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以下は、10年程前に農業土木関係の学会誌に書いた文章です。「しろうとのみた」というのは、私が農業土木の門外漢という意味です。なにせ古いものなので、本来はその後のフォローをすべきなのですが、当時の私の一つの記録として、数箇所の不適切な語句の修正のみにとどめて、ほぼ原型のまま掲載します。(1999.11.14)

しろうとのみた柳川掘割物語


1 幻想の中の柳川−あまりに文学的な

 かつて、毎日のように名画座に足を運んでは、暗闇の中で展開される虚構の世界から多くの勇気を得ていたころがあったものだが、最近は映画館からも足が遠のき、映画によって感動を覚えるなんてこともなくなってきた。ああタネールよブニュエルよ君達はどこへいったと呟いてみても、こちらが相当の決意でそれらの作品に臨まないかぎり、決して向こうから応えてくれることはない。これは、映画だけでなく大江とかマーラーとかの小説や音楽についても言えることで、そういう世界から遠ざかったのは、私が仕事の忙しさにかまけて易きに流れているからに違いない。

 このように、文化的に貧困な生活を送っている私を、久しぶりに映画館に足を運ばせたのが宮崎駿の「魔女の宅急便」だった。アニメといって侮ることなかれ。まさに勇気が出る映画だ。「未来少年コナン」以来、監督を意識して観るようになった数少ないアニメ作家の最新作だが、「風の谷のナウシカ」など原作を含め何回観、読み直しただろう。産業社会に対する自然からの反撃の象徴である王蟲とナウシカとの関係は・・・。

 おっと、ここで、ナウシカ論を始めたら与えられた紙面が尽きてしまう。だいたいナウシカと「農業土木」と何の関係があるんだ、と編集担当者に怒鳴られそうなので、早く本題に入るとして、「魔女の宅急便」を観て思いだしたのがその宮崎駿が撮ったドキュメンタリー映画の「柳川堀割物語」(製作・宮崎駿、脚本監督・高畑勳)だったのである。これがまた、ハードな映画なのだ。

 映画から話を始めたので柳川を舞台にした作品ををついでに出せば、大林宣彦が福永武彦の小説を映画化した「廃市」がある。私が初めて柳川を知ったのがこれだった。日本のベニスともいうべき水路の町、風情あふれる町並み。「廃市」を観ると、柳川は、文化的で情緒的な、そしてあまりに文化が熟しすぎて退廃的な町だ、というイメージをうける。そして、それは、街じゅう張り巡らされた水路からくるイメージである。実際、北原白秋や壇一雄らの文学者を産んでおり、由ないことではないのだが、「廃市」では、あまりに美しく、はかないくらい美しく描写されている。

 実は、去年の夏にその柳川を訪れた。現に、美しい水路であった。しかしながら、その美しさからは、決して文学的な、換言すれば観光客向けの美しさを感じることはできなかった。水路は悲しく叫んでいるように、私には感じられた。それというのも、「柳川堀割物語」をみて、美しい水路の裏にある物語を知っていたからである。そして、「柳川堀割物語」の主人公である広松伝さんに会いにいくのがこの旅の目的だったからである。美しい水路に隠されたもの、それは、何か。

2 柳川の旅−この水路は何なんだ

 博多から西鉄特急で約1時間。台風一過の、うだるような暑さのなかを私たちは駅を降り立った。前日、博多の親不孝通りの飲み屋で、フラフラになってトイレに行ったら、「現在の○○○ダムの貯水量×××パーセント−節水願います」とあって、目が醒めてしまったのだが、水不足に悩むこの地にもかかわらず、車窓から眺める水田・ため池・水路に豊かにたゆる水が第一印象だった。

