高崎市音楽センター(1977年5月20日)






初めて見たチューリップのコンサート
 というより当時の僕はコンサートというものを見るのが初めてだったのである。それ以前、チューリップ・コンサートのポスターは何度か見たことがあったのだけど、当時田舎の中学生だった僕にとってコンサートなどというものは大人の見るもの、子供のいくところではないと思っていたのだった(その反動か、今はやたらと行きたがるようになってなってしまった...)。
 それが高校生になって行きつけのレコード店「サカ井」でチューリップ・コンサートの”チケットあります”の張り紙を見たときはいてもたってもいられなかった。
その時は実はチケットを買うだけのお金を持っていなっかったので(その当時で2300円位だったと思う)自転車で30分かけて家へ戻り、お金を持ってまた店へ戻ってチケットを手に入れたのだった。
ステージ
 僕がチケットを手に入れたのは発売されてから結構時間がたっていたと思うのだけど、席は真ん中からちょっと後ろという位のところだった。
 ステージは今のようにアンプが立ち並ぶものではなく、楽器が並んだだけのシンプルなものだったように思う。PA用のスピーカーも今のようなユニット式のものではなく、大きな本棚のようなスピーカーが左右に一台ずつ置かれているだけだった(このスピーカーはチューリップがテレビに出たときも使っていたと思う)。
 このときはまだ緞帳を使っていて、オープニングは「夢中さ君に」のイントロとともに幕が開くというものだった(翌年のコンサートからは使わなくなった)。
 「夢中さ君に」で始まり、当時はその大音量に驚いた。おそらく今と比べたらおとなしいものなのだろうけど、何しろコンサート初体験だったので。財津さんは最初からネオン・ギターを使っていた。ネオン・ギターはアンコールとかではなく、中盤で1回だけ光らせていた。照明はストロボを使った演出が1度あったのだけれど、雑誌で見たスモークは期待していたけどやらなかった。やっぱりああいうのをやるのは特別な時だけなのだろうか。
 この頃はチューリップの曲、特にアルバムの曲はあまり知らなくて、このときの演奏曲目もほとんど覚えていない(^^;。
 高校生になるまで我が家にはステレオというものが無く、音楽はラジカセで聴くラジオが中心だったのである。中心は当然シングル盤で、アルバム丸ごと1枚聞いたのは友人に録音してもらった「日本」が初めてと言う状況だったのだ。
 覚えているものとしては
  • 夢中さ君に
  • ブルー・スカイ
  • 人生ゲーム
  • 都会
  • 青春の影
    (アンコール)
  • BIRTHDAY
  • 夢中さ君に
 この頃は「夢中さ君に」をやると素直に終わってましたね。
 財津さんのMCも、当時はちゃんとオチを考えて話していたように思う。内容は覚えていないのだけど、その雰囲気がとても楽しいものだったという記憶がある。
 翌年見たコンサートでは全然雰囲気が変わってしまい、どうでもいい話をぼそぼそ話すようになってしまっていた。
 観客はきゃーきゃー騒ぐこともなく演奏の間は結構静かに聞いていたと思う。「青春の影」からだいぶたっていたし、一般的にはもうアイドルというイメージではなくなっていたのだろうか。それとも田舎のせいだったのだろうか。
 この時もそうだったけど、上田がいたときのチューリップのコンサートをこの時を含めて4回見ているのだけれど、オールウェイズのときも含めて”ガ〜リ〜”というかけ声を聞いた覚えがなくて、”ガ〜リ〜”とう掛け声をさかんに聞くようになるのは再結成以降、自ら”ガ〜リ〜上田”と名乗るようになってからではないかと記憶している(最近の流行りでいったらやっばり”MASATOSHI”でしょう)。
 おなじみ客席からのつっこみというのは当時も今も変わっていない。それが次の事件へと続くのである。

吉田彰青酸ビール事件
 曲の合間にひとりの女子高生がステージに駆け寄り(制服からするとおそらく地元の市立女子高校の生徒...何ちゅうローカルな話題!!(^^;)、ちょうどそこにいた吉田さんに紙袋を手渡した。缶ビールの差し入れとのこと。財津さんにすすめられ、行きがかり上吉田さんが飲む羽目に。吉田さんが一口飲んだ瞬間客席から「青酸ナトリウム!」のかけ声。それを聞いた吉田さんが(もちろんギャグで)ひっくり返るという出来事があった(その何年か前にそういう物騒な事件があったのだ)。
 今では差し入れどころかステージに近寄るのも難しい事だろう。もらった方もたとえそれが缶ビールであっても飲むには勇気がいると思う。そういうことが出来た、のどかな時代だったのである。
 のどかな時代の話をもう一つ。財津さんが「人生ゲーム」で使ったハーモニカをポイと投げたらそれが客席まで届かず、ステージの端のところで止まってしまい、前にいた女の子たちは拾っていいものかどうか迷っていたら、財津さんが”いいよいいよ”という動作をしたので一人が拾い上げたのだった。今なら間違いなく奪い合いになるのではないかと思うのだけれど、時代というよりはやっぱり田舎だったせいだろうか。
 初めてと言うこともあるのだろうけど、数多く見た中でもベストに入るコンサートであった(その割にはほとんど覚えていないのは何でだ〜(^^;)。当時はまだ正直なお客だったのでいっさいの”記録”が残っていないのが残念...。


チケット