日記

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2003年7月20日(日)

二年以上サイトをほったらかしにしておくのも何なので、そろそろ閉鎖しようかなとも思っていたのですが、消すのもなんだかもったいない気がしますし、そもそも一旦上げた物を消すのはあまり好きではないので、コンテンツの整理をすることにしました。

今日はとりあえずトップページの修正だけ。あとはデッドリンクの整理と掲示板のメンテ(もしかしたら掲示板だけは閉めるかもしれませんが)をしたら完全に休止モードかと思います。

ちなみに私の現況ですが、可もなく不可もなく生活してます。精神科も通うのが面倒になったので行っていません。治ったというわけではないでしょうが、このままの調子で今より悪くならなければそれでもいいのかなとも思います。


2000年5月28日(日)

午後から、久しぶりにリタリンを二錠ほど飲んで出かける。行き先はフロントラインのアジト。目的はMSXイベント会議。

会議の前にフロントライン代表兼私のバイト先の社長(順序が逆か)に今後の仕事の予定を聞いてみた。どうやら不景気で私にはほとんど仕事が回ってこないらしい。新しい仕事を探さねば。それにしても、私の四月と五月を返せー。(ってほど怒ってないが)

あと、二冊購入しておいた下板書房刊「少女と恋愛する方法」のうち一冊を自称ペドフィリアの友人に売りつける。残り一冊は自分用。私は現実の子供は嫌いだが、読み物として面白そうなので確保。

会議はリタリンの所為かどうかは知らないが気分よく進んだ気がした。まあ会議とは言っても報告会および意見の吸い上げ会のようなもので、現実の動きは私の手の届かないところで行われるのだが。まあなんだか私はエンドユーザーでもなく一線の開拓者でもないような中途半端な立場に居るような気がして気持ち悪い。

会議が長引いたので夕食。リタリンが切れたのでビールを飲んでごまかす。食後に少し離れた席に座っていた友人が薬を飲んでいた。遠目に見て飲んでいる薬がアモキサン10mgカプセルとドグマチール50mg錠だと分かってしまう自分がちょっとトホホな気分。でも近くにうつ病患者がいると分かってちょっとうれしい。(おい)

結局終電で帰る。帰宅時間は29日1:00。


2000年5月19日(金)

昨日電話があった動物愛護センターへ行く。愛護センターとは言っても実際には飼えなくなったり引き取り手のない犬や猫を処分(実験動物として研究機関に送ったり安楽死させる)する施設である。我らが必需品の向精神薬も、動物の尊い命の犠牲の上に開発されているのである。よく薬剤添付文書に「視床下部刺激による指向性攻撃反応の抑制作用(ネコ)」とか書いてあるでしょ。(デパスの薬剤添付文書より引用)

保護されていた子猫は、白オス一匹、白メス二匹、白黒トラメス一匹、三毛メス一匹、シャム系雑種メス一匹。ここである意味残酷ともいえる命の選択を行わなければならない。かなり悩んだが、一番元気のよいシャム系雑種のメス猫を引き取ることにした。他の子猫たちも引き取り手が現れればよいのだが。

ということで子猫を連れて家に帰る。帰りがけに猫用具を一式買い揃える。

家に着いて、子猫を部屋に放す。最初はおどおどとあちこち散策していたが、慣れてくると部屋中を駆け回ったりあちこち飛び乗ったりとかなりのやんちゃ娘ぶりを発揮。でも感心したのは、教えもしないのにきちんと猫用トイレで用を足し、所定の爪研ぎ板で爪を研いでいたことだ。前の飼い主が手放す前にしつけておいてくれたのだろうか。

まあ当然だが、たっぷり愛情を注いで大事に飼うつもり。

トコちゃん写真映り悪いです


2000年5月18日(木)

千葉県動物愛護センターから電話。手配していた猫の里子が見つかったとの事。


2000年5月7日(日)

セレクサが切れたのでアナフラニールに切りかえる。また口渇と便秘の日々がやってくるのだろうか。

服用の感想は薬のページを参照のほど。


2000年5月5日(金)

ここ数日、日記と掲示板のアクセス数が普段と比べてやたらと多い。やっぱりみんなゴシップ話好きなのね。(笑)