 駅前では「川下りコース」の客引きがお出迎え。さっそく船で水路を下る。最初は幅5メートル位の川で、どこが柳川だ、ただ暑いだけでたまらんとフーフー言ってたら、急に狭い水路へと入り込み、そこは、まさに別世界。水路の両わきに直接民家が接し、いわば玄関のように家の裏口から水路におりる階段がついている。水路そのものが、道なのだ。船頭さんが「この水路から水を汲み、濾しガメってやつでこして、飲みよったわけです。排水は決してそのまま流さず、庭に掘ったタンボっていう穴にいれてね。そのうえで流していた。いまはこうやって、汚れていますが、やっぱし水は大切にしないとですね」と説明する。前から上りの船がやってくる。「こんちわー」といってすれ違う。「柳川高校」と書かれた船が留まっている。なにやら水質検査をしているようだ。女高生が「こんにちわー」と声を掛けてくる。みとれていると船頭さんの声。「頭を下げてください」。前に橋が迫っている。柳川の橋づくしだ。水路が急に狭くなる。堰の役割をしているという。説明すると長くなるが、柳川の水路網の供給源は意外に乏しく、ただ一本の川だけであり、それも先の博多のトイレの話にもあったように、渇水が多い。水はわずかな勾配でも「流れ」てしまうので、網の目の水路全体に水をゆきわたらせる工夫が必要で、その工夫の一つだというわけだ。

 私にはどうもその仕組みがよくわからないが、精密機械のように、水の流れを自動的にコントロールしているという。と、夢中になってあっという間の1時間。船は終点にたどりつく。さて、名物、うなぎのセイロ蒸しを食べて、白秋生家へと・・・。

 福岡県柳川市は5万人弱の小都市だ。有明海に注ぐ筑後川の左岸に位置する柳川市は、縦横不規則に大規模な堀割が巡らされ、水面の占める割合は土地面積の20パーセントを占め、6キロメートル四方の柳川市全体で総延長470キロメートルに達するという。そもそもこの水路はなぜつくられたのだろうか。

 答えは一つ。それなしには生活できなかったからだ。

 この水路は、柳川の立地条件に適した水利システムを求めた先人たちの歴史の結晶である。町がまずあって水路を掘ったのではなく、水路を掘りながら町を作っていったという。江戸時代初頭、17世紀のことだった。

 一般に日本の水利施設は立地条件に応じて、ため池・クリーク(水路網)・河川用水の3類型が形造られたといわれるが、柳川の水路はクリークの典型といってよい。

 柳川の特異な立地条件としてまずあげられるのが、有明海というのが日本で最も干満差の大きな海で、潮位差7メートルに達する。柳川市の市街地で標高3メートルだからどういうことになるか。海の方が高い。従って、雨が降っても排水ができない。潮が引くまでどこかに溜めておかなければならない。そこで、水路に「貯水」する。

 一方、筑後平野は、満性的な水不足で、江戸時代から「水争い」が絶えなかった。日照りが続くと、上流で水が取り尽くされ柳川まで届かない。かといって、地盤が弱く井戸も利用できない。そこで、水路の水を反復利用する。

 川から流れる貴重な水や雨水を多くの水路によって土地につなぎとめ、これを農業用水として、生活用水として反復利用して、また、海の潮から守る。水の流れを、水門・堰で微妙にコントロールして、少しの無駄もなく活用しつくす。水路は、水に悩み続けた柳川の人々が、まさに歴史から学んだ知恵だといってよい。

3 柳川堀割物語−水路の再生の物語

 このやり方は、例えば、巨大なパイプで一気にかなたへ排水し、一方、遠隔地のどことも知れない土地のダムから水をもってくる、という「近代的」なやりかたとは対照的である。

 ここでどちらがよいかという評価は差し控えるが、柳川のやり方が、その維持にめんどくささがつきまとうのは、否定できない。そして、実際に柳川の水路も存続の危機が訪れた。

 時は昭和45年。高度成長期のまっただ中だ。水路にはごみが捨てられ、流れが止まる。悪臭が漂い、蚊が湧く。新聞は「ブーン蚊都市柳川」「水郷は泣いています」と嘲った。市は、水路をきれいにすることもできず、しかたなく、臭い水にはフタをと、下水道にしてしまうという計画をたてたのである。当時の水路の状況をみれば、最善の策と思われた。

