30th/50th Anniversary

姫野 達也

1st solo tour





 チューリップとALWAYS以外で姫野を見るのは3年前の”ライラック”のコンサート以来。会場の草月ホールは地下鉄南青山駅から10分ほどのところ。3月とはいえみょーに暖かい一日だった。

 入場後とりあえず売り場を覗いてみると、売られていたのはパンフレットとシンプルなデザインのTシャツだけだった。
 そのパンフレトは事前に聞いていたように、確かに映画のパンフレット並の簡単なもの。これで2000円とは(笑)。
 こういうものの売上げがコンサートの運営費に当てられというのもわかるが、それだったら素直に入場料を高くすればいいのにと思うのだけど。
 帰ってから気がついたのだがパンフレットを買ったときに入れてくれたポリ袋に姫野本人の直筆と思われるサインがしてあった。やっぱりこの内容でこの値段は”ボッタクリ”と思ってせめてもの罪滅ぼしということなのであろうか。

 客席は狭いながら2階、3階席もあり(ただし2階、3階は1〜2列ほどしかないらしい)、結構狭いステージにはキーボードなどの機材が並んでいた。事前にシーケンサを使ったステージと聞いていたのでほとんどはそのための機材なのだろう。

 開演時間が近づいても客席の、それも真ん中あたりがかなり空いたまま。”ソロだとこんなものなのか..”と思ったものの開演のときにはほぼ一杯に埋まった。
 ステージは姫野の律儀さのせいか、あるいは会場の都合なのか予定通りピッタリ7時に開始。

 一人でステージに表れるとまずは生ギターを抱え、シーケンサのものらしいイントロが流れ始める。1曲目はファースト・アルバムからの曲。


1.風/アルバム「魔法の黄色い靴」より

曲が終わると少々緊張気味に挨拶。

えー皆さんこんばんは、姫野達也です(客席からも大勢の”こんばんはー”の声)。

 今日は姫野達也としては本当に始めてのソロのライヴをこうやって東京で開くことになりました。えーなぜ今になってこういう風にしてソロをやろうかと思ったかといいますと、ちょうど今年が僕がプロとしてデビューして30周年なんですね(客席拍手)。えーそれプラス2月の1日にですね、とうとう財津さんとかの仲間入りをしたんですけど、..50歳になってしまったんですけど、まあこんな30周年・50周年といういい年はないなと思いまして、去年の秋ですかね、この2002年に向かって自分の中で何かやったことがないことをやってみようかなと思いました。

 でーいろいろ考えてみたんですけど、そういえばソロで一回もやったことがないなと思いまして、この際思い切ってやってみようかなと思いまして、去年の秋に長崎県の伊王島というところでライヴを開いたんですけども、そのときのライブは長崎からまた船に乗って神戸にはつきませんけど..伊王島というとリゾート地がありまして、そこでみんなと一泊泊まって日常のことをみんな忘れてその日は思う存分楽しもうじゃないかみたいな感じのライヴをやったんですけど、そのとき初めてだったんだけども、大変さがよく分かったんですけども、それにも増して終わったあとの充実感というのがすごくあって、またもう一回やってみたいなと思えたのでこの2002年のツアーをやることになったんですけども、本当に今日は大勢の方集まっていただきましてありがとうございました。

 えーと、今日は姫野達也音楽ヒストリー的なライヴになるんですけども、いろいろ当時当時のエピソードを交えながら進めて生きたいと思います。ちょっと待ってください...

 はい、次にやる曲なんですけどね、さっきやった曲は『魔法の黄色い靴』という僕らのデビューアルバムの中の「風」という曲だったんですけども、今回すごく僕こだわりがありまして、できればその当時レコードに針を落としたときの印象が伝わるようなライヴにしたいなと思いまして、自分で足りない音はコンピュータを使って再現したりしたんですけども、そういう匂いを感じながら聞いてみてください。

 次に演奏する曲なんですけども、『無限軌道』というアルバムの中に入っている曲で、この曲は僕がチューリップ、オールウェイズを通じて唯一の作詞した曲なんですけども、えーと若いころの気持ちをずっと持ち続けていたいなと思って作った曲なんですけども聞いてください。「ある昼下がり」。


 でも本当はチューリップ時代に作詞した曲はもう1曲あるんだけどね(^^;

2.ある昼下がり/アルバム「無限軌道」より

 えー、ありがとうございます。「ある昼下がり」という曲でした。
 (客席からの「懐かしい〜」の声に答えて)懐かしい?僕も懐かしいです(笑)