なんか気分がテンパっていると感じたので、気晴らしの意味も込めて今日は秋葉原へ出かける事にした。

神和電機にてプリンタ用の32MB SIMMを購入。8,200円也。前見たときはもうちょっと安かった気がしたのだが。値上げか。その後、DVD-RAMドライブを物色したり、CDを買ったりした。

帰りに、ホームにすべりこんでくる総武線の黄色い電車に飛びこんでしまおうという衝動にかられる。特に何も考えていない状態で、ごく自然にその衝動はやってきた。やはり私の病気はまだ治っていないのだろう。もっとも、やっぱり飛びこんだら痛いし、私の肉隗を掃除する駅員さんの事を考えると飛びこみ自殺なんてしないしない。

帰宅後、買ってきたメモリをプリンタに装着する。これでプリンタのメモリ容量は36MBになった。早速重たいPDFファイルの印字テスト。実測で15%ほど印刷速度が向上した。もうちょっと速くなると想像していたので、少し興ざめ。

夕方、某女史から電話。ここ数日私は少し盲目的になっていたことを再確認させられた。私はいろいろ勘違いをしていたようだ。この電話のおかげで私は大分心が落ち着いた。しかし、かなりひどい事を言ってしまったのに、私の心を安らかにさせてくれる電話をくれるなんて、尊敬に値する。なんとお詫びしたらよいのだろう。

やはり家に閉じこもっていると思考が煮詰まってしまう。仕事をするなり遊びにいくなり、外界との接触を保たないと心が変な方向に向かってしまう。幸いゴールデンウィーク明けからはバイトも始まるし、バイトをすれば遊びに出るお金も手に入るので、心の天日干しができると思う。

最後に反感承知で言いたい事。最近思うのだが、精神疾患を患っている者たちには、私を含めて、性格が歪んでいる人間が多いのではないだろうか。精神疾患が性格を歪めるのか、性格の歪みが精神疾患を引き起こすのかどちらかは分からないが。

以上、ゴシップ話終わり。あとは自分の信じた道を進むのみ。


2000年5月4日(木)

まずはじめに、ここ数日の私の一時的な感情による行過ぎた行為によって不愉快な思いをされた方々に深くお詫びする。

結果として、私は何人かのネット仲間から嫌われてしまう事になった。自分で蒔いた種なのだから、それは甘んじて受けることにする。

ただ、杞憂であればいいのだが、もしもどこかで私が不在のもとで欠席裁判が行われているのであれば、その判決は断じて受け入れられない。

当事者の了解が得られるのであれば、当事者間で全ての事実を白日のもとにさらした上で、私を含めだれがどのように悪い事をしたのかをはっきりさせたい気持ちである。その上での結論なら、私は受け入れる。


2000年4月29日(土)

デパス服用開始。よく眠れる。朝に残らない。すばらしい薬だ。ロヒプノールの耐性が落ちるまで代わりに飲み続ける事にする。

いつまでも怒っていてもお腹が空いて疲れるだけなので、怒るのはやめにした。まあ友情と言うものは、お互いが相手に対してそれなりの敬意を持って成り立つものかと思うので、相手の敬意が感じられない、相手に敬意を感じられない場合には、無理して友達関係を保つ必要はないという結論に達した。別に仕事で付き合ってるんじゃないんだしね。

インターネットで注文した戸川純のCDが届いた。やはり彼女の歌はすばらしい。

姉と一緒にひき肉とツナのカレーを作った。たくさんできたので二人で食べてると三日は持ちそう。


2000年4月27日(木)

なんだか徹夜明けなのに元気がいい。空元気だろうか。

今日は通院日。本来は土曜なのだが、ゴールデンウィークおよび個人的事情によって今日行くことにした。

診察では、医者にここ数日の悪い便り、および怒りをエネルギーに転換して元気が出ているような気がする旨、やはりある程度の忙しさなり怒りなりのストレスが活力のもとになっているのではないかと思っていると言う旨を告げた。なんとなく医者はうれしそうな顔をしていたような気がする。