 ここで登場するのが、広松伝さんである。このはなしは、伝説的といってもよいが、広松さんは、都市下水道計画が国庫補助対象となり着手にかかるちょうどその年に、他部局から移ってきて、担当係長となる。新聞等で「係長の反乱」と報じられた、その後の経緯は、ここでは詳しく書かないが、市長への直訴、そしてなによりも住民の協力が必要だということで、水路の大切さを、何度も何度も、2年間で100回も町内会へ足を運び、訴える。そして、自ら先頭にたって、ドブ川となった水路に入りしゅんせつを行った。次第に住民も協力し始めて、しゅんせつに参加、以前のようにゴミも捨てなくなり、住民の手による維持管理体制が確立する。ここまで3年半。水路は、ここに、なんとか生き残ったのである。

4 水は私の命ですけん

 水は私の命ですけん。広松さんがよく口にする言葉である。

 私のような者が訪ねにいっても、気軽に会ってくれた、広松さんのことを、ここでどう書けばいいのか。それを書いてみんなに伝えるのが私の使命だと思いこの原稿を引き受けたのだが、やはりうまく書けそうもない。一緒に柳川の街を飲み歩き、翌朝夜明け前から、有明海に繰り出し、タコ釣りを楽しんだことは書けるのだが、そのあとがつながらない。

 以下は、広松さんへ書いたお礼の手紙の一部だ。言葉にならない理由が書かれているので、ちょっと恥ずかしいが引用する。

「拝啓
 先日、7月29、30日は、お忙しい中をたいへんお世話になってしまって感謝しております。ありがとうございました。帰途の電車の中で、Kさんと二人で広松さんとの2日間を思いだし、感激にしたっていました。職場に戻ってからも、しばらく仲間のあいだで柳川のこと広松さんのことでもちきりでした。そして今、再び、私の心の中に刻まれたものを反芻しています。
 刻まれた、というのはこういうことです。広松さんが、「水は私の命です」とか「住民参加とは、住民自らが自らのことをおこなうことです」などと言われたことの、深さは、あの2日間を「感激」したと満足し、まるで観光旅行の思い出みたいに(実際、観光旅行だったわけですが)アルバムに大切に保存することを拒否するものをかんじるのです。つまり、私はまだまだその深さを本当には理解していないな。理解したつもりになるのはもってのほかだな、と思わせるのです。広松さんの言葉の迫力は、組織の中でそれなりにやっているつもりの自分はまだまだ甘いのだということをしらしめ、もっと実践(というか現場の中で泥まみれになる、といったほうがよいかな)をしつこくおこなわなければならないことを悟らせたわけです。
 ですから、次にお会いできる機会までに、ぜひ私自身が話すべきもの、つまりなんらかの実践の中でにじみでるような言葉をもって、じっくりとお話したいな、と思っているわけです。それが、最高のおみやげだと思いますから・・・」 

 命をかけた仕事、言葉にするはやさしいが、広松さんに会ってはじめて、それがどういうことか伝わってくる。一人の担当者が、ひとつの計画に抗して、ことを起こし、これを覆すというのは容易なことではない。そこに、エモーションとでもいうべきものがなければ、やっていけないだろう。自分をいやもおうもなく衝き動かすものがなければ。それが「水は、私の命ですけん」ということなのだろう。そして、今の私に一番欠けているのが、このエモーションなのだろう。そういった思いが、上のような手紙を書かせたのだった。

5 水路の再生から水の再生へ

 さて、柳川の水路は再生した。そこには広松さんをはじめ、市役所、そして住民の懸命な努力があったことを、ここでは、知っていただけたればよいと思う。美しい水路は、そこにただあるだけではなく、第一に江戸時代からの歴史の知恵があったこと、そして、第二に現代という便利な世の中にあって、自然とのつきあい、水とのめんどくさいつきあいを皆が忘れた時代にあって、めんどくささを忘れずにつきあっているからこそ、存続しているわけだ。

