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空談寸評

『神聖モテモテ王国』

コミックス、小学館(週刊少年サンデー連載)、ながいけん




へーげる奥田



 わがWWFのメーリングリストには女性が3人参加していて、うち2人は少年サンデーを購読している。しかし両名ともこの『神聖モテモテ王国』をとばして読んでいるそうだ。無理もない。なにせこの作品は、主人公の「ファーザー」「オンナスキー」(仮名?)が「ナオン」を獲得すべく日夜奮闘する物語なのだ。

 作者ながいけん氏が突然少年サンデーに登場した時、度肝を抜かれたのは私ばかりではあるまい。あれは1980年代初頭、雑誌「ファンロード」に投稿作家として現れ、数々の暴走ギャグを放って独自の作品世界を構築したセミプロ漫画家ながいけんは、単行本『チャッピーとゆかいな下僕ども』を発表したのち忽然と姿を消した。ある日突然、彼の作中世界に作者自身が登場し、自身で作ったすべてのキャラクターたちを「解放」する。そののち彼は、吐き捨てるように終焉を宣告して「自爆」し、作品世界からおのれ自身を消し去った。あとに残され、やがてちりぢりに歩み去るキャラクターたち。ただ一人残った「作戦総司令官」は、蕩々と辞を朗詠する。


我が連合艦隊が大命を奉して出征したる以来数年、
今ここに其の航海を無事了えたる事を得るも
これは全て各員の奮励努力に由るものにして、
ここに各員への感謝の意を表す。

……惟うに、人生は全てが実戦であり、また演習でもあり、
過去の数年を観すればこれまた長期の一大演習にして、
過去に驕ること無く各自一層の精進を期待す。

……以て解散の辞となす.

 いったい彼に何があったのか。それから10年以上の歳月を経て、突然復活したながいけん閣下は何の前ぶれもなく「少年サンデー」というメジャーの舞台で作戦行動を開始した。それがこの『神聖モテモテ王国』なのである。あまりに唐突すぎて、作品の設定まで何だかわからない。キャラクター解説を読んでみても納得できる説明は書いていない。まさに困った作品だ。

 この作品に関しては、本当はこういった方法はあまり取りたくないのだが、とりあえず論理的に説明しよう。主人公・深田くんはおそらくは一人暮らしの高校生らしい。彼はなぜか過去の記憶を失っているらしい。彼は親戚から仕送りを受けて一人で生活していたらしいのだが、ある日宇宙人を自称する「ファーザー」と出会う。「ファーザー」は深田くんを「オンナスキー」と呼び、「ナオン」あふるる国家「モテモテ王国」建国を宣言して彼のアパートに居候を始めたらしい。「ナオンにもてる」という部分で彼らの利害関係は一致したようだ。

 こう書くとなんということのないただのギャグマンガなのだが、そこはながいけん閣下、実はこの作品タダモノではないのだ。

 この作品の表層的な特徴は「ガンダム文化圏」である。とりわけ、私のような初代ガンダム者が読むとたしかにこの作品は興味深い。1980年代の記憶の集積は確固たる精神文化を形成してこの作品を構築する。また公には出ないが、作品中にちりばめられる「ファーザー」の饒舌は、『攻殻機動隊』『ジョジョの奇妙な冒険』などきわめて広範な他文化圏にも言及していく。

 そしてまた、この作品は表象の物語でもある。「密あふるる約束の地・モテモテ王国」を夢想するファーザー。彼はセルバンテスのドン・キホーテーの意味論的地位を演じ続ける。彼は日常生活においても常に国家運営ないしは国事行為を執り行う。国民は為政者を含めて2人しかいないが、彼を総司令官とする軍は作戦を実行し、NKTTは情報戦に暗躍する。だがしかし、彼の日常は決して平穏なものではない。何だか知らないけど道行く彼をその辺の犬が襲い、彼の作戦行動は非常に高い確率で街のヤクザや警察官の介入により壊滅的打撃を受ける。ひとたび出撃した彼が流血をともなわず帰還することはきわめて稀なのだ。

 さて他方、この物語にはいろいろと不思議なギミックが隠されている。彼らモテモテ王国に脅威を与えるデビル教団は、作中のアナウンスによって物語における「仮定」であると宣言されているのだ。そしてこの「ファーザー」、どうやら宿敵デビル教団とはるか昔に何らかの因縁があるらしい。またこのところ猛威をふるっている「偽善者トーマス」も、何か「ファーザー」と同質なものを感じるキャラクターだ。考えてみれば、週刊少年サンデーのハシラに書かれたキャラクター紹介も、結局何も説明していない。作品世界や設定の非開示性といい、登場人物の説明の放棄といい、いわばエヴァンゲリオンと同質の手法を用いている……と言えないこともない。

 ともかくも、謎のながいけん帝国はここに復活した。「奴らは死んでも生きている」――ながい作品大原則・第一原則にはこうある。謎につつまれた特異なギャグを展開するこの作品は、私がいま最も注目している一作といってよい。




1998/01


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