セレクサがもうすぐ無くなるのでアナフラニールの処方を要望。さらに、効いているのか効いていないかわからないデジレルの処方中止、その代わりに睡眠薬としてデパスの処方を提案。提案は受け入れてもらえ、希望通りの処方箋を受け取った。土曜夜から変更された処方で服薬を開始する予定。

帰りに秋葉原のゲーマーズに寄り、「デ・ジ・キャラット」vol.2のDVDを購入。DVD再生環境まだ持ってないのにね。ポイントカードを景品に交換。景品は下敷き三枚。三枚ももらって何に使えっていうんだ。

夕食時に姉とワインを飲みつつしばし談笑。


2000年4月26日(水)

便りがないのはいい便り。

とかなんとか言って二ヶ月ぶりに日記を更新したのは、やっぱりほったらかしは良くないだろうと言うことと、悪い便りがあったからである。

ということで悪い便り。いやあ、恋愛と言うものはゲームより面白くて厳しい。あと、たとえ心の病気のせいであれ、病気をだしに他人の心を引きとめようという行為は、卑劣である。また、恋愛というものはお互いが相手に愛情を「与え合う」事によって成立するもので、相手から愛情を「受け取る」事を考える、あるいは求めるのはお門違いと私は考えている。それができない人間はソープでも行ってろ。今はこれだけにしておこう。

今までand近況報告。

気分の方はこれといって落ち込むこともなく、かといって盛り上がることもない。「ふらっと」な気持ちである。今日は悪い便りをエネルギーにして盛り上がってこうして日記を書いたりホームページを更新したりしているが。悪い便りによって鬱にならず、それをエネルギーにできると言う事は、私の病気も少しは良くなってきているのだろうか。

5月から年金生活に入る予定だった父親が、あと一、二年働いて収入が得られるようになった。おかげで私は休学を延長して一年間親に食べさせてもらえることになった。ということで大学中退は先送り。今の気持ちとしては復学するつもりはないのだが。

話が前後するが、親に秘密で受験していた専門学校のことを親に話した。当然驚かれたが、基本的には私が専門学校へ進むことには反対のような空気である。「あせらずゆっくり考えろ」と言われた。私は今は別にあせってはいないのだが、今の気持ちとしてはもう一度専門学校を受験するつもりである。受験は来年一月ごろの事なので、考える時間はたっぷりあると思う。

4月からのバイトが決まった。しかし4月は暇で仕事が少ないらしい。五月のゴールデンウィーク明けから忙しくなるとの事。リハビリ、あるいは専門学校進学の資金を貯めるという意味でも、バイトは頑張りたい。


2000年2月23日(水)

さすがに一ヶ月以上日記を更新しないのはまずかろうということで日記更新。とはいっても最近は単調な毎日で書くことなどほとんどないのだが。

だいたい朝起きて朝食と薬を取って昼頃まで寝て、午後は「キャプテン・ラヴ」や「どこでもいっしょ」といったゲームで遊んで、適当に夕食を取って、本を読んだりして、11時ごろに薬を飲んでネットを廻ってIRCでチャットして寝る生活。

とりあえず空白の一ヶ月間の報告。

病状。気分的にはよいのだが、医者に言わせると「薬で抑えている状態」だそうな。もうしばらく薬との付き合いは続きそう。

専門学校。結局二校とも不合格。詳細を書くと、一校目は一次試験(学科)落ち、二校目は二次試験(面接)落ち。学科に落ちたのは、ただ単に勉強が足りなかっただけだと思う。試験の難易度的には一ヶ月も勉強すれば余裕のもの。面接に落ちたのは、「精神科に通っている」など余計なことを話してしまったり、一部質問の答えに窮してしまったことだろうか。やはり精神病患者や精神病既往歴のある者に対して社会の風当たりは厳しいのだろうか。専門学校は来年もう一度受けなおすつもり。今度は面接で余計なことは言わずにウソ八百並べ立てるぞ。

大学。退学を決意。退学届をもらってきた。これに記入して提出すれば晴れて大学中退の身。

セレクサ。注文後二週間ほどで届き、現在朝40mg錠を一錠服用中。服用感はまあまあ。詳しくはクスリのページで。

今後のこと。4月からはバイトの身。バイトをして貯金を作りつつ、専門学校の受験勉強をするつもり。


2000年1月17日(月)

