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黒澤明と宮崎駿のディテール構築論

〜呪縛はめぐる〜

文責/叶 精二

注)この文章は「黒澤明 映画祭 2000〜2001 パンフレット」2000年11月22日発行(ラピュタ阿佐ヶ谷)に掲載されたものです。執筆に当たっては編集部より、黒澤明監督と宮崎駿監督の共通項や差異について考察して欲しいという要請があり、これを踏まえて書かれた原稿です。


「七人の侍」の呪縛

 アニメーション監督・宮崎駿氏は、九三年四月八日に黒澤明監督と対談を行っている。テレビ番組の企画で、場所は御殿場の黒澤別邸。対談の模様は『何が映画か―「七人の侍」と「まぁだだよ」をめぐって』という一冊の本にまとめられている。驚くべきことに、二人が語り合った内容は、ほとんどが小道具や撮影技術に関する細々とした話題である。
 宮崎監督は、対談後のインタビューで、黒澤監督が巨匠然と構えず、常に細部に気を配っていたことが嬉しかったと語っている。自分が「面白い」と思った小道具はほとんど黒澤監督自らが判断して採用されたものであったと言う。映画のディテールをを構築する楽しさ。それは無からセルや紙の上に全てを構築するアニメーションの仕事にも深く通じているように思われる。
 このインタビューで最も興味深いのは、宮崎監督が「七人の侍」について語った以下の下り(要約)である。
 「七人の侍」は日本映画界の基準線であると共に、黒澤監督とスタッフの力量と共に当時の歴史観・経済情勢・政治情勢・人々の気持ちなどが総合して産まれた時代の産物である。あの映像に描かれた侍像・百姓像・戦いの描き方は多くの映画人にとって呪縛となっている。もし、今自分たちが時代劇を作るとすれば、ここ数十年で変わった歴史観を見極め、この呪縛と向き合い、「七人の侍」を超えなければならない。
 これは、一種の宣戦布告である。宮崎監督は、原作や過去の自作を強烈に否定することでオリジナリティを構築して来た。今度は、名実共に日本映画の最高峰である「七人の侍」と真っ向勝負することで、独自の時代劇を創作しようというのだ。その作品は、対談から四年余を経てようやく世に出ることになる。タイトルは「もののけ姫」であった。

