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本ページは1998年当時の平日朝に放送されていたJ-WAVEの番組『Singin' Clock』(大槻りこさん、倉島直子さんナビゲート)のコーナー【Today's File】の内容を、J-Wave好きの私個人がテキスト化したものです。
本ページの情報についてJ-WAVEは何ら責任を持つものではなく、掲載情報により被害を被った場合もJ-WAVEには一切責任がないことをご了承ください(私にも責任取れません)。また情報は放送当時のものであることをご了承ください。

リスマスとお正月

クリスマスの始まり

クリスマス・ツリー

サンタクロース

門松の話

お年玉のルール


今週のToday's Fileはクリスマスとお正月の風習のルーツを辿ります。
 
1日目はクリスマスの始まり
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とうとう後2日でクリスマス・イブですね。 街も皆さんの気持ちもクリスマス一色になってると思いますけれども、 今週前半のToday's Fileではクリスマスにまつわる様々な事、 物のルーツを探っていきます。

まず今日はクリスマスの始まりについてお話しましょう。

クリスマスはイエス・キリストが生まれた日だという事は皆さんご存知ですよね? ところで聖書にはキリストが生まれたのは夜としか書いてないんです。 つまり誕生日は書かれてないんです。

かつてギリシャなどの??教会では1月6日をキリストの誕生日としていたんですけれども、 4世紀の後半にローマ皇帝が12月25日を誕生日とした事から、この日がキリストのミサ、 クリスマスと定められました。

では何で12月25日かと言いますと、元々ローマではこの日、冬至とされていたんです。 冬至は一年で最も太陽の光が弱まる日です。その後は徐々に陽射しも強まって 春がやって来るという日。来る年への希望を込めて人々は冬至のお祭りをしていたんです。 キリストの誕生を太陽が昇る事となぞらえて、この日がクリスマスとされたようです。

この日、カトリック教会では朝、昼、晩と3回ミサが行われています。 これはエルサレムの習慣から来ているようなんですけれども、キリスト生誕の地である ベツレヘムでまず前夜祭を行って、行列して夜明けにエルサレムに到着したら、昼にまた エルサレムの聖堂に集うという習慣があったんだそうです。いかにこの日が重要だったか というのが分かりますよね?

冬至のお祭りを行っていた時代は、どんちゃん騒ぎをしていい という習慣もあったそうなんです。だから現在クリスマス・パーティをして賑やか というのも頷ける気がしますよね?

親しい人とプレゼントを交換するというのも、この冬至祭りの時に 皆んなで食料を出し合って”無事に冬を乗り切ったね、お祝いしましょう” という習慣が始まりとも言われているんです。 春に向かって、そして皆んなで祝うのが本来のクリスマスという訳なんです。

こうしたクリスマスという習慣が日本でお祝いされるようになったのは、 明治に入ってからの事です。それからクリスマス用品を現在のように売り始めたのが、 丸善デパートが初めだったんです。

今年のクリスマス、家族で過ごそう、お家で過ごそうというのが結構 流行ってますけれども、皆さんはどうなさるんでしょうね。 それぞれ思い思いのクリスマスがあると思うんですけれども、 一年間お互い良く頑張りました、健康で良かったね、無事で良かったね、 そんな事をお祝いするそんな気持ちでクリスマス過ごすのもいいのではないでしょうか?

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2日目はクリスマス・ツリー
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12月23日、休日です。1日早いクリスマスやっちゃおうか?という人結構いますよね。 いよいよクリスマス本番という事で、明日までのToday's Fileでは クリスマスのルーツに迫ります。

今日はクリスマス・ツリーです。

どうしてクリスマス・ツリーを飾るようになったのか、皆さん分かりますか? クリスマスが始まるずぅ〜っと前の事です。冬至の時期、弱まっている太陽の光を 何とか元気にしたいという思いから、お祭りの一環として人々は炎を焚いて、 家の中に常緑樹を飾っていたそうなんです。

常緑樹という木は寒い季節でも元気に生きてくれる生命の象徴だった訳なんですけれども、 ドイツでは樹木に対するこういった信仰がとっても強くて、 特に樫の木は精霊が宿る木として信仰されてました。

でも8世紀に入ってキリスト教が広まると、樫の木の役割がもみの木と代わります。 もみの木の形って三角形ですよね?末広がりの。父なる神、子なる神、 精霊は元来一体のものであるというキリスト教の三位一体の教えになぞえられた為に、 もみの木が樫の木に取って代わってしまったという事なんです。 これがクリスマス・ツリーの元祖なんですね。