今日から今月一杯くらいまで、専門学校の受験勉強するので日記の更新は多分なしです。

励ましのメール掲示板のカキコは大歓迎ですのでよかったらよろしくー。


2000年1月15日(土)

人と会う予定があったのだが、流れてしまったので遅寝して適当に食料を買い出しにスーパーに行ったり、昼寝したりして過ごした。それらの合間に「どこでもいっしょ」で遊んでいた。

このゲーム、なかなかおもしろい。遊んでいる友達を見つけて名刺交換とかしたいな。


2000年1月14日(金)

渋谷へインド映画、「ジーンズ 世界は2人のために」を見に行った。今回は南インド映画。ハリウッドとの合作ということでどんなヘボ映画になるんだろうと期待して行ったが、ストーリー的は分かりやすいし、SFXも上手く使っていた。

でも主役やヒロインが美形すぎるのもあってか、インド映画独特の泥臭さが無くて少し残念。やっぱり私は南インドのこってりしたやつが好みらしい。映画を見た後に「アルナーチャラム」のサントラCDを衝動買い。

帰りには秋葉原に寄って父に頼まれていたWord98の入門書を購入。プレイステーション用ゲーム「どこでもいっしょ」とポケットステーションを衝動買い。だめだ、散財が止まらない。


2000年1月13日(木)

今日も寒かった。

午前中、専門学校の入学願書を提出しに行った。(2校)

それから、御茶の水に移動し、美禄亭(神保町店)にて昼食兼飲み会の下見。

三省堂書店で高校の学習参考書をしこたま買いあさる。一週間ちょっとという短期間で高校の国語・数学・英語の総復習をして専門学校の入学試験に備えなければならない。

お茶の水書院にて精神医学書を立ち読みし、精神看護学の本を購入して帰る。


2000年1月12日(水)

一日中冷たい雨が降っていた。

愛トレーディングセレクサを発注・送金。

午後から母校に行って調査書を取ってきた。昨日撮ってもらった写真ができあがるのが午後5時なので暇つぶしに秋葉原を散策した。

またもやプライズゲームに金をつぎ込みまくったり、CDを何枚も買ってしまったりと散財してしまった。PHSのメールも打ちまくってしまった。最近よく眠れないし、やはり躁状態に陥っているのだろうか。とか自覚できているうちはまだいいか。

とりあえず専門学校出願のための書類は揃った。あとは書類を学校に持っていくだけ。やるぞー。


2000年1月11日(火)

午後からかかりつけの内科へ行って、専門学校受験にあたって提出する健康診断書を作ってもらった。また喘息の方の診察もしてもらった。こちらはほぼ全快。あとは写真屋で受験票に貼る写真を撮ってもらった。

夕方に両親と姉が第二実家へ帰っていった。木曜までは独り。


2000年1月10日(月)

夕方に両親が第二実家からやってきた。


2000年1月8日(土)

通院日。前回は一週間早く行ったので三週間ぶり。

診察はいつもの通りだったのだが、こないだ試したデパスレキソタンの服用体験を告げた。ベゲタミンAもあるのだが、これは恐くてまだ試せない。

結局レキソタンの服用感がよかったので5mg錠を1日2錠処方してもらうことにした。その代わりかどうかは知らないが、なぜかリタリンが1日1錠に減らされてしまった。

帰りには、御茶ノ水にて居酒屋のチェック、秋葉原にていろいろ徘徊した。今日はなんかついているようで、プライズゲームで景品をばんばん取れた。あとPHSの機種変更や携帯MP3プレイヤーの拡張メモリ、ヘッドホンなどいろいろ買い物をしてしまった。多少躁が入っていたかもしれない。


2000年1月7日(金)

母校(高校)に専門学校受験のための調査書の発行申請に行ってきた。約8年振りの母校訪問なのだが、足は高校までの道をしっかりと覚えていたらしく、迷わずたどり着けた。

まだ冬季休業中なので校内は閑散としていた。淡々と受けつけを済ませたが、進路担当へ回す提出先学校の情報を書く欄に、「国立大学」と「私立大学」しかない。大学進学率ほぼ100%の進学校なのだから仕方が無いといえば仕方が無いのだが、ちょっと肩透しを食らった気分。


