Genesis Apocryphon(Note:2)
* Genesis Apocryphon *
* 第二部(7〜9章)への註 *
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【パリサイ派】
新共同訳では「ファリサイ」派となっている。新共同訳の「原語主義」からいってこちらのほうが正確なのだろうが、文語訳の時代から「パリサイ人」などという言いかたが定着しているので、ここではとりあえず「パリサイ」のほうを採っておく。
【洗礼者ヨハネ】
「洗礼者」というのが固有名詞的に使われているのか、たんに「ヨハネという人が洗礼を施していた」のかは、写本によってちがう(定冠詞の有無により)ようだが、聖書にはほかにも「ヨハネ」という人物が登場するので、区別するためにここでは「洗礼者ヨハネ」としておこう。そのほうが一般的でもある。
【エリヤとイエス】
ところで、このヨハネの姿は「列王記」に出てくる預言者エリヤの姿と同じである。このはるかむかしの預言者は、イエスの時代、苦しむ義人を天から助けに来ると信じられていたようだ。
「マタイによる福音書」でのイエスの刑死まえのことば「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」を兵士たちは「イエスはエリヤを呼んでいる」と誤解した。イエスの預言者としての生活の最初と最後はこのエリヤのイメージに彩られているわけである。
なお、このことばの出典は、旧約「詩編」22章をヘブライ語・アラム語をまじえて言ったもので、この原文のほうは新共同訳では「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」となっている。
「マルコによる福音書」では「エロイ、エロイ……」とあるが、これはぜんぶアラム語で言ったものであって、内容は同じだ。
【奴隷のしごと】
「履き物の紐を解く」という表現になっている。ようするにそれは奴隷の仕事だということだ。
【キリスト教創設】
キリスト教の成立に「洗礼者」ヨハネの影響が強いことは各福音書の記述から容易に推察されるところだが、他方、原始キリスト教と「洗礼者」ヨハネの弟子たちの教団との関係は「拮抗」関係だとされることもある。私にはよくわからない。
【エホバ】
英語での綴りはJehovahである。神の名を直接に呼ぶことを畏れ多いとして「主」というような意味のことばで代用していたのが、そのことばが神の名であると誤解されたものである。現在はヤハウェなどと言われるが、文語訳では一貫してエホバになっている。
【アンモン人】
この諸民族なかに「アンモン人」というのがいる。英語聖書を読んでいたら「アンモナイトへの預言」とか書いてあって、アンモナイトの化石に預言してどーするんだへんなやつだと思っていたら、邦訳を読んでみると「アンモン人への預言」であった。そりゃあそうだよなぁ。「預言」なんてもともとぶきみな行為だけど、博物館でアンモナイトの化石に向かって預言しているともっとさらにぶきみだよなぁ。
【あさりよしとお】
その漫画『ワッハマン』に「イシュタル」というキャラが登場する。このことはへーげる奥田先生に教えていただきました。感謝感謝。
【黒天狗】
ちなみに、あさりよしとおは、95年のコミケで『イサミ』のH本を作って売っていたらしいが未見。コミケなどのイベントで『イサミ』本が少ないのはたいへん残念である。
【うぇぴぃ】
「ウェP」とか「ウェピー」とかか書くのが標準かな。『愛天使伝説ウェディングピーチ』――関東地方では『新世紀エヴァンゲリオン』のすぐ前の枠で放映していた作品である。そのため、三石琴乃(ポタモス&ミサト)、山口由里子(カチューシャ&リツコ)など、「一時間ぶっとおしでその声が聴ける」声優というのが続出した。なかでも、両方で重要レギュラーを担当したのが、『ウェディングピーチ』の珠野ひなぎくおよびデイジー役および『エヴァンゲリオン』の惣流・アスカ・ラングレー(ほかいろいろ)役の宮村優子であった。
【ダニエル】
ちなみに、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』で、悪徳金融業者のユダヤ人シャイロックが裁判の場面で何度も叫ぶ「ダニエル様」というのはこの預言者ダニエルのことである。そういえば、シェイクスピアからユダヤの陰謀を読み解くとかいうトンデモ本はないのかな? シェイクスピアも謎の多い人物だし、いいと思うんだけどなぁ。『ヴェニスの商人』から資本主義を解明しようという試みは岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』という有名な本があるんだけど。
「ダニエルの伝説」の項へ
【誤訳のおわび】
「バルタザル」を「ベルは王を守護する」というように訳していたが、これは英語翻訳の初歩的ミスであった。ごめんっ!
【MAGI(マギ)】
WWF奥田氏の「押井論」でも論及されているとおり、Magicの語源がこのmagiである。
【東方三博士来訪】
このエピソードは、「メシアはダビデ(ユダヤ統一王国の最初の王)の子孫から出る」という伝承と矛盾させないために、イエスがダビデの出身地ベツレヘムで生まれたということと、イエスがナザレの人であるということとの統一をつけるために細工してある。
「マタイによる福音書」では最初にイエスの「父」であるヨセフの系図を掲げている。ところが、それにつづくこの場面では、母のマリアが出てくるのに旦那のヨセフはすこしも姿を見せない。さらに、このMAGIたちは、自分で星を見つけて「おおっ、これは!」というので自分らの意思で東の国からやってきたはずなのに、なぜかまっすぐにイエスのもとに来ないで途中でユダヤのヘロデ王のところに立ち寄っている。しかも、ヘロデ王に「イエスの正体を確かめてほしい」と言われてそれを承諾しているのに、その約束を果たさずに自分たちの故国に帰ってしまう。いろいろ不自然な記述が多い。いろいろな説話を混ぜ合わせた結果なのかも知れないということで興味深いポイントがあるみたいである、みたいなー(ひさしぶりに使った、みたいな)。
いずれにせよ、福音書におけるイエスの多面性がちょっちうかがわれるエピソードだと思う。
ところで、イエスの父はいうまでもなく「神」であり、ヨセフとは血のつながりはないはずである。それなのに「マタイによる福音書」が冒頭でわざわざその家系を掲げているのは、イエスがダヴィデ王家の家系をひき、メシアの資格を持っていることをはっきりさせるためだという(ダヴィデ王家については古代ユダヤ王朝の項を参照)。
「父」というとプリンセスメーカー2ではなかなか司教もシスターも育たないぞ! 評価を均衡させてせっせと信仰を上げてるのに、なんで宰相や作家になるんだよぉ……。
【多神教】
『攻殻機動隊』の原作者の士郎正宗は神道に強い関心を持っているという話である。『攻殻機動隊』の「ゴースト」という観念も多神教の色を帯びているように思われる。ちなみにキリスト教でholy ghostというと、父なる神・子なるキリストとともに三位一体を形成する「聖霊」のことである。
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