その後19世紀初頭にイギリスのビクトリア女王の為にウィンザー城に このもみの木が飾られた事がきっかけとなって、もみの木のクリスマス・ツリーは 世界中に定着しました。

というのが一説なんですけれども、

インドあるいはゲルマンの神話から来ているという説もあるんですね。 あるいは中世の楽園劇に由来するという説もあるんです。 果たしてどれが本当の由来なのか定かではないようなんですけれども、 クリスマス・ツリーに飾られるのはリンゴです。リンゴは楽園の果実ですから、 ひょっとしたら中世の楽園劇が大きく関わっているかも知れません。

それからクリスマス・リース。あちらは健康の女神エストレニアに由来する小枝を 幸運の象徴として送り合っていたそうです。リースをもらったら、 幸運を願って家の入り口に飾っていたという事ですから、 日本のお正月に欠かせないしめ飾りのような物だったのかも知れませんね。 クリスマス・ツリーやリース、これから訪れる春に託す信仰や幸運の記しです。

こういう話を聞くと東京の街に飾られたクリスマス・ツリーにも、 より親しみが湧いて来ますよね? ”やぁ〜綺麗だね〜”と感じるだけではなくて、一年間無事で過ごせた事に感謝して、 これからも一年間、健康で幸せでつつがない毎日が送れますように、という気持ちを込めて ツリーを見たくなってしまいます。

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3日目はサンタクロース
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子供の頃信じてましたよね?サンタクロースは本当にいるって。 良く悪い子はサンタさんからプレゼントもらえないぞ、なんて脅されたものでした。 まぁ今も昔もサンタクロースは子供たちの夢です。

でも一体、サンタクロースって誰なんでしょう?何で彼がプレゼントを運んでくれる という伝説が残ってるんでしょうか?今日はその辺を追及してみたいと思います。

サンタクロースは現在のトルコにあったミュラという土地の司教であった 聖ニコラスがその元だと言われてます。 聖ニコラスのオランダ語、シンタクラースが訛ってサンタクロースになった と考えられているようなんです。

聖ニコラスの祝日は12月6日、その前日に聖ニコラスがプレゼントを届けに来るという習慣は かなり古くからありまして、かの有名なオランダの画家ヤンヨーステの作品 『聖ニコラスの祭』には、12月6日の朝にニコラスからこっそり届けられたプレゼントを見て 大騒ぎしている子供たちの姿が描かれています。

また1920年のオランダの絵本には、シンタクラースが暖炉の前に準備した靴の中に プレゼントを入れたり、学校にやって来たシンタクラースが、 いい子にはプレゼントを渡して悪い子にはプレゼントをあげない、 袋の中に入れてしまうという絵も描かれているそうなんです。

じゃぁこの聖ニコラスはどんな人物なのかという事なんですけれども、 これに関する情報がすごく少なくて、今のところ確実な事は分かっていないようなんです。

でもギリシャで生まれた彼がミュラで司教として活動していた事、遭難した船を救ったり、 飢餓から人々を守ったという伝説が残されているようなんです。幸せを持たらす 守護聖人だったんですね。

そんな聖ニコラスの祝日が聖ニコラスのお祭りなんですが、オランダだけではなく ドイツやフランスなどでもこのお祭りあります。その風習は様々なんですけれども、 村の若者たちが聖ニコラスに紛して子供たちの所を尋ねてお菓子などのプレゼントを配る という共通点があるようです。その習慣がサンタクロースの伝説につながったようですね。

でも聖ニコラスはサンタクロースのような格好をしていた訳ではないんです。 赤い服を着てトナカイが引くソリに乗ったサンタクロース、あれはあくまでイメージです。 アメリカの神学者が19世紀の最初の方に作り上げたイメージだとも言われています。 サンタクロースはヨーロッパの風土と歴史が生んだ素敵な伝説なんですね。

いい子にしていればプレゼントがもらえるという夢のある風習も、 時代が変わってもいつまでも残していきたいです。 幸せを運ぶ気持ちがあれば誰でもサンタクロースになれるのかも知れません。 明日あなたの下に皆さんの下にサンタクロースが必ず現れますように。



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4日目は門松の話
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J-WAVEに来る途中、街を見回してみても、クリスマス・ツリーから門松になってるとこ 結構多かったですね。お正月の準備もそろそろ本格的に初めなくちゃという季節になって 参りました。

