですからね、しょうがないんですけど。

人間不信と闘って無名の群衆を描き切る

―「人間とは何者なのか」あるいは、「生命は平等である」という大問題を作品で扱おうという時に、今回は二人の主人公を設定していますね。一人は照葉樹林に棲む山犬に育てられた少女、もう一人は「縄文人の末裔」と言われるナラ林文化で育ったエミシの少年。どちらも自然とのつき合い方を熟知して生きてきた、現代的常識から離れた「よく分からない人間」ですね。これは、実に巧みな設定だと思ったんですが。

宮崎 巧みかどうかは分かりません。要するによく分からないんです。ただ、チョンマゲ結って刀下げると、その人間が何を考えていようと、一つの役割を先入観を持って見られてしまう。それは困るので、そこから解放させたかったということですね。「そいつは何者だ」となった時に、「侍です」とか「修行中の浪人です」とか―じゃなく、「少年です」と言えるような主人公にしたかったんです。エミシの末裔で「エミシを再興したい」とかね、そういう発想を持っているんじゃない。つまり、自分の村に帰ることが出来なくなって、自分の住む所を見つけなければならない、そういう主人公なわけです。

―なるほど。「自分の村に帰れない」という設定は斬新ですね。

宮崎 絵コンテを切っていく過程で、最後にタタラ場で人間が愚かな行為の結果全て死に絶えて、アシタカはサンとヤックルに乗って故郷に帰って行く―という話を期待した者がいっぱいいたんですよ。でも、この映画は「そういう話は嘘だ」としたところから始まったんです。

―非常に群衆シーンが多い作品になっていますね。作画は大変だと思います。

宮崎 群衆シーンも面倒臭いから描きたくなかったんですよ。ぼくらの中には人間不信がものすごくあるから、その他大勢の人間に対する蔑視と言うか、「いなくなった方が楽だ。描かなくていいや。」という感情があるわけです。

―みんな殺してしまえば楽だというような。

宮崎 「(新世紀)エヴァンゲリオン」なんて大胆不敵でしょ。「お前、全然(人間を)出さないな」って庵野(秀明―監督)に言ったら、「いやー、ぼくの視野の中に人間って入ってないんですよ。」と正直に言ってましたけどね。

―それは作品を見るとよく分かります。他人はうっとおしいだけなんですね。

宮崎 いや、それはよく分かるんです。自分たちが抱えている問題の中に、他の人間たちに対する不信と言うか、うざったいというか、中国に対する感情と似たものがありますね。「本当は人口16億になっているんだろう、白状しろ」とかね。―そういう風な気分。都会に住んでる人たちは、特にそうですね。どうしてこんなに多いんだろうと。満員電車に乗っている時のような気分ですよ。

 そういう自分の中の不信感を、ただ野放しにするのは楽なんだけど―つまり群衆シーンを描かなくていいから楽なんだけど、そういう感情に乗っかって行くのをやめたから、面倒臭いけどちゃんと最後まで行こうと思ったんです。

 その代わり、決して心地いい人間だけが出て来るわけじゃない。いい人だけが出て来る世界を作ろうと思ったわけじゃない。だから、「牛飼い」なんかもイヤな奴も描きました。コイツはイヤな奴だから、コイツを叩きのめそうとか、そいう風には描かないけど。

 「甲六」という男なんかは、声が西村雅彦さんでね。説明する時に困ってね、「ただの人なんです」と。何の役にも立たないんですけど、最後まで生き残るんですよ。西村さんはちゃんとやってくれまてね。実に能天気な甲六という人物を作ってくれました。本当に声の力は大きいと思いましたね。

―ああいう人が、しっかり者の女房をめとるというのも、如何にもありそうな設定でしたね。

宮崎 酷いんですよ。ぼくがスタッフに「甲六出てないんだけど、あいつどうしてるんだろう、困ってるんじゃないか」と聞くと、「いっぱいいるからいいじゃないですか」と。最後になったら、ぼくも顔忘れちゃって、描きながら「どういう顔してたかな」なんて。(笑)

