マイコンブーム


私がパソコンをいじり始めた1982年頃は、NHKの教育TVでマイコン入門が始まった年でした。この前後から色々なメーカーがパソコン(当時はマイコンと表現されていた)がどんどんでてきました。今のように、ハードの仕様が共通で、各メーカーのマシンどうしでソフトの互換性があった訳ではなく、CPUが同一でもメーカーが異なればソフトの互換性は基本的にありませんでした。それどころか・・・

ハード

当然当時のマシンは8ビットが主流。16ビットが普及し始めたのは、初代PC-9801が出てからです。CPUはザイログのZ80、モトローラのMC6809、MC6800、モステック(?)の6502(ファミコンにも使われています)などが使われていました。動作クロックも1MHzとか2MHzとかせいぜい8MHz(結構あと、PC8801FHあたりじゃないかな)そんなもんでした。
メモリだって、64KB積んでたら立派なもので、それこそ広大な空間に思えました。
使ってるICは標準TTLが多くて、中を見ると結構ごちゃごちゃしてたんだよね。DRAMだって、64Kbitのものを使っているのは少なくって、16Kbitをずらーっと並べてつかったり、今から考えると信じられない感じ。
まぁ、なんにしろ、技術の進歩は速いです。

ソフト

そう言えば、OSもあったけど、普通のユーザはBASICを使っていたな。
当時、マイコンと言えば電源を入れるとROMからBASICが立ち上がって、プロンプトが出るのが普通でした。今みたいにハードディスクからOSを読むなんて言うのは、もっと後の話し。
で、このBASIC、ほとんどのメーカーが「マイクロソフト」から基本的な部分を買って、各マシン用に直して使っていました。(マイクロソフトの事だから、ライセンスを売っていたんだと思うけど)
だから、基本的な部分はメーカーが違っても互換性があったんだけど、細かい部分で結構違うんです。ま、それでも、違うマシン向けのプログラムを移植して使っていましたけど・・・
ちなみに、このBASICがOSの役割も持っていて、外部記憶装置であるオーディオテープにプログラムやデータを保存したり、少したつとフロッピーディスクを制御するのも、BASICのコマンドで行いました。

互換性

実は、当時のマシンはメーカーが同一でも互換性が無いものが結構ありました。ソフトは一応読めるのですが、マシン語レベルで互換性が無かったり、周辺機器も互換性が無かったり。
NECはSHARP、富士通あたりはそれぞれいくつかのシリーズを持っていて、互換性がいまいち無いのです。ですから、ユーザはどのシリーズを買うかでその後の使い方が変わっていっているはずです。私の場合、FM-8を買ったので、その直後に出たFM-7といまいち互換性が無くって泣きました。結局それが良かったのか悪かったのか、ある程度勉強して、それなりにマシン語のプログラムが組めるようにもなったりしましたが・・・

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