パリの小奇麗なビジネスホテルに着くと、僕は早速、ベッドの上で旅行用トランクを開いた。
窓の外はもうすっかり夜になっていた。時折、木枯らしが冬の街路樹を撫でていく様子を、
街灯が静かに照らしていた。
慎重にトランクの中身を取り出すと幾重にも巻かれていた梱包材で
部屋はすぐにいっぱいになった。
中からシンセサイザーが二機、姿をあらわす。灰色で平べったいそのボディーの上には
ツマミやスイッチが整然と並び、鈍い光を放っていた。
外見は特に異常は無いようだ。
流線型のボディーのふちに指を滑らせると、二枚貝がビーナスを産むかのように
上下二つに口をひらく。中の配線にも破損した様子は無さそうである。
しかし、胸を撫で下ろすのはまだ早い。明日の晩のステージで確実に音が出なければならない。
僕は落ち着いて、それぞれのマシンに電池をセットする。そして、電源スイッチに指を伸ばした…
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"CHERCHE TOKYO"
2001年12月初め、我々、ナーブ・ネット・ノイズはパリに降り立った。
ナーブ・ネット・ノイズとしては初の海外ライブである。
ステージとなるのはセーヌ川の片隅に浮かぶ小型船を改造したBatofar というクラブだ。
そこで10日間にわたり、現代の日本を紹介するイベントが行われる。
映像、パフォーマンス、ディスカッション、ウェブサイトなどを通して、多角的な視点で
今の日本の文化を紹介していく。
映像作品の上映とライブやDJなどで毎晩遅くまで盛り上がる一方、
ウェブサイトでは豊富な写真や文章などで日本の様々な様子をライブとリンクさせながら
考察している。インターネット中継なども行う。かなり本格的で大掛かりなものだ。
その初日の、しかも一番初めのライブステージを、我々は任される事となっていた。
トランクから取り出した二つのシンセサイザーは、そのライブのために作った新作である。
名前はまだ決めてない。
正確に言うなら、まだ制作の途中だった。
下地用の灰色のサーフェイサーに鉛筆で機能が直接走り書きしてある。
つまみのいくつかはまだボリュームに取り付けられていないし、
ボリューム自体付いていない所はFRPの滑らかなボディーにただ穴が開いているだけだ。
パリへ出発する三日前の朝、二つのマシンはようやくその産声を
あげたばかりであった。
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制作は遅れに遅れた。抵抗やコンデンサーをひとつひとつはんだ付けし、音を聞きながら
少しずつ回路を付け足していくという、相変わらずの効率の悪い方法だった。
前に作った時の回路図を参考にしてはいるが、製造中止になった部品などもあり、
なかなか思うようにははかどらない。何とか演奏ができる程度にまではなったものの、
調整を十分にしていないため、たまに突然音が出なくなったりもする。
それでも、今回は絶対に新しいマシンで演奏しなければならなかった。
今まで制作したマシンは3台。そのうち2台は
2000年夏、プノンペンモデルのヨーロッパツアーに参加したときに
破損していた。
それを直したところで、運送中に再び破損することは目に見えている。
空港での手荒い扱いに耐える機材を作る必要があった。
小さくて頑丈なボディー、電池周りの改善、衝撃を逃がすような基盤の取り付け、
開閉の仕組みの見直し、もちろん、回路の
新しいアイディアを盛り込むこと、そして、今までの物より、さらに、さらにカッコいいこと。
これらの条件を満たしたシンセサイザーを最低二機、作らなければならなかった。
◆
ところが、破損のほかに心配事が増えることとなった。
ニューヨークでのテロの影響で、空港での荷物チェックが
とても厳しくなっているのだ。心の中を数々の不安が渦巻いた。
僕のシンセサイザーはすごく怪しい。
航空機を狂わす装置か、爆発物に間違えられかねない。
手荷物として機内に持ち込むのはあきらめる事にしても、
まず取り調べはまぬがれないだろう。
そのときは音を鳴らして、中身を全部見せれば
専門家なら分かってくれるに違いない。
しかし、取調べさえしてもらえず、つかまるかもしれない。
僕は怪しまれると、いつもたちまち挙動不審になってしまう。
すんなり通るものも通らなくなってしまう。
飛行機にすら乗せてもらえないかもしれない。
あるいは、パリの空港で捕まる、という悪夢も頭をよぎる。
それらのすべての可能性に出来るだけ対応できるよう、
準備を進めなくてはならなかった。
◆
怪しいシンセサイザー、これはもうしょうがない。
どこにも無いような未来的なかっこ良さは、同時に怪さを帯びる。
そのことに気づき、よし、と膝をたたいて立ち上がった。
ひげを丁寧にそり、新しいジーパンを購入した。