 えー、1972年に僕らは福岡から東京へ出てきまして、そして東京でデビューしたんですけども、当時ですね、出てきた当時というのは、えーと南青山という場所はすごいいいところだったんですけども、そこの2DKのアパートに5人で合宿生活から始まったんですね。でーそのときに4畳半の部屋には吉田彰、そして財津和夫。で、6畳の部屋には僕と上田雅利、そして安部俊幸と3人で寝てたんですけども、後はお風呂とトイレしかありません、キッチンもちっちゃいのがありましたけども。
 出てきた当初から毎年2枚ずつアルバムを作ってたんですね。で、まあその他に練習とかライヴとかもありまして忙しくすごしてたんですけども、そんな中でアルバムを作るときとかはですね、それぞれ楽器を持ってトイレに行く人がいたり、風呂に行く人がいたりとか、やっぱり人の音が邪魔になるわけですよね。そんな中でよくアルバムを作ってきたなと思うんですけど、まあ最初はそういう感じで5人からスタートしたんですけどね、「心の旅」という曲がヒットするまではですね、まず最初の「魔法の黄色い靴」と同名のシングルを出しまして、でー財津さんが歌ったんですね。でーすごいいい曲で評判もすごい良かったんですけどね、一部では好きな人もたくさんいたんですけども全体としてはあまり影響力がありませんでですね、あまりヒットしませんでした。

 残念だったなーと思いながらみんなで次がんばろうよって2枚目のアルバム『君のために生まれかわろう』というアルバムを出したんですけども、そのなかからやっぱり「一人の部屋」という曲をシングルにしようということになりまして、いい曲だねーってみんなで言いまして、でーシングルにしたわけですね。財津さんが歌いました(客席笑)。残念ながらこれもヒットしなかったんですね。

 ちょうど1年がたとうというときでだんだんあの..会社の、シンコーミュージックというところに所属していたんですけども、風もこーちょっと冷たい感じになったんですけども...で、あの会社の東芝EMIの方もこのままじゃいかんなという感じになりまして、居心地がちょっと悪いかななんてなったときに財津さんが「心の旅」という曲を作ってきたんですね。で、それでレコーディングしました。で、レコーディングしてオケを作ったんですね、最初。でいざ仮唄を入れようというときになりまして財津さんはもちろん自分で3曲目も歌うつもりでいたんですね(客席笑)。で、マイクの前にスタンバイをして待っていたんですけども、なかなか始まりませんで、そのときにちょっとこの曲は姫野君で聞いてみようか見たいな感じになりました。で〜、僕は全然そういう心積もりが無かったもんですからね、あーどうしようと思ったんですね。まだそのレコーディングしたときの感じで大丈夫かなと思いながら仮唄を歌ったんですけども、それがなんかこうすごい評判が良かったもんで(客席笑)、であの評判がいいのは嬉かったんですけども僕としてはあの財津さんの顔が(客席笑)..財津さんの顔が寂しそうな顔してるなと思いまして(客席笑)..僕なんかあの一番年下だっもんですから申し訳ないなっと思いながらあの、結局僕が(客席笑)歌うことになったんですけども。

 で、その曲が発売してから半年経ってから一番になりました(客席拍手)。でーあの今からここでは歌いませんけど(客席笑)、その「心の旅」という曲がヒットしたおかげで自分たち好きなように音楽がやれるようになったんですけど、そういう意味も含めて僕はこの曲にすごく感謝してるし、思いでも多い曲なんです。なんといいますかね、こう..ヒットして、ヒットしたご褒美といいますか..まその話はちょっと後にしましょうかね。

 (客席から「忘れちゃったの〜?」)ちょっと段取りを間違ったみたぃ(客席笑)

 じゃああの曲へ行きましょうかね。この曲は僕のふるさとでありますイメージとしては博多の街をイメージした曲であります、海の近くで生まれ育ったものですからそんなところをイメージしてみた曲です。

3.風見鳥/シングル「娘が嫁ぐ朝」B面

 ”博多の町をイメージ..”と聞いたとき一瞬またあの曲かと思ったらそうではなかった。名曲ながらチューリップのコンサートではあまり演奏されなかった曲で、自分にとってもこの曲を聞いたのは1978年の鈴蘭高原以来ではなかっただろうか。

