琥珀の間 (amber room)

歴代ロシア皇帝の夏の離宮であった「エカテリーナ宮殿」にある琥珀の間。琥珀で内装が施された部屋であり、世界にも類を見ないものであるだけに、宝石好きの皆様ならばその存在をご存じだろう。

エカテリーナ宮殿はサンクトペテルブルクの南24kmにあるツァールスコエ・セロ(皇帝の小さな村の意)にある。

琥珀の間に使用された琥珀の総重量は6トン、約10万個に及ぶが、エカテリーナ2世が祝典応接室の名目で1770年に完成させた。ドイツからも多くの琥珀が寄贈されたであろう。エカテリーナ2世はこの部屋をこよなく愛し、自らの許しがなければ入室を認めない禁断の部屋としたという。

 

デザイン画

左のデザイン画の制作モデル

 

ドア付近の琥珀。裏側から彫刻が施されている。

近くから見た壁の様子

琥珀の間には4枚のモザイク画がある。東に2枚、北と南に各1枚ずつである。1枚ずつのモザイク画にはテーマがあり「視覚」「聴覚」「味覚」「触覚と嗅覚」というように人間の5感をあらわしている。最上段の写真、左下に写っているものがそのモザイク画のひとつ。

しかし、この琥珀の間は1941年ナチス・ドイツによって解体され持ち去られ、今尚その所在は不明である。現在のエカテリーナ宮殿にある琥珀の間は、ロシアが国家を挙げて復元した。サンクトペテルブルクに建都300年、ドイツ軍に持ち去られてから62年後の2003年5月のことである。復元には24年かかった。この式典がフランス、エビアン サミットの前だったこともあり、小泉首相はじめ各国首脳が集まった事はまだ記憶に新しいと思うが、その際琥珀の間も各国首脳に披露され日本のテレビでも紹介されたのでご覧になった方もいらっしゃるのでは。もちろん招待された首脳の中にはシュレーダー独首相も含まれている。確かにドイツによって持ち去られた琥珀の間だが、復元に際し、大きな資金提供をしたのもドイツであるそうだ。

1000万年以上の時を掛けて化石化した樹脂である琥珀にとって、これら300年足らずの間に起きた出来事は一瞬のうたかたかもしれないが、人にとって激動の時代を駆け抜けた感想を聞けるものなら教えてもらいたいものだ。

※参考:ロシアの秘宝「琥珀の間」伝説(重延 浩著/日本放送出版協会(NHK出版))

>> アンバー (琥珀)


写真は全てQWANをご主催の中條賢子さんが撮影したものをご厚意により掲載しました。QWANさんのウェブサイトはこちらです。

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