（注）このシナリオは、著作権者である MADARA PROJECT の許可を得て
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複製を禁じます。
また、録音の都合により、放送された内容とシナリオとが異なって
いる箇所があります。ご了承下さい。
国境は遥か彼方の氷原にあった。
真綿のように白いワンピースに身を包んだ人魚は透明で、
微かに青い月の光に消え入りそうに儚かった。
僕はその時、
何も知らない子どもだった。
彼女は優しく僕を待っていた。
彼女も僕と同じように、
彼女を守る共同体を遺棄するのだ。
僕のかりた家具付きの部屋には、
食堂用の簡単なテーブルセットと小さなソファーと、
教会用の古い椅子が置いてあった。
綿のように真っ白なワンピースを着た人魚がその椅子に座った。
長い髪が肩から腕からこぼれ落ちて、
天使の羽のように輝いてみえた。
人魚は琥珀に鎖を通して胸にかけていた。
そして、
僕はその約束を守ることができなかった。
国境の果て、
永い防波堤の続く海岸線で、
人魚は撃たれて死んだ。
撃たれたとき、
人魚は僕を見て微かに微笑んだ。
雪原に散らばった赤い血痕を指差して、
苺畑みたいね、
と言った。
そして僕は生き残り、
癒しようもなく開いたままの傷を抱えて、
雪に閉じこめられた冬の教室で、
放課後を過ごしてゆく。
教室の窓は硬く冷たい鉄格子で覆われ、
僕は沈黙のなかで、
人魚がドアをあける、
失われた瞬間を待ち続ける。
一度だけ、
扉が開いた。
そこには見たことのない大きな犬を連れた老人がたっていた。
人魚が唱えた夏の物語のように、
僕を眠りに誘う物語を僕は僕の内側にさがし続けている。
死は存在する。
僕は死を求めながらも、
それにあらがい、
生を生き続けている。
人魚、
いまはもう存在しない君を再生させるために、
僕はこの世界の片隅で生き続けている・・・・
「千野君、
あたしは事実を、
あたしたちから遮蔽されている真実を知りたいだけなの。
千野君、
あなたは私に隠したりはしないよね・・・・
真昼の月のように、
あなたはこの場所にいつづける不快を感じている。
あなたは外地からきたストレンジャーだもの。
月のように、
あなたは私を哀しい目で、
見ているもの・・」
僕はどうすべきだったのだろう？
もういまではわからない。
真実なんて、
現実に存在するのだろうか。
その瞬間、
それが訪れて僕の心を支配しても、
３０秒にはそれは跡形もなく消えてゆく。
日々の泡のように、
それは儚く、
僕達は信じる夢を持たない。
はっきりとわかることは僕に安らかな眠りが訪れる日が、
もう永遠にこない、
ということだけだった。
「この琥珀のなかの青い花はいつここに閉じこめられたのかな。
琥珀を壊したら、
青い花も壊れてしまうのかな・・・・」
僕は振り向いて人魚をみたけれど、
人魚が優しく微笑んだので、
僕はその意味に気付かなかった。
「明日の朝早く、
北の森をぬけよう。
その向こうには海がある。
海流に乗って、
この世界の外に行こう。
二人だけで、
遠くまで行くんだ。
国境警備隊のことなら大丈夫だよ、
僕は以前軍にいたから、
どんなシステムになってるか、
わかるんだ。
心配しなくていい」」
人魚が不思議そうに僕をみた。
その瞳のまえで、
僕は誰にも言えなかった言葉を告げた。
「北方４島に移らなかった日本人はね、
徴収されて他国籍軍の兵士になる、
というのが新しく制定された法律だったんだ。
僕は徴兵忌避のために、
ここにきた・・・・
家族も、
家も、
新しい国籍も捨ててね・・・・
逃げてきたんだ」
大陸から吹く鋭い風が窓を激しく叩いていた。
「いいのよ、
逃げても・・・」
「人を殺したくないんだ・・・・
殺したくなかったんだ・・・
でも、僕には家族がいた・・・
僕が逃げ出して、
父さんや、
母さんは・・・」
「千野君、
世界の崩壊のなかにも存在があるのね・・・
この青い花のように、
閉じこめられても、
生きている。
でも、
この花は永遠に形を変えない・・・・
生まれ落ちても、
命があっても、
それだけはほんとに生きているとはいえないの。
私は光なしで生きていた。
でも、
その時のあたしは、
まだ生まれていないあたしだった。
千野君、
世界の崩壊のなかで無差別に飲み込まれるないために、
