「アウシュヴィッツ」
東日本大震災のあった二〇一一年五月に、
- 盛岡で復興祈願ラグビーの試合を観て、
- 古い友人に会い、
- 仙台にいる親戚を見舞った。
- 思い出してくれて、会いに来てくれて、
- ありがとう、って言われた。
- 老ラガーマンたちとは話さなかったけれど。
そのうち、居ても立ってもいられなくなって、
十二月、妹や友人が呆れる中、なんの手立ても、伝手も、連れもないまま、家を飛び出して、
- 盛岡に一泊し、
- バスで宮古まで行き、タクシーで田老にいき、
- バスとタクシーで、宮古から、
- 山田、大槌、釜石と海岸線を下り、釜石で一泊し、
- 翌朝、タクシーで、陸前高田、気仙沼とまわった。
翌年の四月から、何度か、
- 石巻、気仙沼、いわき、オナハマ、四倉、田村、伊達、飯館、
- 相馬、小高、桃内、原ノ町、郡山、三春、白河、ハクスイなどにいった。
ただとにかくいっただけ。
自分に何かできることはないだろうかと、
なぜ、こんなところに、そんなものが?
とりあえず、サポーター会員になり、
- 白河には友人がいて馴染み深い土地なので、
- ふらりと遊びにいってみた。
- そのうち、国会議事堂前のデモと呼応して、
- 白河でもデモをするという案内を見て、白河にいって、
- 二十人ほどのデモに加わり、
- 催し物にも参加するようになった。
- 平和博物館の関係者は、ほとんどコンピューター音痴で、
- 以前導入したデータベースシステムがうまく動いていない、
- なんとかならんかね、という呟きに誘われて、
- 昨年あたりから、月に一度か二度ぐらいの割合で通っている。
- おっちょこちょいである。
昨年の十月、
- そんなこんなのうちに、
- アウシュヴィッツ平和博物館のニュースレターに、
- 文を寄せることとなり、正月そうそう、
- 刷り上がったばかりの通信が届いた。
- PDFファイルにしたので、ご覧いただけたら。
- 拙文は、会員だより「地べたから」。
- 読み上げ用テキストはこちら。
- アウシュヴィッツ平和博物館の概略と、
- 拙文「地べたから」。
2019.1.5
ばあちゃんも生きとるよ!