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高畑勲氏・宮崎駿氏の作品
(アニメーションを中心に)にみる環境観

文責/叶 精二

※以下の文章は2003年8月29日に、国土交通省首都機能移転課のURL「ようこそ新都市へ! 環境とエネルギーに配慮した新都市づくりのためのホームページ」に設けられた「みんなの環境欄」内の「著名な作品等に見られる環境感」欄にPDFで掲載されたものです。広く環境に関する考察を促す目的で開設されたページだそうで、叶が半日に亘ってインタビュー取材を受け、それを原稿化したテキストに大幅に加筆しました。全文が長いため、上記ページでは「概要」と「全文」の2種類が掲載されています。以下は「全文」の再録に多少加筆を施したテキストです。取材者の意向もあり、宮崎駿監督作品を中心に語っており、後日「第二弾」として高畑勲監督作品についても語る構想だったのですが、反響が少なかったためか、実現しないまま今日に至っています。

2006.10.10.


●アニメーションは環境を丸ごとクリエイト出来る

 カナダを代表するアニメーション作家の一人、フレデリック・バック氏が1987年に完成させた『木を植えた男』という作品があります。原作はフランスの作家ジャン・ジオノ(1895〜1970年)の短編です。一人の羊飼いの老人がひたすら木を植え続け、不毛の砂地を緑豊かな土地に変えたという話です。バック氏は、ほとんど一人で一枚ずつ丁寧な画を描いて撮影するため、この30分の作品に5年半の歳月を費やしました。あまりの激務だったこともあり、バック氏は制作中に片方の視力を失ってしまったそうです。
 この作品の舞台は、南フランスのプロヴァンス地方ですが、実景とも絵画とも異なる独特の美しさで彩られています。不毛の砂地で樹木の成長や森の広がりを表現するためには、長い時間軸で環境の変化を表現する必要があります。広大な土地で、数十年に亘って環境の変化を記録し続けることは劇映画では困難ですし、証言を集めたドキュメンタリーでも、ありありと表現することは困難でしょう。「環境の蘇生を力強く描く」というモチーフは、まさにアニメーションにふさわしいものでした。
 実写の映画では、豪華なオープンセットを作ったり、絶景のロケ地を選んだり、エフェクト(加工技術)で昼夜を逆転させることは出来ても、風の速度や外気の湿度までこと細かにコントロールすることは出来ません。特殊加工などである程度は表現出来ますが、3D-CG(3次元コンピュータ・グラフィック)の比率が実写パートを上回ってしまえば、それは実写映画の加工でなく、むしろアニメーション映画に実写の映像を混ぜた作品と言った方が良いのではないかと思います。
 映画のフィルムは1秒を1/24秒に分解して記録して行く構造で出来ています。カメラに写った動きを機械的に分解して記録するだけの実写映画と違い、アニメーションはあらかじめ1/24秒に分解した動画を一枚一枚描き起こすことで成立しています。つまり、視覚に映るありとあらゆる現象を1/24秒(実際には1/12秒であることが多い)に分解して描くことで、環境丸ごとをクリエイトすることが可能となるわけです。人間が環境すべてをコントロール出来る唯一の視覚メディアである、と言い換えてもいいかも知れません。その意味で、『木を植えた男』はアニメーションならではの訴求力を持った作品であったと言えます。コンピューター上で特殊加工された木が機械的に増殖していく様を見ても、人はあまり感動しないと思います。計算された上で心を込めて描かれた一本一本の木が不規則に成長していく姿が人の胸を打つのだと思います。ほんの数秒に何ヶ月、何年という歳月が費やされている所に、人は匠の美学や人間の可能性を感じ取ることが出来るのではないでしょうか。
 こうした作品を観ると、アニメーションには環境の蘇りや荒廃を描くメディアとしては大きな可能性があるのではないかという気がします。