―いい映画というのは、必ず端役が魅力的に描かれていますよね。

宮崎 いや、魅力があるかどうかは分かりません。こいつが悪役なんだとか、こいつが善玉なんだとかいうことが最後まで決まっていない映画なんです。

―善玉も悪玉もない群衆劇なわけですね。

生き残るキャラクターたち

宮崎 エボシという女なんですが、鈴木プロデューサーは「絶対壮烈に死んでもらわなけりゃ困る」と言い出しまして。でも生き残るんです。生き残る方が大変だと思っているもんですから。死ぬならもっと壮烈に闘ってくれなきゃ困るんだけど、壮烈に闘う基盤がないんですよ。映画の中で出来なかったんです。壮烈に闘って死ぬ方が、結構よくあるなとも思ってね。この映画では死ぬ筈だった者が平気で生き残ってるんです。死ななくてもいい人間たちが累々と死んでいるとかね。そういう意味では酷く無惨な映画なんです。

 猪たちはことごとく死んでいるしね。山犬も少しは賢いモロは死んでますから。子犬たちはバカなんです。自然の方が牙を抜かれているんです。まさに、“ある時代の日本の風景”に変わってしまって。

―それは先ほどの「少し前の日本に残っていた里山」の風景なわけですね。

宮崎 里山―と言うか「まぁ、綺麗ね」と言われるような風景です。だから、男鹿(和雄―美術監督)さんに「綺麗に描いて下さい」と言いました。見ようによってはものすごく綺麗な風景なんだけど、つまりタタラ者が伐りはらい、焼きはらった禿山が草むらに覆われているわけですよ。それは綺麗ですよ。綺麗ですけど…(笑)。

―人間の感性では、それを綺麗と感じてしまうわけですね。

宮崎 ええ。だからサンが「これはシシ神の森じゃない」と言うでしょ。でも、アシタカが「死んじゃいない」と言いますね。つまり、人間はいつも、いつも「自分たちがこれからどうやるのか」ということを考えて生きていくしかない。それしか道はないんですね。それが「生きろ」ということですから。

 そういう映画になってるのかなぁ。言葉で言えばいいというものじゃないですから。後半40分、ずいぶん短いと言われましたからね。

ディダラボッチはなぜ爆発しなかったか

―ディダラボッチがバラバラになって降り注ぎますね。あれは美しいシーンではあるけれど、すごく残酷なシーンでもあると感じたんですが。

宮崎 映像が出来上がってないので、よく分からないんですけど。デイダラボッチが首を取り戻した時に、爆発すると思っていた人がスタッフの中にずいぶんいてね。始めはぼくもそんな風に考えていたんです。“爆発して凶暴に蘇る”みたいな。でも、「最後に爆発する」というイメージは、核兵器が誕生してから作られたものだと思いました。

―なるほど。キノコ雲で莫大な数の人が死んで戦争に決着がつくというイメージですね。

宮崎 ドカーンと爆発して終わるというやつです。それまでは、大地震が起きて溶岩が噴出して、その世界が崩壊するとか、そういう終わり方だったんです。爆発して終わるというのは、もう明かに核兵器の影響です。だから、シシ神が首を取り戻して爆発して終わりじゃなかったんですね。いくら考えても、それでは話が終わらなかったんです。結局爆発させずに終わったんですが、それがエンタテイメントとして成立しているのかどうかは全然分からんと。

―あの終わり方は、色々な見方が出来ますね。たとえば、縄文人が残した土偶は、神をバラバラに砕く儀式だったという説がありますね。バラバラにして埋めることで、豊穣を祈ったとか―それが藤森栄一さんがおっしゃられた「縄文農耕起源説」を補強しているとも言われていますが、どうもこのラストシーンとダブってしまうんです。神を殺してバラバラに埋めた所に人間の文化―稲作や里山、そして製鉄が発生したという。

宮崎 …(笑)。それほどの説を考えていたわけじゃなくて、あの段階ではとにかく映画を終わらせなきゃいけないから、何とかして終わらせようと考えていただけなんですよ。

―そうなんですか。てっきり、土偶の学説や「神殺し」神話へのオマージュかと思っていました。

宮崎 とにかく、爆発して終わるのか、それを避けるのかが大きな別れ道でした。大量殺戮が出来る核兵器が出来てから「ラストは爆発だ」という図式が出来ていて、観客がそれを見ないと満足しないというのなら、別の映画を見て下さいと言うしかないです。

