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五輪候補地決定に関して


鈴谷 了



2001年7月、2008年五輪開催地決定後の追記






 2008年夏季五輪の日本の候補地が大阪に決まった。

 最初から「出来レース」という声もあったがともかく名古屋以来20年ぶりの夏季五輪立候補ということになる。

 筆者は関西の出身だが、大阪の五輪開催にはさして興味がない。というよりは今日本で五輪を開催すること自体の意義が希薄だと考えている。

 日本で開催された五輪のうち、1964年の東京大会と1972年の札幌冬季大会にはそれなりの意義があった。五輪運動という側面からは共にアジアで初めての開催という意義があり、一方開催国である日本にとっては戦後復興と高度成長の証を国際社会にアピールできた。(首都と地方都市それぞれの、という見方もできる)両大会で作られたスポーツ施設の多くは今も多くの人に利用されており、スポーツ環境の整備という点でもそれなりの意義があったというべきだろう。(ただし、札幌大会では恵庭岳の滑降コースのような、「五輪による自然破壊」の汚点も残したが)

 だが、1998年の長野冬季大会や立候補したばかりの大阪には「なぜ今日本で?」という問いの方がが先に来る。

 もちろん、筆者のような意見には反論もあるだろう。いわく、ロンドンやパリは過去に何度も五輪を開いている。アメリカなどはロサンゼルスからわずか12年でアトランタの大会を開いた。だったら日本だって東京大会から44年後に五輪を開いてもよいではないか。

 これについては以下のように答えられる。まず、ロンドンやパリについては「五輪が開ける国」自体が少なかった時代の話だという点を考えなくてはならない。五輪運動の目的の一つは「スポーツと五輪の理念の世界への普及」であり、戦後開催地はこの原則にしたがって拡散しているのが現実である。ロンドンは1948年が最後だし、夏季大会に関していえば英仏での開催はこれ以来ない。ヨーロッパでも1972年のミュンヘン大会の後はモスクワやバルセロナといった周辺部へと移っている。

 アメリカのロサンゼルスとアトランタは同じ国とは言っても数千キロも離れた土地である。(ただし筆者は個人的には1996年夏季大会はアテネで開催されるべきだったと今でも思っているが)
 〔編註…本文は2004年大会のアテネ開催決定前に書かれた〕

 これに対しては2000年のシドニーは1956年のメルボルンから500キロ程度(東京・大阪間とほぼ同じ)しか離れていない、という反論が予想される。確かにそのとおりであるが、それでもなお「南半球では二回目の開催」という意義は残る。

 今日五輪を開催するに足る意義と言えば、上記の「五輪運動の世界への広がり」を別にすれば、開催国(本来は「開催都市」というべきだが)が社会的に安定し国際的なイベントを開けるようになったという「成長の証」であるか、さもなくば社会が成熟して充実したスポーツ環境を持っているという「成熟の証」ということになるだろう。日本の場合すでに前者は経験してしまった。後は後者ということになるはずだが、果たして日本のスポーツ環境は充実しているといえるだろうか。いわゆる「途上国」に比べれば施設やスポーツにさける余暇・所得は多い。だが欧米のような「誰でも手軽かつ安価にスポーツを楽しめる」という点ではいまだしという感がある。欧米のようなスポーツ環境を目指したJリーグの理念が(創設から5年近くになるのに)まだほとんど実っていないことを見てもうかがえる。

 にもかかわらず日本で二つの都市が五輪開催に名乗りを上げたのは、端的には「五輪は儲かる」ということが1984年のロス五輪で示されたからである。それ以前の国家主導型の五輪は、肥大化とともに税金ばかりかかるイベントとなり、70年代後半の不況の時代には立候補が一桁という時代が続いた。モスクワとロサンゼルスは無競争で決まった(ニクソン・ブレジネフ時代のデタントの産物という見方もある)し、88年大会はアジアの二つの都市しか最後に残らなかった。

 ところが、ロス大会がテレビ放映権料と民営化で黒字を計上すると、一転して五輪招致を言い出す大都市が激増した。げにも先立つものはお金である。都市整備と国際アピールができてしかもお釣りまでくるとなれば、「うま味のあるイベント」として認知されないほうがおかしい。バブル期に決定した長野冬季大会に続き、大阪が名乗りを上げたのもそうした世界的な流れの中にある。

 個人的には、今(近い将来)日本で五輪を開くに意義ある場所といえばたとえば那覇市ではないかと思う。もちろんその場合は「沖縄の」成長の証としての意義、そして平和の祭典としての意義をうたえるだろう。(米軍基地の跡地にスポーツ公園を作りそこを会場にする、というのであればなおよかろう)