 しかしながら、柳川の水路をを流れる水は必ずしもきれいだとはいえない。人口が増え、自然の浄化力のキャパシティを超えているためだ。さきに水路は用排兼用だといったが、これを飲み水につかえるというのは、水路の自然の浄化力が勝っていたからである。ヒトが増えれば汚れが勝ってしまう。

 ならば、ヒトの方で捨て方に気をつけなければと、広松さんは最近、「石井式浄化槽(第一工大式)」を自宅に設置して、これを広めようとしている。

 水処理は、下水道で汚物を集めて一括処理する方向で進んでいる。「近代化」のバロメータとして下水道普及率がよくつかわれる。それにより、河川はきれいになる、といわれる。確かに、河川の上流に排水せずそれを迂回して下流に排水するのだから、そのあいだの部分は、汚れないかも知れない。しかし、広松さんは言う。

 「自分たちが自然界の一員だということをみんな下水道によって忘れてしまうわけですね。都合の悪いものはどんどん自分の生活圏から外へ出してしまう。これが恐ろしいわけです。身勝手になってしまいまして。私はいつも水は土にかえってはじめて再生されるということをいっておりますけど、ちょうど現在の下水道というのは、水が土にかえって再生される部分をパスしてですね、通り越して向こうに流してる。グローバルに考えますと、水循環の輪をますます断ち切っている」(後掲文献3、P51)

 そのうえ、大規模処理場の処理水がかえって汚染源になる場合があり、淀川流域等で問題になっているようだが、ここでは、現代の私たちの水に対する考え方に対する問題提起を重視したい。

 自然の微生物によって処理しきれるくらいまでは、ヒトのほうで排水処理を手伝ってからながす。それもひとりひとりがそれを行う。こういう考えで、「石井式浄化槽」を導入しているのだ。

 現在、下水道が整備されていない地域で普及している家庭用の小型合併浄化槽は、BOD20ppm以下というのが規制値である。BODとは、生物化学的酸素要求量の略で水の中の有機物が微生物によって分解されるときに必要な酸素の量を表す。水の汚れを表す代表的な値である。だいたい10ppmで腐敗水、3ppmでハヤが住める普通の川程度、1ppmでイワナが住める非常にきれいな水で、そのまま飲める。20ppmは、かなり甘い基準といえる。

 「石井式浄化槽」は、家庭用のもので普通の庭の地下に設置ができるものだが、BODがなんと1ppmである。技術的な点は、参考文献に譲るが、特徴的なのは、汚物の分解の役割を担う微生物のいわばベッドのろ材として、ヤクルトのビンを使っている点だ。わたしも、広松さん宅の浄化槽をみせてもらったのだが、し尿・生活雑排水をためたタンクの臭いプンプンの腐った水が、何日もかかって、微生物の住んでいる2万個のヤクルトのビンを通り抜けて行き、しまいには、臭いの少しもない、透明な水になる姿をみた、驚きはたとえようもない。浄化槽の概念を覆すものだ。私は胃に自信がないので躊躇したが、一緒に行ったK氏はうまいうまいと飲んでしまった(彼は、その晩ひどく悪酔いしたが、因果関係は明かでない)。さすがに、広松宅でも飲み水には使っていないが(塩素で消毒すれば、充分飲めるが、一度塩素を入れると排水にまで塩素が出てしまうのでできるだけ入れたくないのであえて、飲用にはしていないとのこと)、風呂水や食器洗い等に再利用している。これはまさに、かつての柳川の水との関わり方と同じだ。

 また、費用が幾らかかってもいいというなら、活性炭をつかうなどの方法もあろう。比較的簡便に設置・維持管理できるのも「石井式」の特徴となっている。

 浄化槽の専門の世界では、「石井式」にたいしてさまざまな評価が行われている。建設省の認可、建設業界との関係等のいろいろむつかしい問題も耳にする。しかし、まず、水との付き合い方という意味で、ここまで、つまり、BOD1ppmまで、自ら処理したうえで、それをできるだけ大切に使い再利用するという考え方が大切だと思う。「石井式」は、そのためのひとつの手段である。