今日は門松のお話です。

(抜けてます)

〜になってから松に固定されて、さらにおめでたい竹を添える地方も多くなって来ました。 地方によっても飾り方も様々です。

まず京都の”うちだわら”という地方、農家の庭に一本の松を立てて、 道路側から松の根元に向かって砂を捲きつらねていくそうなんです。 これは神さまが歩く道と考えられているという事です。

それから伊勢の北の地方、門松の枝に何とご飯、うどん、味噌汁などを掛けて ワラで出来た円錐形の容器を付ける風習があるそうです。

また三重県の島ではなますや小豆を添える風習があって、これら食べ物を添えて 神さまを迎え入れようという気持ちの現れだとされています。

門に立てずに床の間や神棚に飾るという所もありますよね。 神さまの迎え方も様々なんです。

このように年末に飾られた門松、1月4〜7日頃まで立てておいて1月15日を中心とする どんど焼きで焼かれます。そして無病息災を祈るという訳です。

この一年どうか幸せでありますように、という思いが込められた門松、 最近はどのお宅でも見るという訳にはいかなくなってきましたよね。 実は門松は松の芯を取る為に、 森林保護の意味合いから廃止運動が盛んに行われているという実情もあるんです。

時代が変われば風習も変わる、当然と言えば当然なんですけれども、でも 昔ながらのお正月の風景が段々失われていくのはちょっと寂しい気がしますよね。

皆さんのお宅どうでしょうか?門松毎年立てていく習慣ありますか? もしそんな習慣が残ってるんだったら是非大切にして下さい。 やっぱり門松が立ってると、お正月が来るんだな、そんな気がします。 クリスマス終わりますから良かったら皆さん門松買いに行って下さい。




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5日目はお年玉のルール
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今日はお正月の楽しみ、お年玉のルールをお話します。

もらえるかなぁ〜、もらえないかなぁ〜とワクワクしながらお年玉を待ち侘びていた 子供の頃、本当懐かしいですよね?お年玉がもらいたいが為に親戚回りに行っていた という子供もいたのではないでしょうか。皆さんどうでしょうね。

お年玉は大人が子供に上げるものという認識があるんですけれども、 実は元々お年玉は今のように個人が個人に贈るものではなかったようなんです。

出雲大社のお膝元である島根県には、大晦日に一年の福を持たらす年神さまが お年玉を配りに来るという言い伝えがあったそうなんです。 また鹿児島県にも、年ドン?というお正月の神さまが、 お年玉としてお餅を配るという言い伝えがありまして、 元日の朝に子供に与える丸餅を”としだま”と呼んでいたそうです。

どうやら神さまがくれる、とされていたお餅がお年玉のルーツだったようですね。

そんな言い伝えがある為か、年始回りの時に持って行くお年玉がお餅だったという地方 けっこうあったようです。大切な食料であるお餅を配る事が一年の福を祈る事の印 だったんでしょうね。

そう言えばお正月に神さまにお供えするのは鏡餅、お餅です。お餅がいかに重要な食品 だったか偲ばれます。

さて室町時代には京都の公家や武家の間で現在のように お年玉と呼ばれる贈答品を贈り合う風習がありました。その頃はお餅だけではなくて 様々な物が贈られていたようです。 お年賀とお年玉が一緒になったようなものだったんでしょうか。

以後、お年玉はお金に形を変えました。最近はいくらもらえるかと 額ばかり気にする子供たちが多いようなんですけれども、お年玉の本来の意味は、 神さまから福を頂くという事。その認識は後世まで残して行きたいものです。

さて来年は甥子さんやら姪子さんやらに幾らあげたらいいんだろう、 と考えていらっしゃる方もいるでしょう。それから自分は幾らもらえるだろうかなぁ、 と親戚の数を数えてる方もいると思うんですけれども、 基本的にお年玉は小中学生くらいまでの子供に年長者が与えるものです。

その額なんですけれども、親戚同志色々と金額を相談して子供たちに上げるんですよね。 なかなか苦労します。年々子供が成長していくにつれて 値段というものは上がってしまうものなんですけれども、やはり子供が使うものですから、 巨額な大金ではなくていいんです。気持ちですから。

また定年した両親にお年玉を上げるべきかどうかという事も問題になってきますが、 やっぱり感謝の気持ちを現すんだったら、お年玉という形ではなくて 何か別のプレゼントをした方がいいかも知れません。とにかく大切なのは気持ちです。 気持ち良く上げたりもらったりしたいものです。

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