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【「温故知新」 本をめぐる雑談】

脇圭平・芦津丈夫〔・丸山真男〕

フルトヴェングラー


(岩波新書、1984年)





 ※T章を脇圭平が、U章を芦津丈夫が担当し、V章は丸山真男・脇圭平・芦津丈夫による座談となっている。著者に丸山真男氏の名が入っていないのは、丸山氏も当初は寄稿する予定になっていたところ、健康上などの理由で果たせなかったので、丸山氏が共著者に名を連ねることを辞退したためという。


 ほかの文書で何度も書いたとおり、私はクラシック完全無知の人間である。この本が書店に出た1984年当時にはなおさら何も知らなかった。それじゃなぜこの本を買ったかというと、当時、所属していたサークルの先輩たちのあいだでなんだか知らないがこの本が評判になっていたからというだけの話だ。それじゃいっちょ読んでやるかと買ったことは買った。しかも読むことも読んだ。でも当然理解できるはずもなく、私には何の印象も残さず、そのまま書棚に眠りつづけていた。脇圭平氏が岩波文庫のマックス・ウェーバーの『職業としての政治』を翻訳しているのを知ったのはずっとあとのことであり、芦津丈夫氏の名はいまでもこの本でしか知らない。

 でも、そういう本を12年半ぶりに読みなおすということも起こらないではないから、ちょっとでも興味が持てそうな本は買えるときに買っておくもんである。

 ま、なかなかそうもいかないんだけどね。

 フルトヴェングラーは音楽家である。自身も三つの交響曲を残しているようだが私は聴いたことがない。それより指揮者として有名であり、なかでもベートーヴェンの交響曲の評価が高いようだ。フルトヴェングラー自身もベートーヴェンを「絶対の基準」として特別に意を注いで指揮していたようである。私は戦後録音のものをCDで持っている。著者のうち丸山氏はLPレコードより一世代前のSP盤で愛聴したという。ちなみに本書が出版されたときには、CDは出てはいたもののまだタイトルも限られており、レコード店の棚は、ちょうどいまのLD売り場のような感じでLPレコードで占められていた。いま考えると夢のような話である(←老年モード)。そのうちDVDが席捲するようになると、「12インチ盤」という盤型そのものとその売り場も絶滅するのだろうか。

 さて、V章で座談会の中心発言者の役割を務める丸山真男氏は、先年亡くなった高名な日本政治思想史研究者である。脇圭平氏はドイツ政治思想史研究者で、第一次大戦敗戦後からナチス擡頭までのワイマール共和国期を専門にしている方のようであり、芦津氏はドイツ文学の専門家でフルトヴェングラーの著書を何点か翻訳なさっているようである。この座談会の記録が中心となり、それに脇・芦津両氏の論文が加えられて本書はできている。

 フルトヴェングラーはドイツ人である。第一次大戦後、ナチス擡頭前のワイマール共和国時代にはすでに指揮者として名を成していた。ナチス(国民社会主義ドイツ労働者党、NSDAP)が政権を掌握した当初は、フルトヴェングラーは、ユダヤ人音楽家ブルーノ・ワルターへのたび重なる演奏妨害事件(ワルターはこの直後フランスに、ついでアメリカ合衆国に亡命した)などをめぐってナチス政権と対立し、いくつかの役職の辞任に追い込まれるなど迫害を受けた。しかし、その後、ゲッベルスと和解し、ナチス政権のもとでオーケストラの指揮をとりつづけた。それが、「ナチスに降伏・協力した」ということで批判の対象になり、1948年にはシカゴ交響楽団との契約を、アメリカ合衆国にいた何人かの音楽家(トスカニーニら)の排斥運動によって破棄されるという経験をしている。また、この「ナチスへの協力」をめぐって文学者のトーマス・マンと対立し、終生、和解しなかったという。1954年、つまりドイツにとっても日本にとっても「戦後」であった時期を9年間生きた後に、急性肺炎で死去した。