●ディズニー作品に代表される擬人化された環境描写

 しかし、そもそもアニメーションで環境を主題に描こうと考えた人は、私の知る範囲では余りいなかったと思います。また、仮にそうした意図で作られたにせよ、結果的として成功作を残せたアニメーション作家は皆無だったと思います。
 高畑勲氏と宮崎勲氏の仕事が評価された要素の一つは、動植物の生態系を克明に描いた点にあると思います。それまで、実在の植物の姿形をきちんと描こうとか、その植物が成長していく姿をリアルにアニメーション化しようといった志を持った作品はほとんどありませんでした。多くのアニメーション作品にとって、草木は緑の記号であって、種別も季節感もよく分かりません。
 アニメーションの歴史をひもとけば、黒板や紙に描いたキャラクターが動いて見えるというトリック映像が出発点でした。それ以降の発展史は、特に長編映画では物語性に重きが置かれてきたという傾向が顕著でした。実写では不可能な愛らしい動物や昆虫を主人公にした作品が大量に作られて来たのも、アニメーションにしか出来ない表現を追求した結果だと思われます。
 商業的に大成功を収めたウォルト・ディズニープロダクション制作の諸作品では、数多くの動植物が描かれて来ました。しかし、それらは単に美しい背景画か、擬人化されたキャラクターとしての表現にとどまっていました。現実の生態系に忠実な動植物や、環境それ自体をありのまま描くという考え方ではありません。こうした誇張が、動植物をエンターテイメントで扱う前提だったのだと思います。『シリー・シンフォニー・シリーズ』(1929年〜39年)や『白雪姫』(1937年)の森であれ、『ライオン・キング』(1994年)の密林であれ、現実の動植物の生態系を棚上げにした上で、人間社会を模した一種の戯画という視点で描き出されたという点では同じだったのではないでしょうか。人間の目を通した、言わば主観的な環境ですから、動物にも階級や善悪の役割分担が課せられ、妖精の化身としての木には顔があり、根が足になって踊ったりと、そうした世界として表現されて来たわけです。大前提として「自然環境を現実的に描くということ自体がアニメーションの特性ではない」と思われてきたのかも知れません。アニメーションの中で世界を創り出すプロセスは、ある種人間以外の生態系を人間中心主義的に歪曲して構成せねばならないという無言の法則性があ
 商業アニメーションの中で主流を成す長編アニメーションの制作には膨大な予算と手間暇がかかります。本当にリアルな人間の芝居を淡々と描こうとか、現実に即した環境描写をしようと言った志向性は、自ずと「それで実写に優るインパクトを打ち出せるのか」という勝算の問題に突き当たります。アニメーションは元来子供向けのメディアという印象が圧倒的であったため、観客のニーズの問題としても現実性よりも荒唐無稽でファンタジックなものが望まれる傾向が支配的でした。これは基本的には今も同じです。ディズニー作品の場合、アメリカ特有のショービジネス的要素、すなわち歌って踊るミュージカルシーンを最大の見せ場とした作品を制作することで圧倒的な支持を集めました。音楽に合わせてキャラクターが縦横無尽に動くアニメーションは大変に難易度の高いものですから、それだけでも技術的には他の追随を許さない作品であるし、大いに鑑賞に価する仕事であったと思います。「派手に動けば動くほど良質なアニメーションである」という価値観もここから生じた部分が大きいでしょう。
 また、ディズニー作品では、最も手間のかかる自然現象の描写についても、数多くのエキスパートにより大量の動画が描かれて来ました。雨粒や水しぶきを大変に細かく描いたり、風や雲の変容も様々な工夫で立体的に描かれたりしました。『ファンタジア』(1940年)では恐竜の骨格まで研究して動きを創り出したそうです。しかし、それらはやはり擬人化された世界としての扱いか、単なる風景画、または物語の補足として使われて来ました。主人公の心理を表現するものとして怒濤の波を描いたカットを挟むとか、自然環境が善人に味方して悪役を退治するとか、そういう一種の舞台装置やキャラクターとしての役割が主だったように思います。

●日本のアニメーションは全てが曖昧で許される

 自然環境をまともに描いた商業アニメーションが皆無であった理由の一つは、表現上大変困難であったからだと思います。写真をそのまま引き写しただけでは「描いた」ことにはなりません。アニメーションならではの加工や省略が必要です。それには、相当の研究と技術的な蓄積を要します。たとえば、アニメーションで夕景から日没までの日照光線を計算して描いた作品はほとんどありません。夕陽が刻々と沈んでいく風景をきちんと描くためには、日光がどちらから射しているのか、建物のどちらに影がついているのか、あるいは影の長さの伸長はどうなのかといったことを全て計算した表現でなければ説得力がありません。夕陽の反射でキャラクターの顔を真っ赤に染めれば、一種の記号にはなりますが、それだけで現実の日没に立ち会った感動を再現することは不可能です。
 特に日本のテレビアニメーションのシリーズでは、舞台となる家屋やビルなどが影から判断して西を向いていたのが次のカットでは東を向いていたり、ロボットや戦闘機が飛び立っても西に行ったのか東に行ったのかさっぱり分からないという類のカットがいくらでもあります。こうした「いい加減さ」を残さないと、テレビで週一本のアニメーションをつくる過酷さには耐えられないといった言い分もよく聞かれます。日照光線や東西南北の方位、高度や緯度経度まで含めて考えて作るということは、大変な困難を伴います。
 日本のアニメーションの歴史、少なくともセルアニメーションという技法で長い物語を語ったものの中では、環境全体を作り出し、その地域に相応しい生態系を研究したり、そこに生えている植物を描こう、またはそこで生活している人達の生活丸ごとを描こうということを考えた作品は、おそらく高畑勲氏演出のテレビシリーズ『アルプスの少女ハイジ』(1974年)が最初だったのではないかと思います。現在も大量のテレビシリーズが作られていますが、制作から三十年も経過した『ハイジ』が今も支持されている理由の一つは、根本的な環境や生活描写を驚異的なハードワークと熟練の技術でクリアして、誰もが「住んでみたい」と思わせる環境や地域性を描いて見せた点にあったと思います。
 この作品以前に『パンダコパンダ』(1972年)、さらに遡れば『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)という作品もありましたが、高畑氏や宮崎氏のやろうとしたことは、一言で言えば、整合性のある世界を丸ごと作るという試みでした。アニメーションでは、実際には生えてもいない植物、おざなりなメニューの食卓、実際には不便でしょうがないようなコスチュームや維持できないような髪型…等々、「マンガだから」「アニメだから」と何でも許されるぬるま湯的な作品世界が常套でした。しかし、高畑氏や宮崎氏は、これらのありがちな矛盾を全て打ち捨てて、衣食住を含めて人間が生きるに足るリアルな世界を創ろうとしたわけです。
 高畑勲氏の演出姿勢は、舞台背景の資料を読み込んで整理し、大量の設計と計算をこなし、ハードワークに耐え、非妥協精神を保つといったものだったと聞きます。不屈の意志があれば、高畑氏の真似くらいは出来るかも知れませんが、その形跡を感じる作品も余り見かけません。殆どの演出家やアニメーターは人間ドラマを志していて環境描写などに興味はないと思いますし、経済的に食べられるかどうかという問題も含めて一年も二年もかけてそれを極めようとは思わないでしょう。
 1970年代当時の日本のテレビアニメーションには、多くの制約がありました。それは、主人公を差別化するために衣装は三原色などの派手な色をしていなければならないとか、主役級のキャラクターは毎回全員登場しなければならないとか、毎回後半に変身・合体・対決・爆発など派手なアクションシーンが設けられているのが好ましいとか、多岐に亘っていたようです。それらは放映局やスポンサーの意向と作り手側の言い訳、それを好んで求める視聴者の保守性の三者合作といった印象を受けます。背景描写にも、どぎつい原色が多用されました。密林を舞台にしたあるシリーズでは、思い切りカラフルな森を設定して好評を博しました。制作当時には資料のビデオも写真集もなく、作り手も視聴者も勝手な思い込みで補っていたようです。何とも安直ですが、視聴者も絵で描かれたアニメーションなら異世界も現実世界も境界線がなくなってしまうのかも知れません。しかし、物語はともかく、これでは実物を見慣れた現代では背景描写は説得力を持ち得ないのではないかと思います。

