Yoko Ono & IMA 日本公演


小野洋子……と漢字で書くと、どうもしっくりこない。
日本でさえも、「小野洋子」と書くよりも「ヨーコ・オノ」と書く方が この人を正しく表現できる様な気がする。

もちろん、ヨーコさんは日本でも有名人だ。しかし、彼女が日本人だからといって、 特別、日本の人々は他の国の人々に比べて彼女について詳しいわけではない。 他の国々と同様、日本でも彼女は「ジョン・レノン夫人」として知られているのであり、 彼女自身の様々な活動までフォローしている日本人はほとんどいないのだ。

彼女が芸術活動の面で正しく評価されてこなかったのは、彼女の芸術が 「大衆の前にさらされた前衛芸術」であったことも関係しているのもしれない。

ジョンは有名人でポピュラー音楽をやっていた。 一方、ヨーコは専門家には知られた前衛芸術家だったが、一般の人は彼女のことも 彼女のやっている芸術も知らなかった。
'70年代初頭、彼女がジョンと行動を共にすることで、 彼女の作品は発表の場が広くなり、多くの人が彼女の芸術に触れる機会を持った。 しかし、興味本位でみていた当時の一般の人々の反応は 「奇声を上げる良く判らない音楽で、正直なところ勘弁して欲しい、という感じ」 といったものだった。
このように、理解者が少なかった上、きちんとした評価を受けないまま 大衆にさらされ続けてきたためか、今までは誤解・曲解が多かったように見受けられる。

しかし、そんな状況が、ようやく最近になって変わってきたのかもしれない。 今回おこなわれた2回の東京公演では、そんな兆しが感じられた。


ヨーコさんと IMA は、昨年、厳島神社での平和祈念のために来日して一度だけ 高舞台でコンサートを行っているが、ヨーコさんの正式な「公演」としては、 '74 年 8 月に郡山で行われた『ワン・ステップ・フェスティバル』に Yoko Ono & Plastic Ono Super Band として出演して以来のもの。 '86年5月には、Star Peace Tour の一環として日本公演も予定され チケットの販売まで行われたが、 この公演は結局実現しなかったので実に22年ぶりの母国公演となった。

今回の東京公演の会場は、「渋谷クアトロ」と「赤坂ブリッツ」。

渋谷クアトロは改装でしばらくお休みしていたが、その再オープンの こけら落とし公演が、Yoko Ono & IMA の日本初ライブとなった。
クアトロ公演はオールスタンディングで行われ、会場としては全部で500人近くを 収容できるようだ。しかし、開演直前にはほとんど満杯となり、盛況。 日本でもアーティストとしてのヨーコさんの活動まできちんとフォローしている人は 極くわずかしかいないので、客層としてはビートルズファンと思われる人々が ほとんどではないか、と思っていたが、ミュージシャンとしてのヨーコさんの活動を ほとんど知らないはずの10代〜20代の女の子が前列の方に詰め掛けていたのには おどろかされた。

一方の赤坂ブリッツは、新社屋を完成させた民間放送局で在京キー局である TBS に 隣接して建てられた新しいライブスポットで、オールスタンディング時には 1900人を収容できる。(赤坂ブリッツ公演はTBSと、在京FM局であるTOKYO FM の主催。) 今回の公演では、1階の前 2/3 がスタンディング、 1階の残りと2階は座席となっており、キャパとしては1000人強と思われる。
赤坂は、俗に言う「ビジネス街」で、公演が平日だったこともあり、 若いビジネスマン風の観客が多かった様な印象を受けた。

なお、東京公演はどちらの公演も構成がだいたい同じだったので、 ここではクアトロ公演をメインに紹介し、ブリッツ公演の模様は最後にまとめて 付記することにする。

なお、このレビューを書く際に、クアトロに取材に来ていた日刊スポーツの カメラマンの方から写させていただいたプレス用の set list が非常に 大きな助けになった。ここで感謝したい。