●「もののけ姫」の軌跡―絵本版から映画版へ

 宮崎駿監督は七〇年代から時代劇アニメーションの構想を固めていた。ことある毎に「次回作は時代劇」と語って来た。その一つの成果が、絵本になった原初版「もののけ姫」である。八〇年頃に描かれたこの作品は、もののけ(大山猫)に嫁に出された姫が、悪霊にとり憑かれた城主の父を救う物語であり、「美女と野獣」に着想を得たと言う。映画企画用の「イメージボード」とは言いながら、時代劇的枠組みにすっぽりと収まった簡潔な寓話で、当時の宮崎監督の志向性を知る上で興味深い。
 しかし、この企画は実現せずに時が流れ、宮崎監督は物語を再考する毎に弱点を発見することになる。九三年十二月に発行された絵本版で宮崎監督は以下のように述べている。
「最大の問題は、物語の世界が、従来の映画や民話からの借物であり過ぎる点」「日本史や農耕文化史、大きな歴史観が劇的に変わりつつある時代に居あわせながら、その成果が少しも反映されておらず、こぢんまりとし過ぎている。時代劇を作るなら、もっと本格的なものにしたい。」
 確かに、時代設定も場所も曖昧な上、導入部は無数にある平家の落武者伝説を想起させるし、森でもののけに出会う下りや、城主が悪霊にとり憑かれて圧制を敷く展開には黒澤監督の「蜘蛛巣城」の影響が伺える。つまり呪縛に屈した作品でしかない。
 宮崎監督は悩み苦しんだ末に、これまで時代劇で描かれてきた劇構成、舞台、道具立て、登場人物など一切の枠組を否定するに至った。歴史上の人物達の栄枯盛衰、絵巻風の合戦、剣豪の立志伝や悪役退治、忠君仇討ち、悪徳領主からの貧民解放といったお馴染みの話運びを全て捨て、主役の相場であるチョン髷の侍や鎧武者、庶民代表の百姓さえも潔く物語の背景に後退させた。天守閣のある巨城も、箱庭的な城下町も、貧しい農村もメイン舞台から外した。
 代わりに、環境を破壊しながら共同体や文明を築き、所属集団毎に利権を争う人間の業や神々との闘争という壮大なテーマを抱え込んだ。藤森栄一氏の「縄文農耕起源説」や中尾佐助氏の「照葉樹林文化論」など日本人の起源を問う学説を思想的背景に据え、列島西部の照葉樹林と製鉄を行うタタラ場をメイン舞台に設定。網野善彦氏らが説いた新たな中世史観に立脚し、製鉄民や病者、正体不明の僧侶、「職人尽くし」に描かれた女性職能民などの漂泊民を配した。更に、異民族エミシの少年を主人公に起用、幻の銃・石火矢が登場するなど、歴史の裏舞台に消えていった民衆と道具立てを総動員した。つまり、見たこともない複雑な中世を構築するという結論に到達したのである。(詳細は拙稿「『もののけ姫』を読み解く」を参照。)
 この時点で、「もののけ姫」はいわゆる「時代劇」の範疇には収まらなくなった。強いて黒澤作品に部分的な類似を探すなら「デルス・ウザーラ」「夢」の後半などであろうが、いずれも現代劇でありテーマも全く異なる。
 しかし、いくら前代未聞の舞台や設定を構築したと言っても、それを実感の伴う世界観にまで高め上げるには、一にも二にもディテールを検証し、徹底的なリアリティを積み上げなければならない。この点では、呪縛はまだ生きている。
 九五年末、司馬遼太郎氏の逝去直前に行われた宮崎監督との対談(「週刊朝日九六年一月五日・十二日合併号」掲載「トトロの森での立ち話」)には以下のような下りがある。「室町時代の田んぼは小さくでふぞろいだったはず。」「町はずれの道はどうだったんだろう。砂利なんかいれるはずがないし、車はないから人が踏み固めた道だろう。その周りの草は刈っていたのかどうか。」「蝦夷の風俗はどうだったのか。頭の格好はどうだったのか。」宮崎監督は、「映画を作るのはこんなことの繰り返しだ」とまで語っている。
 これは、まさにセットや演技のディテールをスタッフと論議・問答しながら実践的に構築していく黒澤的撮影法と同じ方向性である。ただし、重要な点が違う。被写体の実体そのものを作り出さなければならない実写映画では、役者の選定と演技・ロケ地・セット・メイク・衣裳・照明・美術など莫大な数のスタッフの手を経なければ完成は不可能。撮影は自然環境にも大きく左右される。
 アニメーションでは、労苦を厭わなければ細部に至るまで万能であり、純度の高いイメージを構築出来る。監督とスタッフに技術と才能と学習意欲が溢れていれば、小道具一つからキャラクターの演技、気象条件に至るまで徹底的に管理することが可能だ。宮崎監督率いるスタジオジブリのスタッフは、こうしたアニメーションの特性を最大限に生かして作品を制作して来た。凡百のアニメーションとの最大の差異は、実写を上回る徹底的なこだわりと、独創的なディテールの構築である。
 つまり、宮崎監督は「七人の侍」の呪縛を言わば「自分の土俵」で断ち切ろうとしたのである。

●箙考―肩から射るか、脇から射るか

 以下、具体例を示してみたい。
 『何が映画か』の冒頭、宮崎監督は「七人の侍」について「一つだけ」と断って、黒澤監督にある疑問をぶつけている。それは、矢を納めた箙(えびら)から矢を引き抜く方法についてである。
 通常、黒澤作品を含む実写時代劇で見られる箙は、箱状の底当てから出来ており、むき出しの矢が紐で束ねてある。これは中世の合戦絵巻によく描かれた実物を復元したものと見ていいだろう。
 宮崎監督の疑問は、上から肩越しに矢を抜いて射るシーンがあるが、本来箙は腰につけるもので、脇腹から抜くのが正しいのではないかというもの。肩から抜くのは筒型(矢筒)の場合ではないかというのだ。これに対し、黒澤監督は箙を背中に背負う場合もあり、あれで正しいのだと答えている。随分と細かい質疑応答だが、ここに含まれている中味は意外に深い。