 大阪についていえば、さすがに筆者の少年時代のような「公害の街」からはある程度ましになったとはいえ、スポーツをするに適した環境だとはお世辞にもいえない。主会場を海上の埋立地にするといっても程度の問題である。さらに開催日程が7月下旬から8月上旬だという。この時期の関西は酷暑の上多湿であり、日中に屋外スポーツをやるのにはもっともふさわしくない。(純粋にスポーツ医学の立場からは夏の甲子園大会も問題がある)東京五輪とは違う日程にしたいという「意地」なのかもしれないが、せめて9月を考えるべきだ。




 とここまで書いてきて筆者は五輪反対派なのか、とお考えの方もいるだろう。五輪に反対するといっても、どの部分で反対するのかによって中身はいろいろに分かれるはずだ。たとえば、

といったようなカテゴライズが可能であろう。筆者は「大阪を含めた日本の大部分での開催にはあまり賛成しない」し、五輪の現状には「問題がある」と考えるが、五輪運動自体までを否定する立場ではないということをお断りしておこう。


 で、興味があってというよりは偶然にも、長野五輪反対派のホームページというものを目にする機会があった。それを見て感じたのは、五輪を推進する側のなりふり構わない部分以上に、凝り固まった反対論の貧弱さである。

 上のカテゴライズに照らし合わせるとここの人たちは「五輪運動自体にも反対する」という立場らしい。その立場はともかく、その根拠付けは(一瞥した限りでは)広範な支持を得られそうなものではない。

 たとえば、五輪はスポーツエリートを作って「差別と階層化を助長する」のだそうだ。彼らが主張するのがどういう差別なのかまでは見ていない。たとえば参加が国ごと(厳密にはオリンピック委員会の設定されている単位)で、「強国」「弱国」が示されるのが差別なのか。大部分の障害者が事実上除外されているから「差別」なのか。多くの競技で男女が分けられていて、結果によって男女の肉体的な(ある)能力の違いが示されるから「差別」なのか。あるいはもっと単純に「順位」がついてしまうこと自体が「差別」だというのだろうか。もしかすると今挙げたもの全部なのかもしれない。

 前から4番目までは「五輪のあり方」の問題であり、五輪だけに限った話ではない。そして仮に最後のものが「差別」というなら、それは(「戦後教育」を叩く言葉としてよく目にする)「悪平等主義」というものでしかない。実際にあるといわれる、幼稚園のお遊技会で「女子は全員シンデレラ」というのと同じである。

 また彼らによるとドーピングが起こるのも五輪が原因だそうだ。関係はおおいにあっても五輪だけが元凶であるというのはあまりに短絡的な発想である。

 そのほか、ナチスの宣伝の舞台になったベルリン五輪などの事例から「五輪が平和の祭典というのは嘘」という主張、五輪は国家が民衆を動員する「権力の抑圧機構」になっているという主張、そして日本の場合にはそれが「天皇制による支配の強化」につながっているといった主張が述べられているようだ。これらは部分的には妥当する点もあるものの、全体としては論理の飛躍が多く、むりやり五輪に結び付けているという印象が強い。(長野五輪と天皇制を結び付けるのに、長野が皇民思想一色の1940年冬季大会に名乗りを挙げていた、だから今回も天皇制支配の強化が狙いなのだ、というのにはあきれた)

 こういった「権力の抑圧」だから悪くてその根本は天皇制にあるという考え方は、日本の「反権力運動」の悪しきステロタイプといってもよい。「権力」は絶対に悪く、「民衆」は常に被害者だという発想自体も一つのイデオロギーである。

 そしてもっと大事なのは、この人たちの「スポーツ観」というものが全然伝わってこない点にある。スポーツはどうあるべきで、だから五輪はこうなのだ、という視点がない。早い話「何か悪いこともあるかもしれないけど、でもやっぱり日本の選手が頑張ってメダルを取ったら気持ちいいじゃない」という素朴な声を説得できるようには見えないのだ。

 五輪を推進する人々のスポーツ観にも問題は多々あるが、反対派はそれに代わるビジョンの提示すらできない。つまるところ、スポーツの問題ではなくて「反権力」のテーマでしかないからではないか。「スポーツエリート」に対する批判的な見方は「運動しかできないやつが金を稼ぐのはおかしい」という「差別意識」の裏返しでないと言い切れるだろうか。

 近代五輪を語る上で近代スポーツとは何かということを避けて通ることはできない。それは、クーベルタンの創設した近代五輪運動は単なるイベントにとどまらず、競技団体や競技種目といった近代スポーツの制度そのものをあわせて作り出したからだ。したがって、「五輪は」というときにその前提となるスポーツの議論を無視しては意味がない。

