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―「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」へ―

宮崎駿とスタジオジブリの13年

文責/叶 精二

注)この文章は「別冊宝島/アニメの見方が変わる本」(97年9月2日/宝島社発行)掲載掲載されたものです。


 映画「もののけ姫」は、宮崎駿監督作品の集大成だと言う。宮崎監督は各誌のインタビューに応えて「スタジオジブリの決算を目指した」とも語っている。それは、二義的にはスタジオに蓄積された人材・技術水準・資金力など条件の利を指すと思われるが、一義的には思想的意味合いが大きいと思われる。では、その「思想的決算」とは何のことだったのか。宮崎監督の作品とスタジオジブリの遍歴を振り返りながら考えてみたい。

 なお、スタジオ成立の経過・作品制作の経緯・スタッフ編成・技術的推移・興行的変遷などの制作データや裏話的エピソードなどは他誌で何度も語られているので一切省略した。物語やキャラクターのくどい紹介も避けた。本小論は、専ら宮崎駿監督の思想的変遷のみを追ったものと解されたい。

前史―東西冷戦と核廃絶後の希望

 宮崎駿氏が演出家として自己確立した七〇年代末は東西冷戦の真最中であった。米ソ二大国が最終戦争を引き起こし、核兵器を使用、ついに人類は滅亡する―という絶望的終末観が世界に蔓延していた。特にSF小説や映画などの仮想世界では、この未来観が繰り返し語られた。「未来少年コナン」の原作である『残された人々』もその一つであった。

 一九七八年に制作されたテレビ「未来少年コナン」は、宮崎氏初のシリーズ演出(監督)作品である。作品は原作のイメージとはほど遠く、ほぼ宮崎氏のオリジナルと言える。この作品では、最終戦争後の水没した世界を舞台として、残された人類の命運を決する超磁力兵器の復活がドラマの一軸を成していた。それゆえ、最終兵器の封印と独裁者の排除の後は、平和な共同社会と明るい展望が開けていた。物語はまさに「大団円」で終わり、そこには最終兵器廃絶後に人間社会の再生と発展を謳うという、スッキリとした希望が感じられた。

 この作品に於ける宮崎氏の先見性と独自性は、単なる独裁者打倒の英雄譜としてドラマを単純化せず、人物の交流による心理的解放や、身分差別の問題、自給自足の共同体社会の重要性などを織り込んだことに見られた。しかし、それらはあくまで人間世界のドラマが主で、後の諸作品に見られるような「自然とのつき合い方」は大きなテーマではなかった。この世界では、天災や凶暴な水棲生物・地上生物に喰い殺される危険性よりも、人間同士による破壊と抑圧の脅威が幾分勝っていた。

 ドラマの大前提は「自然が人間の環境破壊と生態系操作の一切を赦し、穏やかに再生して人間を包んでいること」であった。つまり、自然が人間に優しい世界であったのだ。

 続く映画「ルパン三世 カリオストロの城」にも明かなように、この時期の宮崎氏のモチーフは、人間解放のドラマに大きな比重が置かれていた。さらに、テレビシリーズ「(新)ルパン三世」の演出「第一四五話/死の翼アルバトロス」「最終話/さらば愛しきルパンよ」では、暗躍する兵器商人を打倒するルパンが描かれる。察するに、宮崎氏の興味と願いは「核廃絶による人類平和」が主たるものであった。

 しかし、核廃絶や核保有国の為政者打倒だけで、世界は平和になるのだろうか。そもそも「絶対悪」を除去すれば人間は永久の発展を保証された生きものなのであろうか。そして、自然はいつも再生して、人間の破壊を赦してくれるのだろうか。

 ジブリ以前の宮崎氏の諸作品では、この本質的難題は、「憎めない悪役たちの哀れな末路」として描かれてはいたが、踏み込んだ描写はされていない。換言すれば、宮崎氏は、「アニメーションでそうした深い思想的領域に踏み込むことは避けるべきだ」という自己規律を課していたとも考えられる。