 風見鳥という曲でした。さっきの話の続きなんですけど...(客席笑)
 えー、「心の旅」という曲がヒットしましたおかげで、..僕らはあの皆さんご存知だと思うんですけどすごくビートルズが好きなんですね。本当にビートルズの音楽に影響を受けて音楽を始めようと思った人ばかりなんですけど、そういうことでビートルズがレコーディングしたロンドンのアビー・ロード・スタジオというところにはすごく憧れていました。で、そういう憧れを知ってか、まあ「心の旅」がヒットしたということでですね、ロンドンでレコーディングさせてもらうことになったんですね。で、アビー・ロード・スタジオで『ぼくがつくった愛のうた』というアルバムをレコーディングしたんですけど、それはそれは夢のようなレコーディングでしたけれども、..えーとまあアビー・ロード・スタジオの廊下にいろんなスタジオに備え付けの楽器とか置いてあるんですね。ぱっとこう目に付いたのがローズという、フェンダーのローズというエレキ・ピアノがあったんですけども、それを見て”わーエレピがある”ってフツーに思ってたんですけども、このピアノはこの間ポールが「MY LOVE」で弾いたピアノなんだよといわれまして、急にエレピが光って見えたといいますか、一生懸命こう触ったんですけども...。
 そんなまあビートルズの思い出がいっぱい詰まったスタジオでですねレコーディングしたわけなんですけども、そのレコードに入っている曲で僕が作った曲の中で始めて生のストリングスが入った曲があるんですけども、それをアレンジした人が青木望さんという方でしてすごく素敵な弦のアレンジをしていただきまして、今だにすごく好きなんですね、アレンジというか曲の雰囲気が。で、これも是非再現して皆さんに聞いていただきたいなと思いましてちょっと作ってみたんですけども聞いてみてください。「なくした言葉」。


4.なくした言葉/アルバム「ぼくがつくった愛のうた」より

 えーありがとうございます。なんとなく当時のイメージが沸いてきたでしょうか?

 えー、こうやってですね僕が一人でやってるのを見て不思議な気がする人がいっぱいいると思うんですけど、チューリップのステージ、オールウェイズのステージともほとんどこうやってお話しする機会がありませんでした。というのもですね、僕はいろいろ楽器をやりますもんで、ギターをやったりとか、キーボードをやったりとかあるときはバンジョーとかハーモニカとかいろいろやってきましたけども、楽器をチェンジするときに間をつなぐときに財津さんがMCをしたりとか安部俊幸がMCをしたりつないでくれてたんですね。そういうイメージなもんですから、皆さんきっとすごく無口な人だと思っている方が大半だと思うんですけども、実は意外とホントはそうでもないことを発見しました。というのは皆さんに無口な人なんだなと思われてたし、そういう風に言われると自分でもああ僕は無口なんだなとすぐ思い込んでしまったわけなんですね。それで僕はしゃべれないんだなという感じになってしまってこうやってお話しする機会が無かったんですけども、ホントはすごいおしゃべりなんですね。こうやって一人で話すのは最初は緊張するんですけど段々こう快感に変わってくるんですね。でまあ、ここまでは今までは一人でやってきたんですけどね、ここで一緒にやる仲間を紹介します。拍手で迎えてやってください

 紹介された入ってきたのは宮城伸一郎とギターのミノハナシュンペイ氏(「あの人はいま?」に出たとき一緒にいた人かと...)。

 えーすごく一人でやるのは心細かったんですけども、こうやってなんかみんなにきてもらうとですね心強いです。
 えっとここからはこうやって3人でやっていくんですけども紹介しましょうね。ライト当たりますか?皆さんから向かって左側、お馴染みの宮城伸一郎君です(客席拍手)。そうしてもう一人皆さんから向かって右、ミノハナシュンペイ君です。えー、シュンペイ君は僕と同じ今福岡に住んでいるんですけども彼も福岡で”ドリームボート”というライブ・ハウスのオーナーでもあるんですけども、でミュージシャンでもあるんですけども今日はこうやって手伝ってくれてるんですけどもね、3人でこれからまた続けて生きたいと思いますけども、次にやる曲はこれも始めてが付きます。ちょうど僕が72年にデビューする直前博多で作った曲なんですけども、初めて作曲した曲なんですね、オリジナルを。その曲をここでやってみたいと思います。「千鳥橋渋滞」。


