「人形遊戯(仮)」 prologue of prologue

(2005.02.13 登録)

「きこえるか?」
わずかに切迫した気配を声に滲ませながら、男が掌の中の小さな携帯電話に向けて話しかけた。
いや、携帯電話が小さいのではない。その掌が大きいのだ。
近くにいるだけでその服の内側に息づく筋肉の山脈がその存在感をひしひしと感じられるかのような男の分厚い掌であった。
そんな大きな男が地面に伏して、必死の声を搾り出している。
「俺の声が聞こえるか?」
轟音を裂いてその頭上を何かが飛来しては周りのビルの壁にぶち当たり、コンクリート片をばらばらとばら撒いている。そのリズムは機関銃のような単調な連続ではなく、言わば変拍子。ブレイクするビートが獲物たちを翻弄し、反撃や逃亡のタイミングが掴めないことこの上なかった。
男はマンホールの蓋を路地裏の地面に立て、身を隠しているようだが、その目に見えぬ何かはその俄作りの盾を易々と削り取っていく。
「聞こえるわ。大丈夫なの?大樹(だいじゅ)?」
心配そうな若い女の声が携帯電話から流れてきた。
「ああ、今のところは何とかな」
「だが、ここまでかもしれん」
「何を弱気なことを言ってるのよ。私はいつでも貴方の傍にいるわ。貴方を応援してる」
「ありがとう、理沙。お前が居てくれるから俺は闘える」
巨漢の両眼から二筋のの熱い涙が滂沱のごとく流れ出した。
「うん。頑張ってね、大樹」
電話の向こうの声も幾分涙ぐんでいるようだ。

のし。

巨漢の後頭部に白いオーバーニーソックスと茶色のブーツに包まれた脚が勢い良く押しつけられていた。巨漢は地面にキスをして、人差し指と小指と親指を突き出した両手を宙に投げ出すといった伝統的なポーズを取っている。
「何やってんのよ、あんたは」
ネコのように底光りする丸い双つの瞳で見下ろし、牙のように発達した八重歯を光らせて短髪の女が脚の下の男を睨みつけていた。
「あんたも、あんたよ」
続いて、すぐ横のマンホールの穴の中で、携帯電話とチアガールのボンボンを手にした女の子にその怒りの矛先を向ける。
「え、私?だから、応援してるのよ」
平然と答えてかえすマンホール少女。
頭を押さえ、空に無言の叫びを上げる女。
「だ、大丈夫ですかあ…」
消え入りそうな声が地べたから上がる。
声の方を見ると、実に気弱そうな背広に眼鏡の男が、革の鞄を頭に乗せ、巨漢の背後で路上に蹲っている。
「こんなところで、貴方たちがやられでもしたら、私どもの契約の方は…」
おろおろとした声で、もじもじと身を捩るその姿は妖怪漫画に出てくる出っ歯に眼鏡の男を思わせる。小心者がスーツを着たといった表現が適当な男だった。
「安心しな。もし、俺達がやられても、マスターが後釜を適当に見繕って、何とかしてくれるさ。あんたもマスターに依頼したんだろ、このヤマをさ」
頭に脚を乗せられたまま、平然と巨漢の男が言った。
「そ、そうですか…」
「何を気弱なことを言ってるんだい、大樹」
男の細い声を遮るようにして凛とした声が響いた。
すぐ横の脇道に背をつけた金髪碧眼の男が流暢な日本語で芝居染みた声を上げたのだ。
薔薇でも背に背負っているかのようなその男は切なげな瞳を巨漢に向けて言い募る。
「君がこの世からいなくなったら、この僕はどうしたらいいというのか。そんな恐ろしいことを考えるだけで、僕は…僕は…」
額にかかった幾筋かの髪を払いながら苦悩の表情を見せる優男。
「なんで、お前だけそんな盾の向こうに居るんだよ」
ようやく路上から頭を上げた巨漢が男に噛みついた。
「いや、路上に寝そべるのはあまり美しいとは言えないからね。僕の美学に反するよ」
当然といった様子で男が答える。その身体の近くで何かが切り裂かれる気配が断続している。音もなく風も立てず。
「そうよ、クリスがそんな真似できるわけないじゃない。それにこのゴリラはそう簡単にくたばるわけないし、居なくなってもクリスには私がいるから大丈夫よ」
脚を巨漢の頭にまだ載せたままで女が言った。
女は横から雨のような礫の中で平然と立ち続けていた。いや、よく見ると女の体が時折ブレていることに気付いたかもしれない。
「あの、依頼の件を…」
弱々しい声。
「ああ、もう。うるっせえな!」
巨漢はその野獣のような肢体を無造作に持ち上げ、立ち上がった。
何気ない動作で、ぶん、と右の腕を宙に振るう。
水中を伝わる津波のような、いやそれとは比べ物にならぬ高速の波動がビリビリと大気を震わせる。空中にどよめきが生まれ、宙を飛んでいた何かが叩き落された。
「そ、そんな滅茶苦茶な…。刃物とかだったらどうするんですか?」
驚愕に震えた声を上げる背広男。
静けさを取り戻した空間に小さな声が大きく響いた。
「別に。ぶん殴るだけさ」
こともなげに男が言って、歩き始める。真っ直ぐと前に。
「ま、待って下さい」
暫し呆然としていた背広男がその大きな背中を追って小走りに走り出したのはその少し後のことだった。


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