「照葉樹林文化論」との出会い

 宮崎氏の大きな思想的転換は、七〇年代後半ではなかったか。その転換とは、植物学者・中尾佐助氏が提唱した「照葉樹林文化論」との出会いである。

 太古の地球では、ヒマラヤ山脈の麓から日本に至るまで常緑の照葉樹林(クス・カシ・シイなど)がベルト状に茂っており、各地ではその森に依拠した文化が発生していた。その文化は、衣食住から伝承に至るまで共通が多く、一つの文化圏とも考えられた。照葉樹林地帯は温暖湿潤地帯にしか発生しないため、再生力が非常に強い。このため、人間が破壊をやめれば、数十年でうっそうたる二次林に戻ってしまうのである。国土の狭い先進工業国たる日本に、未だ多くの雑木林が残っているのもこのためである。日本の自然は破壊に寛容であったのだ。

 国境でも民族でもなく、原生植物の性質が人間の文化を決定づけた―とするこの学説は、宮崎氏の思想に涼やかな新風を送り込んだ。宮崎氏は、暗く恐ろしい森や縄文文化に憧れる自身の根源をここに発見したのである。それは、心情左翼として祖国の歴史と政治・経済体制を否定し続け、中央アジアやヨーロッパ諸国に憧れて来た宮崎氏が、初めて「世界に繋がる森の民」として「日本人」を肯定することでもあった。以降、日本の風土と照葉樹林を自作で描くことは宮崎氏の課題となった。

 ところで、独裁者や武器商人など悪人を打倒し、社会を改善すれば事たれり―とする世界観は、所詮数十年レベルの平和を着地点とするものでしかない。しかし、現実の世界はもっと複雑である。人間同士の争いと平和の物語は、数千・数万年単位で続いている森と人類文明の壮大な物語を構成する一つの因子に過ぎないのだ。それは、人間中心主義の視点からは決して見えない、余りにも巨大な物語である。

 宮崎氏のモチーフは、80年代に入ってこうした難解な思想領域に踏み込んで行くことになる。単なる冒険譜と人間解放の物語でなく、自然と人間のつき合いをめぐる問題を抱え込んでいくことになるのだ。その作風は、「照葉樹林文化論」を核とする植物学的・考古学的・民俗学的興味に起因している。よって、宮崎氏を定義の不鮮明な「エコロジスト」とする乱暴な解釈は大間違いである。あえて定義づけるなら、「照葉樹林文化論者」「縄文文化再考主義者」とでも言うべきだが、こうしたタガハメは実に失礼かつ無意味だ。

漫画版「風の谷のナウシカ」―再生と破壊の同居する凶暴な森

 「照葉樹林文化論」の影響を最初に反映させた作品が、一九八二年に連載を開始した漫画「風の谷のナウシカ」である。この作品で宮崎氏のモチーフは大きな変転を遂げた。曰く「自分でも結論の分からない領域に踏み込んだ」のである。

 『ゲド戦記』や『砂の惑星』などに着想を得たこの物語の最大の特徴は、「腐海」と呼ばれる有害な毒を吐く森林を舞台としたことである。文明消滅後に森林が生まれ、生命を再生させるという構想自体は「未来少年コナン」でも描かれた。しかし、森が拡大すればするほど人間が生きられないという、森と人間の対立構造はこの作品で初めて描かれた観点である。一方でこの森は、文明によって生じた毒を浄化し、生態系の再生を司るという「秘密の逆説」をはらんでいる。人間には害悪だが、地球には有益なのだ。

 西欧産のSFファンタジーでは、前述の作品を含めて「文明消滅後に環境が激変して砂漠となった星」が登場するケースが多い。宮崎氏も当初は、砂漠を舞台として構想していたが、どうにも自分の中にある原初的イメージにそぐわず、ついに凶暴な森を舞台とすることを思い着く。それは、実際に砂漠になるまで森を伐り尽くして文明を維持して来たヨーロッパ人の自然観とは異質な、「再生する森の民」たる日本人的な着想であった。宮崎氏にとって、腐海のイメージの原点は、人を寄せつけない生命力に溢れた太古の原生林―つまり照葉樹林ではなかったか。