5.千鳥橋渋滞/アルバム「魔法の黄色い靴」より

 えー暑いですね。今日はすごいなんか暑かったですね。あの僕が住んでる福岡の町より多分今日は暑かったと思います。えーと僕はすごい暑がりなんですけども、こーやって一人でやるときは汗を拭けるわけなんですね。ただチューリップでやってるときはあのーなかなかこう汗をふくタイミングが難しくて、僕は人一倍汗っかきなんですけども、歌い終わっても汗が目に入ってすごく痛くて汗拭きたいなと思うんですよね。エンディングとかで汗を拭きたい拭きたいと思いながらエンディングやってるんですけども、そしてギターでキーボードのところへ移動してよし汗を拭こうと思ったら上田がカウント始めるんですね(客席笑)。あーで汗ふけないで次の曲へ言ったりなんかしてほんとにつらかったりするんですけども、でもこーやって一人でやってると自分のリズムで出来るという、これはすごくいいですね。大変はすごい大変なんですけども、財津さんの苦労もわかるようになりました。こうやってでもすごい気持ちがいいもんなんですね。皆さんに拍手してもらったりとか(客席から「姫野さん!」の声)、はい、ありがとうございます。

 えー、ついこうやって話し出すと長くなるんでですね、どんどん曲のほうへ行きたいと思うんですけどもちょうど東京へ出てきて5年位たったときなんですけども、えーと「WELCOME TO MY HOUSE」というアルバムを作りました。でーそのアルバムがですねジャケット撮影を長崎でやったんですけども、東京からみんなで長崎へ行きまして、確か日帰りで写真を撮って帰ってきたと思うんですけども、でー長崎の活水という女子大がありましてそこの寮かなんか、女子寮かなんかでしたと思うんですけども、..えー..失礼、イガイガがありました。えーとそこで、ちょうど、長崎皆さん行ったことあります?あのー、もし行ったことが無い方はえーとそうですね「魔法の黄色い靴」のアルバムの見開きにですね、アルバムを開いたところに牧師さんの格好をして写ってる写真を覚えてますか?あの写真のバックにようかんっていうか、そういうもんがあったんですけども、お菓子じゃないですよ(客席笑)。洋(よう)の館(やかた)ですね。でそこは鎌倉であの写真は撮らしてもらったんですけども、その「WELCOME TO MY HOUSE」の活水の女子寮は、あれ許可を取ってなかったんじゃないかと思うんですけどね、あわててみんなで撮って帰ってきた記憶があるんですけども、ちょっどそのやっぱり洋館がありましてなだらかなスロープがありまして芝生みたいな感じになっててぽつんぽつんぽつんと座ってる人がいたり立っている人がいたりして、そういうジャケットなんですけどもね、まあ..ジャケットの説明なんですけども(客席笑)ええーイメージは何も沸かないと思いますけどもその中に入ってる曲でですねちょうど5年たって故郷を懐かしめる余裕も出てきたころでしたけども、無性に故郷が懐かしくなって作った曲なんですけどもここで聞いてください。「博多っ子純情」。

 ちなみにインターネットで調べてみたところ、この女子寮はすでに無く、現在は鉄筋10階建ての豪勢な寮になっているよう(20年以上前の話だから当たり前か..)

6.博多っ子純情/アルバム「WELCOME TO MY HOUSE」より

姫野  ありがとうございます。えー「博多っ子純情」でした。
 ここでですね、せっかく宮城君がいるんで宮城君に1曲歌って欲しいとな思うんですけど...(客席拍手)
宮城  ダイエットしてから”ひろみ郷”に良く似ていると...3人ほどに言われました。
姫野  ちょっとかなり似ているような気がするかな...すごいスマートになって、ちょっとやられたな〜と思って...
宮城  これが2年位前だと(横を見渡しながら)ブー・フー・ウーという感じで..
姫野  もうあまり友達じゃないような気がして...(客席笑)
宮城  太れ太れって二人がいうんですよ。
姫野  でも、ねあのすごくがんばって、がんばったんですか?
宮城  でももう2年ぐらいキープしてる。
姫野  じゃあ後でちょっと秘訣を...
宮城  OK!
姫野  僕食いしん坊だから難しいと思うんですよね。でも50歳になったからそろそろそういう体のことも考えないといけませんね。がんばろう!
宮城  姫野さん、ソロ・ツアー?初めての?..おめでとうございます!(客席拍手)えー..