画像-1 室町時代の基本的な箙の装備
「カラーブックス344 鎧と兜」(保育社)より(黒いアミカケ部分が箙)


 実は「七人の侍」で矢を射るシーンはそれほど多くはない。『何が映画か』では、馬上の野伏が百姓(左ト全)を射るシーンが紹介されているが、このシーンやその後の泥まみれの決戦では野伏が肩から矢を抜く動作は確認出来ない。箙は底だけの箱形で、背負うと言うよりは、腰に固定して背中でしばってあるような感じだ。ラスト近く雨中に勘兵衛(志村喬)が矢を射るシーンは印象的だが、拾い矢なのか箙は背負っていない。矢を肩から抜いているとはっきり判るのは、中盤で五郎兵衛(稲葉義男)が堀の偵察に来た野伏を小屋からしとめるシーンくらいである。


 

画像-2 映画「七人の侍」より箙を背負った野伏


 肩から矢を扇状に抜いて弓につがえる場合、脇から抜くよりも動作が大きく印象に残る。黒澤監督は史実に照らして演出されたのかも知れないが、言われてみればちょっとオーバーで格好良すぎる。実際、「蜘蛛巣城」で洪水のように矢を射かけらるラストシーンや、「乱」の冒頭の狩猟シーンでは腰に箙を付けており、肩から矢を抜く動作は描かれていない。
 いずれにしても、宮崎監督のディテールに関するすさまじい記憶力には驚かざるを得ない。宮崎監督は、この件に関して同書で「黒澤監督の話を参考にするほど図々しくはない」「自分で勉強する」と語っており、その後も調査を行ったようである。実はこの疑問には、「もののけ姫」で回答が出されている。
 「もののけ姫」の主人公であるエミシの少年・アシタカは、「矢筒」を背負っているのだ。アシタカは、冒頭のタタリ神(ナゴの守)を倒すシーンから、肩から矢を抜いて射る。蓑のフル装備でヤックルに乗る時には矢筒を腰に吊り下げ、下から矢をつがえているが、後半は専ら肩から抜くスタイルで格好良く射ている。一方、物語のあちこちで登場するアサノ軍ら雑兵は、全て腰にくくりつけた箙で、腰の下から矢を引っ張り出してつがえている。


画像-3 1293年頃に描かれた「蒙古襲来絵巻」(宮内庁所蔵)より
元軍の衣裳や矢筒などは明かに異民族のもの。右端で炸裂しているのは手投げ式の火薬弾。

画像-4 1293年頃に描かれた「蒙古襲来絵巻」(宮内庁所蔵)より
迎撃する武士の装備。やはり箙は腰にある。


 双方のデザインもまた秀逸である。アシタカの袋状の矢筒は布か皮のような素材で、肩掛けストラップ付。背あてに棒を一本通してある。現在市販されている弓道具の矢筒に近いと言える。これに良く似たものは1293年頃に描かれた「蒙古襲来絵巻」に描かれた元軍の矢筒で、ここに創作のヒントを得たのかも知れない。ただし、元軍は肩から腰にぶら下げているので、脇から抜いて射ていたと思われる。


画像-5 宮崎駿監督によるアシタカの初期設定
矢筒を背負って肩から矢を射るスタイルはこの時点で決まっていた。


 アサノ軍の箙は、底当てに狸の尾のような長いカバーがついたもの。この種のカバーは余り見たことがないが、侍毎に色や縞模様が違っているのが旗のようで、ヴィジュアル的にも面白い。鏑矢を射る侍の箙だけが、絵巻通りの底当てにむき出しの矢というスタンダードなスタイルである。遠景に矢筒を背負った侍もいるようだが、はっきりとは確認出来ない。