 三人の著者の顔ぶれからもわかるように、本書は、フルトヴェングラーの音楽について専門的に書いたものというより、ドイツ史や同時代の思想状況のなかでのフルトヴェングラーについて論じたものとなっている。とくに軸となっているのはこの「ナチス協力問題」である。

 とはいえ、音楽の話が排除されているという意味ではない。座談会を読んでいると、「アインザッツ」とか「アッチェレランド」とかいう音楽用語をとうぜんみんなが知っているものとしていきなり持ち出したり、トスカニーニの指揮したどの曲とフルトヴェングラーの指揮したどの曲がどうとかいう話がみんなそれをよく知っているものとして出てきたりしているのにぶつかる。失礼かもしれないがあえて言うと、じつにおたく的な会話という印象がある。芦津氏はフルトヴェングラーの著書の訳者だから知っていて当然だが、あとの二人はべつに知っている必要も必然性もない。脇氏はあまり知らないといって音楽中心の話では発言を控えているけれども、それでも基礎的なことはひととおり全般的に知っているようだ。クラシック音楽は、戦前〜戦中にその出発点を持つタイプの知識人にとっては基礎的な素養のひとつであったらしい。

 現在の知識人には、それに共通する「素養」などあまり思い当たらない。ローリング・ストーンズが好きな大学教授などというのもいるようだけど、それが共通の教養になっているとは言えない。「知識人というのであれば、こういう分野のことは知らなくてもいい(あるいは知らないほうがいい)がこういう分野のことにはひととおりの知識を持っていなければならない」という分野は、戦後以後に出発した知識人の世界からは絶滅してしまったのではあるまいか。

 また「ナチス協力問題」が議論の的になっているということは、「ナチス=悪」という図式に照らしてフルトヴェングラーが悪であったかどうかという議論に集中しているというわけではない。

 アメリカにいてフルトヴェングラーを排斥した音楽家たちの態度がまさにこれである。そして、これに対しては、著者三人はそういう態度を「パリサイ主義」と強く非難している。余談ながら現在のユダヤ人の宗教は新約聖書に出てくるファリサイ派(パリサイ人)の系譜を引くので、「親ユダヤ−反ドイツ」という考えかたの図式的なものへの表現として当たっていなくもない。

 かといって、音楽と政治は無関係なものなのだから、ナチスの支配するドイツで音楽活動をやって、それどころかナチスの主宰する式典でオーケストラを指揮したっていっこうにかまわないじゃないか、というフルトヴェングラー自身の自己弁護を鵜呑みにしているわけでもない。この立場もやはり非難されている。

 たしかにこの三人にとってナチスが悪であることはここでは自明の前提となっており、ここでナチスや国民社会主義やナチス支配についての冷静な再検討がなされているわけではない。

 しかし、では、亡命して政治的に危険のない場所――それどころか「反ナチの闘士」として王侯貴族のような生活のできる場所――にいて、そこからナチス非難を繰り返していたような人物は、困難ななかでナチスの支配するドイツにとどまりそこで芸術活動を続けていた人物を非難しうる立場にあるといえるのか?

 そういう状況で、ナチスの悪を認め、しかもフルトヴェングラーは悪ではなかったとするいちばんかんたんな論法は「そういう時代だったのだ、まる」で片づけてしまうことだ。しかしもちろんこの本はそんないいかげんな解決をつけてはいない。著者三人がそういう態度を潔しとする人ではなかったというだけでなく、それで片がつく話だったらこんな本など書く必要ははじめからない。

 いちおう断っておくと、本書のフルトヴェングラーへのアプローチは何もこのナチス協力問題に関するものにかぎられてはいない。たしかにそれが中心になっているが、革新音楽(ヴァーグナー、リストら)・後期ロマン派(マーラー、リヒャルト・シュトラウスら)・無調性音楽などの登場がもたらした「危機」についてもちゃんと触れている。