2000年1月5日(水)

冬コミの後知り合いのサークルに預けていた自分のサークルの荷物を引き取りに知り合いのサークルの事務所まで行った。

これでわたしの冬コミも一段落。あとは買い子部隊に頼んでおいた2000年のカレンダーを引き取ってしばらくおしゃべり。

あと、ドリームキャストのゲーム、「スペースチャンネル5」で遊んだ。 敵の宇宙人が踊る踊りを覚えて、それをまねしてタイミングを合わせて踊り、地球人を救出していくゲームなのだが、なかなかおもしろい。 救出した地球人たちは主人公の後をぞろぞろついてきて一緒に踊るのだが、インド映画のエッセンスを感じて私的には超ハマリ。 まちがってもこのゲームの為にドリームキャストを買ってしまうとかいう愚挙に出ないよう気をつけなければ。


2000年1月4日(火)

第二実家より戻る。年末から風邪が引き金の喘息の発作が少々起こっていたので、かかりつけの内科へ。直りかけということで点滴は免れた。少々強い内服薬(副腎皮質ステロイド)を処方してもらう。


2000年1月2日(日)

私にとってはY2K問題より気になっている妹尾あいこの母親問題が解決する日。わくわくしてTVをみていたが、あんなにかんたんに解決してるんじゃない。もう。

ちなみに妹尾あいことは、TV朝日系アニメ「おジャ魔女どれみ」に登場するキャラクターで、父子家庭のナニワっ子である。お母ちゃんは共働きであいこの世話をどうするかという問題が元で離婚しちゃったんだよねえ。この辺深く突っ込んで描写してくれれば面白かったんだけど。


2000年1月1日(土)

ミレニアムである。でも私にとってはどうでもよかったりする。 朝、家族と初日の出を見に行った。朝の浜辺は寒かった。 写真を何枚か撮ったのだが、家族には好評だった。

今年こそはなんらかの形で「社会復帰」するぞと心に誓った。

1.まずは専門学校受験。

2.次の選択肢は大学のレポートを提出して復学。

3.最後の選択肢は就職。


1999年12月31日(金)

夕方から第二実家へ帰省した。


1999年12月28日(火)

なんとか回復したので買った本のチェック。ジャンル別に分類したら、半分以上が「ぷに」本だった。いかん、趣味に走りすぎた。ちなみに私は2Dの幼女は好きだが、3Dのガキはきらいである。

なんだかんだで3万円くらい買い物したと思う。これからゆっくりと買った本を堪能しようかと思う。


1999年12月27日(月)

コミケ疲れで一日中燃え尽きてました。


1999年12月26日(日)

コミケ三日目。今日の担当ジャンルは少女系ファンクラブ。比較的平穏なジャンル。

今日は主に男性向けのジャンルが多いのだが、半分くらいは買い子部隊にまかせて、魔法少女系と評論・その他を買いに回った。三日目という事もあり、スタッフ業務も忙しいのだが、その合間を見て急いで買いに回った。時間が無いので本の中身を確認せずに表紙だけで選んで買い物をしていた。その間仕事していたスタッフさん、ごめんなさい。

自分の担当ブロックでは特に混乱はなかったが、外周部のサークルの列が島中の端のサークルの所まで伸びてそちらのサークルさんからの苦情が多かった。外周部の列をなんとか圧縮することと、外周部のサークルさんになるべく早く販売してもらうことで何とか問題は解決することができた。スタッフ側から見ればサークルさんたちは一対多数の関係だが、サークルさんから見ればスタッフは一対一の関係であるから、サークルさんへの誠意ある対応は重要である。


1999年12月25日(土)

昨日電話をかけた某女史からの電話で目が覚める。寂しかったのでうれしい電話。どうもネット上でいろいろあってヘコんでいたらしい。数十分話して出かける時間になったのでなごり惜しみつつ電話を切る。

コミケは二日目。今日の担当ジャンルはガンダム。東方不敗師匠のバスタオルを見つけて買おうと思っていて、いざ買いに行ったら売りきれ。仕方ないから師匠の布袋を購入。今回の買い物袋にしよう。スタッフ業務的にはまあまあ平穏だった。少々不行き届きな部分があったので明日への課題として気をつけようと思った。


