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空談寸評

『ドラゴンクエストIII』

RPG(スーパーファミコン)、エニックス、堀井雄二 他


へーげる奥田


 実はそれまで、ファミコンというものをやったことがなかった。当時就職してすぐだったように記憶しているが、『ドラゴンクエストIII』を契機にいっちょゲームでもやってやるぜい、と機械を買い込んだ。あとはもう依存症状態だった。

 正直ファミコンなんてアタマから馬鹿にしていた。当時あった『キン肉マン』だとか『スーパーマリオ』だとか、コドモダマシにしか思えなかったからだ。しかしドラゴンクエストIIIをやっているうち、ゲームによって表現される世界感というものを感じることとなった。当時、ハイデッガーという哲学者の著作を読みふけっていたこともあって、「世界」というものに非常に興味をいだいていた。「世界」というものの要素として、ハイデッガーは「道具」や「〜ために」という構造を指摘する。これはまさしくドラクエ型ロールプレイングそのものではないか、となんかトンデモナイ真理を発見したような気になったものだ(若いときには非常にありがちなことである)。

 1996年になって、『ドラゴンクエストIII』はスーパーファミコンでリメイクされた。あれからずいぶんさまざまなRPGを体験したが、ベストゲームを選ぶとしたら『マザー2』かこの『ドラゴンクエストIII』をあげたいと思う。何より物語にお仕着せの部分が少なく、ユーザーがその想像力を存分にふるう余地を残している。物語というのは純粋に主観的なもので、子どもはその遊びにおいて、棒っきれ一本石っころひとつにも独自の物語をしつらえる。この『ドラゴンクエストIII』は、子どもの夢想を許すゆるやかな規約で構築されたシステムだ。巧みなものだと今でも思う。

 ファミコン版の『ドラゴンクエストIII』には、もうひとつ思い出がある。当時コミックマーケットでは、もともとあるサークルのメンバーが書くのではなく、あちこちから書き手を呼び集めて同人誌を編集するという手法が普及し始めていた。これによって「有名同人作家」なるものが生まれ、若くして「大立て者」となる同人作家、編集者もたくさんでていた。筆者の知り合いのA嬢もそんな同人作家で、ちょっと色気過剰のマンガを描く女子中学生というふれこみで、プロ漫画家デビューなどとも噂されていた。そんな彼女から、『ドラゴンクエストIII』の本を作るから何か記事を執筆してくれと言われ、かなり気合いを入れて原稿を書いた。当時彼女のグループは羽振りがよく、中学生でありながら何千部という同人誌をさばき、常に2〜3本の同人誌企画を抱えていた。当然中学生にそんな資金力はなく、すべて「購読予約」として一般客から集めた予約金で運用していた。そんな債務を負ったまま、彼女がぱったりとコミックマーケットに来なくなったのは、ちょうど私の原稿が掲載される本が出るはずの夏だった。彼女の家は旅館をやっていたのだが、電話をかけると現在使用されておりませんのメッセージが流れた。何があったのかはわからない。今となっては、彼女の存在自体なんだか夢のようである。『ドラゴンクエストIII』リメイクとの知らせを最初に聞き知ったとき、ふと思って古い原稿入れを開き、あのときの原稿を探してみたが、見つからなかった。


 リメイク版は、最新の技術を生かしながら、ゲームバランスをみごとに再現してくれていてとてもうれしい。当時あれだけ大量の時間投資の末発見したもろもろのバグはみんな修正されてしまったようでちょっと残念だが、まあ仕方がないだろう。こういうバグを利用(悪用?)して、勇者単独クリア、勇者二人などなどいろんなことをやったものだが。願わくば、以前からエニックスにリクエストしているように、Windows95版といった形でリリースしてほしいと思う。


1997/02


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