画像-6 映画「もののけ姫」より雑兵が里に降りたアシタカを射るシーン
狸の尾のような楕円形のカバー付箙に注目。



 ともあれ、宮崎監督は、質疑の際の自説に忠実に「肩からつがえるのは背負い式の矢筒」「脇からつがえるのは箱形の箙」とはっきり使い分けている。しかも、より印象的な肩から射るスタイルを主人公に振り分けている。これは、行動様式・デザインに異民族の出自をさり気なく表現したものであろう。
 同種の黒澤作品を含む時代劇に対する疑問に答えたシーンは他にも数多くある。項数の制約上一つだけ挙げておきたい。
 宮崎監督は、「合戦は富士の裾野や北海道のような平原で専ら行われていたのだろうか」「武士の鎧は整然と揃っていたのか」などの自らの疑問に、冒頭アシタカが「押し通る」農村のシーンで答えている。ほんの数秒だが、小さな不揃いの田たんぼが並ぶ農村、細く狭い畦道で展開される小競り合いのような合戦、百姓からの略奪や放火、各々違った蓑や鎧をまとった夜盗だか武者だかよく判らない格好の多数の雑兵が写るシーンがそれである。

●「もののけ姫」の呪縛

 宮崎監督は、「もののけ姫」の完成後のインタビューで、よく「この作品は時代劇ではなく、室町時代の日本を舞台にしたファンタジーなのだ」と語っていた。時代劇に対するこだわりが消えた時点で、呪縛は解けたと言ってもいいのではないだろうか。「七人の侍」と同じ土俵で勝負したと言うより、既製概念を打ち壊し、別次元に独自のステージを構築したと言えそうだ。思えば「七人の侍」もまた、様式化された時代劇の既製概念を覆し、独自のステージを築き上げた作品であった。
 別の観点から言えば、あらゆる意味で日本映画史を書き換えた「もののけ姫」は、「七人の侍」とは別の意味で時代劇に一つの基準線を引いてしまった。それは、過去を舞台に現代と共通のテーマを盛り込める可能性であり、武士・百姓以外の漂泊民・異民族が大量に存在した、あるいは火縄銃以前に火器があったという新しい歴史観であり、魅力的な小道具の調査・創作であり、人口が少なかった時代の生態系や地理・環境描写などである。
 これらは、真剣に時代劇を志す映画人にとって「七人の侍」の呪縛と並ぶ、新たな呪縛となっているのではないだろうか。
 たとえば、「もののけ姫」以降、時代劇に於ける森林描写が盛んになったと思うのは私だけであろうか。黒澤脚本の映画化である「雨あがる」にしろ、破戒僧や鍛冶屋など漂泊民が主人公の異色作「五条霊戦記//GOJOE」にしろ、鮮やかな緑が印象深く、独特の存在感を醸し出している。余談だがCMの分野でもやたらと森林を背景にしたものが多くなった。
 「七人の侍」の呪縛から解かれた「本格的時代劇」を志向して、あらゆる枠組みを超えてしまった「もののけ姫」。その呪縛を解くためには、アニメーションであれ、実写であれ、「もののけ姫」を上回る大胆な着想とテーマの設定、ディテールの徹底検証、創作による補完が不可欠であろう。
 ただし、最終的にリアリティを決するのは観客を圧倒する映像の迫真力・訴求力である。それには確かな演技力と撮影技術が欠かせない。これは「七人の侍」と「もののけ姫」に共通する呪縛であろう。弓矢に関して言えば、「七人の侍」で百姓(左ト全)が射抜かれるカット、「蜘蛛巣城」で鷲津武時(三船敏郎)が首を射抜かれるカット、「もののけ姫」の矢尻を正面から写したカット、アシタカが素手で矢を掴むカットなどはその好例である。
 二十一世紀、黒澤・宮崎を超える第三の時代劇はあり得るのか。一映画ファンとして楽しみながら待ちたい。


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