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【「温故知新」 本をめぐる雑談】

五木寛之・廣松 渉

哲学に何ができるか


(中公文庫、1996年)




 ※初出『哲学に何ができるか―現代哲学講義―』朝日出版社「レクチャー・ブックス」、1978年。ただし「注釈」には1994年の業績までを反映している。


 この『哲学は何ができるか』は、哲学者の廣松渉氏を「先生」役とし、作家の五木寛之氏を「生徒」役として、哲学を話題にして進められる「対談」の記録である。「現代哲学とは何か」・「同時代の哲学」・「マルクス主義の行く方」・「現代哲学のたたかい」の4章からなっている。「何ができるか」というタイトルは版元がつけたものだそうで、対談の内容とはあんまり関係がない。

 カバーの惹句によると、この本の特色は「希有の体系的哲学者とサブ・カルチャーの旗手を任じる作家という異色の対談者」によって哲学が論じられることにあるそうだ。

 「サブ・カルチャーの旗手」五木寛之氏はこの対談を「日本人の教養癖」ということから始めている。自分の小説に、休日になると吉川幸次郎や小林秀雄の本を読まないと気がすまない「広告代理店に勤めている中年男」が登場する。自分の書く「サブ・カルチャー」の領域の小説の「サブ・カルチャー」的読者層にそういう登場人物像が受け入れられているというところから、五木寛之氏は、「サブ」なんかじゃない正真正銘の「カルチャー」である「哲学」の話へと橋をかけようとしているのだ。

 最初からこんなことを言ってはなんだが、こういう感覚自体が私には実感として受けとめにくいものである。

 もちろん、「カルチャー」(文化)と「サブ・カルチャー」(下位文化)という区別そのものをまるきり否定する気はない。そういう区別をつけて議論を進めることが自分の議論にとって有益だと思えば私はやっぱりそうやって区別しながら議論するかもしれない。だが、世間的・一般的に「これはカルチャーに属する」とか「これはサブ・カルチャーに属する」とか区別されているんだろうな、ということまでは認識しても、それを自分の感覚として受け入れることはまるきりできないのだ。

 一般的に「カルチャー」と「サブ・カルチャー」を区別するならば、いま私のパソコンラックの上に積み重ねてある二枚のCDのうち、ドビュッシーのピアノ曲は「カルチャー」であり、林原めぐみのアルバムは「サブ・カルチャー」である――ということになるのだろう。しかし、私には、ドビュッシーを聴くのと林原めぐみを聴くので、ドビュッシーを聴くほうが「上位」であるとは思えない。もちろん「下位」であるとも思えない。そのあいだに截然とした区別をつけなければならない理由を自分の感覚として受け入れることは私にはできない。

 こういう感覚が現代に共通しているものか、それとも私だけの特殊な感じかたなのかということについては、私にはよくわからない部分がある。

 「オタキング」岡田斗司夫氏が、日本の「象牙の塔」中の「象牙の塔」と目される東大の講師になり、戦後進歩思想を代表してきた朝日新聞社から本を出す。それは、「サブカルチャー」のなかでも軽く見られる気分のあった分野の専門家である「オタク」が、「サブ」どころか戦後日本の「カルチャー」の頂点を制覇したということを象徴している――ようでもあるし、そう思いこませるのが岡田氏の戦略なのだろう。だが、「オタクはこんなにえらいんだ」と「オタクの帝王」氏がことあるごとに顕示しなければならないということは、逆にそれだけ上位「カルチャー」と「サブ・カルチャー」のあいだに強固な壁が存在するということを象徴していると受け取ることもできる。中国哲学なり建築学なりの新任の東大講師が「オレが東大講師になった以上はこの分野は社会的に認知された学問なのだどうだまいったかわははは」というような口を利くことなんておよそ考えられない。

