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空談寸評

『平気でうそをつく人たち』

論文、草思社、M・スコット・ペック著(森英明 訳)



へーげる奥田


 悪というテーマには以前から非常に興味があって、さまざまな本を読んだ。だが、どの本もピンとくるものがなかったように思う。たとえば中村雄二郎の『悪の哲学ノート』は非常に真摯に「悪」に対する研究を行っているが、いかんせん文献解釈学的方法に依拠するところが大きく、何と言っても面白くない。エーリッヒ・フロムの『悪について』に至っては、ナチスという知的地平を前提として考えあわせなければ完全にトンデモ本の部類に属するものだ。

 この本『平気でうそをつく人たち』は、「evil(邪悪)」に対する研究の本である。題名にはかなり意訳が入っていて、「他人をだますことに痛痒を感じない人間」についての本ではない。文中で正しい訳『虚偽の人々』が提示されているとおり、自己に対してすら自分を偽り、偽りの表象の世界で暮らす人間を対象としたものだ。その方法は基本的に臨床心理学ないしは精神分析学の体裁をとっており、ノンフィクション的な読み物としてもなかなかのものである。

 本書の目的として、「邪悪」を疾病として、また精神分析学上の概念として定義しようという点があげられている。その目的がきちんと達成されているかどうかにはやや疑問の余地があるが、悪という概念に対するこうしたアプローチはいろいろと興味深い。たしかに過去の哲学などでは「悪」は「善」に比べてそれほど深く考えられていなかったような印象を受ける。加えて20世紀の末の現代において、価値は相対化し、悪の定義はますます難しくなっている。そこにあって、「悪」を「疾病」として扱う、その価値観をいったん括弧入れして対象化するといった作業は思想的にぜひとも必要だと思う。

 論は、きわめて個人的なケースから出発する。ここに登場する「患者」たちはいずれも、自分が「邪悪」な人間だとは夢にも思っていない。しかし彼らの内部には病根が潜んでいて、そしてそれは我々の内部にも確実に存在するのだ。このあと論は組織の悪へと発展し、たとえば軍がなぜ邪悪な組織になっていくのかを分析している。国民(アメリカの)に対して徴兵をしくべきだと作者はいう。軍が好きで軍に入るような者たちだけで構成された軍は危険な組織になりがちであるから、特に「軍人的」でない一般の人々を軍に入れることによって軍の邪悪化に歯止めをかけるのだという。日本ではちょっとあぶない意見だが、一理あるように思う部分もある。

 基本的には学的な文書であるのだが、文中そこかしこにキリスト教的要素がちりばめられていてちょっとうるさい。価値相対主義に陥った現代において絶対的価値をどこかに置きたい気持ちはわかるが、このへんは日本人にはかなり抵抗があるかもしれない。しかし全体的にはテンポも軽く、実践的な要素も多分にふくんだ作品である。




1997/07


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