●環境描写の起点となった『アルプスの少女ハイジ』

 『アルプスの少女ハイジ』はヨーロッパでも大変な支持を集め、西ドイツ(当時)やスペインで色々な賞ももらっています。日本人が作った作品だと思われていなかったとも聞きます。こうした評価の根拠は、シナリオやキャラクターの魅力にもあったと思いますが、自然環境と生活描写について大変気を使ったということも大きかったと思います。たとえば、ハイジの住む山小屋の裏には3本のもみの木があり、その枝や葉が風でざわき、木漏れ陽が射し込んでいて、それをハイジが見つめるといったシーンがよくありました。こうしたシーンは、言わばもみの木とそれを揺らす風が主演であり、その存在感に頼って物語が進行するといった設計になっています。こうした描写は実に画期的なものでした。
 『ハイジ』の2年前に制作された『パンダコパンダ』という作品で、高畑・宮崎両氏は、自分達がよく知っている玉川上水辺りを舞台に設定し、納得のいく環境を作ることが出来たという経験をしていました。この作品をステップボードにして、『ハイジ』では日本のテレビアニメーションで初めて現地のロケハン(ロケーション・ハンティング)を行い、風土や自然環境に触れ、ある意味では「環境を主人公にした」と言っても過言でないくらい魅力的な自然を描き出しました。アニメーションで、地球上に実際にある土地を舞台に、実際に生えている植物を描き、実際に生活している人々の衣食住を描いて人を感動させることが出来るということを証明したのです。物語は、ハイジがフランクフルトで辛い思いをしたり、クララの足をリハビリで治すといったドラマチックな展開も用意されていましたが、それ以外は大きな冒険も無く、ひたすら山の牧場に行って帰ってくるだけの話です。そうした日々の営みの中にこそ、人間の本源的な喜びがあるという点を提示したわけです。当時はオイルショックや公害問題で高度経済成長に翳りが見え始めた頃でしたから、尚更こうした展開が人々を魅了したのでしょう。この作品に取り組んだことが、高畑・宮崎両氏のその後の作風を決定づけることになりました。
 同じく高畑氏演出による1976年制作のシリーズ『母をたずねて三千里』は、イタリアとアルゼンチンが舞台の作品でした。一方、1978年制作の宮崎氏による初演出シリーズ『未来少年コナン』は、近未来の地球が舞台でした。いずれも、衣食住や環境描写については大変な配慮を込めて描かれていました。
 今でこそ、高畑氏と宮崎氏は非常に高く評価されていますが、当時は異端でした。テレビアニメーションの作品群は、数こそ大量ですが、内容は「スポーツ根性もの」や「ロボットもの」「魔女っ子もの」などとジャンル区分に用語があるほど類似した作品ばかりでした。ひたすら日常生活を描くなどという作品は論外です。こうした傾向は30年を経た現在でもさほど変わっていません。未だにアニメーションで環境をきちんと描こうという作品は見かけません。宮崎氏や高畑氏の傾向を普遍化するような形で背景美術は非常にリアルな方向に発展しましたが、それでも植物自体を魅力的に描こうとか動物の生態系をリアルに描こうといった演出傾向は、類例がありません。