1999年12月24日(金)

今日はクリスマスイブ。でも私はコミケ一日目。

今日は高校の頃からの腐れ縁のサークルの相棒と女の先輩と3人で飲もうという計画を立てていたが、相棒は彼女とデートとのことで、それを聞いて初めてイブが恋人たちの日だったと気づいた。それまではてっきりサンタさんがプレゼントを持ってきてくれる日だとばかり思ってたのに。こんな日にコミケをぶつけてくるなんて、きっとラブラブ党の仕業に違いない。

で、夜に女の先輩(こちらはシングル)だけでも誘って飲もうと誘ったけど残念ながらだめ。寂しいので某女史に電話かけてました。留守電だったけど。

コミケスタッフ業務の方は一日目という事もあって一人ブロック担当がばっくれられて人員不足だった事をのぞいては比較的平和。メイドさん(♂)のやおい本があって妙に魅力的だったのでついつい買ってしまった。やっぱ美少年の女装受けはいいっす。^^;

自分のサークルの方は本が完売してまあまあの盛況。知り合いのサークルもなかなかの盛況で、MSXジャンル全体が燃えていたようだった。


1999年12月23日(木)

中休み。夕方まで睡眠をとって鋭気を養ってから、自分のサークルの出展物の準備をしてコミケのスタッフ合宿所である東京ホテル浦島へチェックイン。


1999年12月22日(水)

バイト三日目。大遅刻。


1999年12月21日(火)

バイト二日目。MMI(マンマシンインターフェース)の操作にもだいぶ慣れてきた。ボタン一つで巨大な空調機をぶんまわしたりできるのできもちいい。でも詳しい仕組みは良く分からず。仕組みが分からずにいろいろ調整作業をしていると、やはり臨界事故は起こるんだなあと妙に納得。まあ空調程度では死人は出ないと思うが。

そういえば臨界事故で被爆した人の一人が死んだらしい。多臓器不全(要は内臓ぐちゃぐちゃってことでしょ?)で壮絶な死に方だったらしい。ここまで生かしつづけるのは昭和天皇を生かしつづけるより大変だったにちがいない。早めに楽に死なせてあげればよかったのに。しっかし、これでアメリカは中性子爆弾製造のための貴重なデータを大量に得たに違いない。食ってるものが違う奴らはやることもえげつない。(暴言)


1999年12月20日(月)

今日から3連荘でバイト。朝6:00に家を出て帰るのが夜9:00。夕食を摂ってメールチェックしたらもう就寝時間。6〜8時間は寝ないと体がもたない。


1999年12月19日(日)

船橋の本屋で「薬ミシュラン」を購入。なかなかよく書けている。

神宮前にてコミケの館内担当直前集会。スタッフ間の日程、時間割の最終の詰め、混雑時の導線計画の発表など。三日目は非常につらそうだ。


1999年12月18日(土)

12月9日の日記で書いた取材の記事が日本経済新聞載った。(もちろん本紙にも載ったぞ) 「昔の規格がうけてます」だって。

駅で買った日経新聞を読みながらクリニックへ。本来の通院日である来週は忙しくて通う暇がないから一週間早く行くのだ。診察、薬はいつもの通り。

美容院で髪を切ってもらい、上野へ。今日はみそかつさんの主催するオフ会。みそかつ氏は新婚旅行中とのことで、奥さんも一緒だった。参加者はだいたい普段の面々。 一次会は食事、飲みで二次会はカラオケだった。一次会では薬談義でおおいに盛り上がった。店の人からは怪しい集団と見られていたらしい。カラオケは私はアニソンしか歌えないのでちょっと苦手だ。みそかつ夫妻はらぶらぶだった。うらやましい。


1999年12月17日(金)

今日は電気ショック療法の日。

ってのは大ウソで、ただ単に空調制御盤の増締作業中に感電しただけ。びりびり。こわいー。


1999年12月15日(水)