 そのことにも留意した上で、この「ナチス協力問題」などをめぐる疑問から出発して、フルトヴェングラーの音楽に対する態度――たとえば「楽譜に忠実」な演奏批判――をも手がかりにしながら、自分たちの課題である政治や思想・文学の方法論に至るというのが、この座談会の大まかな方向性であると私は読む。

 また余談になる。丸山真男氏というと、脆弱な戦後進歩思想の開祖のように言われて否定的に評価されることも多い(もちろんわけもわからず持ち上げられることはもっと多い)。しかし、戦争直後のドイツ人が、戦争中、ろくな抵抗なんかぜんぜんしなかったくせに戦後になるとみんな連合軍に味方をしてしまったことにフルトヴェングラーが憤りを感じている、その憤りに丸山氏は同調していっしょに怒っているくだりがある。

 戦争直後のドイツ人たちは、ナチスの支配するドイツにとどまり、そのドイツ人たちの精神を高揚させるためにヴァーグナーやベートーヴェンを指揮してきたフルトヴェングラーを、占領軍である連合軍に対して擁護するどころか、連合軍といっしょになってフルトヴェングラーを非難した。フルトヴェングラーはとうぜんそれにショックを受け憤りを感じている。それを紹介しながら、丸山氏も「これはね、日本の戦争直後にも似たような光景があった、何じゃ、あいつが 軍国主義だって、笑わせないでくれ、といいたいのが……。いち早く鞍替えしちゃって、今度はばかに勇ましい急進的なことを言いだす」といっしょになって怒っている。この「笑わせないでくれ」は近代日本の政治的態度のなかに温存されていてこんどは「冷戦崩壊」のあとにもういちど繰り返された。丸山氏は、たしかに戦後進歩思想にとって重要な位置を占める人だし、それに対しては批判があって当然だが、すくなくとも「戦後」思想の脆弱さのおもな根源となっていた特有の極端な無責任からは遠い人であったことがわかる。

 さて、この三人の著者がフルトヴェングラーに共感しつつ強く拒否している態度が、対象と批評者・解釈者の距離を見失った批評・解釈の態度である。

 丸山氏は、戦後に出たレコードの解説についてつぎのように発言している。
 それでもね、若い批評家などがフルトヴェングラーのレコードのジャケットに解説を書いて、芸術は宗教じゃないんだから盲目的な傾倒はこまる、とか、冷静に聴け、なんて説教しているのを見ると、「しゃらくせえ」(笑)といいたくなる。こういう小賢しい言い草をする輩にかぎって、宗教的体験に無縁などころか、本当に内面的な音楽的感動からも遠い、ただちょっと「耳のいい」才子が多い(笑)。


 他方、フルトヴェングラーは、自分ではヴァーグナー(ワーグナー)を最終的には高く評価したが、「ヴァーグナー崇拝者」に対しては強い批判を持ちつづけた。「ヴァーグナー崇拝者」は、ヴァーグナーの音楽から受けた感動に圧倒され、その前景的なもの(官能的・エロス的なもの、音色、芳香、ニュアンスなど)だけに傾倒して、ヴァーグナーの音楽の背後にひそむ「充溢せる生命」に関与することのできない人間たちである、という。しかし、作者であるヴァーグナー自身は、作品を作ることで、作品そのものに自分が支配されてしまうことから解放され、自分で自分の作品の崇拝者になってしまうことはなかった。それが、フルトヴェングラーがヴァーグナーをその「崇拝者」から擁護しようとした論理であったという。

 この両方に共通するのは、この「若い批評家」たちや「ヴァーグナー崇拝者」たちの批評や解釈、あるいは「感動」では、作品・作者と批評者・解釈者との関係が見失われているということである。「若い批評家」たちの場合は、作品というのは自分が扱っているデータのひとつに過ぎず、批評者自身は作品や作者からは超越した位置にいてそれを「批評」するのが正しいという発想だ。また、「ヴァーグナー崇拝者」のばあいは、対象である作品に自分を見失ってしまって、自分に感動を与えたのは何かということを考えつづけることに耐えられず、ヴァーグナーなものならなんでもいい、というようになってしまうのである。前者は「なんでも悪い」と対象に何かにつけて「悪い」という評をつけたがるし、後者は「あれもよい、これもよい」と何でもよいことにして、それについてなにか自分と違う意見を口に出した者をヒステリックに攻撃するのだろう、たぶん。

