途切れた敷石

2020.12.14 yu

ある日、父の仕事仲間が来た。母が急逝して半年後のことだ。その頃には、長く家を出ていた孫娘の一人が、実家に戻ってきていた。とは言え、見知らぬ男がやって来たので、ばあちゃんは落ち着かない。

それより少し前、弔問客が途切れることのなかった頃、恰幅の良い、黒いダブルのスーツを着た玉子型の男が二人、お悔やみを言いに来た。ばあちゃんは玄関に一番近い部屋にいるので、玄関先でのやり取りが聞こえる。

この度はご愁傷さまでした。奥様には大変お世話になりました。

井上先生の私設秘書のようなことをしていた母は、シルクロードに関する資料を受け渡すメッセンジャーとして、信濃町に何度か通った。玄関先で名乗りを上げた男たちの所属先に、信心深い真宗派のばあちゃんは仰天しただろう。

客人に茶を出し、様子を見に行くと、不安げに呟いた。

義昭さんな、ソーカガッカイに誘われとりゃせんかね。

その日の来客は、父と同じく予備校で国語を教えている、昔勤めた高校の同僚。学参の原稿書きを一部引き受けてもらうことになっていた。小柄で、帽子をかぶって、黒い鞄を提げている。

居間で、打ち合わせが始まったので、様子を見に行くと、部屋に姿がない。庭に出る戸口が開いている。庭を見やると、飛び飛びに置いてある敷石の上を、暗がりだし、音を立ててはいけないし、というふうに、そろそろと裸足で歩いている。

サンダルを履いて後を追う。肩をそっと叩くと、ひっそりと驚いていたが、手をひかれるままに、部屋に戻った。

義昭さんな借金ばしよるんじゃなかね、あん人は、借金取りじゃろ?

その敷石は、ばあちゃんが敷いた。自分の部屋の前に、鶏糞と生ゴミで肥料どころと小さな畑を作り、居間からは、金木犀、紅葉、石榴、花海棠、紫木蓮などの樹木を背景に、水仙やチューリップの花壇が美しく見えるよう手入れをした。敷石は、庭の真ん中ぐらいまで置かれていた。

この数年、マメシバさんに庭の手入れを頼んでいる。草むしりを億劫がる家主を慮って、雑草の生育域を狭める工夫をしてくれる。今年はコロナで日程が狂った。四月下旬、アヤメの蕾が膨らみかけた頃と、六月の上旬、満開の躑躅や紫陽花に続いて、石榴の花が例年になく咲き誇った頃、マメシバさんは、庭を突っ切る通り道の構想を練っていたが、その後、しばらく間があいた。

七月になっても涼しく、どんな天気の時も、ずっと風が吹いていて、自然のなかにいるというのはこういうものかと思われた。

八月に入って、唐突に猛暑に襲われ、南から、雨や風が吹き荒れた。百合がゆらゆらと前のめりに林立した。百合ヶ丘に住んでいるとは言え、庭にこれほどの数の百合を見たのは初めてだった。そこらじゅうで、ひいては、遠方に住む友人たちも、方々で、百合を目にしていた。そのうち、マメ科の雑草が庭を覆い尽くした。

二十、三十と実をつけ始めた石榴の木が撓って、隣家に被害を及ぼしかねなかった。吹きつける雨や風のなか、石榴の枝に高枝挟みの刃を入れた。五葉松、モチノキ、躑躅などの緑が膨れ上がるキワに配置し直されていた敷石が、足に馴染まない。上を見上げては、つんのめって、遠近感を失い、庭木に倒れ込む。

仮置きだから、不安定なのはやむを得ない。土が深く掘られたところに、砕石の入ったビニール袋が置いてある。それに続いて、ブロックを土台にして敷石が敷かれ、他より高めになっている。全体的に大きくカーブしているので、敷石の間が不規則に離れている。敷石と地面との間に段差がある。いずれも、仮置きだから、そのうち段差も隙間も埋まるだろうと思っていた。

十一月半ば、多忙な日々からようやく抜け出せそうなマメシバさんが、近所のお宅の剪定の帰りに寄った。

年内に通路作りの段取りをつけて、来年早々には着手したい。

この段差、埋まるんだよね。ここに菖蒲みたいな葉っぱが雨に打たれたのか、密になって倒れているけれど、何の草?それとも、花?

アヤメですよ。

あっちのすみっこだけじゃなく、ここにも密集してたっけ。

それがあるから、敷石を橋に見立てて...。

橋に?そうそう、かきつばたの話、したねぇ。とすると、段差もガタガタになっているのも、基本、このまんま?

そのつもり...。

うーん。それ、困る。何度も蹴躓いた。そういえば、バリアフリーにしないで、腿を上げて歩きましょうって、マメシバさん言ってたかぁ。でも、これだと、いつか、激しく転ぶわ。ただでさえ躓くタチだし。カーブは美しいけれど、敷石は平らになっているといいなぁ。

そのうち気が変わるかもしれないので、その頃、また...。

気が変わる?そもそも、どう望んでいたろうか。

自分のことなのに、自分が主導すべきことなのに、他のことにかまけて、ほぼ人任せにしてきたことが、結構ある。親が亡くなって実家をリフォームしたとき、友人と始めた会社を身売りするとき、50年来あった倉庫を建て替えることにしたとき。庭の手入れも同様で、自分がどうしたいかということにはあまり固執しなかった。今回は夢想する。

八十六才のばあちゃんが、居間の灯りを頼りに、つま先だけで敷石を探り、抜き足差し足、歩いていく。庭先に不意に現れたばあちゃんを見て、客が後じさりし、父が教室中に響く大声で叫ぶ。そんな風景が浮かんできて、思わず笑ってしまうような、そこからあそこまでなだらかに連なっている敷石。

ばあちゃんの部屋の戸口から、踏み段のブロックを降りると、菜園がある。ばあちゃんの生前は、菜園というより畑だった。父が一人暮らしをするようになってからは、プチトマトの繁みになった。その後、荒れ放題だったのを、マメシバさんが根気よく耕して、菜園らしくした。菜園の向こう、躑躅や五葉松との間に三和土の通路を作り、赤石で縁取って、数年になる。もちろんマメシバさんのアイディアだ。その通路を延長し、庭を通って、居間の前にあるブロックのテラスに通じる道を作ろうというのが、今回の構想だった。

途切れている敷石を居間の前まで伸ばせば、雑草の生える隙も減るという合理性にも感心しながら、うん、うん、と、相槌を打つ。こちらも急ぎはしないし、あちらも忙しい合間を縫ってのこと。

今日は、剪定の目処がついたら、通り道をラフにデッサンしてみる、うん、適当に石を置いて、と、任せきりにした、その日の終わり方、庭に出ると、アーティスティックな曲線を描いて、青写真が浮かび上がっていた。以前、ばあちゃんの敷石がどう置かれていたか、もう思い出せない。

このあたりには、アヤメが咲いているようなので、橋に見立てて、段差をつけました。

おお、伊勢物語の「かきつばた」かぁ。

二十五年前のばあちゃんの足跡が見えなくなり、内心、混乱していた。かきつばたとアヤメと菖蒲ってどう違うんだっけ、父は業平が好きだったなぁなどと気を逸らして、曖昧に相槌を打った。

もとい。

少々酩酊しても、八十になっても、足元が暗くても、ふらついても転ばないような通り道、所望!

🌕いちごのつる🌕