ギクシャクした態度はテンションを上げて臨めば乗り切れるだろう。
電池、スピーカー内臓なので、取調べとなればどこででも
すぐに音を出すことが出来る。ふたの開閉もスムーズなので、
中の配線をすぐに全て見せることもできる。
しかし、音を出したら、逆に怪しまれるかもしれない。
これは楽器ですよと説得できるような音は、あまり出ない。
中身は、これがまたちょっと怪しい。
空中配線で、ボディーに部品をじかにつけてあり、普通の電子機器というよりは
破壊工作の道具に見た目近い。
例えば、タッパーをボディーとしたような、極々単純な発振器を作り、
予備として持っていこうか。メインのマシンが通らないときは
それで何とか演奏する。或いはラジオの中身をくりぬいて
発振回路に差し替えたものを作るか。いっそのこと
部品をバラバラに持っていってホテルで徹夜で組み立てるか。
いろいろ工夫を凝らすほうがよっぽどテロっぽい事に気づき、
シンセはそのまま持っていこうと思った。
CDRに音を焼いて持っていき、シンセが使えないときはそれを代用とするほうが
現実的だ。
パリの空港で一人で捕まった時のために、
パリの友人に電話で通訳してもらえるよう、たのんだ。
事前に空港に持っていってチェックしてもらえるか問い合わせてみたが、
だめだった。しかし、凶器でなければ恐らく大丈夫だという話しだった。
荷物の検査は基本的に航空会社に任されているらしかった。
◆
荷物チェックは難なく通過した。
むしろ、ズボンのベルトが何度も金属探知機に引っ掛かり、恥ずかしかった。
考えてみればちゃんとした就労ビザもある。
そこには何かの立派な判とサインと連絡先がある。
テンションを上げていたのでホッと一息つく余裕も無く、
一気にパリの空港に降り立った。
冬のパリの気温は思ったより低くなかった。
夕方の帰宅ラッシュでか、パリ市内へ向かう高速は渋滞だった。
空はびっしりと厚い雲に覆われ、小雨が降ったり止んだりの天気だった。
僕は、疲労と興奮と不安のせいでぐったりしていた。
しかしホテルに着いたらすぐに、シンセの安否を確かめなければならない。
無事かどうかは音を出してみるまで分からない。
壊れていたら、すぐに修理をする。そのための道具と回路図と余分な部品も
用意してある。
今回は旅行用トランクの中にシンセと電池だけを入れ、隙間に大量の
エア・パッキングと衣類をつめ込んである。
大抵の衝撃ならこれで大丈夫だろう。
ホテルのベッドの上でトランクをひろげ、取り出したシンセに電池をセットする。
電源スイッチを入れると、二つのマシンはその歌声を奏ではじめた。
LEDの点滅が、無事を知らせるウインクのように見えた。
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一息ついて、我々は会場を下見に行くことにした。
ホテルから歩いて10分ほどである。
Batofer は、赤く輝いて岸に停泊していた。
赤い赤いとは聞いていたが、実際にすごく赤かった。
船体はペンキで赤く塗られており、白でBATOFERと書かれている。
それがライトアップされて、セーヌ川の暗い片隅で赤い光を放って浮かんでいるのだった。
中央に鉄骨製の灯台が立っていて、先端から様々な色の光を発し、回転していた。
思ったより小型だったが、その怪しい輝きに魅せられずにはいられない。
これから始まるイベントへの期待と不安の中、我々はその船へと吸い寄せられていった。
デッキを伝って、船の中へと続く急な階段を降りる。
中ではスタッフが明日への準備に追われていた。
音響の調整のため、フロアではすでにドラムンベースが軽快なリズムを刻んでいた。
ステージの下にはバカでかいウーハーが腰を据え、
低音も高音も、かなり歯切れ良く響いている。
フロアをはさんでステージの反対側には、真鍮製の、現代彫刻のようなバーがあり、その上には
制御卓やコンピュータがぎっしりと詰め込まれている。
船内のいたるところ、ステージも、壁面も、椅子も、トイレも、
溶接でこしらえた発明品のようだった。
そしてそれらの磨かれた表面が、赤や緑や青やそのほか沢山の照明やネオンを常に反射している。
どっちを向いても鮮やかな色彩が重く鈍く反射している。
響き渡る軽快なリズム。SFの地下組織のアジトに迷い込んだかのような自分。
一方でレストランとして利用している船室は、木製のベンチとテーブルを
そのまま利用し、なごめる空間となっている。
白熱灯が、分厚く塗り重ねられた白ペンキの壁を柔らかく照らす。
煙草を吸わない人でも片手にパイプを持って船乗り風に気取りたくなる。
ダンスフロアとは一味違った暖かい手触りとこの船の歴史が、そうさせるのだ。
フランス人スタッフとの挨拶の緊張や旅の疲れも忘れ、
僕の心はドラムンベースで弾んでいた。
明日のライブがすっかり楽しみになってしまった。