●『太陽の王子 ホルスの大冒険』と環境と人間という普遍的なテーマ

 高畑勲氏が初めて演出を担当された長編は『太陽の王子 ホルスの大冒険』という作品でした。この作品で、宮崎氏は画面構成として参加し、新人から一気にメインスタッフに昇格しました。人間の結び付きを破壊しようとする悪魔とどう対決するのか、村人同士の葛藤の中でどう団結するのか、といったテーマを扱った作品です。一人のヒーローが超能力で悪役を退治するのではなく、村の人間が全員団結して戦わないと悪魔は退治できないという非常に難しい展開のお話です。高畑氏によれば、この作品の原典の一つはアイヌのユーカラ(※アイヌ口承文芸のうち、節をつけ韻文で語られる叙事詩。「新辞林」による)だそうです。アイヌでは、村を滅ぼそうと襲って来る悪魔は、人間社会とその周辺の自然環境をも滅ぼそうとする存在として伝えられています。つまり、人間の村が滅ぶということが、人為的に維持されていた環境自体も荒廃してしまうことを意味するのです。アイヌの人々には、自然環境を実務的に維持管理しながらも、常に自然から人間が恩恵を頂いているのだという謙虚な思想、一種の畏敬の念があるそうです。
 興味深いのは、人間社会の内部から悪魔の側近や協力者が生まれてくるという描かれ方です。悪魔が人間社会の外側に絶対的な悪として存在し、キリスト教的な異教として攻めてくるという単純な描かれ方ではないわけです。悪魔は人間社会の中で起きる諍いや対立を最大限に煽り、最終的な局面で直接的な力を行使して壊滅させる。つまり、人間同士の自滅を演出するわけです。こうした背景は、作品の前面には出て来ませんが、作品の背骨を支えた思想には含まれていたと思います。
 逆に、人間の村の再生は自然の再生とも重なるわけです。自然環境と上手に共生する村社会こそ人間生活にふさわしいとする考え方は、この『ホルス』制作開始時である1965年頃、つまり40年程前から既に高畑氏の内にはあったのだと思います。『ハイジ』以降は、それが一層自覚的に表現されているように思います。
 もっとも、自然環境と人間の関係性をテーマにした小説は、先のジャン・ジオノや宮沢賢治(1896〜1933年)の諸作品などを例に挙げるまでもなく、世界の各地で時代や民族を越えて創作されて来ました。アイヌのユーカラ、アボリジニやネイティブアメリカンの伝説でも、そうしたテーマは度々描かれていると思います。「環境と人間との共生」というエコロジカルなテーマは、有史以来人間社会の根本に関わる普遍的なものであったからでしょう。
 そう考えると、「環境との共生」というテーマを捨象して、人間中心主義的な作品を創って来た歴史の方が短いのかも知れません。映画もたかだか100年、日本の商業アニメーションも本格的な発展史は戦後50年程度の発展史しか有していません。高度経済成長からバブル崩壊後まで一貫して棚上げにされていた普遍的なテーマを、高畑氏と宮崎氏はアニメーションで描いた。その点が画期的だったのではないでしょうか。