 実は、われわれの同僚である平塚のSさんが、この「石井式」を広松さんのアドバイスで、導入した。やはり、風呂等への再利用を考えているという。現在ちょうど製作中だが、2万個のヤクルトのビンに穴を開けなければならない。4月ごろにその作業を手伝う約束をしているのだが、完成の暁には、ぜひ、実際に見に行かれるといいと思う。本当に百聞は一見にしかずだ。ついでに、手伝っていただければなんて調子のよいことを書いたりして。

6 おわりに

 柳川の紀行文のつもりが、ずいぶん多方面に話が広がってしまった。思い付くままに書いたので何が言いたかったのかわからなくなってしまったが、私がこの旅で感じたのは、一言でいえば、私たちの生活のあり方はやはりどこかおかしいのかなといったことであった。これは、よくいわれることだが、単に昔にかえれということと紙一重だ。

 柳川の場合は、「石井式」という現代の技術を使うことによって、単に昔にかえれというだけではない、新しい水との付き合い方を提示しているように感じた。このところを広松さんに語ってもらおう。

 「下水道は、ただ都合の悪い汚水を生活圏外に出して川を汚したというだけでなくて、水はどうにでもなるものだという錯覚をさせてしまった。石井式水循環システムは(中略)水の循環の輪の中で自分たちも生きている、だから水の循環のメカニズムを壊してはいけないという、本当に忘れていた水思想というものを、取り戻してくれる」「かつて溜をつくったりしていろいろ工夫して汚さないようにしておりましたけど、それを現代の技術に置き換えたのが石井式だと、思うわけです」(後掲文献3,p52)。

 この考え方は、これからの農業を考えるに当たっても示唆するところが大きいとおもう。そもそも農業とは自然との共生をはかりつつ営まれてきたものであるからだ。農業の多面的機能ということで、都市住民への緑の提供とか景観とかいわれたりしているが、そういった「外部効果」の面だけではなく、もう一つ、自然の物質循環の一角としての農業、いわゆる生態系農業と一口でいわれるその部分で、現代人の生活のあり方を逆照射できないか。そして、そのための技術の一つとして農業土木がありはしないか。柳川の水路という水利施設はまさにれっきとした農業土木の技術だ。農業土木も農業のありかたによって、技術体系が変化しているはずで、例えば西独では、近年、これまでの大規模で画一的なほ場整備に対して、地域の生態に留意した、「生態系工法」が開発されているときく。こういったあたらしい「技術」によって、農業の昔からの知恵を現代に蘇らせることができないか。そうすることによって新しい人間と自然との付き合い方ができないか。などと夢想しているところである。当会員のご教示をいただいて勉強していきたいと思っている。
 
 編集担当者の口車にのってしまって、だいぶ勝手なことを書いてしまったような気がする。そういうおまえは、じゃあ現実になにをやっているんだ。便利な現代生活にどっぷりつかっているではないか、といわれるのが一番つらい。また、あくまでこの分野のしろうとの報告なので正確でない部分もあるともおもう。読者の寛容をお願いする。そして、ご批判・ご感想をいただければこれにまさる喜びはない。最後に、門外漢の私に、紙面を割いていただいたことを深く感謝したい。


参考文献
 題材の大きさに比べ、私の筆の力が不足しているので、どれだけ伝えられたか心配です。本稿の内容はほとんど以下の文献(および映画)にきちんと述べられていますので、興味をもたれた方は、水路再生の話は1,2を、クリークの機能については2を、「石井式」については3を参照していただければ幸いです。

1 広松伝『ミミズと河童のよみがえり−柳川堀割から水を考える』河合文化教育研究所 1987年
2 柳川堀割物語シナリオ(シネ・フロント 1987年8月号)
3 石井勳・山田国広『下水道革命−河川荒廃からの脱出』新評論1989年
4 玉城哲『水社会の構造』論創社 1983年