 それまで「サブ・カルチャー」の領域に属すると思われていた教養が、時が経つにつれて「カルチャー」の領域に入っていくということはあるだろう。シェイクスピアの戯曲はもともと劇団の座付き作者が劇団のために書いた台本だし、夏目漱石の小説だってもともとは新聞小説だった。けっして高い全集を買って書棚に飾ってありがたがるようなものではなかった。ある時代より前の人びとにとっては、歌舞伎の『忠臣蔵』を見に行くことはけっして高い社会的ステータスのある人にふさわしいこととは考えられていなかった。芝居なんか見るのは「サブ・カルチャー」であって「カルチャー」ではなかったのだ。しかし現在ではナマで『忠臣蔵』を見ることは「カルチャー」の一部として考えられているのではなかろうか。当の五木寛之氏の小説も、私たちより上の世代の人たちにとっては「サブ・カルチャー」の領域に属すると感じられるかも知れないが、私にはそれよりは「上位」のカルチャーの領域に近いもののように感じられる。

 だが、そういうこととは質のちがう、「カルチャー」と「サブ・カルチャー」のあいだの壁が無効になりつつあるという過程が進んでいるように私には感じられるのである。

 そもそも「カルチャー」と「サブ・カルチャー」の区別ということ自体がある特定の時代の所産であるように思う。

 類型化していえば、身分制社会では、たとえば「武士階級の文化」・「公家文化」・「町人文化」というものはあり、それぞれのあいだに交流はあっただろうけど、社会に共通した「カルチャー」・「サブ・カルチャー」という区分はなかったのではなかろうか。貴族文化と民衆文化のあいだには断絶があり、民衆文化のなかでも農民文化と都市民文化――それにいわゆる「非農業民」文化――はやはり相当にちがった性格を持っているのが普通であり、社会全体であえて「カルチャー」を「サブ・カルチャー」から区別する必要はなかったのではないか。

 身分社会が消滅し、都市・農村の文化的格差も解消した近代になって、「カルチャー」と「サブ・カルチャー」の区分は重要なものになってきた。近代社会でも、その初期には富の格差が文化の質のちがいに反映していた。事実上、富裕な階層や階級だけが身につけられた教養を前提にする文化や、その文化を享受するために富や時間を要するような文化は、その一部の富裕な階層以外には縁のないものであったからである。だが、社会全体が富裕になっていくにつれて、富裕層以外の大衆にも、富裕層が独占していた文化と同じメディアによって大衆の文化を表現することが可能になった。そこで、習得に手間のかかる教養を前提とする、従来の富裕層の文化を「カルチャー」とし、それ以外の「サブ・カルチャー」から区別するという習慣ができたのではないかというのが私の現在の仮説である。つまり、それは、伝統的な近代社会と大衆社会のせめぎあっている時期の「文化」観として成立しうるものであって、大衆社会とそれを前提とした大衆民主主義が勝ちを収めてしまえば意味を失うものではないかと思うのである。

 こう言うことをもって私は五木寛之氏を攻撃したいわけでもなければこの本自体を攻撃したいわけでもない。なにせこの対談が行われたのはいまから20年近く前のことなのだ。その時代には岡田斗司夫の主張を受け入れる広範な読者層などいなかった。もひとつあえて書けば小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』が社会批判として社会的に影響力をもちうる素地もなかった。五木氏も書いているように「サブ・カルチャー」のほうが「カルチャー」よりかっこいいんだという感じかたはあったようだが、その区別自体が無効になるという方向が見えていたわけではない。

 それに、ここで五木寛之氏が提起した問題は、「カルチャー」と「サブ・カルチャー」の区別が力を失いつつあるように見える現在でもじつはいっこうに解決されていない。五木氏は、堅苦しく、高尚で、むずかしくて、「一般人」には理解できないものと思われている「哲学」を、なんとか「一般人」になじみやすいものにするための足がかりとして、「一般人」に広く受け入れられている「サブ・カルチャー」分野の小説家という立場を利用しているのだ。これを五木氏は「通俗化」と表現している。