June 22nd, Live at Club Quattro (Tokyo, Shibuya)
6/22 クラブクアトロ公演


開演予定時間 (7:00 p.m.) を10分ほどまわったころ、会場の照明が落ちると、 すかさず、「ヨーコ!」と若い女の子の黄色い歓声がかかる。
まず IMA のメンバーがステージに登場。 今回の日本公演での IMA のメンバーは となっている。 プロモーターの初めの information では、アメリカツアーと同じく、Timo が Bass で、 Drums は Russel Simins となっていたが、結局 Russel は来日せず、 代わりに WEEN の Andrew Weiss が参加 (WEEN は RISING MIXES でも Ask The Dragon の remix を行っている)。Timo が Drums にまわり、Andrew が Bass となった。 昨年の厳島神社でのイベントと比較すると、固定メンバーは Sean と Timo のみ。
ショーンは前髪をブルーに染めており(日本のテレビ局のインタビューでは、 日本に来てから染めた、と語っていた)、この日は花の模様が入った 紫のシャツを着ていた。

そして、いよいよヨーコさんがステージに登場。 ボウリング用の白いシャツ(よくプロボウラーの人が着ている、あれ)に、 ブラックのパンツ、という衣装。 歓声に手を上げて答えながら、短い挨拶のあと、いよいよ演奏がスタートした。


1. Turned The Corner
10年ぶりのニューアルバム RINSING から。 ヨーコさんの Woooowa というヴォーカルは、20年前と変わらず健在。 普通のバンドならば圧倒されてしまいそうなヴォーカルだが、IMA の アグレッシブな演奏も一歩もひけをとらず、サポートする。 ショーンは、ギルド (GUILD) の赤いエレキギターを使用、 ギターヘッドアンプは sunn の beta load 。 ギターソロでは、Jimi Hendrix のようにエフェクターの前にひざまずいて、 ガッツ溢れるプレイを披露した。
2. I'm Dying
これも RINSING から。 ショーンの演奏はアグレッシブかつエキサイティングで、 熱演のあまりギターの1弦が切れたほどだった。
3. Kurushi
ヨーコさんが、「この歌は、苦しんで死んでいった少女のうたです」と日本語で 紹介してから、ショーンのカウントで RINSING のなかのこの曲が始まった。
ショーンは Keyboard に移ってピアノを担当した。
この歌は、病気を患った少女が千羽鶴を折っていくが、千羽折り終わる前に 無くなった、という話を元に書かれた、とのことである。 この話のモデルは、恐らく広島市内の三篠町で2歳のときに被爆し、 12歳になってから原爆症で死去した佐々木禎子さんではないかと思われるが、 佐々木さんの鶴は最終的に1300羽折られていた、とのことである。
4. Will I
この曲も RISING から。 「もし私が○○だったら……」という詞の朗読が、 静かに流れる演奏の上に乗っている。 ショーンは saw (のこぎり) をチェロだかヴァイオリンだかの弓でこすり、 ヒョ〜ンという不思議な音を出していた。
5. Wouldnit
RISING から。非常にキュートなナンバー。 「もし自分が○○になれたらいいとおもわない?」という内容の曲。 この曲が始まる前に、ヨーコさんは白のシャツを脱いで、黒のタンクトップ姿に。 間奏では、ヨーコさんがダンスパフォーマンスも披露してくれました。
6. Are You Looking
これは RISING におさめられていない曲で、新曲らしい。 ここでのヨーコさんはパントマイムを演ずるかのように、 上へ上へと登る様子や、前へ前へと泳ぐジェスチャーを見せていた。
7. Rising
ニューアルバムのタイトルナンバー。 たちあがろう、という力強いメッセージソング。
前半の静かな部分では、戦禍をくぐり抜けて生き残った人々の生の苦しみを、 日本語で語った。 まるで日本人が忘れかけている戦争のむごさに対する憤りを呼び覚ますかのように、 感情を込めて………… (クアトロ公演では、PA の関係でこの部分が良く聴き取れなかったのは 非常に残念だ。)
ショーンはこの曲で再びギターに戻ったが、クルーによって張り直されていた 1弦が熱演でまたも切れてしまった。しかし、ショーンはそのまま アグレッシブなプレイを続けた。
ヨーコさんは Rising という歌詞の一部分を「たちあがろうよ」と日本語で 歌い、拳を振り上げた。
演奏が終り、大きな歓声と拍手に会場は包まれ、メンバーは一度ステージから 去っていった。
Encore.1. How Do You Feel
熱烈なアンコールに答えて、再びメンバーが登場。 ヨーコさんが「How Do You Feel? どんな感じ?」と英語と日本語で観客に 問いかけてから、この曲、How Do You Feel がスタートした。 この曲は RISING には入っておらず、新曲のようだ。
Encore.2. Like The Wind
曲紹介で、ヨーコさんが「このツアー、長い長いツアーが始まってから、 私とショーンが共作した、はじめての Ono-Lennon です」と紹介し、 観客からは大きな拍手と歓声が送られ、この曲がスタート。 どこかしら穏やかさの感じられる、非常に美しい曲だ。
大きな歓声と拍手で、1時間ちょっとのコンサートは終了した。
メンバーがステージから去ったあとも、手拍子は絶えなかった。

