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空談寸評特別篇

 

押井作品いろいろ

 

 

『犬狼伝説』

 

コミックス原作/1988

 



へーげる奥田


  藤原カムイの絵で押井守のストーリーが展開する。特定のファンには堪えられないタッグチームであろう。実のところこの当時藤原カムイはあまり読んだことがなく、作品を挙げろと言われたら『ドクターカント』のシリーズくらいしか知らなかったものである。どうでもよいことだが、WWFNo.1の扉絵は、ドクターカントのイラストを自分で描いて使った。余談である。

 押井作品史において、『紅い眼鏡』でスタートした「仮想戦後史シリーズ」は、この犬狼伝説で確立したと言えるだろう。あと、たしかこのころ「コンバットコミック」などに連載された『紅い眼鏡を待ちつつ』なる短編小説の連載などで、サイドストーリーもかたまっていったと思われる。登場人物として都々目紅一ら「例の三人組」も登場するのだが、『紅い眼鏡』のキャラクターとの違和感がやや大きすぎるきらいがある。まあ、『犬狼伝説』が「本当」で、『紅い眼鏡』はカリカチュアライズされた「劇」みたいなものだといったところか。しかし、同じ内容でも実際に映画を撮るとなったら大変だ。この『犬狼伝説』を実写でリアルに再現しようとしたら莫大な費用がかかるに違いない。漫画のもつ表現力というのはやはりたいしたものだ、などとふと思った。

 しかしともあれ、これで「ミリタリー系」の押井ファンの居所というものが確立されたというのはたしかであろう。押井ファンには、そのモチベーションを異にする何種類かの種族でいるわけだが、「高橋留美子系」「哲学系」につづいて「ミリタリー系」の住処が確定することとなる。

 『犬狼伝説』のコミックスは、1990年の12月に刊行された。帯には「『ケルベロス』映画化公開決定」とか書かれている。『ケルベロス』ってなんだっけ、などと一瞬考えてしまった。黄色いコロコロした関西弁のヌイグルミだとかが脳裏をかすめたのはとあるアニメの影響であるが、まあこれも余談だ。

 余談といえば、このコミックスの巻末にはいくつかの解説やらコメントやらが載っている。その中に、友成純一さんというひとの「解説」が載っている。なんでも文章を書くことを職業にしているというふれこみなのだが、どうも説得力がない。解説というはずが自分の個人的な趣味などについてのことばかり延々と書いているし、「批評」とおぼしき部分もみな好きだの嫌いだのといった印象批評ばかりである。それになんといっても文章があまりうまくない。

 当時の私は(いまでもある程度はそうだが)、批評や評論というものに本来要求される機能として、ただ主観にのっとって作品を批判するだけのものは害にしかならないという認識をもっていた。なのでこのひとの「解説」をずいぶんこきおろしたものである。

 まあいま考えるに、完全に客観的な批評は結局のところ不可能と言えるし(当時は作品に対する客観的な評価の測定法としてファンクションポイント法みたいな方法すら検討していたのだ)、ある程度主観に基づく批評はやむを得ないという考えになってきている。べつに妥協したわけではなく、もとの作品に対する認識を深めたり、それへの興味を喚起するために、批評者自身の主観や体験を媒体とする一種の行動主義的なアプローチも方法として有効だと思うようになったためだ。この文章自体そういう考え方にもとづいて書いている。

 とはいえ、いま読み返してもこの「解説」はないよなあ、などと思う。やはりちょっとプロの文章のようには思えない。と、これも私自身の主観なのだが。まあ最近になって再版された『犬狼伝説』からはこの文章が削除されているらしい。そんなところから推して知るべしといったところか。

 『犬狼伝説』の第二部は、1999年になって「少年エース」誌上にて再開された。1999年12月号現在、ストーリーは『紅い眼鏡』冒頭で述べられる「ケルベロス騒乱」の局面に移り、「次回最終回」ということとなっている。実のところ毎号買ってきて当該ページを切り取りファイルしているのだが、正直もっと大きくふくらませてほしかったところだ。まあ、『セラフィム』とかみたいに途中で終わってしまうよりずっといいものだが。


1999/12


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