 ちなみに、この五木氏の「通俗化」への関心は、最近になって蓮如(だったっけ?)を題材に取り上げていることにまで繋がっていることが窺えておもしろい。蓮如はまさに仏教を戦略的に「通俗化」しようとした宗教家だと考えられているからである。五木氏は自分の生きかたとして「サブ・カルチャーの旗手」でありつづけることにこだわりつづけているようにも思える。それはそれで凄いことだ。

 で、現在、「カルチャー」と「サブ・カルチャー」のあいだの壁が溶解しつつあるとしよう。だとして、「哲学」が「一般人」にとって少しでもなじみやすいものになっただろうか? 明らかにそうではない。「哲学」は「象牙の塔」の内部に撤退し、それが語られることが必要なところに姿を現すことさえ稀になった。たとえば、政党政治の混迷を語る局面で、学校でのイジメを語る局面で、ゴミ問題を語る局面で、あらゆる局面で、「いま日本には新しい哲学が必要ではないでしょうか」などと語られることはある。だが、じっさいにそこで「哲学」が語られることなど絶えてない。それどころかたとえそこで「哲学」が語られはじめたってだれも関心は示さぬであろう。政治は国民のもの、消費税税率引き上げに反対しましょう、イジメは他人ごとではありません――そういう、それを言ったからだから何が解決するわけでもないことを深刻な顔でコメントすればそれでおわりにするのがスマートな終わりかたというものだ。

 それは「哲学」だけではない。あらゆる「学」が「象牙の塔」のなかに撤退し、「一般」の世間とアクチュアルな関わりをもたないことを美徳とする。そして、「一般」の世間には「学らしい」だけでただ「俗」受けするだけのもの言いが出回る。そんな大衆民主主義のなかで、「哲学」――philosophyつまり「知を愛すること」はどんな場所にいればいいのだろう? もし「象牙の塔」の内側以外にも居場所があるとすれば、だが。

 本書の解説(矢代梓氏による)にも言及されているように、ちょっと前に『ソフィーの世界』という本が流行した。矢代氏はこの本には批判的なようだが私はそもそも読んでいないのでよくわからない。ただこの本の流行がどういう意味を持つかということである。日本人大衆が哲学に興味を持つようになったことのあらわれと見てよいのか。そうは思えない。たとえば日本人大衆のなかで「1999年に終末が来る」と書いた本を読んだという人はそんなに少数ではないだろう。だがその何割がほんとうに1999年の終末を本気で恐れているだろうか? それと同様に、『ソフィーの世界』の読者の大多数も、やがてそこに書かれていた古代から近代にいたる哲学のことなんか「どうでもいいこと」のひとつとして忘れてしまうのだろう。そうでない人がたくさんいるならば幸いであると私は思う。余談ながら『オタク学入門』の読者にしてもそうである。一過性の流行を「オタク」文化の定着だと思いこむほど「オタク」諸君の志は低くないはずだ(と信じておこう)。

 さて、「哲学」についてよく言われるもの言いにつぎのようなものがある。たとえば英語でphilosophyというと「生きかた」というような身近な意味がある。ところが日本語では「哲学」という堅いことばが使われる。そのため、日本では「哲学」というのは、ふだんの生活から遊離したむずかしいものというイメージを持たれるのだ...。

 しかし、欧米では「哲学」が人びとの日常にとっていかにもなじみ深いものであるように感じさせるこのもの言いは、じつは哲学にとって正当なもの言いではないことが最初のほうで紹介されている。英語でphilosophyが「生きかた」のような意味で使われるということと、哲学が「生きかた」のことであるということとはまったくちがうのだ。すこし考えてみればわかることである。Philosophyを「生きかた」というような意味で使うからといって、ヘーゲルの弁証法やハイデッガーの「世界−内−存在」の概念がそうかんたんに理解できるということにはならない。欧米でも、哲学は、日常からは距離のある、いわばムズカシイものなのである。