June 25th, Live at Akasaka Blitz (Tokyo, Akasaka)
6/25 赤坂ブリッツ公演

赤坂ブリッツでは、ヨーコさんは渋谷と同じ衣装。 ショーンはテレビ朝日のインタビューでも着ていた、 袖の部分に白のストライプの入った青色のジャージの上着を着て登場し、 コンパクトカメラで観客の様子をステージ上から撮影していた。 演奏前にジャージを脱ぐと、下にはミッキーマウスのTシャツを着ていた。

赤坂は会場が広いため、バックの演奏はクアトロに比べてタイトさがかけるが、 この日はボーカルのPAは申し分無く、 Rising の語りの部分も良く聞こえた。

また、赤坂のアンコールでは、`How Do You Feel' の代わりにヨーコさんの '71年のアルバム "FLY" から、`Mind Train' が演奏された。Mind Train では ショーンが記者の汽笛をイメージさせるようなギターリフを弾いた。
はじめはヨーコさんがメインボーカルをとっていたのだが、 そのうちショーンがヨーコさんのボーカルスタイルをまねてボーカルを取り出した。 ヨーコさんは一瞬ショーンの方を見て恥ずかしそうな笑顔を浮かべ、 そのあとは代わる代わるメインボーカルをとっていた。


今回の2公演で感じたのは、ようやく日本でもヨーコさんの音楽を受け入れる体勢が 整ってきたのではないか、ということだ。

もちろん、ここでいう「受け入れる」とは「ヒットする」という意味ではない。 彼女の音楽は、メインストリームに乗るような音楽ではないからだ。
彼女の音楽は、もっとアグレッシブで、心の感情をそのまま表に出す音楽だ。 その音楽は、今まで「奇声を上げる良く判らない音楽」とだけ捉えられ、 正当な評価を受けられずにいた。
しかし、今回の公演では10代〜20代の女の子がヨーコさんに声援を送り、 メディアでの評判も絶賛とはいかないまでもおおむね好評で、揶揄するような 論調はほとんど見られなくなった。

彼女のやっていることは、本質的に'70年代前半となんら変わっていない。 それから現在まで、パンクやヒップホップやラップなど、 様々な音楽を体験してくることによって、やっと人々は抵抗無く彼女の音楽を受け入れ、 それを評価できるようになってきたのではないだろうか。

ヨーコさんは今年でもう 63 歳である。しかし、そのアグレッシブでパワフルな パフォーマンスは全く年齢を感じさせないものだった。 そんなヨーコさんは、最後に「また来ますね!」というメッセージを残して、 ステージから去っていった。

Thank you! Yoko! Thank you! IMA!


back to Yoko Ono / IMA Japan Tour 1996 Page
y_satou@yk.rim.or.jp
Update - July 1st, 1996