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空談寸評特別篇

 

押井作品いろいろ



機動警察パトレイバー劇場版


劇場用アニメ/1988



へーげる奥田


 これもまた、押井作品中ベストワン候補と個人的に思っている一作である。

 拙文『押井論』は、この作品の時点で脱稿した。したがってその第三パートの部分では、暗黙のうちにこの作品について述べている。ついでにいうと、同文章の第一パートは『ビューティフル・ドリーマー』について、第二パートでは『紅い眼鏡』と『天使のたまご』について述べているのだが、それと気づいた方はいなかったようだ。まったくもって無理もないのではあるが。

 以前に私は、押井作品とM・フーコーの論にある知の展開する場「エピステーメー」の歴史的変遷との対比について述べたことがある。この考えでいうと、この『劇場版1』は、「表象」の範疇に分類される。拙文『押井論』にも書いたが、この作品は、M・フーコーの『言葉と物』に例示されるベラスケスの絵『侍女たち』と同じ構造を持っているのだ。「帆場」は超越的存在としての「王」のポジションに座し、作品全体の意味と構造を規定する。この作品はまさに押井作品群にあって「表象」のエピステーメーとして構造論的に確立した最たるものと言ってよいだろう。

 そういった問題をわきに置いてもこの作品は単純に面白い。現代日本という場に展開する旧約聖書のメタファーとしてのストーリー。純粋な悪意の象徴とすら言える不在の悪のキャラクター「帆場」。この帆場というキャラクターには非常なシンパシーを覚える。……と言っては変なのだが、実のところ「世界の崩壊への憧憬」といったモチベーションは当時の、そして現在の世界の空気のようなものを体現しているような気がするのだ。

 実はその昔、コンピュータのシステムの「保守」の仕事をやっていた。コンピュータの世界で「保守」というと、要するにプログラムの不具合とかバグとかで生じたトラブルの原因を洗い出し、プログラムを修正したり誤魔化したりいろいろやって日常業務に支障をきたさないようにする仕事である。

 実はこの仕事、「探偵」や「刑事」などに似ているのだ。

 何か、「事件」が起こる。まず行うのは聞き込み捜査だ。オペレータやエンドユーザなど関係する者に聞き込みを行い、いったいどんな現象が生じたのか事実を明確にしてゆく。そしてその原因がプログラムのロジックにあるということが判明したら、どのプログラムが悪いのかをつきとめ、そしてそのプログラムのソースコードの解析に入る。普通だったらちゃんとプログラムの設計時に書かれた関連資料があるはずだからそんなに苦労するわけがない筈なのだが、実際はそうはいかない。文書化された資料なんかぜんせん無い場合や、あっても更新されていなくて役に立たないケース、甚だしき場合にはソースコード自体が所在不明などという場合だってあるのだ。誰がいつどんな意図で作ったかわからぬプログラムをたどり、そのロジックを解き明かしていく。そしてその瑕疵を―さすがにそれは「悪意の意思」から出たものではないだろうが―解き明かし、正しいロジックに修正してゆく。

 押井作品を観ていると、しばしばこの仕事をしていた頃のような感覚を覚えることがある。かつて何者かによって為された状況を、その結果からたどってゆくプロセス。作劇術の基本的なもののひとつではあろうが、こと押井守の場合この使い方が巧みだ。中でもこの『パトレイバー劇場版』はその最たるものといってよいだろう。かつての拙文では、これを「探偵小説的思考法」と呼んだが、これは北杜夫の童話『さびしい王様』から取っている。「超碩学」にしてありとあらゆる思考法を修めたJ・チャレンジャー教授もこればかりは知らなかったという思考法だ。まったくの余談である。

 そういえば、この作品には『1999 Tokyo War』というサブタイトルがつけられていた。実は「今年」のストーリーなのだ。あれから10年、報道番組でコンピュータウイルスや「ハッカー」などのニュースのなかで、レポートVTRのBGMとしてしばしばこの作品のサウンドトラックが流れるのを聞くにつけ、何か感慨のようなものが浮かぶものである。


1999/12



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