 何かに似てるんだな、この状況……まあ、いいけど。

 フルトヴェングラー自身に対する評価にしても、音楽を批評・解釈する態度にしても、「良い」・「悪い」と作品・作者に即して論ずることなくきめつけてその先を考えない態度に、本書の三人の著者は、この著者たちの読み解く(聴き解く)フルトヴェングラーとともに強い拒否の態度を示している。

 では、その先を考えつづけるとして、どのように考えつづければいいというのだろうか。

 その手がかりは、まさに、フルトヴェングラーにとって音楽とは何であったか、ということに求められている、と言っていいだろう。

 フルトヴェングラーがナチスに支配されたドイツを離れなかった理由を、著者は、音楽は「プブリクム」を抜きにしては成り立たないとフルトヴェングラーが考えていたことに求めている。「プブリクム」とは英語にするとpublicである(んだろう、たぶん)。音楽の場合には「聴衆」という意味になるらしいが、ただそこにいて聴いているやつという意味ではなく、それは「公共的な存在としての数多くの民衆」の意味を背後に持った「聴衆」である。「プブリクム」としての聴衆は、たんなる音楽の聴き手ではなく、音楽にとって不可欠な参加者なのである。

 この感覚は、私どもにはちょっと直観としてつかみにくいものがある。オーディオ装置を通して音楽を聴くことが最初に音楽に接したときの体験から普通であった者には、ライブで演奏されるものだけに音楽としての価値があり、録音・放送されたものはその質の悪いコピーにすぎないという価値観は感覚として受け入れにくい。むしろ、現在のポピュラー音楽や現代音楽では、録音したものが完全な出来になるように計算され演奏されている。かえって、ライブ演奏では、PAによって、それが録音したものに近い出来になるように仕組まれるのだ。「音楽は国境を越える」というイデオロギーも、じつはオーディオ技術の発達なしには考えられない。電波が国境を越えて音楽を運び、世界統一規格のオーディオCDが「第三世界」も含む多くの国に普及して、はじめて「音楽は国境を越える」・「音楽には国境はない」ということばに対応する(ように見える)現実があらわれたのである。

 すなわち、フルトヴェングラーにとっても、この著者たちにとっても、残念ながら音楽は国境を越えないのである。だから、日本にいるフルトヴェングラーのファンにとってできる最大限のことは、実際にヨーロッパに行ってフルトヴェングラーの指揮する演奏を聴くことであった。つまりフルトヴェングラーの「プブリクム」に参加することだった。丸山氏などは、フルトヴェングラーの訃報に接して、もうフルトヴェングラーの生演奏を聴けないのならヨーロッパになんか行きたくないと思ったという話である。

 ともあれ、フルトヴェングラーは「プブリクム」のない音楽はあり得ないと考えていた。それは、フルトヴェングラーにとっては、南方と北方との文化の両方の要素を持ったドイツの「プブリクム」でなければ意味がない。だから、フルトヴェングラーは、ナチスが支配してもドイツの民衆と音楽をやっていく道を選んだ、というのである。

 この評価には、じつは、戦後知識人としての著者たちの「共同体」への複雑な思いが共鳴させられている。自分の愛する共同体が、自分の理想とはまったく異なる理想を持った者たちの強権のもとに置かれるという体験をこの著者たちは自分のものとして経験している。そこからの共感であった。

 「若い批評家」は、「共同体」などというものを持ち上げたから「戦後民主主義」はダメなんだとかしゃあしゃあと言ってのける。しかし、音楽家にとっての「プブリクム」としての聴衆のような存在――そういうものとしての「共同体」から切り離されて、音楽家としてでも思想家としてでも研究者としてでも平気でやっていける自信が、「若い批評家」連中にはあるのだろうか? キリスト者としてのキルケゴールが、キリスト教徒の共同体から離れて「単独者」でいようとするためにどれだけの苦しみを内面で経験したかを思い起こせば、そうかんたんに自分を「単独者」だと言ってのけることなどできないと私は感じる。「プブリクム」としての「共同体」がなくてすむのは、自分の音楽とか思想とか研究とかによって働きかけようという意思を持たない者か、既存の「共同体」(ある学派に属する人とか、ある知的潮流に乗った人とか)だけを自分が相手にしていることにも気づかない鈍感な者だけではないだろうか?

