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【「温故知新」 本をめぐる雑談】

村岡正明

航空事始 不忍池滑空記


(東京書籍、1992年)





伝説と真実、そして真の「科学的好奇心」


 「と学会」の近著『トンデモ超常現象99の真相』(洋泉社、1997年)では様々な超常現象について、その「伝説」と「真相」が書かれている。だが、「伝説」が発生するのは何も超常現象に限った話ではない。

 「世界で最初」とか「世界一」といった記録にまつわる話にもよく「伝説」がつきまとう。曰く「日本の某は××の研究をしていた。諸般の事情で世には出なかったが本当は世界で最初だったのだ」という類だ。

 その背景には「埋もれた業績の発掘」という素直な思い入れの過熱と、「わが国(あるいは「わが郷土」「わが係累」)には世界的な人物がいた」という「身贔屓」があるように思われる。

 超常現象でもそうだが、いったん流布した「伝説」は容易には覆らない。それを糺す内容の書籍が出ても、なかなか人目に触れない専門書だったり、一般書でも地味な出版社からの刊行で、特段それに興味を持っていなければ忘れられていくからだ。

 たとえば10年ほど前に「日本で最初に真円の養殖真珠を作ったのは御木本幸吉(あのミキモトの創始者)ではなかった」という本を図書館で見かけたことがある。借りて読まなかったので詳しいことはわからないが、その後この説が流布しているという話(あるいは、やはりそれは間違いだったという話)は聞かない。こういう話もたまたま新聞などに載れば広まるのであろうが。

 この『航空事始 不忍池滑空記』も、埋もれていた事実を発掘する本である。この本を筆者は近所の図書館で偶然発見したのだが、刊行されたのはもう4年以上前である。読者ハガキと出版社の新刊案内が挟まれたままになっており、ほとんど読んだ人がいないのだろう。(貸し出し履歴は電算化のため不明)

 本書の中では世界と日本の初期の航空史が資料の引用を伴って説明されており、その中で従来流布していた一つの「伝説」を修正している。
 その「伝説」とは、
 「日本の軍人・二宮忠八は鳥や昆虫の観察から模型飛行機の製作に成功し、さらに実物の飛行機の製作を軍に具申したが無理解な上官に却下された。それはライト兄弟の初飛行より12年も早く世界最初の飛行機である。その後も彼は研究を続けていたが、1903年12月にライト兄弟の初飛行のニュースを見て断念した」

 というものだ。この伝説に「過大評価」と「事実未確認」が含まれていることを筆者は以前から知っていたのだが、きちんとそれを指摘した本は本書が始めてである。

 ただし、この記述自体は本書の中では「補足的項目」にすぎない。本書の核になっているのは、1909年に行われた日本で最初の(近代的な航空力学に則って製作された)グライダー飛行実験と、それにかかわった人々の記述である。副題に「不忍池滑空記」とあるのは、その実験が行われた場所の一つが東京・上野の不忍池であることからつけられたものだ。

 この実験の話は筆者も初めて目にしたものである。その意味では本書も「埋もれていた事実の発掘」を行っているのだが、そこでは当時の資料がふんだんに引用された実証的な記述と、世界の航空情勢を視野に入れた冷静な態度が貫かれており、新たな「伝説」を生じるような内容ではない。それは、本書で取り上げられた−実験にかかわった−人々の態度とも相通じるものである。

 このグライダーを製作したのは若いフランス海軍士官ル・プリウールである。だが、彼のまわりには同じように航空に情熱を燃やす日本の海軍士官、そして科学者がいた。彼らの協力によってグライダーは飛んだのだ。三人に共通するのは、よい意味での「科学的好奇心」である。それは「トンデモ」な人々と発想の源は近くても、その先では対極にあるものだ。とりわけ、その「科学者」・田中館愛橘(たなかだて・あいきつ)の姿は、明治の日本にもこれだけ柔軟で遊び心と実証的精神に溢れた科学者がいたのだ、ということを教えてくれる。その意味で、本書は「トンデモ」を裏から照射する本であるともいえるのだ。

 また、フランス軍士官ル・プリウールが空に憧れた原点がジュール・ヴェルヌの著作にあったという部分は、アニメ『ふしぎの海のナディア』を見た人には興味深く読めるであろう。

 トンデモネタ関連というと、本書に引用されている1907年の雑誌記事にはライト兄弟の出身地を「オハヨー州」と記述しているものがある。『トンデモ本の世界』に紹介された『古代、アメリカは日本だった!』では「オハイオ」の語源が「おはよう」とされているが、オハイオ州を「オハヨー州」と表記した例は本当にあったのだ。(だからといってこの珍説が正しいわけではないが)


 評者:鈴谷 了




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