 作品では、枯渇する資源と少ない領土を支配するための民族紛争、森を焼き払うための最終兵器の争奪、生態系操作などをめぐる多層的で濃密な人間ドラマが展開される。しかし、物語の大テーマはその外側にある。つまり、自然=腐海とそこに棲む動植物と人間がどのように共生すべきかという大問題である。主人公ナウシカが、最も心寄せる存在は森の主たる「王蟲」と呼ばれる巨大な怪物的虫であり、人間ではない。彼女は、人間が環境と生態系の一因子と知るがゆえに、生命操作や戦争に展望を見い出す傲慢で近視的な人間を戒め、しかし絶望して森に逃避することなく、森と人間の中間に立ち、悩み苦しみながら共生の道を模索する。以降、繰り返される自然と人間をめぐる深刻なモチーフはここに端を発している。

 ところで、宮崎氏は、「『ナウシカ』は本来アニメーション用に構想された作品ではない」という主旨の発言を何度か行っている。その意味は、短時間の映画では語り尽くせない複雑な世界観だけでなく、「商業アニメーションでは植物の生態系を描けない」という限界性を痛感していたためと思われる。分業と効率重視の商業アニメーションの世界で、植物の生態系を描き分けることなど手間も技術も論外であった。凡百の商業作品では草木は緑の記号として扱われる。

 「個人作業の漫画という媒体でなら、着色の手間のない分自由な描き込みで何とかカヴァー出来るかも知れない」宮崎氏は漫画連載に際して、そう思ったのではないか。逆に言えば、漫画だからこそアニメーションで避け続けて来た「森と人間の物語」を語れると考えたのではないか。

 つまり、「ナウシカ」映画化の決断は、アニメーションの限界に真っ向から挑戦することを意味するものであった。果たして、映画版はスタッフ力量の限界まで植物描写と向き合うことを余儀なくされた。そして、この「植物を緻密に描く」という制作姿勢は、以降のジブリ作品の大きな特色となったのである。

映画版「風の谷のナウシカ」―エンタテイメント映画の限界

 一九八四年に制作された映画版「風の谷のナウシカ」は、宮崎氏にとって新たな挑戦であったが、同時に限界を露呈した作品でもあった。それは、ラストシーンに集約されている。

 森と人を結ぶ伝説の救世主として蘇るナウシカの姿は、美しく感動的である。更にチコの芽吹く「清浄の地」を映すラストショットは、毒に冒されながら生きる悲惨な人間世界全体を救う、輝かしい希望とも解釈出来る。観客の多くは、「人類はナウシカに導かれ『清浄の地』に逃れて救われる」と受け取り、その楽観的展望に感激したかも知れない。「人間は愚かなのに、自然は何と寛容であることか」と。

 ところが、宮崎氏が構想した世界は、そのような安直な大団円で解決出来るようなものではなかった。後に漫画版に引き継がれた物語は、映画の楽観的展望を完全に粉砕してしまうものであった。腐海はかつて人類が生命操作で作り出した人工の再生装置的生態系であり、「清浄の地」には汚れた大気に慣れた人類は住めないことが判明する。「清浄の地」に住まうには、現人類の生命操作が必要なのだ。しかし、ナウシカは生命操作システムを破壊して、あえて汚れた大地で衰退した人類と共に生きていく道を選ぶのである。

 この漫画版の結末から映画版の結末を遡って解釈すると、以下のようになる。人々は、危機の一つを乗り越えたものの根本的解決には至らず、あくまで腐海と共に生きていく。ナウシカは特別な救世主として人々を従え導くのでなく、あくまで辺境の姫の立場にとどまる。「清浄の地」に人の手が届くことは決してない。

 「清浄の地」に移住し、再生した資源を開拓するという発想は、結局人間中心主義の腐海支配を意味する。動植物への崇拝を捨て、人間の生存圏だけを安定的に拡大しようとする発想は、破壊と生命操作の歪んだ文明を生み出して行く。宮崎氏はこの作品で、安易な自然征服思想を捨て、あえて凶暴な自然との困難な共生を選ぶことを訴えたかったのではないか。

 ところが、映画ではナウシカが宗教的救世主としてシンボライズされ、そこに人間中心主義の楽観的未来観を思わせるカタルシスが生まれてしまった。複雑かつ混沌とした思いが後景化されてしまったのだ。それは、エンタテイメント映画である以上、やむを得ない選択だった。宮崎氏自身、この矛盾に悩み苦しんだためか、映画について「60点」という辛口の自己採点を下している。己の真の思いをどのように作品に表現すべきか、それは重い課題として宮崎氏の内に残ったのである。