 五木氏に対して「先生」の役を務める廣松渉氏は、哲学とはもともと観照的なものであり、「世界とは何か」というような関心の向けかたをするものだったという。「人はいかに生きるべきか」といういわゆる「人生哲学」はのちの時代に主要な関心事になっていくのであって、哲学が最初から「人生哲学」であったわけではなく、また「人生哲学」が哲学の正しいあり方でもなんでもないというのである。

 哲学を「通俗化」しようとする五木氏に対して、廣松氏は哲学は「通俗化」なんかできないという姿勢で一貫している。だからといって五木氏が哲学の「通俗化」をあきらめるわけではなく、なんとか廣松氏から話を聞き出して哲学を「通俗化」してやろうと対談の最後まで試みつづける。そして、最後には廣松氏が「きょうはいろんな搦め手から攻められて、気がついたらまんまと術中に陥っていたという感じです」と五木氏の成果をたたえるというかたちで終わっている。

 「先生」役の廣松渉氏は、「物象化論」で有名な、戦後日本を代表する重要な哲学者である。「物」ではなくて「事」あるいは「関係」を基本にして世界を捉えるべきだという「事的世界観」を提唱した。また、マルクス論でも有名で、マルクスについての著書も多いし、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』の校訂なんかもやっている。詳しいことは省くが、それは「物象化論」の論者がたまたまマルクスにも関心を持っているというのではなく、マルクス研究と「物象化論」とか「事的世界観」とかいう廣松氏の哲学は切っても切れない一体のものなのである。その点で「ソ連がなくなったからといってマルクス主義がだめになったわけではない」と言ってたんに強がる「知識人」のたぐいとはまったくちがっている。ちなみにファイナルファンタジー4では「つよがる」とそれだけ魔法の威力が上がるらしい。リディアが強がれると無敵なんだろうがリディアはあまり攻撃的な性格をしているわけではないので「つよがる」というコマンドはない(関係ないか)。

 廣松氏は大著『存在と意味』の刊行を志し、その半ばで1994年に病没した(2巻まで出ている)。「哲学の世界では、本人が体系化しなければ駄目ですね」と廣松氏は本書で語っている(92頁)。もしそうだとすると、廣松氏の逝去によって、『存在と意味』で展開されるはずだった廣松氏の体系は永遠に体系化されないままになってしまったわけだ。廣松氏がみずからの死を前にしたときに、自分自身にどれだけの覚悟を要求したか、想像するに余りある。

 本書にはこの「サブ・カルチャー」の面以外にも「時代の影」を見てとることができる。マルクス没後のマルクス主義の分裂について、廣松氏は、資本主義が、自由主義から金融独占資本主義=帝国主義の段階へ、そしてさらに国家独占資本主義の段階へと進んだことへのマルクス主義者の戦略の分岐として捉えている。そして、現在は「国家独占資本主義」の段階にあるのであって、「高度成長で体制的に安定化し“平和共存”とかいうことで、いまのところはいかにもファッショ的というような支配形態はむき出しには出ないかたちになっていますけれど、いつまでもこういう状況で進むなんて考えては甘すぎる」(286頁)と発言している。そして、「国家独占資本主義」を止揚する思想こそが現代哲学・現代思想のアクチュアリティーの条件だと言っているのである。

 ソ連崩壊後の視点からこの発言をバカにすることは容易かも知れない。だが、まず、この発言が、ソ連のブレジネフ体制末期とアメリカ合衆国のレーガン政権登場前夜になされたことを押さえておく必要がある。ある種の緊張緩和の雰囲気ののちに、当時の両大国であった米ソで、軍事的・政治的な意味での「国家」が優越的な地位を占めるという事態が現実に起こったのである。それは1980年代を通じて継続した。ソ連のアフガニスタン侵攻(ロシアのレーベジ氏はこの戦争の「英雄」である)やアメリカ合衆国のSDI構想(このSDIとツリガネの侵攻は関係ある……かも知れない。『魔法使いTai!』小説第二巻参照)、あと日本を含む西側諸国のモスクワオリンピックボイコットなどはこの時代のできごとである。

