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空談寸評特別篇

 

押井作品いろいろ



『ストレイドッグ』


実写映画/1991



へーげる奥田


 


 よく考えてみると、この映画の正式なタイトルは『ケルベロス――地獄の番犬』というものだった。公開当初から『ストレイドッグ』の名で呼んでいたため、つい忘れていたのだ。

 形式としては『紅い眼鏡』の続編――というよりそのプロローグというポジションにある作品だ。都々目紅一が国外逃亡して海外に潜伏していた時期を描いた物語である。しかし最も大きく異なる点は、これが「一般の観客用に作られた」「普通の映画」(の筈)だという点だろう。

 当初、「多数のプロテクトギア登場」「派手な銃撃戦」などといった宣伝文句が飛びかい、武器とか軍隊とかが好きな、比較的「普通の感覚」をもつ「武闘派押井ファン」にもアピールしようとした広報の努力のあとがそこここに見られてご苦労さんなことだったが、実際の作品はなんか牧歌的なアジアの地でエビ喰ってのんびりしているシーンが主だったり、やっと出てきた「敵」はなんだか意味不明の顔面白塗り軍団だったりして、どこまで「普通の観客」に受け入れられたのかもうひとつ疑問だ。

 個人的にも、正直それほど好きな作品ではない。押井作品を基本的に規定する方法である、「緻密な思考によるイメージからの演繹」というより、なんだかロケのためにアジアに行ったら舞い上がってしまい、当初のシナリオ中心というよりなんか叙情的感覚で作ってしまった作品、という感じがするためだ。実際にそうなのかどうかは知らないが。

 たしかに、回想的シーンの描写などはシンパとしてはなかなかエキサイティングであったが、別に銃撃戦とかにそんなに期待をしていた訳ではない。たとえば『紅い眼鏡』の冒頭の銃撃戦シーンなどは不要なのではないか、都々目紅一が空港に降り立ったシーンから始まった方がより幻想的でよいのではないかなどと思ったものである。

 むしろ、この映画で非常に気に入っているのは都々目紅一らがエビ喰ってるシーンだ。エビ養殖池で獲ったエビを、おそらくは塩水でぐらぐらゆで、ペットボトルのウーロン茶(かな?)かなんかごぶごぶ飲みつつカラむきながらがつがつ喰う。観ているうちにあれがどうしてもやりたくなり、近所のスーパーでエビ(ブラックタイガー海老20尾入りパック)を買い込み、自宅でぐらぐらゆでてぼりぼり喰った。約12尾あたりで飽きたが、実に気分がよかった。これもまた余談である。

 こういうシーンを観て喜んでいる観客というのはまあ特異なもので、本当を言えばもっと一般の観客や、せめて一般の押井守ファンに受け入れられる部分について語るべきなのかもしれない。コミックマーケットの会場などでは「奥田さんあの紅いボールは何の隠喩なんでしょう」とか一生懸命訊いてくる人などもいたが、まあ押井監督得意のギミックのひとつだろうくらいにしか思っていないので我ながら困ったものだと思う。

 この作品のタイトルが、押井監督の当初の意向どおりに『迷い犬』であるのなら、私にとってこれはそれなりに納得のいく作品だ。しかし、犬をその意匠とする押井守の作品群にあって、三つ首をもつ冥府の番犬ケルベロスの名を冠するこの作品は、押井守の映像作品中「仮想戦後史シリーズ」の中核を担うポジションにある重要な作品たるべきである。だがその意味において、このシリーズを確たるものとするためには、未だ見ぬ『人狼』を待たねばならないように思う。

 そういえば、同じく血塗られた相貌をもつ冥府の番犬ガルムの名を冠する「かの作品」も、どうやら不幸な運命を迎えたようである。願わくば押井監督には、ケルベロスをはじめとする多くの怪物たちを生み出した暴風の魔獣テュポーンのごとく、さらなる多くの子らを生み出されるよう祈ってやまない。

 

1999/12



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