 とちょっといったところ姫野が「えー、ありがとうございます。ちょっと照れくさいんですけど..」と長々と話しに入ろうとしたため場内爆笑。
 今日が初日というわけでもあるまいし、この間の悪さって何?実はネタだったりして(笑)。
姫野  あ、しゃべってました?ゴメンゴメン、どうぞどうぞ...
宮城  いいですか?ちょっとここでお知らせをしようかなと。姫野さんが30周年ということはチューリップも30周年ということで今年ちょっと活動を予定しています(客席大拍手)。レコーディングも終わりましてツアーを秋からやる予定なので是非皆さん...(客席拍手)

 そろそろ曲へ行きましょうかね。「2222年ピクニック」というアルバムから「VOLUME・10」という曲です。


7.VOLUME・10/アルバム「2222ピクニック」より

 しかし曲は「We Believe in Magic Vol.2」ヴァージョン。ただ、こういうシーケンサを使ったサウンドには似合っていると思う。

 えー、VOLUME・10でした。
 えーと、うまいですね、歌がね。感心しながら聞いてましたけど、次に曲をやる前にまたちょっとお話をしようかなと思います。よろしいでしょうか?

 えー「心の旅」がヒットした後ですねしばらくそれから僕がシングル曲を歌うというのが続いたんですけども、ちょうどそのころですかね。「心の旅」がヒットして青山の2DKのアパートから引っ越して5人の生活から少し変化がおきました。えっと僕と上田は四谷に住むことになりまして、それから安部俊幸と吉田彰が白金というところに住むことになりまして、でぇ財津さんは一人で高円寺に住んでたんですね。でーその3つのグループで生活が始まったんですけども、少し広々とした、広々といっても2DKくらいだったんですけども、そこで生活をしてたんですけども「心の旅」がヒットしたとはいえお金もそんなに入ってこなくて、すごいみんなお腹をすかしていた生活が続いてました。そういうときにいろんな東芝の方とかシンコーの方とかがたまに遊びに来てはいろいろご馳走していただいたりしてたんですけども、着る物とかもあまり買えなくて、僕ら東芝EMIでデビューしたんですけどもその音楽仲間といいますか、加藤和彦さんとか、ミカバンドというバンドを作ってまして、すごいミカとかからも僕らかわいがってもらってたんですけども、ちょうどあの安部俊幸と吉田彰が住んでいた白金の近くに..だれでしたっけ..その加藤さん夫婦が住んでたんですね。僕なんか良く安部俊幸のところへ遊びに行ってたもんですから、その安部俊幸が住んでたその上に高中(正義)君が住んでたんですね、ミカバンドの。でーそんな感じでみんなで遊んでたりしてたんですけども、ミカが僕らが同じもんばかり着てるもんですからゴミの日に呼んでもらいまして、”ゴミ捨てるからちょっとこない?”なんか連絡をもらいまして、行ったら当時まだ僕はすごくやせてまして、デビューしたときはなんと46キロでした、体重が。ジーンズは26インチ。考えられないんですけどね..(客席笑)。まあそういうスリムなやせっぽちって言うのがぴったりなイメージだったんですけどもね、そういう僕らが洋服持ってないもんで呼んでくれたんですね。こんなかから捨てるのものもったいないからもって行くものがあったら持って行ったら?っていろいろ洋服をもらったんですけども。僕が何のジャケットかうる覚えなんですけども「一人の部屋」かもしくは「夏色のおもいで」の時に黄色っぽいシャツを着てるんですね。それが良く見ると女詰めのなってるんですけども、それはミカからもらったシャツなんですけど、ミカからはいろいろもらってですねありがたかったんですけどね。まあそういうことがありました。まあそういうエピソードを話した後に次の曲へ行きたいんですけども、次の曲は..今日こうやって遠くから来てくださった方もいらっしゃるでしょう。ええーほんとにありがたい気持ちでいっぱいなんですけども、気持ちを込めてこの歌に託したいと思います。聞いてください、「神様に感謝をしなければ」。

 所属事務所やレコード会社の人間におごってもらう芸能人、女物の洋服を”ゴミの日”に譲ってもらう芸能人とは...(涙、涙、涙...笑)
 ちなみにこの”黄色いシャツ”はシングル盤「一人の部屋」のジャケットや「心の旅」のビデオ・クリップで確認できる。またCDS「心の旅」のジャケットの格子模様のシャツも女物。


8.神様に感謝をしなければ/アルバム「Someday Somewhere」より

 シーケンサなしで3人だけのギターとコーラスによるシンプルな演奏で、この曲に関してはこれで十分。”折に触れ”演奏される、お気に入りの曲なのであろう。
 ここでキーボードに移動。

