山下透 MY HISTORY <ラジオ編>


1967年  父親からラジオ付きオープンリールテープレコーダーを譲り受け、大阪のラジオ局を聞き始め、ジングルなどを録音する。
1969年  父親から中波ラジオを譲り受け、遠方のラジオ放送を聞き始める。
1970年  父親から中波・FM2バンドラジオを譲り受け、開局したばかりのFM放送を聞き始める。
1971年  父親からステレオ再生のできるカセットテープレコーダーを譲り受ける。
1972年  父親からステレオレシーバー、スピーカー一式を譲り受け、お年玉でカセットデッキを購入する。さらに父親から中波・短波・FM3バンドラジオを譲り受け、海外放送も聞き始める。
1973年  中学入学と同時に「ラジオの製作」の購読を始める。中国語で挫折し、韓国語の勉強を始める。
1974年  「ラジオの製作」主催のラジオオーストラリア ダグラス・ヘルーア日本語課長を囲む会で山田耕嗣氏と出会い、ご近所だった氏の自宅に通うようになる。「電波技術」の投稿を始める。
1975年  日本DXersクラブ設立。
1976年  月刊「ラジオの製作」4月号に初めての「中級BCLのための語学講座 朝鮮語(韓国語)放送を聞いてみよう」を執筆。同誌「最新BCL情報」の連載担当(1978年夏まで)。
1979年  天理大学入学、朝鮮語を専攻。月刊「短波」のDXレポート(近隣諸国)のアドバイザーを担当。初の海外旅行(韓国)で、初のラジオ放送出演。アジア放送研究会設立。
1981年  ラジオたんぱ「BCLワールドタムタム」の原稿を初執筆。
1982年  NHK国際放送「ラジオ日本」英語「DXコーナー」の原稿を初執筆。
1983年  ラジオたんぱ「スーパーウェーブ」の特番に出演。「BCLワールドタムタム」最終回に出演。アジア放送研究会理事。
1984年  ラジオたんぱ「BCLジョッキー」ピンチヒッターで富永陽子アナと共演。アジア放送研究会事務局長。
1987年  NHK国際放送「ラジオ日本」朝鮮語放送出演者オーディションに合格。
1988年  NHK国際放送「ラジオ日本朝鮮語「DXコーナー」開始。
1989年  アジア放送研究会副理事長。自由中国の声日本語番組開始40年特別番組担当
1994年  NHK国際放送「ラジオ日本」朝鮮語「DXジョッキー」担当
1995年  NHK国際放送「ラジオ日本」朝鮮語「やさしい日本語(中級)」担当
1997年  アジア放送研究会理事長。
1999年  台北国際放送日本語番組開始50周年特別番組担当
2001年  有線放送USEN440「ABKハングル広場」担当
2002年  アルク「韓国語ジャーナル」付録CD「Voice of KJ」担当。
2001年  有線放送USEN440「ABK日本語ひろば」担当
2008年  アジア放送研究会会長。
2009年  アジア放送研究会設立三十周年記念特別放送アナウンス(4ヶ国語)担当
2018年  韓国アナウンサー連合会「2018韓国アナウンサー大賞 張基範賞」受賞
2019年  アジア放送研究会設立四十周年記念特別放送アナウンス(4ヶ国語)担当
2020年  NHK World-Japan 朝鮮語「ハナカフェ」復活放送担当

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