 アンチ五輪というのであれば、五輪とは違った形のスポーツ観を持たなければならない。近代においてそうした運動はいくつかあったが、もっともそれを大規模に行ったのは革命後のソビエトロシアである。当時ソ連は五輪に参加せず、「労働者のスポーツの祭典」と銘打ったイベントを行った。もちろん競技種目もさまざまな「生活」に密着したものが考案された。

 だが、スターリンの時代になって「五輪でソ連が勝てばそれは社会主義の優位を示したことになる」という論理により、「貴族趣味のイベント」と無視していた五輪に一転して参加し、ステートアマを量産することになった。この変節はともかく、そういった動きがあったこと自体は記憶されていい。日本の「反対派」はそこまで根源的にスポーツを考えているか?おそらくいないであろう。

 五輪運動の問題点は多々ある。これは事実だ。そして告発本もある。古くは「ファイブリングサーカス」新しくは「黒い輪」といった著作(IOCが欧米中心の団体のせいか、告発本には日本人作者のものはない)がそうだ。しかしそれらの内容のみによって五輪運動はすべて悪いものであると決め付けるのもまた早計である。

 五輪をめぐるこうした議論は、自動車についての議論と似ている。自動車には環境破壊や交通事故といった問題がある。また運転できる人間を限るためそこから取り残される人々もいる。道路建設や石油燃料の大量消費といった周辺事情もあるだろう。これらの問題点はきわめて深刻なものである。それだけをとれば自動車は「悪いもの」である。だが、だからといって明日から自動車を全面的になくすということはできない。現代日本において自動車のもたらす恩恵から無縁で生活するということは不可能に近い。たとえ自分が運転しなくても、誰かの運転する車に乗り、誰かの運転するトラックで運ばれた商品を買うという生活は、自動車なしには成り立たない。

 「車のない社会」を目指すというのも一つの考え方である。ただし、その実現に近づこうと思えば、地道な努力が必要だろう。声高に自動車の害悪を訴えるだけでは(人目を引くかもしれないが)何も生まれない。

 五輪反対派については、そうした点を踏まえて、より人々にアピールできる運動に変わってほしいと思っている。

 一方候補地になった大阪市は、できる限り招致活動の内容と財源案を明確に公表する義務がある。応援はしないが、その部分だけは最低限守ってもらいたい。


                    ―― 終 ――



2001年追記



 上記の原稿を書いてから4年後の2001年7月13日、モスクワのIOC総会で2008年夏季五輪の開催地が北京に決定した。大阪は最下位で落選した。筆者が懸念していた「開催理念の希薄さ」は改善されず、それが惨敗を招いたといえる。その意味では筆者には予想された結果だった。

 招致関係者は「五輪への金銭的貢献が認められていない」「(大阪は規則を遵守してクリーンな活動をしたのに)他の都市は違反すれすれの汚い手を使った」といった不満や「敗因」の声が挙がっている。しかし、「金銭的貢献」で開催地が決まるなら途上国は永久に五輪を開けない。また、招致活動の内容を決定の原因とするのは、本質をすり替えた議論であろう。

 一方大阪五輪招致に反対したグループ(大阪オリンピックいらない連)は、オリンピック自体ではなく、危機的な財政状況の大阪市が五輪を開催することへの反対という立場を明確にし、政治的な色彩を表に出して広範な指示を得られなかった長野五輪反対運動の弱点を克服した。その結果、開催候補地の調査に訪れたIOC委員がこのグループからも意見聴取を行うという(反対派にとっても)予想外の事態も起きた。この事実はIOCも開催地の住民(この場合はNGO)の意見を無視できない時代が来ていることを物語る。

 スポーツ振興と五輪開催を結びつける理念の弱さは、20年前の名古屋五輪落選の時から指摘されていたことだ。IOC・反対運動の側は時代に合わせて学び、日本の五輪関係者だけが何も学んでいなかったと言われても仕方あるまい。

 ところで、大阪という街は江戸時代から住民自治の伝統が長くあった。近代に入っても民間がお金を寄付して立派な公会堂や図書館を建てた。昭和期には御堂筋拡幅など市が主導した事業も出てくるが、それも国には頼らずにやり遂げた。戦時中の統制と戦後の東京一極化によって民間の力が衰えたところに出てきたのが万博である。国家主導のプロジェクトでの成功体験が、その再来を求めるようになってしまったのではないか。(余談:通常万国博覧会は都市に対して開催権が与えられる。「パリ万博」「ニューヨーク万博」であって「フランス万博」「アメリカ万博」ではない。しかし1970年の万博は「大阪万博」ではなくて「日本万博」だった。ここにこの万博の性格が端的に現れている)

 大阪がよき「住民自治」の伝統を呼び起こしてスポーツ環境の整備に努め、市民の間から「この素晴らしいスポーツ環境を五輪で世界に紹介しよう」という声が挙がったときに、大阪でも五輪を開くことができるであろう。


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