 えー、ちょっと移動してみました。えー、今度はちょっとキーボードでやろうかなと思うんですけども。
 僕はですね、すごいあの音楽を始めたきっかけというのはさっき話しましたけど、ビートルズの音楽が好きで、ビートルズに魅せられてビートルズみたいなバンドがやりたいなって思って始めたわけですけども、そういうビートルズが持っているポップなイメージ、そういう音楽が今でも一番すきなんですね。でぇ僕の中ではチューリップというグループもそういうグループだったんですけども、あるときえーっと、ある時期僕はチューリップを抜けることになりました。というのも財津さんがやっている音楽、そして僕が求めている音楽というのがちょっとずづ...まあ人はちょっとずつ変わっていくんですけども僕はなかなかそういう変化というのが無くて、やっぱり最初に好きな音楽がずっと好きで、今でもそうなんですけど、一番好きだし一番得意としてるし、それをやっぱり皆さんに聞いていただきたいなとずっと思ってまして、でぇ少しずつこの音楽性とか音楽の方向とかが違ってきたという風に感じたんですね。それでその違いをずっと感じながらライヴとかをやるのはちょっと自分の中で納得できない部分があったんで思い切ってオールウェイズというグループで自分の音楽をやってみよって思ったんです。そのときはすごく皆さんにライヴで行く約束をしてながらもいけなかったこともあったんですけども、今でもすごく申し訳ないなっと思ってますけども、ただそういった理由で僕は音楽がやりたかったんですけども、えーまあ僕はすごく不器用でして、あの音楽を作るということがやっぱり、お寿司だったらお寿司屋さん、中華料理屋だったら中華料理屋さんみたいなのがあるような気がするんですね。僕はやっぱりそういうポップな音楽が好きでそういう音楽を作る職人でありたいなと思ってるんですけどもね。自分がやっぱりこれだったらお勧め出来るなという、そういったのがやっぱ”おいしい”っていう風に聞いていただきたいじゃないですか?で、僕はそういう風な道を選んだんですけども、まあそういう中で僕がチューリップを離れる直前ですかね、作った曲をここで1曲やりたいと思うんですけども、すごいポップな、僕の中では、曲です。聞いてみてください。「サマー・レイン・ラプソディー」。

 これは当時脱退が発表される前にツアーのチケットが売られていたことを言っているのに間違いないと思う。計画的だったんだろうな、やっぱり。チューリップ・ファンのおとなしさにつけこむみたいな体質はいまだに変わっていない気はするが...。

9.サマー・レイン・ラプソディー/アルバム「I Like Party」より

 ちなみの当時のこの曲に関する僕の感想は”しょーもない曲”というもので、これは今も大して変わってはいない。「アイ・アイ・アイ」というこれもまたしょーもない曲のB面だったので余計そう感じたのかもしれない。オールウェイズでも最初のツアーのとき演奏されたことがあったが、当時は持ち歌が少なかったからだろうと思っていた。
 確かにポップといえばポップなのが悪く言えばそれだけの曲。ただこの姫野の話を聞いて今思うに、そこまでポップということにこだわったのは”当時の財津に対するひとつの意思表示”だったのではないかという気がする。
この日のビートルズっぽいギターはちょっといい感じだった。

 えーありがとうございます。「サマー・レイン・ラプソディー」という曲でした。えーっとですね、ここからは、ここまでがチューリップの時代の音楽でした。
 それからですね、さっき申しましたように僕はオールウェイズというグループを作ったんですけども、それでキングレコードからデビューさせてもらいました。...ちょっとですね直前に何か食べたのがいけなかった...上がってきますね。失礼して...であのキング..レコートから..ちょっと水いっぱい飲んでいいですか(客席笑)...えーキングレコードでデビューしてオリジナルのアルバムを5枚くらい作ったのかな?でそれとベスト盤とかを合わせると6、7枚になると思うんですけどもそれがですね最近までは廃盤になっておりました。で、この音楽をやる人間にとってやっぱ自分の作った曲というのは子供みたいにかわいいんですね。で、すごくあの、子供たちがそういう....不遇な状態にあったときに哀れだなと思いまして、あのー心配しておりましたけども、どいうわけかファンの人たちのすごい応援といいますかね、キングレコードに一生懸命メールで”再発してください”という声を、運動をメールでくれたんですね。そのおかげで、その声が大きくなってあのキングの人が動いてくれまして、めでたく2月の、先月の28日にですね5枚オリジナルアルバムがすべて再発されたんですね。ほとにすごくうれしくて(客席拍手)...そういったネット上で協力していただいた方、本当にありがとうございました(客席拍手)。うれしいです。

 そういう形でですねオールウェイズの楽曲がまた再び世に出ることになったんで今日はあの即売もやってるらしいです(客席笑)、まだオールウェイズを知らない、チューリップしか知らないという方もいらっしゃると思うんですけども、是非あの今からオールウェイズの曲をやりますけど、いーなっと思ったら是非あの一回、買わなくてもいいです。ちょっと聞いて欲しいなって言う気持ちがあるんですけども、まあその宣伝はそのくらいにしまして早速そのオールウェイズの曲を演奏してみたいと思います。「僕の宝物」。


