Last updated : Apr. 26, 2000
当時、趣味にも学業にも毎日やる気のない生活を送っていましたが、不安で夜眠れない日がだんだん多くなってきました。
「こんなに大学を留年しまくっていて本当に良かったのだろうか」、「このまま生活していて、社会人として社会に受け入れてもらえるのだろうか」、「同期の友人たちは社会に出ているのに、どうして私だけだらだらとしているのだろうか」などなど、自責の念が頭の中を永久ループして止まらない日々が続きました。
また、学業の方も行き詰まり、溜まりに溜まった実験レポートの提出ができないと、最大在学年限の8年を越えて、自動的に除籍になってしまうという状況でした。
このように、夜は眠れず、昼は家の中でぐずぐず寝たり起きたりで、外出も食料調達のためにコンビニへ行くだけといった生活が続きました。
そんな状態で私が取った対策は、「酒」でした。夜眠れない時は眠くなるまで酒を飲みつづけました。
そして、酒量が一週間でウイスキー瓶一本以上空けてしまう位にまで増えて、初めて「やばい」と感じるようになりました。
最初は喘息でかかっている総合病院の内科で不眠を訴えたのですが、「どうしても必要なら睡眠薬のようなものを出すが、若いのだからあまり薬に頼らないほうがいい」と言われ、そんなわけで精神科受診を考えるようになりました。
病院選びは電話帳で行いました。たくさんある中から、最終的にいくつかのクリニックをピックアップしたのですが、いざ行こうとすると恐くなってなかなか行けませんでした。電話をかけて予約するのも恐くて、予約なしでクリニックの前まで行ったけれど、恐くなって帰ってしまったこともありました。
結局ようやく入ることができたのは、駅のそばにある某クリニックでした。いったん入ってしまえば度胸もなんとか座って、保険証を出して受付を済ませることができました。
待合室では症状、自分の生い立ち、希望する治療を紙に記入させられました。
そして数十分後、私は名前を呼ばれて診察室に入りました。診察室にある物は医師の机椅子、患者の椅子、雑多に積み上げられた精神医学書といった様子でした。
挨拶の後、不安と不眠を訴え、医師からいくつか質問を受けた後、告げられたことは、「あなたはうつ状態である」、「治療には薬物療法が有効である」という2つでした。
この時もらった薬は、ルジオミール、ドグマチール、セパゾン、レンドルミンでした。
これでなんとか眠れるようにはなったのですが、気分の落ち込みや不安は消える事はありませんでした。その後、アモキサン、トフラニール、デジレルなど抗うつ薬の変更を行い、結局一番よく効いたアモキサンを服用しつづける事になりました。
アモキサンのおかげで、やる気だけは出てきましたが、不安や絶望は消えませんでした。そのため、昼は鬱々で講義を受け、講義のない日や夜は不安で泣きながら実験レポートを書きつづけるという日々が続きました。
しかし、こうした生活も長くは続きませんでした。講義の単位はなんとかとれましたが、結局、実験レポートは学年末までに終わる見込みはなく、より深い不安と絶望に襲われました。
このようにとうとう八方ふさがりになって、ようやく家族にその旨を打ち明ける事ができました。一度打ち明ければ心は楽になるかというと、そういうことはなく、今までの親との軋轢もあったためか、不安と絶望は消える事はありませんでした。
実験レポートの提出が絶望的になった時点で、大学を中退しようと考えました。しかし人というものは未練がましいもので、再入学制度(退学した後に、再びふさわしい学年に編入して大学をやり直す制度)を考え、教務担当の先生のもとへ相談に行きました。
そこで言われたのは、再入学は前例が無く、おそらく難しいと言う事、一年休学して休学中に実験レポートを書いてはどうかということでした。
そして、いろいろ心の葛藤や親との衝突はありましたが、結局大学を一年間休学する事に決めました。
以後は日記のページをお読みください。