空談寸評のページへ戻る

空談寸評

『行け! 稲中卓球部』

コミックス、講談社(「ヤングマガジン」連載)、古谷 実



へーげる奥田



 私が以前「ヤングマガジン」を購読していた理由のひとつはこの作品だった。ギャグの論評は難しい。特にこの作品の場合は、いくつかの複合的な要素によってその特異な世界を構築しているのだ。

 いま、単行本第1巻と最終巻である第13巻を引っぱり出してきたところである。
「こいつの名は前野 自分が利口だと思っているたちの悪い大バカだ」「こいつは井沢ひろみ "あしたのジョー"の超おたくだ この髪型は一回でハードスプレーを二本使うらしい」「彼の名は田中 24時間常にスケベなことを考えているスジガネ入りのムッツリだ」
いわゆる「基本」である。たしかに当初は常識的、というかギャグマンガの基本とでもいうべき設定となっている。いや、基本的にこの作品の世界は中学生の日常という常識の線を逸脱しないよう非常に注意深く制御されているのだ。それは最終巻まできちんと守られている原則である。

 ギャグの落とし方の質についても同様である。日本のギャグマンガが『がきデカ』以来踏襲する基本的なパターンを踏みながら始まった物語は、卓球界のカールゴッチ・岸本さんや、頭の弱い浮浪者サンチェといった形で次第にそこかしこに暴走を見るようになる。当時猛威をふるった「不条理ギャグ」の要素を多分にふくむその暴走は、まったく独自の境地に到達して多くの亜流を生んだが、これを強力なギャグに昇華し続け得たのはこの作品だけだったように思う。

 前野・井沢・田中の3人組。卓球部の問題児だ。中でも前野は、べつだん「お笑い」を追求するようないわれはぜんぜんないはずなのだが、なぜか異常な意地と情熱をもってギャグ勝負を闘う。彼の常識では、どうやら笑わされたら「負け」らしい。八百屋を襲った「ヘンな顔のプロ」にも、ワルが服着て歩いているような寺の住職にも、鬼のごとき表情で彼は挑む。もはや理由はよくわからない。やがて古谷ギャグは言語的合理性──ロジックで説明できる範疇を超え、異様なノリを見せ始める。最後までテンションを下げることなく爆走するギャグの世界は、中学生の泥臭さ、浮浪者や異相のもつ奇形的な毒などを武器に白目をむいて展開してゆく。アニメ化もされたが、そのテンポや不条理性、強力な毒などを再現することはなかなかできなかったようだ。当時、『パパと踊ろう』と並んでシュールな笑いを提供してくれていた、近年マレに見る強烈なギャグマンガである。



1997/08


 ・空談寸評のページへ戻る