「天空の城ラピュタ」―兵器争奪戦を乗り越えるもの

 続く八六年の「天空の城ラピュタ」は、それまでの宮崎氏の作風を集大成した作品であったと考えられる。この作品には、兵器と帝国の争奪をめぐる人間ドラマに比重が置かれながら、自然との共生というテーマも併存する。しかし、世界の根本的浄化は謳われない。それは、エンタテイメントとしては高い完成度に至っているものの、前作「ナウシカ」を乗り越える奥深いテーマを打ち出したものではなかった。むしろ、「大団円」から「大混沌」へと至る思想的過渡期を示す作品であった。

 作品の前半は冒険と解放の人間ドラマに主軸を置いているが、中盤からは文明崩壊後に茂った森に覆われた浮島帝国を舞台とした暗い展開になってしまう。物語は独裁者を打倒して終わるが、悪役は政府特務機関の密命を受けた野心家(実は王家の末裔)であり、最高権力者ではない。主に従うロボット兵と帝国の封印は出来ても、ファシズムへ向かう政府も軍隊も健在である。少年の住む閉山寸前の鉱山では、失業者が一層増えることだろう。物語を経て巨悪が退治されたわけではなく、世界そのものが健全になったわけでもない。辺境の冒険物語だけで、世界の全てに決着はつけられない。やがては一層困難な時代が訪れるのだ。

 作品のラスト、決死的覚悟の主人公の少年と少女を大樹の根が救う。ここには、財宝や兵器の争奪をめぐる人間の争いの外側に、健全なる人間は自然環境と共存すべき―「土と共に生きよ」という示唆がしっかり含まれている。ただし、自然との具体的な共生形態にまでは言及していない。「優しいだけの自然」という視点は、「ナウシカ」から「コナン」への後退とも受け取れるが、帝国に茂る照葉樹らしき大樹はどこか恐ろしげであり、原生林的な生命力を宿されている点は注目に価する。

 物語の後、主人公の少年と少女は、時代の暗転に抗して、自然と共生するつつましやかな生活を守っていこうとするであろう。それは、世界を刷新するマクロ的革命思想でなく、節度と礼節あるミクロ的な人間の暮らしへの賛辞である。軍事を止揚した理想の共同体(半国家)でなく、個人や家庭レベルのリアリズムである。ここに同系の活劇作品である「未来少年コナン」との大きな差異がある。それは宮崎氏が七八年から八六年までの世界情勢の激変に揺さぶられた結果でもあるだろう。

 ともあれ、宮崎監督作品で繰り返し描かれて来た最終兵器と独裁者の影は、この作品を最後に消え去った。最終兵器発動による世界消滅という終末観も、それを止揚すれば訪れると思っていた明るい未来世界も、最早過去の価値観になりつつあった。冷戦構造の崩壊が始まる三年前のことである。

「となりのトトロ」―日本の風土の再発見

 続く八八年の「となりのトトロ」は、日本を舞台として、自然を象徴する精霊的な動物と子どもの出会いと冒険を綴った作品であった。この作品は、煩わしい人間関係の回復や、兵器争奪などの大装置を一切取り払ったシンプルなファンタジーである。つまり、温めてきたテーマである「自然と人間のつき合い」にしぼり込んだ作品と思われる。

 「日常性を重視した小さな冒険劇」という物語の骨格は、80年頃に出来上がっていた。それは、かつての「パンダコパンタ」の路線を継承するものだった。「パンダ―」からの最大の飛躍は、草花や森をよりリアルに描き込んだことである。この作品は、日本の商業アニメーション映画史上で初めて、初夏から盛夏の里山の風景を鮮明に描いたのである。それは、複雑な物語に比重を置くよりも、はるかにストレートに宮崎氏の意図を表現することに成功したと言える。その意図とは、作品を通じて日本の風土を再発見(刻印)することであったのではないか。