第二実家で目を覚ます。朝食を食べた後、午前中はのんびりと電球交換や車の塗装補修など家の用事を済ませたりした。

午後に帰宅。


1999年12月14日(火)

夕方から両親の住んでいる家(通称:第二実家、今住んでる所は第一実家)に行く。車で一時間半くらい。とりあえず母親の作る飯がうまい。


1999年12月12日(日)

アタラックスP6カプセル(150mg)に挑戦。でも4カプセルの時と全然変らなかった。割と高い薬なのでもう買わない。リスロンSの方が全然まし。


1999年12月11日(土)

通院日。医師は風邪か何かで熱があるらしく、がたがた震えながらカルテを書いていた。個人経営のクリニックは代診の医師がいないから大変だ。

診察では、大学のレポート提出や専門学校進学を決めたり、それに向けて行動を起こすのを先延ばしにしているだけなのではないかと、心にぐさぐさと突き刺さる指摘をたくさんされた。

そうですよ。その通り。でも走り出して失敗するのがのが恐いのです。

このままだらだら過ごしていれば、おそらく大学を辞めて適当な所に就職して働いて人生を暇つぶしする事になってしまうのだろう。

あとはコミケの拡大準備集会(スタッフ会議)。コミケも大きくなって私がスタッフをはじめた頃と比べてなかなか全体像が見えなくなってきている。 とりあえずは私がスタッフ参加する理由の一つ、効率のよいおたく(失礼)人間の観察はまだなんとかできる範囲だが。 所属部署が決まった。東2ホールのブロック長。サークルを便宜上数十ずつのブロックに分けたうちの一つを、数人のブロック担当と一緒に面倒を見る仕事。


1999年12月10日(金)

アタラックスP全然効かねーぞ。ちょっとだるくなる程度。今度は6カプセル(150mg)に挑戦しよう。


1999年12月9日(木)

えここを知る。こんなに萌えなキャラがいたとは… 東北の人がうらやましい。

今日は知り合いのMSXユーザー日本経済新聞社の取材を受けたらしい。密かにMSXがブームになっているのに着目した記者の取材らしい。でも記者はあまりコンピューター自体に詳しくはないらしい。どんな記事になるのかが楽しみ。

ああ、これじゃあ全然ココロ・クスリ系の日記じゃなくて趣味の日記ではないか…  ということで一応そっち系の事も書いておくと、今日は両国でバイトだった。午後の作業でいきなりへこんできたのでリタリン10mgを舌下で投与。苦い。でもお陰でなんとか終わりまできちんと作業できた。 明日は何も無いのでアタラックスPを4カプセル(100mg)服用。2カプセルだと効果が全然感じられなかったので漸増して様子をみるつもり。だるだるになる事を期待。


1999年12月5日(日)

相棒と10時間爆睡した結果、似非DSPシステムの本は冬コミ発行をあきらめるけど執筆編集は年内に終わらせる方向に決定。

原稿の完成度はようやく先が見えてきたといったところ。あとは図版とデータ収集が大きい作業として残っている。

編集会議が終わった後、「向精神薬マニュアル」を読んだ。さすが医学書だけあって、一般人の私にはわからないことだらけ。とりあえず抗うつ薬の薬理作用のスペクトルとベンゾジアゼピン系の健忘について知識が広まった。


1999年12月4日(土) その2

バイト行った。今日はルーティンワークの慣らし運転と、 仕事のペース確認調整が主だったので比較的早く終わった。

帰りに御茶の水書院にて「向精神薬マニュアル」購入、 Toolsにて漫画原稿用紙購入。

今晩からは似非DSPシステムの技術解説本2の編集会議&原稿書き。私は専らページ数調整と相棒の尻叩きに専念する予定。


1999年12月4日(土)

12月3日の日記、書いた覚えがない… またロヒプノール で健忘起こしたか。たまにやらかすんだよなあ。

10時ごろ薬飲んで、風呂に入るまでは覚えてたんだけど、 その後何やって寝たのかを覚えていない。 いろいろ掲示板とかにも書き込みしたらしい。

まあ、今把握している限りは自分の意思に反した行動はとって無いようなのでとりあえず安心。

続きは仕事から帰ってから。(何かあったら)


1999年12月3日(金)

