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鉄道廃線跡探訪ブームに思う


鈴谷 了





 鉄道の廃線跡探訪が流行っているらしい。これは廃止になった鉄道路線の線路や駅の跡を地図などを目当てに歩き、建造物などの痕跡を見つけるというものだ。

 もともと鉄道趣味のジャンルの一つとして、廃線跡探訪というものはあったし、鉄道趣味誌にレポートが掲載されたり、探訪記の本も刊行されていた。だが、その当時は鉄道趣味の中ではマイナージャンルとされていた。

 それが変わったのは1995年に『鉄道廃線跡を歩く』(日本交通公社、現在は続刊が3まで出ている)という本が刊行されてからだ。カラーグラビアで北から南まで多くの路線の廃線跡を収録したこの本が出てから、同工異曲の本が出たりテレビの番組に取り上げられたりという現象も起きている。

 筆者は鉄道趣味を始めてかれこれ20数年になる。「主として昭和30年代の鉄道」に強い関心を持っていたこともあり、早くからこういうジャンルには注目していたし、個人的に調査を行ったこともあった。だが、なぜ今「廃線跡」なのか。

 一つには、昨今の鉄道事情というものもあるだろう。国鉄の解体以降、鉄道はかなりスマートでおしゃれな部分が増えてきた。話題になる新型車両も多い。しかしその反面、昔のような「のんびりした、人のふれあいのある」鉄道はなくなりつつある。そうした時代へのノスタルジーがあるというのは偽らざる事実だ。

 今から15年ほど前に全国のローカル線を乗り歩く少年たちが駅や列車に少なからず見受けられた。それは、国鉄への風当たりがもっとも強かった時代だ。世には国鉄の「非能率・不効率」をあげつらう論調が溢れ返っていた。中には意図的な「国鉄・労組つぶし」を狙ったものもあったといわれる。いわば国鉄は世間の中で「落ちこぼれ」のレッテルを貼られていた。同時にその時代は中学や高校で「管理教育」の風潮が強まっていた頃でもあった。列車に乗った少年たちの中には、そうした国鉄の姿にシンパシーを覚えていた者もいたであろう。あるいは、そうした「管理教育」の息苦しさから脱出する「レール」としての鉄道がそこにあったのかもしれない。

 1980年代前半まで、東京・名古屋・京都・大阪・札幌・仙台といった大都市の駅に製造から30年以上を経過した客車を連ねた普通列車が出入りしていた。それらの中には500キロを12時間以上かけて走るようなものもあった。こんな列車が残っていたのは非効率と近代化の遅れということになる。だが、見方を変えれば、最低100円程度の切符でそうした「クラシックな」車両に乗ることができたのだ。30年前の自動車に乗るためにかかる手間とお金を考えれば大変なことである。

 そうした時代が「国鉄解体」と前後して去り、ローカル線も次々と廃止されたあと、新たな鉄道少年たちはめっきり減ってしまった。国鉄の「民営化」を褒め称える論調が溢れたこととは対照的に。その裏には「国鉄解体」がまさに「政治的課題」として行われ、交通政策の見地からはほとんど何もなかった〜鉄道を愛する者として「何もできなかった」〜ことへの幻滅もあるように思われる。

 そして、今は「なくなってしまった鉄道」への思いを馳せる方向へと傾いている。それは前にも書いたとおりノスタルジー趣味という面は確かにある。だが、もう少し考えてみよう。それが可能なのは鉄道がそのような「思い入れ」を許容する「メディア」だからだ。鉄道は営業していれば必ず決まった時間に列車は走り、駅や車内にいろいろな客が入れ替わり立ちかわり現れては去っていく。道路だとこうはいかない。いつ車や人が通るかはわからないのだから。(道路にもバイパスやトンネルで付け替えられた旧道を探索する「廃道探訪」を趣味とする人〜ただし、江戸時代以前のいわゆる「古道」探索とは区別される〜はいるが、その数は鉄道に比べればずっと少ない) たとえ開業せずに建設途上で放棄された場合にしても、その路線に注がれた地元民(あるいは地元選出の政治家かもしれないが)の「思い」は込められている。失われた鉄道を探すことは、そうした「思い」に触れる行為だともいえる。目に見える鉄道ではなく、「失われた鉄道」への思いを重視することは、昨今の「内向的」な風潮と相通じるものがあるように思われる。

 ただ、昨今廃線跡探訪をする人には「鉄道趣味」ではない人もいると聞く。そうした人にとっては「廃墟」を見ることが目的なのだろうか。「廃墟」は最初から「廃墟」として作られるわけではない。そこに人間の営みがあり、それが何らかの事情で抛擲されたあとに「廃墟」が生じるという意味では、その目的は同じなのかもしれない。単に「斜陽化した産業の跡を見に来る」という意図であるとするなら、筆者のような人間にとってはやはり耐え難い面がある。百万言の合理的な理由があったにせよ、「富強の鉄道」を願う種類の人々〜鉄道を趣味とする人はみなそうだと信じるが〜にとって廃止はやはり「無念」なのである。

 筆者自身は、自らが鉄道趣味に目覚めた1975年以降に廃止になった路線の廃線跡は見に行きたいとは思わない。それはやはり現役時代を知るからであり、乗ったことのある路線ならばその思い出を「汚され」たくないし、乗ることができなかった路線であれば「ああ、乗っておきたかった」という思いを押さえられないからだ。その意味では単に「廃線跡」を見ることが好きというにはまだこだわりがあるのだろうと思う。

                    ―― 終 ――


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