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空談寸評特別篇

 

押井作品いろいろ

 

 

『紅い眼鏡』

 

実写映画/1987

 



へーげる奥田



 昔、横浜駅の裏手に「アニメイト」というアニメグッズショップがあった。あったといっても実は今もちゃんとあって、ビルの2階の大きくて明るい店で、しかも結構繁盛しているらしく店舗を拡大したりして営業しているようである。しかしこのころこの店の所在は今と異なり、その様相もまったく別のものであった。

 当時、この店を訪れることができるのは、なんらかの方法でこの場所のをあらかじめ知りえた者だけだ。そこは、事情を知らない者は絶対に到達し得ないという場所なのである。「客」は、雑居ビルの地下の暗く細い階段を降り、汚い麻雀荘や開店しているのか閉まっているのかよくわからない一杯飲み屋などの前を通り抜け、曲がりくねった暗い廊下のさらに奥をめざす。その細い廊下の突き当たりに、それは在った。いやそれが何だという訳ではないのだが、その雰囲気は『紅い眼鏡』に登場するもぐりの立ち食いそば屋「二十八番」にあまりに似ていたのである。この映画の中で、あの「二十八番」のシーンは、数ある押井作品の名場面のなかでも筆頭の好きなシーンなのだ。そのころの私は仕事でしばしば夜勤をしており、夜の街を彷徨することがままあった。夜勤明け、どこか跳んだ頭のままこの店を訪れたことが何度かある。そのたびに、なにか自分が裏社会の住人となったような感覚を覚えたものだ。

 押井守のアニメは一級品だが、その実写映画はクズばかりだなどと遠慮のない物言いをする者もいるが、贔屓目を別にしてもこの映画がほとんどベストワンというくらい好きだ。後にこの「仮想戦後シリーズ」はつじつまのあう設定を与えられたようだが、『紅い眼鏡』の時点ではまだそれほど確とした世界観や歴史観をもっていた訳ではなかろう。企画当初は単なる千葉繁のプロモーションフィルムだったという話はあまりに有名だ。そしてなぜか、この手の「銃器もの」を好むファンはやたらとつじつまのあった合理性を重要視する傾向があるようで、なんだか微睡みのなかで観たたちの悪い夢のごときこの作品は、シリーズの中で、ある種「みそっかす扱い」になっているような気がする。

 一時期、どこかのアニメ誌かなんかで、「声優が多数出演する映画」とか紹介されたが、それを見たさに買ってしまった「普通の方々」はさぞや困惑されたことだろう。

 押井作品には、その魅力の核となるいくつかの要素がある。目に映るものの背後にひそむものへの懐疑、ある種の構造の提示によって喚起される異化効果としての驚異、彷徨する個の姿を描く単独者の意識、かつてあり、そして失われたものを思うとき噴出する喪失感としての終末の意識という分類を、かつて拙文において行った。実のところ、4つ目の「終末の意識」という観念は、この『紅い眼鏡』によって想起したものだ。『第4のアルケー』という部分が従って『押井論』の全体にあって最初に主題としてあがった部分なのである。

 押井守ファンの世界では、「鳥系」とか「犬系」とかといった言い方があるらしい。何だか頭が悪そうな物言いなので私はなんとなく好かないのだが、気持ちはわかる。それでいえば、この『紅い眼鏡』は典型的な「犬系」の作品ということができよう。

 これも以前書いたのだが、この『紅い眼鏡』は私流に言えばどちらかといえば「構造主義的作品」だ。と、一言で言えれば書く方としてはたいへんラクでいいのだが、読む方は構造主義的なんて言ってもよくわからない部分もあって困ったものだろうと思う。そこで、じゃあ構造主義とかその周辺思想について簡単なレクチャー的文章を書いてやれとか思って始めたのが『押井論』だった。この方法はそれなりに成果をもたらしたが、わからない人にはとことんわからないという状態だったようで、押井守関連の評論等では必ず無視されるか、例外扱いを受けているようだ。まあ仕方ないかもしれない。

 価値相対論の観点から、われわれの社会にみられるような流動的変化が常態であるようなタイプの文明は唯一のものではなく、静態を常態とするタイプの社会も肯定されなくてはならない。レヴィ=ストロースはこんなふうに言ったが、流動的な社会の内部にある野生の思考、静態を常態とし、分類のまなざしで世界を物語化する者達の遁走劇、それが『紅い眼鏡』をはじめとする「仮想戦後シリーズ」である―私は当時そのように『紅い眼鏡』をみたのである。

 先ほど述べた、押井作品の「エピステーメー的変転」の観点からみると、この作品はその主題を「類似」から「表象」へとシフトする段階の作品、フーコー流にいえばセルバンテスの『ドン・キホーテー』と同位の作品と言ってよいだろう。

 この作品が出た翌年だったろうか、大阪で行われたSF大会に押井守が招聘された。なんだか『紅い眼鏡』の宣伝企画のために嫌々出てきたようだった。会場にはおそらく撮影に使用したのであろうプロテクトギアの着ぐるみが展示されていたように記憶している(ちょっと記憶が曖昧)。それは胸に意味不明の電卓が張り付けられた粗末なものだった。今年(1999年)、恵比寿の東京都写真美術館に展示された『人狼』PR用(?)のリアルなプロテクトギアとは隔世の感があった。

 ところでこのSF大会の場で、われわれにとって決定的なできごとがあった。食事をしようと会場を出、大阪の街を歩いていたところ、車を待っていたとおぼしき押井守や千葉繁らとばったり出くわしたのだ。さすがに舞い上がってしまい何を喋ったのかよく覚えていないが、『天使のたまご』などに関する内容の『WWFNo.5』を渡し、写真など撮らせていただいたりした。以来私はかなり本気で押井守シンパとなっていった。

いやはや世の中、何があるかわからんものである。



1999/12


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