 著者たちのフルトヴェングラーへのアプローチは、しかし、その「プブリクム」の「共同体」への思い入れへの共感で終わるわけではない。

 フルトヴェングラーは「楽譜に忠実」な演奏に対して強い批判を持っていた。著者たちはいずれもそのことに共感を持って音楽を聴いているように思える。

 これを考えるうえで注意しなければならないのは、クラシックにとっての「楽譜」というものの重要性である。ジャズやロックの演奏家にとって楽譜が読めることは必要ない、というような考えかたとは根本的にちがうのだ。クラシックのばあい――とくにオーケストラの指揮者がかかわるような曲のばあい、楽譜はロックのばあいとは比較にならないほどの重要性を持つ。なにしろ、オーバーダビングもできない、MIDIもないという時代である。ジャズのように即興演奏が大幅に認められるわけでもない。ギターでコード三つ押さえられれば曲になるというのともちがう。作曲家がオーケストラの音を想定しながら書くものは楽譜しかない。作曲者から演奏者の手に渡る情報は、ただひとつ、楽譜をおいてほかにないと言ってもかまわないぐらいである。

 フルトヴェングラーはもちろんそのことを認識している。そのうえで、「楽譜に忠実」な演奏を批判しているのである。

 「楽譜に忠実」というイデオロギーが出てきたのにはそれなりの事情がある(らしい)。私には詳しい事実はよくわからないが、要するに、後期ロマン派の時代に入って、自分の演奏に自分で陶酔するような指揮者・演奏者が多くなったというような事情があり、それへの批判として「楽譜に忠実」に、楽譜に指定してあるとおりに演奏するのが正しい、というような思潮が出てきたものらしい。イデオロギーに走った戦後歴史学が、その反動として過剰な実証主義に陥ってその生命力を損耗しつつあるのと、なんとなく似ているような気がしないでもない。

 フルトヴェングラーによれば、「楽譜に忠実」な演奏というのは、客観的に見せようとしているけれども、じつは最悪の主観性である。

 しかし、そう言い切る根拠は何か?

 その根拠は、フルトヴェングラーが、作曲とは「混沌の形象化」の作業だと捉えていたことである。「混沌」とは、たんにわけのわからないどろどろもやもやしたものではなく、世界の最初にあった原初のものというような意味である。

 作曲家は、それをひとつの「形象」として表現するために作曲する。具体的には楽譜を書く。そして、その「混沌」を「形象」にするために、楽譜に、そこをフォルテで演奏するかピアノで演奏するか、演奏速度を抑えるか速めるかというような細部の指定をする。フルトヴェングラーによれば、「楽譜に忠実」な演奏は、その細部の指定をすべてだと思いこむというまちがいをおかしている。フルトヴェングラーにとって、細部の指定は、作曲家が「混沌」をいかに「形象」に持っていったかという作業の過程を示す断片的な情報に過ぎない。その情報を総合して、作曲家が「混沌」を「形象化」した過程を再現すること――すなわち楽曲の「再創造」こそが演奏することなのである。その再創造を完遂することこそがフルトヴェングラーにとって重要なのであって、そのためには、楽譜に記された断片的情報に拘泥してはならないのだ。

