子猫ちゃんを連れて旅に出よう‐SCENARIO#1


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第1話 子猫ちゃんを連れて旅に出よう

    陸・・・・・・・前田このみ
    詩学・・・・・・前田千亜紀


(Reading:前田千亜紀 as 詩学)

 7月の太陽が向日葵の茂みのなかに光の洪水を解き放っていた。 それはガラスの鳥かごのように夏を閉じこめ、 僕の10代最後の季節を象っていた。 僕は大好きなシャツを着て、 大学の図書館へ続く坂道を歩いていた。
 僕の胸の携帯電話が鳴ったのは そんな風に平和で美しい夏のはじまりの真昼のことだった。
「小沢くん?あたし」
「陸?」
携帯電話の不均一なトーンに混じって僕の耳元に恵庭陸の甘い声が届いた。
彼女は僕と同い年の、もう2年越しの僕のラブリーだ。
(キスしかしてないけどね)
「あのね、陸、小沢君にお願いがあるの。訊いてくれる?」
「いいよ。なに?」
「子猫ちゃんを連れて旅にでるの。 ひとりじゃ心細いから、小沢君につきあって欲しいの」

 深い緑の葉の潅木の 向こう側に広がる高いビルの群れが立ち昇る蜃気楼に霞んで城のように見えた。 僕は公園の河に架かった橋の欄干にもたれて、 流れる汗を左手の指でぬぐいながら ポール・オースターの「孤独の発明」を読んでいた。 青いつるりとした彫像のようなロードスターが静かに僕の前に停まった。
「小沢君」
陸がドアを開いて、迷いのない眩しい笑顔を僕に向けた。
「陸、さっきの電話はなに?」
「まま、乗ってよ」
陸は両手を僕に向けて、ちょこんと胸の前に突き出した。 僕は運転席にすわっている女の人を見た。 薄いブルーのTシャツに色の落ちたリーバイスのジーンズをはいた彼女は 形のよい白い歯をみせて「こんにちわ」と言った。
僕も「こんにちわ」と言った。
 水が流れるように音もなく車が発進した。 上手な運転だった。 僕がそう告げると彼女は片目をつむって笑った。 彼女に逢うのは初めてだったけど、 その笑顔は僕をくつろがせ、 ゆったりした気分にしてくれた。 車のなかには静かなボリュームで古いジャズが流れ、 クールな木々の香りに満ちていた。
「小沢君、子猫ちゃんをみたい?」陸が僕の脇腹をつついた。
「かわいいの、まだほんの子猫なの」と運転席の彼女が言った。
陸がチェックのスカーフをつけたフランス製の籐の篭を取り出した。 にゃあ、とちいさな声がして、ふわふわした綿菓子のような子猫が顔を出した。
「飛び出す絵本みたいだ」
「かわいいでしょ?天使みたいでしょ?」
「そうかもね」
 僕は陸をみた。 アニエス・bのぴったりした黒いワンピースの上に クリーム色のルーズなシャツを着た陸はにこにこと子猫に頬ずりをしていた。

 昼顔の花のあいだを通り抜けて落ちるあの水滴よりも、 もっと透明で深い夕暮れが空気をひんやりと湿らせていく。
運転席にすわった彼女がブレーキをゆっくりと踏んで 車は人気のないインター・チェンジに停止した。
「小沢君、コーラ買ってきてくれない?喉が渇いたの」
「はいはい」
僕がドアを開けると運転席の彼女が振り返ってまたあの素敵な白い歯をみせて 「じゃあね」と、微笑んでくれた。
 自動販売機でコーラを買ってもといた場所に戻ると、 陸がリュックに座り込んで わずかに赤みを帯びた金色の太陽が地平線に沈んでゆくのをひとりで見ていた。 「お姉さんは?車はどこにいったの?」
「金沢。だからここまででさよならなの。」
「さよならって・・・ どういうこと?彼女は君の友達なんじゃないの?」
「友達よ。今日知り合ったばかりだけど」
「今日って?」
「ヒッチハイクしたの。 送って貰おうと思って。 だって、あたしお金がなかったから。 でも、ここからさきはあたしと小沢君がふたりでいくの」
「え?」
僕は混乱した。
「ここからって、どういうことなの? 僕達はいったいどこまで猫を届けに行くわけ?」
「函館」と陸は何でもなさそうに言った。


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「子猫ちゃんを連れて旅に出よう‐ストーリー」のページ#2


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