 だからといって「廣松氏のような人も時代的制約を免れ得なかったのである」などとてきとーな逃れ文句でこの場をごまかしたいわけではない。

 さきに書いたように、ソ連崩壊によって社会主義は敗北したという考えかたに異議を唱える論者も多い。本書の解説者の矢代梓氏も、「ロシア社会主義の崩壊が思想としてのマルクス主義の解体に繋がる」という見かたを「短絡的」と評し、「これでは高度資本主義の術中に自ら率先して嵌まることになる」と書いている。だが「高度資本主義」っていったい何だ? 柄谷行人が「少し前までは高度国防国家というのがあった」とどこかでまぜっ返しているのを読んだことがある。

 マルクス主義が解体したか解体していないかという問題をまず持ち出す問題の立てかたそのものに私は違和感を感じる。マルクス主義者や、「主義者」ではないにしてもマルクスの書いたことを自分の思索や認識や実践に活かしていこうとする者にとって重要なのは、自分がマルクスやマルクス主義者の著作や実践に対してどういう態度をとるかである。そして、そのなかで自分がソ連崩壊という事態をどう受けとめて自分の理論形成や実践のなかに活かしていくかが重要なのではないだろうか。

 本書で、廣松氏は、ニーチェが「神は死んだ」と書いたにもかかわらず、「神」はヨーロッパの哲学のなかでしぶとく生きつづけているということを論じている。ではマルクスは――マルクスが見つけだした妖怪たちはいったいどうなのだろうか。もう死に絶えてしまったのだろうか、それともちっともダメージを受けずにまだどっかをうろついているのだろうか。いたずらにマルクス主義は解体していないとか社会主義はいまでも有効だとか強がるより、その問題に冷静に取り組んでマルクス主義の底力を世の中に見せつけてやるのがマルクス主義者の当然やるべきことなのではないかと私は思う。強がって弱い魔法を打つより、幻獣神の洞窟まで行ってバハムート召喚を習得してくるほうがずっと有効に戦えるのだ。なお、念のために記しておくと、紙幅のかぎられた解説文での矢代氏の文章をもって、矢代氏に攻撃を向けたいという意図は私にはない。

 じつは私は1980年代に起こったことというのはもうちょっと冷静に考えてみる必要があるのではないかという気がするのである。たとえば、日本で、タカ派政権としての印象を背負ってうまれた中曽根内閣は、その国家主義色を徐々に薄めていくことに成功し、同時に、民営化と消費税導入で現在に繋がる自由市場に基礎を置く新保守主義を定着させることに成功した。もちろんそれが円高不況からバブル経済に向かう経済に支えられていたことはたしかである。自由市場とそれに見合う自由主義こそが人民の生活を幸福にできるという考えかたがやはりひとつのイデオロギーにすぎないことが明らかになってきた現在、その自由市場を至上とする新保守主義は試練にさらされている。だが、マルクス主義を含む社会主義や社会民主主義はその新保守主義の試練に乗じて有効に反撃に転ずることすらできていない。

 ソ連ではゴルバチョフ書記長(やがて大統領になった)の指導下に「ペレストロイカ」が進められた。ペレストロイカというのは「たてなおし」というような意味でようするにリストラである。で、懸命にリストラをやったらカイシャがつぶれてしまった。たてまえだけは「会議制の社会主義の共和国の組合」という、固有名詞をひとつも含まない国名を保持していた国家が消滅し、かつて帝国だったロシアがその後継国家として姿を現した。そこでも「改革」が懸命に進められた。だがその「改革」がロシア国民のすべてに幸福をもたらすという思いこみはやはりイデオロギーにすぎないことがはっきりした。だが、マルクス主義を含む社会主義や社会民主主義はそのロシアの「改革」の行き詰まりに乗じて有効に反撃に転ずることすらできていない。