●『未来少年コナン』と『風の谷のナウシカ』の違い

 『アルプスの少女ハイジ』以降、作品のテーマは底流で「自然と人間」を扱い乍らも様々な変化を遂げて行きます。以下、主に宮崎監督の作品について展開します。
 宮崎氏のテレビシリーズ初演出作品『未来少年コナン』(1978年)。この作品では、超磁力戦争後の水没した地球上でも、わずか数年で緑が復活し、人間の生活基盤を支えてくれたと描かれます。序盤のコナンとおじいだけの二人きりのTのこされ島Uでの慎ましい暮らしや、中盤に登場する農に生きる小さな共同社会TハイハーバーUの生活様式は、安堵を与えるものとして肯定的に描かれます。一方、兵器や管理システムを伴う機械文明の象徴であるTインダストリアUは、歪んだ旧世界の遺物として否定的なイメージで描かれています。その対立構造は、『アルプスの少女ハイジ』の大自然に囲まれたアルムの暮らしと大都会フランクフルトの暮らしの対比にも通じるものを感じます。
 最後は、世界を滅ぼした最終兵器TギガントUを復活させて世界を再統合し、残ったわずかな人間を支配し、資源を管理独占しようという画策したの支配者が打倒され、自然と共に慎ましく暮らしていこうという展開に収斂していくお話でした。自然との共生は、人間社会の問題で何とか解決出来るといった印象を受けます。
 一方、その6年後の1984年に制作された映画『風の谷のナウシカ』はどうでしょうか。「最終戦争を経験した後の人類」というSF的設定だけを見ますと、『未来少年コナン』と『風の谷のナウシカ』はよく似ています。しかし、そこに込められたメッセージは全く異なります。
 『風の谷のナウシカ』の場合、最終戦争後千年たっても自然は毒に包まれていて、汚染源の人間を赦してはくれません。荒廃した自然環境はT腐海Uと呼ばれる奇妙な生態系を生み出し、そこには異様な巨大植物や蟲たちが棲んでいて、障気と言われる毒を発生していて人間はマスクなしでは即死してしまいます。しかし、この毒は人間が汚染した大地の浄化作用の為に生み出されたもので、地球環境の再生のためにはT腐海Uが不可欠だという壮大なパラドクスが仕掛けられています。武勇と洞察力に優れ、蟲を慈しむ少女ナウシカだけが、この自然の浄化作用を見抜いているという内容でした。彼女の属する小さな共同体T風の谷Uは、やはり慎ましく善良に生きる人々の集落として描かれています。
 しかし、この世界でも旧世界の最終兵器T巨神兵Uの争奪を含む、武力で各部族を再統合しようという勢力による覇権戦争が勃発します。しかし、ここでは単に独裁的権力への固執だけではなく、日々拡大し、やがて人類を滅ぼすであろうT腐海Uに対する焦燥感・危機感から、それを消滅させるために武力や兵器が必要だという人間中心主義的な大義が持ち込まれています。近視眼的な人間の視点からは、これは一見正しい論理であり、唯一の解決策であるようにも思われます。
 『コナン』のように、機械文明に頼る暴君を切り捨てて、寛容で豊かな自然と共に生きましょうというお話なら明解でしたが、そう単純に割り切れないという複雑な思いが込められていました。つまり、自然環境にとって人間の文明が害悪であるように、人間の生活圏拡大に攻撃的で凶暴な自然は脅威であるという、本質的な対立が加わっているのです。
 映画では、一時の戦乱を経て最終兵器は自壊し、少女は風の谷に姫として戻り、T腐海Uの最深部にある再生された環境T青き清浄の地Uには希望を暗示する緑の芽が吹いた―、映画だけを見ますとこうした楽観的解釈も成り立ちそうです。
 しかし、映画制作の後、宮崎氏自身の手によって10年に亘って描かれ続けた原作漫画では「自然環境が完全に回復することはない」「汚染や病理を抱えつつ生きよ」と、映画版を覆すような結論で締めくくられます。最後には旧世界に作られた管理システムが登場し、T腐海Uは人工の浄化システムであり、T青き清浄の地Uには汚れた大気に慣れた現人類は住めず、浄化システムで生命操作された人間だけがそこに住めると明かされます。しかし、ナウシカはシステムを破壊し、回復しない汚れた大地で呻吟しながら生きることを選択します。つまり、支配者層や社会システムの内部改変だけでは、環境の根本的な回復はあり得ず、深刻な利害対立を自覚しながら慎ましく生きることが好ましいと示されます。一言で言うと、「一挙的解決はない」という結論です。それは映画版の補完でもあり、映画『もののけ姫』(1997年)のテーマへと受け継がれて行きます。
 『ハイジ』から『ナウシカ』までが10年、そして『ナウシカ』から『もののけ姫』までは13年、環境は悪化し続けて来ました。今や環境問題で一番汚染の被害を被っているのは、むしろ自然環境と共生している住民ともいえるわけです。生活雑排や工場廃液がタレ流されれば、結局魚の腸に一番ダイオキシンが溜まってしまう。そういう魚を採って食べる、つまり狩猟民のイヌイットなどが、海洋汚染の被害を直接受ける。そうすると、人里離れた理想郷を求めて、そこに帰ればいいんだといった結末を提起しても何ら現実性がありません。都会で空気清浄機を使って、高級魚をスーパーで買って食べている方がキレイになれるともいえます。単に都市の利便性を捨てて、田舎で暮らせばいいという話では済まされないわけです。そもそも、「農村から都市へ」と人口も文化も流出・集中した結果、地域の共同体が瀕死の状態になってしまいました。隔絶された「新しい村」式の共同体的発想で頑張っていけば、人間の暮らしが全てまっとうになるのかと言うと、どうもそれも怪しい。自給自足型の小ささな社会に理想郷を求めて、そこに戻ればいいという「回帰論」は最早神通力を失っています。日本では水田も減らされ、数百年の歴史を持つ里山も開発させられ、回復すべき基盤自体が消滅しつつあります。理想郷も根本的な汚染を抱え、日々縮小しているとすれば、未来社会でそれを楽観的に描いて良しとすることは出来なかったのではないでしょうか。
 こうしたテーマを論文で書くならともかく、エンターテイメントにしようという試みは、非常に画期的だったと言えます。日本映画のテーマは、ある時期までは「貧困と差別からの解放であった」という説があります。要するに、社会的地位とお金が人を幸福にするという価値観で、専らそれを得る為の努力や挫折を描いてきたということでしょう。しかし、人間は貧しい者も富める者も(程度の差はあれ)共に環境を汚染していて、環境回復は種として取り組まざるを得ないテーマだというわけです。