 しかし、この作品の独自性は、失われつつある里山の自然とふれ合う楽しさを描いた点にではなく、暗い原生林の精霊との交流という点にこそある。トトロの宿る塚森の大樹は、マツやスギではなく照葉樹のクスノキである。人間の住まいは里山だが、トトロの住処の周辺は太古の照葉樹林のイメージであった。つまり、トトロは原生樹に宿る精霊であり、人工の明るい里山には遊びに来ることは出来ても、定住することは出来ないのだ。ましてや、アスファルトとコンクリートの都市には、近寄ることさえしない筈だ。そこには、ただ人間に優しいだけの茫洋たる自然ではなく、共生か敵対かという人間との選択的共存関係がチラリと見える。

 つまり、バチ当たりを辞さずに御神木を伐り倒して水田にしたり、強引に開発してコンビニエンスストアでも建てようものなら、トトロは絶滅してしまうのである。トトロとの交流は、森の神を心から信じて聖地と人間の居住地との「住み分け」が出来てこそ叶うのである。それは、縄文時代以来日本人が引き継いでいる森の崇拝思想であり、近代合理主義とは相入れない思想である。宮崎氏は、作品の舞台をあえて近過去とすることで、原生林どころか里山すら破壊し尽くす現代社会の価値観についての批判を込めているとも考えられる。現に我々人間は、毎日何千・何百ものトトロやススワタリを世界各地で殺し続けているのである。

 宮崎氏は、後に「この作品で自分が本当にやりたかったアニメーション作品を作り終えてしまった」と語っている。以降しばらくは、アニメーションで子どもたちに何を語るべきなのか確信を持てないままに模索の時期が続くのである。

「魔女の宅急便」と「紅の豚」―冷戦の終結とモラトリアム映画

 八九年の「魔女の宅急便」は、本来宮崎氏が立案した企画ではない。若手監督・スタッフ育成用の実験作であった筈が、宮崎氏の強烈な自己主張や諸般の事情の結果、自身が監督とプロデューサーを兼任することになってしまったという、「予定外の作品」であった。ここでは、前三作のテーマは継承されず、専ら「少女の自立」を軽やかに扱った。原作との兼ね合いもあり、確信を持てる描写に悪戦苦闘した作品である。自閉的個人主義と没政治志向の強い現代の若者たちの気分を解釈し、そこに何とか宮崎氏流の健やかさを見い出した作品と言えそうだ。

 作品の制作中、中国では天安門事件が起き、東欧ソ連圏は崩壊していく。宮崎氏がかつて憧れた社会主義の理想は、ついに現実の国家で実現することはなく、最後的崩壊へと至っていく。同時に、日本人はバブル景気に浮かれ、傲慢な拝金主義に基づく開発(自然破壊)行政はピークを迎える。監督作品の明るさとは裏腹に、宮崎氏にとって、もっとも苛立たしい時代であったと思われる。

 続く九二年の「紅の豚」も、本来は小品として企画されたものである。自身で何度も「モラトリアム(支払猶予期間)映画」と語っている通り、本筋を外れて気張らしに企画された作品であった。紆余曲折あって長編大作となったが、これもテーマ性を推し進めた作品ではない。宮崎氏自身「作るべきではなかった」など後々まで後悔しきりの作品であり、「ナウシカ」の先を模索するという課題は、依然として棚上げであった。

 作品準備中、湾岸戦争が勃発した。国連・イラクの両軍共に味方出来ない混沌たる戦争である。民族紛争鎮圧から大国間の核戦争に至るという単純な戦争観は完全に崩壊した。新時代の戦争は、連日ゲームのような映像がテレビ報道され、乏しい現実感の中で確実に人が死んでいくという不気味なハイテク戦争であった。更に、ユーゴスラビア内戦が勃発し、社会主義体制下で最近まで協調していた民族が殺し合うという絶望的事態に至った。これに大きなショックを受けた宮崎氏は、作品の舞台からユーゴスラビアを外したと言う。

 どうやら来る二十一世紀が、核兵器も原発もAIDSもアトピーも環境汚染も人口増大も全て引き継いでグチャグチャになりながら生きていく世紀であることもはっきりとして来た。世紀末の綺麗な滅亡すら夢であった。生き残る方がずっと苦しいのだ。そして、日本ではバブルが崩壊し、現在まで続く長期不況に突入する。