10.僕の宝物/アルバム「PRESSED FLOWER」より

 ただしこの曲はそのキング時代のアルバムには入っていない曲(笑)。
 続けて次の曲も東芝EMIでのアルバムの曲。


11.信じよう/アルバム「PRESSED FLOWER」より

 えー...お待たせし通ります。ちょっとチューニングを確かめさせてください。
 オールウェイズの曲どうですか?(客席拍手)
 えーもう1曲オールウェイズの曲やりたいと思いますけども、この曲はですね青い空の果てに歌が聞こえてくる光雲の下にきっと幸せが待ってるという..歌詞をそのまま言いましたけど(客席笑)そういったイメージの曲(客席笑)なんですけども。マイナーではありますけども、マイナーポップな、なかなかちょっと...フレーズとかも中近東を感じさせる風に作ってみました。その辺もちょっと気にしながら聞いてみてください。えー「PROMISSED LAND」、約束の土地。

12.約束の土地〜THE PROMISSED LAND/アルバム「GENE」より

13.新青年/アルバム「HOW SWEET?」より

 えーと、時間はどんどんどんどん過ぎていくものなんですけどね、名残惜しいんですけど徐々に徐々に最後の曲に近づいてきます。

 そういったところで最後の曲は察しがついたけど...。

 えーと、次の曲なんですけどもこの曲はちょっと変わったといいますか、変わったといっても曲は全然変わっていないんですけども、何が変わっているかといいますと、僕は12年ほど前には東京に住んでいました。世田谷のほうにいたんですけども、そこで同じアパート、マンションの住人で、僕は4階だったんですね。5階のほうには浜田省吾君が住んでました。で、お互いまだ僕はチューリップにいたころで彼も彼でツアーに出てたりしてなかなかお互いに顔をあわせることが無かったんですけども、たまたま二人ともいるときはどちらからとも無く、えー彼は広島出身なんですけども、えっと広島はお好み焼きが有名なんですね。うすっぺらく粉を解きましてなるべくゆるゆるな感じで、もんじゃ焼きほどゆるくは無いんですけども、でそれをこう、生地を薄くしましてそれを鉄板で炒めてといいますかね、じゃーとかけながらお玉の底のところで円を描くようにすーと手際よくやりますとクレープ状に広がってくんですね。それを見てあー上手なんだなと思いました(客席笑)。だいぶ練習してる、練習はしてないですね、年季が入ってるなと思いながら見てたんですけども、そうやって僕なんかに広島風のお好み焼きを作ってくれたりですね、ご馳走になったりとか、作り方なんかも教えてもらったりして、いまだに僕は結構上手に作れるんですけども。でーまーそー彼のうちに行ったりとか、うちで冬の時期だったらうちでなべあるから来ないーとかって鍋をやって家族ぐるみでお付き合いをしてたんですけども、一緒に住んでる当時はお互い音楽の話もほとんどせずに、もうご近所ってい感じだったんですね。まあいろいろ彼も忙しくて僕も忙しかったもんですから、あるちょうど防災習慣のころでしたけども、住民で防災訓練があったんですね。で、ぼくはちょっと頼まれたんではい出ますってな感じで消火器を持って、シューと消してたりなんかしてたんですけども、なかなか浜田君現れませんで、とうとう寝過ごしてしまったのか姿を見せなかったんですけども。まあ、浜田君がこうシューって消火器してる姿って似合いませよね。だからまあいいかなって思ってるんですけども。そんな二人の間柄だったんですけどもある日、ある日じゃないですね、ある曲を僕が作りまして、でそれで彼に聞いてもらってなんかイメージがあって、で浜田君が詞をつけてくれた曲があるんですね。それはすごい彼らしい、すごいやっぱ浜田君といえばアメリカンな感じでなんとなくこー四輪駆動に乗ってバンダナを頭に巻いてサングラスをかけてっていうイメージがあるんですけども、僕はいつもお好み焼きを食べるときは何もサングラスもしてない素顔の浜田君しか知らなかったんですけども、あるときその浜田君がコンサートがあるんで、横浜であるからって言うことで誘われまして見に行かして貰った事があるんですけども、僕はあの最初浜田君がサングラスをかけているのを知らなかったんですけども、出てきてこう売ったてる人を見てえーあの人誰って(客席笑)..浜田君だったんですね。でーそれからすごい仲良くさせてもらって彼のツアーにも参加したりしたんですけども、あのーまあちょっと長くなりましたけども、その彼が作ってくれた、そして安部俊幸が一緒に詞を彼と一緒に考えてくれた曲があるんですけども、それをここでやりたいと思います。えー...タイトルをちょっと思い出しますね..(客席笑)えー思いだしました。えー「夏の彼方へ」