あたしたち国境を越えるんでしょう？
海を渡って、
遠い世界にいくんでしょう？
あたしたち、
逃げ出すんじゃないわ。
そうでしょう？」
僕は人魚が変わったことに気付いた。
人魚はもう金色の琥珀に閉じこめられてはいなかった。
眩しい光を浴びたことのない、
色素のうすい貝殻のような足を投げ出して、
人魚は僕をみていた。
僕は一瞬まえまでそのくちびるにふれることができた。。
柔らかな曲線を描く胸も、
そこに封印された言葉にも手を重ねた。
けれど今の彼女にふれることはできない。
人魚は侵しがたい聖域のなかの天使のように、
その場所に存在していた。
彼女はフェアリーティルのように、
なにかを奪われて、
生の側に引き渡された。
彼女はもう充分に傷ついた。
僕は彼女を壊せない。
僕は自由を奪われて、
始めて彼女を愛し始めていると感じていた。
「千野くん、
わたしに夏をみせてね。
その代わりに、
私は千野くんの家族になるから。
千野君が眠れないときは、
千野くんのかわりに覚醒して、
夜の鼓動を聴いている。
あなたの側にいる。
人魚、
もう泣かないの。
あたしたちは失われてはいない。
破滅や終末をくぐって、
生き残ってゆけるの。
千野君、
あたしは夢から醒めた鳥になるから・・・・
長い間あたしたちを押さえつけ、
支配してきた暴力や、
孤立の代わりに・・・・私たちは飛び立てるわ。
遥か彼方まで、
連れていってね・・・・・」
撃ったのは多国籍軍の兵士だった。
彼は国境線を走る僕たちの名前を叫んだ。
僕は軍にいた経験からなにも学んでいなかったことをその時に知る。
僕たちは琥珀のなかに閉じこめられた小さな化石にすぎないのだ。
僕が銃を持っていることも、
僕達の名前や行動の意味も、
彼らは知っていたのだ。
人魚を撃った兵士の胸には、
ｋ・ＯＯＥと書かれていた。
彼はヘルメット越しに表情を隠して人魚は自分のものだ、
と言った。
僕が彼女の胸に記した文字を君は見なかったのか？
絵本でみたの。
こんな夏の、
風景。
みせてくれたね、
ありがとう。
千野くん、
あたし、
こうなることを知ってしたの。
でもね、
もうこれであたしは誰にも所有されないから。
あたしは自由になれるから。
哀しまないでね。
胸の琥珀が割れて、
青い花がみるみる壊れてゆく。
どうして？
どうして人魚が死ななければならないんだ？
彼女は夏がみたいだけなのに。
僕はただ人を殺したくなかっただけなのに。
僕らは何故剥奪されなければならないんだろう？
多国籍軍が、
人魚を撃った兵士が人魚の硬く閉ざした躰を銃の先端で開いてゆく。
ほらね、
みてごらん。
僕が記した文字だよ。
暗闇で、
生を受けたばかりのこの子に僕がつけた、
聖痕だ。
この子は僕が所有するために暗闇に閉じこめていたんだ。
一度はなくしてしまったけどね。
この子が隠れていてもわかるようにと、
こうして徴をつけておいたんだ。
やっとこの手に取り戻すことができた・・・・
人魚の綺麗な胸が白い雪に侵されてゆく。
完遂されない世界戦争に打ちのめされてゆく。
沈黙。
語るべき言葉はないのだ。
僕は銃を取り出す。
ゆっくりと銃口を、
人魚を侵している存在に向ける。
殺したくない。
僕は殺したくなんか、
戦いたくなんかなかった。
僕は何度も引き金をひく。
衝撃が腕を痺れさせ、
意識を後退させてゆく。
僕は愛したかった。
人魚、
君に夏を見せたかった。
彼は奇妙なアクセントで、
人魚は海に還した、
と言った。
今頃は海流に乗って、
夏の岸辺にたどりついている頃さ・・・・
僕はこぼれる涙を止めることができなかった。
僕達が選んだ道は罪と死がその糧だった。
けれどその上には永遠に輝く小さな魂が光っている。
僕は外部を経験し、
世界に帰還した。
僕は忘却の名のもとに、
それをおしやることができない。
僕は、
僕が経験した外部を僕の存在の根底に組み込まなければならない。
けれど、
そんな物語をどうやって紡ぎ出せばいいのだろう。
千野君、
あたしは自分を惜しんだり、
しない。あなたが望むなら、
あたしの全てを、
あなたにあげる。
・・・・哀しまないで。
自由を畏れないで・・・・
空に、飛び立ってね・・・
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