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部屋に戻ると、僕は再びシンセサイザーと向かい合った。
ベッドの上に道具を並べ、いくつか、まだボリュームの金属がむき出しになった
部分に、プラスチックの黒いつまみを取り付けていく。
つまみのねじを締めながら、僕は1年半前の事を思い出していた。
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2000年8月、新宿のクラブ「OPEN」で、フレンチポップスのバンド、
「ドラジビス」の来日ライブを記念して、
彼らを囲むパーティー&ライブが行われた。
「ドラジビス」の中心となるフランクとロウは、
映画からそのまま出てきたようなカッコいいカップルだ。
昔からの日本好きで、もう、何度も来日しているし、
日本にファンや友人も沢山いる。
プノンペンモデル2000年ヨーロッパツアーの時にも色々とお世話になった。
そんな彼らを歓迎するライブで、ドラジビスのメンバーや
プノンペンモデルの面々、主催の中里氏たちと一緒に演奏させてもらった。
機材の片づけをしているとき、フランクとロウが僕に話し掛けてきた。
二人とも背が高いし、絵に描いたようにとてもカッコいいので、向かい合って話すと
僕はいつも緊張してしまう。英語の下手な僕に、フランクはゆっくりと
話してくれた。
「来年の12月に、イベントを計画している。
飛行機のチケットも用意するし、キミもまたパリに来れるよ。」
多分、そんな内容だったのだと思う。そのヒヤリングが正しければ、
僕にとっては飛び上がるほど嬉しいニュースである。
しかし僕は、それをどう確かめてよいかもわからず、何と答えてよいかもわからず、
ただオロオロとするばかりだった。次第に心の中で、英語のわからない自分を責め始めた。
そんな僕の様子をフランクは察し、笑いながら、いいよ、いいよ、後で分かるさ、
という感じのことを言い、少し改まった後、二人はさらにゆっくり、
一言ひとこと、噛み砕くように言った。
We ... like ... you ...
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だが彼らが大きく広げた両腕にそれでもまだ答えられない自分がいた。
戸惑いと不安が大きく僕の心を占めた。
自分は彼らと仲良くしてもらえる価値があるのか?
世界中の人と仲良くなれればそれに越したことは無い。
しかし、僕の頭脳はとても不自由な塊だ。
みんなに会いたい。
しかし、一方で、優しさに答えきれない自分がいる。
うれしさの中に身をゆだね切れない自分
みんなに何も返せない自分
壁を作っている自分
何も信じられない自分
何も出来ない自分
怖がってる自分
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その壁の中でもがくかのように、僕は新たなシンセサイザーを作り始めた。
是が非でも、作らねばならなかった。
制作はいわば、僕にとってのチケットだと思った。
誰も見たことの無いシンセサイザーを作りつづける。
音とは何か? 音作りとは何か? 音楽とは何か? 世界とは何か? 未来とは何か?
それらの答えとしてのシンセサイザーであり、演奏であり、録音であり、
製作を通じて世界の歴史を少しずつ、一歩ずつ、進める。
だからこそ、次のステージでは新しいシンセサイザーが鳴り響いていなければならなかった。
丈夫で、小型で、しかも最高にカッコいいシンセサイザーが、
最高に最高にカッコいい音で鳴り響いていなければならなかった。
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それから1年半が経ち、ついに待ちに待ったステージの日を迎えた。
前日とは打って変わって、とてもよく晴れた。
夕方、リハーサルに向けて荷造りをするホテルの窓から強い西日が差し込んだ。
建物の隙間を縫って、とても輝く太陽が真っ正面から僕を串刺しにした。
その夜、Batofar は、満員だった。
友人達も、両手を広げて歓迎してくれた。
初日とあってか、フランスとドイツのテレビ局が取材にきていた。
中に入りきれない人達が寒空の下、いつまでも並んで待っていた。
映像作品の上映やDJが終わると、いよいよ僕らの出番となる。
ステージの上でシンセサイザーが唸り始めると、
それまでのざわめきがフッと掻き消えた。
カメラ・クルーもレンズの動きを止める。長い照明の尾がいくつも集まる。
世界は、静まり返ったフロアと低い金属音だけとなる。
僕は、ボリュームを徐々に上げていった。
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