●『風の谷のナウシカ』の限界性

 高畑氏・宮崎氏の作品における明確なメッセージは、一方で観客の姿勢、理解度の問題を浮き上がらせてしまうという側面もあったと思います。
 映画版『風の谷のナウシカ』が非常に高く評価された理由の一つに、最後の蘇りのカタルシスがあったと思います。最後は救世主が現れて愚かな大衆を救済してくれる、世の中には必ず青き清浄の地があって、いつかは人間が到達できて幸せになれるというファンタジックで楽観的な結末には安らぎと感動を覚えます。宮崎氏は映画版ラストの蘇生シーンについて、公開当時のインタビューで「宗教画のようになってしまった」「こんな筈ではなかった」とやり切れない気持ちを吐露していました。しかし、エンディングには、ナウシカは伝説の救世主でもあるにも関わらず、いつもと変わらず風車を修理したり、子供たちにメーヴェ(空を飛ぶための乗り物)の乗り方を教えたりと、長として君臨して人々を導き救済する姿は描かれず、村人と共に平穏な日常を過ごしている後日談風の映像が流れます。
 ある著名な作家が、あの映画を見た後に宮崎氏に「その後、風の谷の人達はあの青き清浄の地へ開拓団を送り込んだのでしょう?」と感想を語ったようですが、これに宮崎氏は「また同じことを繰り返すのか」と激怒していました。むしろ、それをやってはいけないというメッセージがあのエンディングだったのだと思います。T青き清浄の地Uにそんなに沢山の人間が移り住めるわけがないですから、たちまち開拓権や水資源を争奪する話になってしまうでしょう。畑を作るにしても、それまでの汚れた土地の種を植えるのかという話にもなってしまう。ささやかな希望はあるが、そこに到達できるかどうかは将来の可能性の一つに過ぎないと解釈すべき話だと思います。
 しかし、果たして観客や識者はこうした視点であのエンディングを見ることが出来たかという問題が残ります。ほとんどの観客が蘇りのカタルシスで満足してしまい、そう受け取ることが出来ないところに、あの映画の限界性や問題点があったと思います。そのため、宮崎氏はどうしても「宗教画」以外の結論を提起するために、『もののけ姫』を作らなくてはなりませんでした。
 このように、観客に正しく思いが伝わったかどうかは別として、『ナウシカ』には環境についての明確なメッセージが込められていたことは確かでした。そうであれば、一層舞台背景である環境をきちんとした表現で描く必要があったわけで、背景美術の担う役割も大きなものがありました。T青き清浄の地Uが「清浄」に見えなかったら描いた意味が無いわけです。誰も到達したことはないけれど、見たこともないような聖なる場所ですから、それは相当説得力のある環境描写として描かれる必要がありました。T腐海Uにしても、ただ人間の仇敵としての邪悪なイメージだけであったなら、従来のオバケ屋敷調の黒々と塗りつぶした森で良かったのでしょうが、そうではなくて人間には有毒だけれど客観的には非常に美しい神秘の森という複雑な表現で描く必要がありました。綺麗/汚い、良い/悪いといった価値観は、結局人間にとっての利用価値の判断であり、勝手な都合でしかありません。多くのファンタジー作品は、人間の主観を通して色分けされた環境や植物を描いて来ました。植物にとっては、単に自分の生を全うするために姿をさらしてるだけですが、それに人間の価値観で綺麗とか汚いといったラベルを貼るわけです。その主観に忠実に描けば、T腐海Uは非常におどろおどろしい森になってしまったこでしょう。しかし、宮崎氏は一種の生命平等思想でもって、植物も人間も同等に美しく、あるいは醜く描いたという点が画期的
だったのです。

●森を描き続ける思想的根拠

 宮崎氏の『風の谷のナウシカ』以降の環境描写には、大まかに言って二つの源流があります。
 一つは「国破れて山河あり」、つまり文明が崩壊した後に森が茂るという思想です。
 欧米のファンタジーでは、最終戦争後の地球は必ず砂漠として描かれて来ました。これは、ある意味では西欧文明の発展と荒廃の歴史認識から発生したものです。西洋では有史以来、木を切り尽くして文明を発展させて来たという歴史があります。『風の谷のナウシカ』も、企画時のイメージボードでは舞台は砂漠として描かれていました。
 環境考古学者の安田喜憲氏によれば、聖書に描かれている大洪水の話は、古代文明の環境破壊による災害を物語ったものだと言います。ノアの箱船があったといわれる場所の地質学的調査を行ったところ、当時の地層には実際に大規模な洪水の後が刻まれていたそうです。実際に古代文明が栄えた地の多くは、現在砂漠化してしまっていますが、元は豊かな森であった地が多々あるようです。高度な文明を栄えさせた結果、建材・道具・燃料などで大量の樹木が伐採され、保水力は萎え、川は決壊し、土壌は荒廃してしまったわけです。そうすると、わずかな水資源や作物を求めて争いが起こり、部族間抗争があちこちで勃発して、結局文明が滅びてしまったそうです。その結果が砂漠化ということです。だから西洋にとって荒廃のイメージが砂漠であるのは、環境破壊の歴史認識として正しいわけです。
 ところが、日本では違います。日本の多くの土地では人間がいなくなった途端に雑草だらけになってしまいます。温暖湿潤で土質が豊かな日本では、斬っても斬っても樹が生えて来る。それだけ土壌資源や水資源が豊富であるということでしょう。縄文時代から「森の民」であったわけです。それでも瀬戸内海沿岸のように切り尽くしてしまって荒れたという例も多々ありますが。
 ともあれ、日本の風土を活かして、西洋の砂漠化とは違う価値観の荒廃感・無人感を創り出すことは出来ないものか。宮崎氏はここに着目し、あえて舞台を森に設定したわけです。
 もう一つは、ブライアン・W・オールディスという人が1961年に書いたSF小説「地球の長い午後」(ハヤカワ文庫)です。宮崎氏は、『ナウシカ』の原作の連載をはじめた頃、「この小説が好きだ」としきりに語っていました。巨大な食肉植物が支配する未来の地球が舞台で、地球と月の間が植物の長大な蔦で繋がっているという世界です。まるで有史以来人間が植物に行ってきたことに対する報復のように、凶暴な植物に喰い殺される恐怖の中で細々と生活する人間が登場します。宮崎氏は、この作品から異世界に於ける植物と人間の関係をどう扱うかというヒントを得ているように思います。
 『ナウシカ』では、戦争と文明のために世界は汚染され、地球の意志(漫画では人工的な意志ですけれど)としてそれらを浄化するための森が生まれ、そこに適した生態系が生まれ、それが人間を苦しめているという構造となっています。大雑把に言えば、現状の延長線上にはこんな世界が待っていますよというメッセージでしょう。劇中に「誰が世界をこんな風にしてしまったのでしょう」というナウシカの悲痛な台詞がありますが、一言で応えれば、「こんな風にした」のは私たち自身に他なりません。私たちが無自覚に毎日やっていることのツケで彼女たちは苦しめられているわけです。

