’85年10月29、30日 渋谷公会堂




 9月から始まった新生チューリップの初ステージ。満員の会場、とは言ってもチケットを購入した時点では3人の脱退は公表されていなかったし、公表されてからも払戻は行われなかった(はず)。ファンの”おとなしさ”に付け込んだ悪徳商法と言わざるを得ない。チューリップに残った人はともかく、去っていった人達も承知の上のことだったのか?
 それに自ら”チューリップは財津さえいればいいんだ”って言ってるようなものでは?そういう人が大部分なのかもしれないけどさ..

要するに、チケットが発売されるまでは脱退を公表しないというお約束とともになんらかの見返りという大人の事情があったからこそ、3人の公式な脱退がツアー終了後の3月ということだったんでしょうね。

 コンサートは、オープニングで回転するスリットの間からメンバーが登場する演出がなかなかカッコよかった(ツアー・スタッフは大変だったらしいが)。アルバムと同タイトルながら未発表の「I Like Party」でスタート。
 また映像を交えた感動的なエンディングというパターンではなく、コンサートの中盤でショート・コント風のフィルム(コンサート終了後の反省会を題材にしたもの)が上映された。お笑いに路線転換か〜と思いつつもよく考えたらチューリップは初期の頃からこの手のフィルムを流していたのだ。でもやっぱりこの時期にこういうのをやるのはお笑いに転向かと思われても仕方が無い。
 演奏曲目はかなりアレンジされた「魔法の黄色い靴」やヴォーカルを分けた「夢中さ君に」で趣向をこらしつつ、「青春の影」、「虹とスニーカーの頃」や「愛の迷路」などヒット曲も含め、定番はおさえた内容。まだまだ新生チューリップに対して半信半疑だったため急激な変化を避けたということか。
 ところが後のツアーではこれらの定番の曲を全部はずしてしまったため、一気に客離れを起こす結果となってしまった。
 このツアーで客が入ったのはあくまでも先にチケットが売られていたためであって、決してこの”変化”を全てのファンが受け入れたというわけではないはず。

 この両日のコンサートは2枚組ライヴ・アルバム「コンサートはチューリップ」としてリリースされた。今では想像もつかない、コンサートをほぼ完全収録。オープニングとアンコールのラストが同じ曲というのも粋な作りだった(問題はタイトルだけか...)。

 財津がMCで安部・姫野・伊藤が新たにグループを作ったことについて「人気が出たらそっちに入れてもらいたい」といっていたがシャレになっていないと思う...。