 冷戦の勝者であるアメリカ合衆国でさえ、自分が掲げてきた理念が全世界で実現できる段になると、それを実現することがどんな負担を伴うものかということをようやく発見してたじろいでいるように見える。自由市場の理念を掲げつつ、自分たちの「連合国家」内の産業のためには他国に「数値目標」を押しつけ、全世界での人権実現を掲げながら、自分たちの「連合国家」内の産業のためには何十分かの裁判で人を11年の刑に処するような国家を優遇する。自分たちの「連合国家」内の都合で平気で他の国家や国家集団に嘴を挟み、国連の分担金も払わないくせに国連の執行当局にケチをつけて事務総長のクビをすげ替えて当然だというツラをしている。そこまで露骨な「連合国家」のエゴイズムに走りながらそれでも「理念」を掲げることをやめないところはそれなりに偉いといえばいえる。しかしアメリカ合衆国もやはりその「理念」と自分たちの「連合国家」内部の現実の相克の前に行き詰まりを見せているように見える。だが、マルクス主義を含む社会主義や社会民主主義は、せっかくそこにブルジョワ自由主義的理念と「国家」の相克といういかにも社会主義向きの課題が露出しているにもかかわらず、有効に反撃に転ずることすらできていない。

 ようするに、1970年代末が「国家独占資本主義」の時期であったとして、1980年代を経過した後の現在ははたしてどうなのか、ということを考えてみなければならぬのではないかということである。1980年代をかけて進行し、1990年代にその姿を全世界に現した自由市場至上論と政治的自由主義、民族自決論というイデオロギーのセットは、「国家独占資本主義」を止揚して出てきたものなのか(あんまりそうは思えぬけども)、それともその一種の変態なのか。1980年代に世界のさまざまな場所やさまざまな局面で起こったことは、それぞれ断片的にではなく、持続的に、それぞれの関連に注意しながら考えてみる必要があるのではないかと私は思うのである。

 あるいは、「バカだなぁ、国家独占資本主義なんていかにもマルクスマルクスしたまちがった考えに依拠しているからダメなんじゃないか」という感想を持たれたかたもいらっしゃるかも知れない。その批判を私は認める。だから、「国家独占資本主義」という規定がそもそも「マルクス」的かということもふくめて、いちど根本から反省してみなければならないと私は思っているのである。マルクス主義的な規定を疑うのはもっともだし、「ソ連崩壊」という事態から目を反らせつつ従来のマルクス主義に無反省な態度でいるマルクス主義者に批判を向けることは必要かも知れない。だが、マルクス主義を嘲笑するだけで、マルクス主義が取り組んだ問題や、いまマルクス主義が取り組むべきだとされている問題を解決することはできないこともまたたしかである。

 廣松氏がこの対談以後も現代の資本主義を「国家独占資本主義」とする規定を変えなかったかどうかは私はよく知らない。ただ、廣松氏は、ソ連崩壊後もマルクスについての研究をやめてはいない。「モンスターなんていない、モンスターの存在はまぼろしだった」と宣言された世界のなかで、「勇者」廣松氏は、「いや、モンスターはたしかに生き残っている」といたずらに主張するだけでなく、自分でそのモンスターを倒すために伝説の勇者マルクスの跡をたどってクエストをつづけた。そしてその道なかばで力つきたのだ。

 廣松氏がマルクスから引き出した「物象化論」は現在の私たちにとってもまさに「アクチュアル」な問題を示唆しつづけくれている。こういうふうに単純化――あるいは「通俗化」すると泉下の廣松氏は怒るかも知れないが、つまり、「自分と自分以外」を截然と分けて考える考えかたには限界があるのではないかということだ。自分の内側には「内面」と呼ばれる主観的な世界があり、自分の外には客観的な世界が広がっている――そういう把握でいいのか、ということである。