●『天空の城ラピュタ』と絶望の一歩手前の生命賛歌

 1986年制作の映画『天空の城ラピュタ』にも『ナウシカ』から継承したメッセージが込められていました。機械文明を捨てて、自然と共生する小さな共同体にとどめて、そこで生活していくことが望ましいとするメッセージは、ラスト近くの少女シータの台詞にはっきりと打ち出されていますし、天空に鎮座する科学文明の塊であるラピュタの建造物が崩壊し、中心の大樹が少年少女を救うという展開も象徴的です。
 オープニングタイトルの映像は、物語の前史を示します。かつてラピュタ人は、地上を捨てて、科学技術の結晶体である天空に城に君臨するわけですが、内部抗争や戦乱が起きて自滅の道を歩み、何とか地上に逃げ延びた王族の末裔がシータという少女だというわけです。つまり、科学を過信した文明は最終的には滅びる、復活するべきではないというメッセージを感じます。天上時代の絢爛豪華な暮らしを捨て、自然と共生する小規模共同体を構成した人々は生き延びることが出来たとも解釈出来ます。これは、『未来少年コナン』のTのこされ島Uに逃れた人々の暮らしの描き方にも通底するものです。
 また、文明に頼る主である人間がいなくなったら、大樹や古代の動物たちに覆われた平和な楽園となった―と表現されている点も、『風の谷のナウシカ』のT腐海Uと同じで、興味深いものがあります。無人の世界では、ロボットでさえも調和の取れた平和な共同体の一員となっています。そこへ人間の軍隊がやって来て、侵略・強奪・君臨を試みるわけですが、最後は善人の自己犠牲によって打ち負かされ、廃墟に生きる最大の生物である大樹によって救われるわけです。
 冒険活劇としては、スティーブンソンの「宝島」のように、ラピュタに眠る財宝の争奪戦に単純化して、財宝を持ち帰った善人が幸福に暮らしました―という古典的な幕切れにした方がスッキリします。つまり、物欲を満たした者が貧困から救われるという話です。しかし、宮崎氏はそうは描かなかったのです。憧れのラピュタに行ってみたら、確かに楽園ではあるけれど、財宝などは大して意味のないものだった、本当の宝物は物欲にまみれた人間が存在しないところにあった―というわけです。
 しかし、各作品で「人間が地球上からいなくなれば平和になる」という絶望的な結論が強調されることはありませんでした。これを打ち出すことは「環境を汚してしまって何もやってこなかった」自身に対する諸刃の刃でもあり、ここにどっぷりと漬かってしまえば、「何をやっても無意味」というニヒリズムの虜となるほかありません。宮崎氏の作品からは、これと格闘し、何とか別の結論を模索しよういう真摯な努力の痕跡が伺えます。要約すれば「どんなに困難な社会であれ、祝福されない生であれ、人間が生きていくのは素晴らしいものなのだ」という生命賛歌・人間賛歌が真のテーマとなっているからです。言わば絶望の深さを自覚した上での希望です。これは『未来少年コナン』から『千と千尋の神隠し』(2001年)まで変わらないテーマだと言えます。
 宮崎監督は1997年に私が行ったインタビューで「農業を営むことは自然保護でなく改変である。田畑は植物にとって実に不自然な状態であって、人間の都合で改変された生態系に過ぎない。」といった内容の発言をされていました。人間は生きていく限り自然環境を変えるしかないわけです。しかし、自然と共生して生きていくことにもある種の喜びは確実にあるわけです。その喜び自体はしっかり描かなければいけないし、無知で利己的で愚かしい存在であっても愛さなければならないというアンビヴァレントな思いがあったのだと思います。
 たとえば、『ナウシカ』の風の谷の人々は、ある意味無力で世界の秘密も知らない大衆ですが、素朴で愛すべき人達として描かれています。一方で、ドーラのように私利私欲を追い求めていながら人生の機微をよく理解している人も実に魅力的に描かれます。悪役でさえもどこか憎めない懐深さが感じられますし、中には『コナン』のダイス船長のように、悪役風の役回りから味方に転じてしまうキャラクターもいました。総じて、懸命に生きている人間の存在自体は肯定的に描かれています。巨神兵にしても『ラピュタ』のロボット兵にしても、本来は無垢で愛すべき存在として描かれています。こうした点もまた、宮崎監督が高く評価されている理由の一つだと思います。

