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空談寸評特別篇

 

押井作品いろいろ

 

 

『機動警察パトレイバー』

 

オリジナルビデオアニメ/1988

 



へーげる奥田


  たぶんこんな印象をもったのは私ただひとりだろうと思うのだが、最初に『パトレイバー』を目にしたとき、とり・みきの『ポリタン』という漫画に似ているなと思った。『ポリタン』は刑事モノの漫画で、主人公の女の子(ちゃんと就職する歳なのだから「子」じゃないか)はどことなく泉野明っぽい感じだったりするが、まあいかにもとり・みき的な作品であった。

 何、ぜんぜん違う? そう言われてみればそうかもしれない。ちなみに言えば、「醜いアヒルの子の定理」という概念がある。「すべての2つの物件は、同じ度合いの類似性を持っている」という認識論上の考え方だ。何かの作品を見るたびにあれに似てるだのこれのパクリだのいろいろ宣う向きをたまに見かけるが、結局のところ「類似性」なんてのはこんな程度のものである。

 今でこそ「オリジナルビデオ」形式のシリーズでリリースされるアニメは珍しくないのだが、この『パトレイバー』(OVA版)は、この手のブームの実質的なはしりとなったものであろう。半年に1タイトルのリリースだったように記憶しているが、そのシステム自体にかなりエキサイトしつつ毎回LDを購入してきたものだ。人によっては、パトレイバーは「スペースシャトルに対する種子島のロケット発射場」とかそんな評があったが、まああの地味さが心地よいのだ。

 多くの映像作品は、ある種の強力な「動機」や「目的」によって意味論的に収斂した世界を舞台に、合目的的な「実践」を行うという物語を紡ぐ。ここでいう「実践」とは、テツガクでいうところの「プラクシス」にあたる。労働者が労働をしたり、警察官が捜査活動をしたりというのはこの「プラクシス」である。

 一方この『パトレイバー』に描かれるのは(むろんそればかりではないが)、同じ「実践」でもむしろ「実際行為」としての実践、「プラティーク」の範疇に入る。労働者がスケベ本を見たり警察官がメシを食ったりといったことも実践は実践なのだが、確固たる動機と目的をもったものというほどではなく、しかしやはりこれも実践的行為には違いないのだ。第一話にあったような脱力的な雰囲気は、こういった観点からなかなか興味深いものがある。

 『パトレイバー』のOVAは、後にも新作がリリースされたが、これには押井守は直接タッチしていない(と思ったが……)。したがってこれは初期OVAとかそんなふうに呼ばれる。1話完結の6話構成(5話と6話は前後編)で、各話趣向の異なる傾向の作品となっていた。どうも私は個人的に伊藤和典系の話というのはあまり好きになれない。とにかくすぐ特撮ネタとか出すのを見るにつけなんか引く、といったところだ。むろんその手腕を認めるにやぶさかでないが、どうもシンパとしては伊藤和典のブレーキのかからぬ押井作品のほうが好きなのだ。あと、このシリーズに『特車隊、北へ! 』を第七話として数える向きもあるようだが、これはたしか押井守は直接かんでおらず、話も特筆するほどではないので私は勝手にこれをはずして考えている。

 6話の中では、第一話と、5〜6話の『二課の一番長い日』が好きだ。特に第五話の演出によって導かれる異化効果、またその悲壮感ただよう雰囲気が非常に気に入っている。おそらくこれをふくらませたものが劇場版2なのだろう。




1999/12


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