 この「主観−客観」図式を定礎したのはカントであり、新カント派がその図式を固守しようとしたのだと廣松氏は言う。この見かたの妥当性は、哲学史を系統的に勉強したことのない私にはよくわからないというのがほんとうのところである。ただ、いうまでもなく、こういう「主観−客観」図式を疑いないものとして信じる個人主義を基礎にして近代社会は成り立っている。現在の日本の進歩的民主主義観の基礎をなす戦後啓蒙の思想も、政治の面で主流をなす自由市場型新保守主義も、どちらも個人主義を基礎に置いたものだ。だが、その「主観−客観」図式に基礎をおく個人主義は現代の私たちの生活や意識に適合したものだろうか? たとえば、(アニメのほうに話を持っていくとすれば)映画『攻殻機動隊』に描かれていた電子ネットワーク社会のなかでのアイデンティティーのあり方といったテーマは、「主観−客観」的な図式で語りつくせるものなのだろうか。

 個人主義を疑い、いたずらに否定することには大きな危険が伴う。それは、個人主義を「後れたブルジョワ・イデオロギー」として危険思想視したかつての――いや現存するものも含めた「社会主義」諸国の実践が教えるところだ。そればかりではない。個人主義を思想的に否定しようとする試みは、「新体制」運動と並行して、戦前から戦中の日本の文化界でも大きくとりあげられた話題である。座談会「近代の超克」がそれを代表するものであったとされる。個人主義の否定は「大東亜戦争」遂行のためのイデオロギーとして大いに利用された。戦後啓蒙の理論的リーダーの一人であった丸山真男氏が「個人主義」に徹底してこだわったのにはそれなりの理由があるのだ。廣松氏にはこの座談会「近代の超克」についての一書もある(講談社学術文庫版は柄谷行人が解説を書いている)。

 個人主義でもなく、社会有機体説でもない、現代社会をよりよく捉えうる「現代哲学」をいかに構築するかということが廣松氏の一生をかけた遍歴だったように思う。廣松氏は浩瀚な著作を残しながら『存在と意味』を完結させることなく世を去った。もうだれも『存在と意味』第三巻を書いて廣松氏の「事的世界観の定礎」を成し遂げることはできない。あとは「全集の編み方の改善しかない」のである(92頁)。

 一人の哲学者の哲学を体系化できるのはその本人だけであるといい、「統一戦線」を信じない廣松氏は、孤独に戦うことを自分に課していたように私には思える。「意識は本源的に社会的である」(234頁)というマルクスのことばを自分の哲学の構想の基本に据えながら、廣松氏はなぜ孤独に戦うことを自分に課したのだろうか? そういうことを考えながら廣松氏の強調した「意識の共同主観性」というような問題を考えなおしてみるのもおもしろいかも知れない。

 本書が哲学の系統立った現代哲学の入門書として適当なのかどうかは私にはよくわからない。最初のほうでこそ、「現代哲学」というとマルクス主義・実存主義・分析哲学の三系統があり、そのなかで分析哲学というのはどういうもので……というように「講義」が進んでいるが、このあたりでもすでにカントがなんで女性の靴下の色まで知っていたのかとかいう傍論部分のほうが印象に残る。2章「同時代の哲学」あたりになると、五木氏が自分の体験やら自分の書いたものやらを持ち出して縦横に話題を展開し、廣松氏がそれに対してまた哲学に対する自分の専門的な思索の成果を披露するというかたちになってきて、あんまり「現代哲学」を系統的に把握するという関心にすなおに応えるようなものではなくなってくる。だいたい大学の「講義」ってやつはこんなに生徒に横紙破りの自由な発言なんか許してくれない。でもあんまり「講義」らしくなっていないところがこの「現代哲学講義」の魅力でもあるのだ。これが真正のディアレクティーク(いちおう「哲学的対話」とでも言っておこうか)になっているかどうかはわからないが、すくなくともディアレクティークの雰囲気だけはここから感じとることができるはずである。

 映画を見るということは自分のなかで別の一本の映画を撮ることにほかならず、物語を読むということは自分のなかで別の一つの物語を書くということにほかならない。そして哲学についての本を読むということは、同時に自分の哲学を組み立てるという作業を必然的に伴うものである。

 本書を読んで、自分の「哲学」のやり方――自分の「知の愛しかた」についてなんでもいいから考えればいいんじゃないだろうかと思う。


 評者:清瀬 六朗




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