 ますます混沌の度合いを深めていく世界にあって、宮崎氏の作品と社会とは若干の距離が出来てしまった。「少女の自立」も「中年の精神的解放」も、それなりに意義あるテーマではあったが、自己の抱える「世界と向き合う人類的大テーマ」ではない。しかし、皮肉なことにテーマの深化を棚上げにしたこの二作がジブリ史上最大のヒットを記録し、宮崎氏の社会的評価を不動のものにしたのである。

 一方この二作は、漫画版「風の谷のナウシカ」の思想的苦悩を抱えていた反動から生まれた作品と見ることも出来る。前述の漫画版では、ソ連崩壊と時期を同じくして土塊帝国の崩壊を描き、民族紛争の勃発と共に死屍累々たる戦場を描いていたのである。自己内の深刻なテーマは漫画で、映画はその気晴らしとしての娯楽作に分化していた。それは、宮崎氏自身の精神的バランス感覚であったのかも知れない。しかし、この分業は、アニメーションで真剣勝負をしていない―つまり「モラトリアム作品を作ってしまった」という罪悪感を蓄積していくことになる。

 十二年に及んだ漫画版「ナウシカ」の連載をどうにか終わらせた宮崎氏は、次は必然的にアニメーション作品で全ての決着をつけなければならなかった。

「もののけ姫」―ついに最後の一歩を踏む

 「もののけ姫」映画化決定の裏には、宮崎氏の悲壮なまでの「ある決意」があった。それは、自分が抱える「自然と人間」というテーマをとことん掘り下げ、結論のない混沌をそのまま作品にすることである。つまり、モラトリアムを終焉させ、自己規律を破壊することを意味していたのだ。それは同時に、十三年前映画版「風の谷のナウシカ」でどうしても踏み込めなかった最後の一歩を踏みしめることでもあった。

 永年の夢であった凶暴な原生林―「日本の照葉樹林」を舞台とすること。それを破壊する人間の業を描くこと。善悪の区分のない混然たる対立構造、激しい生命のぶつかり合い(殺戮)を描くこと。中世日本を裏で支えた庶民や異民族を描くこと。予定調和のカタルシスを無視したエンタテイメントであること。

 宮崎氏は、これらの取り決めを自らに課して「とことんまで行こう」と決意したのである。宮崎氏の年令と体力と仕事量を考えた時、この果敢(無謀)な試みは驚嘆に価すると言わねばならない。

 作品は、生命倫理の崩壊した世界に、縄文時代の生命観を説き、民族の重力から解放された照葉樹林の風を浴び、なおかつ人間の業も可能性も背負って「生きろ。」と語りかける。それは、混沌と荒廃の世に生きる子どもたちに向けた宮崎氏の最後にして最大のメッセージであった。その評価には賛否両論あろう。残念ながらその是非について詳細に語る誌面はない。

 一言添えるなら、全ての矛盾を背負って「生きろ。」と語る作品の重さは、全ての観客に快く受け止められることはないだろうということだ。すぐに絶賛されたこれまでの明解な作風とは異なり、「もののけ姫」が正確な評価を獲得するまでには今少し時間がかかるだろう。(もっとも、これまでの作品が正確に評価されて来たわけではいが。)何故なら、映画は問いかけの端緒でしかなく、その内側には宮崎氏の手にも負えない「人間と自然」という巨大な物語が内包されているからである。その深さを知りたい方には、とりあえず宮崎氏が意識した人類最古の叙事詩『ギルガメシュ』の後半部を読まれることをお勧めする。

 これまで書いて来たように、宮崎氏は「負債」として抱え込んでいた巨大なテーマを映画「もののけ姫」で吐き出した。それは、集大成と言えるかも知れないが、「ジブリ時代の宮崎作品の完結」とも言えるだろう。宮崎氏自身が語るように、今後も「シニアジブリ」と称して趣味に徹したアニメーション娯楽作を作るのであれば、ひょっとすると十年後には「『もののけ姫』が宮崎監督の真の出発点であった」と言われるかも知れない。一観客としては、そうあって欲しいと願うだけである。

(なお、宮崎氏が深く関わった九五年の近藤喜文監督作品「耳をすませば」についても述べるべきことは多々あるのだが、誌面制約の関係上やむを得ず割愛した。)


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