14.夏の彼方へ/アルバム「HEN」より

 えー本当に名残惜しいんですけどいよいよ最後の曲になりました。こうやって今日は皆さんと一緒に同じ時間をすごせたことをすごく幸せに思っています。本当に今日は着てくれてありがとうございました(客席拍手)。
 思い切ってソロのライヴをやってみてよみてすごく良かったと思っています。このライヴのタイトルは姫野達也ファースト・ソロ・ツアーということで、ファーストとつけたということはセカンドもやるぞという気持ちで(客席拍手)..またいつの日かソロのライヴでお会いすることがあると思いますけど、そのときはまた是非足を運んでください。今日は本当にどうもありがとうございました。これが最後の曲です。本当にありがとうございました。「好きさ」。


15.好きさ/アルバム「ALWAYS BE TRUE」より

 思ったとおり、最後はこの曲だった。これもシーケンサなしでキーボード、ベース、ギターの組み合わせだけで良かったのではないか。イントロの音はちょっと間抜けな感じがした。しかしながら久々に聞く「好きさ」だった。

ENCHOR 1

16.ぼくがつくった愛のうた

17.銀の指環

18.心の旅

 アンコール1回目はお馴染みの3曲。このときから客席で立つ人が出てきた。終始座ったままでアンコールではじけるというのがこの世代のコンサートの鑑賞の特徴のようだ(エリック・クラプトンのときでさえそうだったもんね)。

ENCHOR 2

 えーありがとうございます。もう少し歌います。えーっと今日はありがとうございました。えーとなかなかTシャツを着ると油断できないと(客席笑)...力が入ってしまいます。えー次に聞いてもらうのは本邦初公開です。えー僕がすごく好きだった1曲ですけども、これはあのカヴァ、カヴァーですね。ビートルズではありません。これもすごいポップな曲ですごい好きな曲です。聞いて下さい。

19.Daydream Believer

 以外にもモンキーズのヒット曲。世代的にはちょっと違うような気がするのだけど...。

姫野  えーここでですね一人、僕を応援しに来てくれた人がいるんですけども、紹介します、上田!
上田  ヤッホー、なんかその辺通りかかったら姫野がやってるっていうんでちょっとよってみました!なんかステージの袖で聞いてたんですけど知ってる曲ばっかりで楽しくて(笑)
姫野  1曲歌ってもらいたいと思います(客席拍手)

 グレイのスーツに黒いシャツ姿で、これに(ヤンキー系)サングラスときたら芸能人だと知らなければ絶対近寄りたくない(笑)。衣装とは反対に軽めのご登場。
 曲は上田のヴォーカルではめずらしいポールの曲。


20.I’ve Just Seen A Face

 ここでですねもう一曲だけやります(客席拍手)。この曲は僕にとってアビー・ロードでの思い出の曲なんですけど...話が長くなるので曲へ行きます。「Lady Madonna」

 アビー・ロードでレコーディング中のポールと対面。この曲を一緒にプレイしたと言われている。

21.Lady Madonna

 宮城伸一郎、上田雅利、そしてミノハナジュンペイ君です、今日はどうもありがとうございました。
 メンバー紹介をして終わりかと思ったら今度はあっという間の再登場。

ENCHOR 3

 えーまた出てきました(客席拍手)。本当にこれで最後の曲です(客席笑)。僕今年になって悲しい出来事が会ったんですけども、ビートルズのジョージ・ハリスンがガンで死んでしまいました。ジョンも無くなってもう残るは二人だけなんですけども、今日はジョージ・ハリスンと皆さんにこの曲でお別れしたいと思います。「Yesterday」。

22.Yesterday

 2時間を越えるライヴ(大半はおしゃべりだったけど)だったがそれを感じさせない内容だった。大半が聞きなれた曲であり、話の内容も言わば”昔の裏話”というのが興味深かったためだろう。
 今後回数を重ねオリジナルの曲が増えたとしたらどんなことになるのだろうか。正直なところ財津和夫のコンサートを(僕が)今ひとつと感じるのは、曲が今一な上に話も今一というのが大きな原因。そうならないように期待したいと思う。