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うところ...

 製品やサービスに一貫した思想を持つサービス提供者は、不安定な世の中にあっても生き残れるように思います。最近オーディオ熱が再発して欧米メーカの製品を見ていると、モノから思想が見えてくるような気がします。

 出来れば、
 ・エンドユーザ
 ・サービス提供者(我々にとってはクライアント?)
 ・インテグレータ(サポータ)
といった人たち皆んなが幸せになれるようなモノづくりに関わりながら、つくり出すモノは出来るだけシンプルで美しいものにしたいという想いがあります。
そうすれば自ずと品質はそれらについてくるようにも思います。
 出来るだけ、一部サイド(私の場合インテグレータ)の論理(都合)を排除した(折り合いをつけた?)提案、モノづくりをしたいという想いもあります。
 難しいとは承知しつつ...

 サービス提供者側のプロジェクトマネージャとしてそのあたりを実践する事は可能?どうやって?活躍の場が与えられる?
 色々な想いが湧いている今日この頃...

住...


父親の仕事の関係上、20才くらいまでは転居の連続で、
 名古屋市地下鉄建設の時期には名古屋、
  原発関連施設建設時期には四国の伊方、
   山陽新幹線開発の頃は山口下関の近く、
    青函トンネル建設終了間近には函館...
といった具合。
おもしろいもので、自分が勤める会社は転勤の少ないところにしたら、今度は動きのなさに落ち着かなくなる。

最近では関東にいる期間が長くなったが、北海道に10年ほど住んでいたので精神的ルーツは北海道と感じている。実際、道産子と伊勢人とのハーフ。

学...


小学校は、山口、函館、札幌市内、札幌郡部(現北広島市)と4箇所で通う。
高校は札幌東に入るも、父の転勤に同行し上京、都立北野に編入学。
大学は一旦、東京商船大に入学。性根が座っていなかったせいか、別大学を受験し直し宇都宮大を卒業。東京・板橋の高島平から3年間通う(4年生ではさすがに下宿)。
コンピュータ、画像への興味から情報工学科で画像処理系テーマを専攻。UNIXマシン上でC言語プログラムを組み画像演算を行う。

職...


1992.04
野村総合研究所に入社、システム開発部門に配属される。3年半を某損保会社向けシステム開発部隊でネットワーク(インフラ)チームのメンバーとして過ごす。この間の1年半クライアントのシステム開発部隊に常駐。ベンダー他社の方と楽しく仕事をする。この頃OAマシンとしてMacと本格的につき合い始める。

1996.01
産業業界向けシステム開発部隊に転属、携帯電話事業者向けシステム開発に携わる。後半はインフラチームのメンバーとして過ごす。当時流行り(今でも?)のイメージ・ワークフローを利用した大規模システムを扱う。

1996.07
この頃からインターネット関連業界への転職を本気で考え始める。

1997.10
予定よりちょっと遅れて転職。

1999.12
2000年を前に心機一転、職場も一新?

2002.04
残念無念。ネット不況だけが原因ではない筈。

2003.03
やはり「ネットばか」な自分をごまかす事が出来ず、求職モードへ。