 思想家・研究者としての著者三人は、いずれも、「演奏とは再創造である」というこのフルトヴェングラーの考えかたに、自分の思想や研究に対する態度を重ね合わせているように私には思えるのである。また、まさにそういう態度でいるからこそ、「芸術と政治は別」というフルトヴェングラー自身の単純な自己弁護に(「楽譜に忠実」に)拘泥することなく、フルトヴェングラーにとっては「プブリクム」が重要だったから亡命よりナチス政権下で音楽活動を続けることを選んだのだ、という理由をこの著者たちは発見することができたのだ。

 世界の原初の姿は「混沌」である。それはたんに時間的に「原初」であるというのではない。思想家や研究者が相手にする社会の「現実」というやつは、そのままの姿ではやはり「混沌」なのである。それを「形象化」するのが、思想史研究者・文学研究者の、あるいは知識人の役割である。そういう信仰告白を、著者たちはここでフルトヴェングラーに託してやっているのではないだろうか。

 もちろん、そうした知識人の道が平坦でないことは、同じ信仰を持ったフルトヴェングラーの道が平坦でなかったのと同じである。フルトヴェングラーが「プブリクム」としての共同体を自分の音楽の不可欠の要素と考えたのは、この「演奏は音楽の再創造である」という考えかたと無縁ではない。「混沌」に「形象」を与えるのは、演奏者一人の行為では不可能である。楽譜の細部の情報からその「形象化」の過程を追うという、音楽が演奏される時系列を縦に追う再創造と同時に、その音楽をどういう人たちが共有するかといういわば横のつながりの再創造が不可欠なのである。

 その「プブリクム」の再創造へのこだわりが、フルトヴェングラーをナチス政権のもとで演奏活動をしなければならないという苦境に追いこんだ。

 とすれば、そのフルトヴェングラーと信仰をともにしつつ進む著者たちは、自分たちがそういう苦境をみずから引き受けなければならないばあいもあることを、とうぜん覚悟していたはずである。

 フルトヴェングラーは自分の芸術活動の目標を「愛の共同体」の実現においていたという。この「愛」というのはキリスト教のいう分け隔てのない隣人愛のことであり、たとえばベートーヴェンが第九番交響曲の合唱に採用したシラーの「歓喜に寄せる」の歌詞に出てくるような愛のあり方である(「歌はいいねぇ」と言われた「歌」とはそういう「歌」だったんだよ!)。九番交響曲をただ「歓喜に寄せる」の歌詞だけで理解してはならないけれど、シラーの詩がベートーヴェンの終生の音楽活動を支えていたもののひとつであったのはたしかなようである。そしてフルトヴェングラーにとってベートーヴェンは前述の通り「絶対の基準」であった。「愛の共同体」は、だからナチスの国民共同体のようなものとはちがって、隣人愛によって結ばれた全人類の参加する共同体のことである。それを、自分の音楽に集う「プブリクム」共同体を広げていくことで作り出し、広げていこう、というのがフルトヴェングラーの音楽だったと著者たちは解するのだ。

 それと同じように、たとえ逆境が襲ってきても、自分たちの思想や研究をもって同じ全人類の共同体を目指そうというのが、この本に託された戦後知識人の決意表明であった、と読むのは、私の「読み込みすぎ」なのであろうか? なにしろ、この本が出た1980年代半ばという時代は、思想としての戦後が最後の力を喪失しつつあった時代だったのだから。――まだまだそのことに気づかない人も多かったけれども。

 最後にまたまた余談をひとつ。

 本書で、フルトヴェングラーの指揮したベートーヴェンのなかでどの演奏がいちばんかという丸山氏の質問に、芦津氏が第七番交響曲を挙げている(ちなみに丸山氏は『英雄』=第三番交響曲だということだ)。じつは本書のなかで私がいちばんうれしかったのがこのくだりだった。なんかいきなり格調が落ちて恐縮だが、私がある文章を書いていたときにBGMとしてエンドレスで聴いていたのがこの曲であり、私が名まえしか知らなかったフルトヴェングラーの演奏に最初に接したのもこの曲である――CDでだけど。ただし私が聴いているのは芦津氏の挙げているのよりは後の時代(1950年、ウィーン)の録音である。


 評者:清瀬六朗




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