―爆発してしまったら、大惨事で死屍累々、とても「生きろ」というラストにはならないですよね。

宮崎 とにかく人間が傲慢になって、何でも殺してしまえという風潮には乗りたくなかったということですね。

物語に込められた21世紀の人間の運命

―むしろ、生き残った登場人物たちはこれから大変なリスクを背負って生きていくわけですよね。タタラ場は、天朝とも師匠連とも対立状態ですし、アサノ公方配下の地侍たちがまた襲って来るかも知れない。

宮崎 しばらくは来ないでしょうねぇ。あんな恐ろしい所には。(笑)

―片腕を失ったエボシ御前は、大変な情勢下でどんな村を作るのでしょうね。

宮崎 エボシは革命家ですからねぇ、何とかするでしょう。「革命家は死んでもらわないと困る」と鈴木プロデューサーは言ってましたけど。まぁ、色んなことをやるでしょうが、これから本当に大変になる。

―天朝とも公方とも交渉しながら、経営を維持していくしかないですよね。復活した森をどうするのかという問題もありますね。以前のようにどんどん禿山を作り出すような操業は出来ない。

宮崎 サンがいる森にね、アシタカが行って、「ちょっと樹伐らせてよ」と。サンが(心に)グサッと来て―(笑)、「200本じゃなくて、100本にしてよ」と。アシタカは「その代わりに樹を植えよう」とか、そんなことをやんなきゃいけないわけですよ。(笑)

―面白いですけど、笑い事じゃないですねぇ。

宮崎 その「死の棘」をアシタカは体内に入れて生きていくわけですよ。それが21世紀の人間の運命ですよ。それを避けることは出来ない。「棘なんかないよ」と言っている人がいますけど、それは嘘ですね。幸せな明るい未来が待っているとか、そういう根拠のない希望を謳ったってしょうがない。だからと言って生きるに価しないのかというと、そうじゃない。

根拠のない「ごまかしの希望」は語らない

―根拠のない希望を語らないということと、あきらめてニヒリズムに陥るというのは違うことですね。

宮崎 根拠のない希望というのは、アウシュビッツの時によく語られました。この間のペルー(日本大使館占拠事件)の時にも「ここまで来たら解放されるぞ」と思っていてダメになったから、希望を失ったとか報道されたでしょ。アウシュビッツの場合には、「クリスマスまでに解放される」と思っていて、クリスマスが過ぎたらバタバタッと人が死んだんですよ。

 希望というのは善だ、いいものだと思っているわけでしょ。必ずしもそうじゃないですよ。暗い時に希望というものを作り上げて、それによってごまかしている部分があって―、いい加減な希望より絶望の方がましだと言う人間もいるくらいですから。映画がいつも希望を語らなけりゃいけない、なんてぼくは思わない。

 アシタカが「ここで暮らそう」と決めた世界が、希望に満ちているかと言うと、そうじゃなくて、その当時の日本に住んでいた多くの人々が共有していた世界そのものなんです。他の土地に比べたら、そこの方がましだということでもない。じゃあ他の土地に比べたら酷いかというと、同じなんですね。そういう所に生きていくということなんです。しかし、そういう話が、エンタテイメントになるのかと思うでしょ?ぼくも思うよ。

―絵コンテを見た限り、立派なエンタテイメントだと思いましたが。

宮崎 絵コンテがそのまま映画になるわけじゃないですから。絵コンテの方がいいんだったら、映画館で絵コンテ配ってみんなにそれを読ませればいいんです。(爆笑)映画が出来上がる前にコンテをバラ撒いてる鈴木プロデューサーの宣伝に問題がある。そんな内輪のものを外に出すもんじゃないと、いつも言ってるんですがね。

―こちらは、そのお陰でお話をたくさん伺えました。映画の完成を心待ちにしております。本日は長時間どうもありがとうございました。

1997.5.9. スタジオジブリにて


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