●『となりのトトロ』に隠されたメッセージと受け手の功罪

 映画『となりのトトロ』(1988年)は「日本人の原風景」と言える近過去の里山を舞台にしたという点で、これも画期的な作品でした。この作品は、アニメーションの環境描写力は非常に高い訴求力があることを証明しました。
 たとえば、ラスト近くでサツキという少女が妹のメイを探すシーンがありますが、夕暮れか日没までを、ほぼ時間経過に忠実に描いています。日本の里山を覆う空の色の微妙な変化を丁寧に記録的に表現しています。これは実に画期的なことでした。本当に夕陽を観察した人、とりわけ里山で陽が暮れるまで遊んだ経験のある人が見ると、大変懐かしい情景に見えたのではないでしょうか。実写撮影で、あの独特の色彩と光を表現するのは難しいのではないかと思います。宮崎氏はこのシーンについて、「今まで誰も出来なかったことをやる」と宣言して望んだそうですが、これも遡れば『ハイジ』で「山が燃えてる」という台詞で表現されたアルプスの夕景描写を成功させた実績の上に、はじめて成立したと言えましょう。
 また、『トトロ』では、その季節に相応しい実在の植物、特に名のある雑草を丁寧に描いています。観察によって表現の密度を高めることで、普段見慣れている日本の風景を喚起させる効果があったのではないかと思います。
 最初にトトロがサツキの前に現れる夜のバス停のシーンでは、稲荷神社の恐い感じを出すために宮崎氏は当初ケヤキを描こうとしました。ケヤキは枝が四方八方に分かれていて恐い感じがしますから、そのイメージだったのでしょう。しかし、美術監督(※男鹿和雄氏)が東北出身の方だったこともあり、どうも東南系の怖さが出てこないということになり、結局スギになったそうです。スギ木立も葉が多く暗い森になります。実際に神社の境内はスギが植えられているケースも多々あります。観客にとってはどちらでもいいのかも知れませんが、記号として木を描くのと、「スギ」と意識して描くのでは画面全体から受ける全く印象は全く違う筈です。こうした紆余曲折が、いい意味で地域性を曖昧にし、「日本人の原風景」と言えるような、普遍的な懐かしさにつながったのではないでしょうか。
 宮崎氏の制作動機には、日本人が幸福だった時期、子供達が生き生きと遊んでいた時期をきちんと再現して、そこにお化けがいたかも知れないということを見せることで、子供たちが「今も里山にトトロがいるのではないないか」という思いを抱いて里山で遊ぶ楽しさを発見してくれるかも知れない―といった密かな願いがあったようです。その願いは実現し、全国各地で「懐かしい」「心地よい風景」「自分たちの近隣の里山とそっくり」といった声が聞かれ、狭山丘陵の里山保全基金のシンボルとして採用されているほか、里山散策の全国的活性化にも大きな役割を果たしました。言わば作り手と観客の共同作業によって、トトロはフィルムを飛び出し、現実の日本の風景になじむキャラクターとして認知されるまでになったわけです。
 ただ一方では、環境丸ごとをクリエイトし得た良質のファンタジーであったために、実在の環境の代用品の役割を果たしてしまうという皮肉な結果も産んでしまいました。里山で遊んだ経験が無い子供たちや大人たちに「あえて本物に触れなくてもいい」と思わせるほどの満足感を与えてしまったのです。
 具体的には、幼児たちに『トトロ』を毎日何十回と見せる保育、いわゆる「ビデオシッター」の定番商品となってしまったことなどが挙げられます。現実の自然が刻々と破壊されていこうが、里山がどんどんなくなっていこうが、私はそうしたものが体感出来る『トトロ』を見てるから十分なんだと、現実の環境に対する無関心の免罪符になってしまった側面もあると思います。親御さんの側が、人畜無害な「宮崎アニメ」だから、お菓子やミルクを与えるのと同じように何度見せてもいいという誤解をしていらっしゃるケースもあるではないでしょうか。
 トトロのキャッチコピーは、当初「このヘンないきものはもう日本にはいないのです、たぶん。」だったのですが、宮崎氏は「このヘンないきものはまだ日本にいるのです、たぶん。」に修正しました。これは、今残っている里山にもトトロはまだ住んでいます、だからもっと樹を好きなり、森でもっと遊びましょうというメタ・メッセージと読むことも出来るわけです。それを読み取れるかどうかは、むしろ観客の責任という気が致します。
 実は、当初宮崎氏が考えていた『トトロ』の導入部は完成版とは全く異なっていました。それは以下のような展開でした。
 周囲は皆開発されており、ビルの隙間に草壁家のボロ屋が一軒だけ残っている。おばあさんになったサツキが、縁側で子供たちにお話しをしている。庭の大樹の由来を聞かれたサツキは『トトロ』の物語を語り、トトロからもらったドングリを庭に植えて成長した姿がこの樹なんだよと話す―という、やや風刺的で生々しい構想だったようです。結果的には、この現実感や説教臭さを取り除いて近過去の物語として徹底したわけですが、その最大の動機が、子供たちに何を手渡すかという姿勢でした。子供たちは『トトロ』の物語を現在の自分たちに引きつけて受け止めるだろう。すると「失われた過去」と大人の勝手な絶望感を前面に出すよりも、形こそ変われど今もあり得る冒険としておいた方がいいのではないかと。実際に、狭山丘陵の里山を保全するための基金が出来たり、全国の里山保全運動が盛んになったり、子供達が森や木が好きになるという成果があったと思います。
 高畑勲氏は、後日『トトロ』の最大の成果は日本全国の森にトトロを住まわせることが出来たことだとおっしゃっています。子供たちはどこの森にもトトロがいるかも知れないと思うことが出来るというわけです。
 宮崎監督の『となりのトトロ』、高畑監督の『おもひでぽろぽろ』(1991年)『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994年)は日本の里山を描いた三部作という見方も出来ますが、その内容はそれぞれにかなり異なっています。
 特に高畑監督の諸作品についても詳述すべきですが、今回は時間の関係で難しいようですので、また機会を改めて述べたいと思います。

(了)
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