よくよく考えてみると、精神科通いをはじめてから早くも一年が過ぎてしまった。

いままでいろんな薬を飲んだり、錯乱して泣き喚いたり、自分を見つめなおしたりといろいろあった。

今の楽しみと言えば、薬を飲む瞬間と寝てるとき、友人と会ったりする時くらいか。ほとんどヤク中&眠り姫状態。これからどう身を振っていったらいいのだろう。

ちなみに今日は両国でバイト。午前中はうつうつでだらだら仕事してたけど、午後からは気分も持ちなおして割とのりのりで仕事をした。明日も同じ仕事。


1999年11月27日(土)

今日は通院日。二時間かけて通う。いつものように受診して、 いつもの通りの薬をもらう。死ぬほどたくさん薬をもらっても、 500円程度しかかからないのだから32条は偉大だ。 ちなみに横浜市民なら無料。

関内付近をうろついて暇つぶしをした後、 午後3時から映画「シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦」 を観た。 インドのヒンディー語圏(北インド)映画。 今までインド映画というと、「ムトゥ 踊るマハラジャ」など、 タミル語圏(南インド)のものしか観ていなかったので、 今までと若干雰囲気が変っていて新鮮だった。 なんというか、同じラブストーリーでも情感に訴えるものがあった。 とはいってもシャー・ルク・カーンよりは、 ラジニカーントのオッサン顔の方が個人的には好みだったりする。

インド映画は奥深そうなのでこれからも観つづけるつもり。

帰りがけに秋葉原を徘徊した。こちらは収穫なし。デジカメ欲しい。


1999年11月26日(金)

なぜか食欲がわかない。朝食の仕度をしたけれど、 食べるのが面倒になって昼過ぎまで寝ていた。

午後からはプレステのゲーム、 キャプテン・ラヴ でずっと遊んでいた。このゲームは、パッケージを見た限りは 変身ヒーロー物のアドベンチャーに見えるが、 その実はギャルゲーである。 しかしその辺に溢れている、 男性に媚を売りまくるようなギャルゲーとは一線を画している。 非常にシビアなキャラクタ設定の下、 主人公は登場する魅力あふれる婦女子を時には惹きつけ、 時には振らなければならない。 その駆け引きの妙がプレイヤーを熱くさせ、切なくさせる。

ソフトを見つけるのは今となっては大変だろうが、 見つけたら一度はプレイしてみる価値のあるゲームである。


1999年11月23日(火)

MSX World Expo '99 が終わった。

結局何も協力せずじまいだった。 MSXマガジン の校正作業もしなかったし、説明パネルの文章も書かなかった。 当日もただ居るだけで来客への説明の類はほとんどしなかった。 唯一協力したと言えるのは機材の提供だけだった。

終わった後の夕食会もいろいろ考えていたら気分が悪くなったので 中座した。

状況的にはこれから盛り上がって行こうというMSX界だが、 私的にはこれからどうかかわっていくのかいかないのか、 大きく迷うところである。


1999年11月18日(木)

精神状態最悪。

何もやる気が起きずに一日中いらいらしていた。 久しぶりに「死にたい」と思った。

まあ、私は痛いの苦しいのは大っ嫌いなので、 死にたくても恐くて死ねないのであった。それがさらにつらい。

こういう日は薬の棚卸し。 アナフラニール25mg×30錠、 ロヒプノール2mg×16錠、 ハルシオン0.25mg×20錠、 アモバン7.5mg×18錠、 リーマス200mg×6錠。 (完全に余っている物のみ。飲む予定の物は除く)

全部飲めば死ぬほど眠れるけどまだまだ本当には死ねないなあ。

結局やった事と言えば、喘息の病院受診と郵便局での諸用のみ。 這うように行った。喘息の方は非常に状態がいいとのこと。 せめてもの気休め。


1999年11月17日(水)

今日はほぼ一日中寝ていた。飯も食わずに。 自分でもよく眠れるものだと感心した。

請求していた専門学校の募集要項がぼちぼち届き始めた。 合格の為に、高校時代の勉強をやりなおさねば。

明日はきちんと起きて何かしよう。


1999年11月16日(火)

ロヒプノールが効きすぎて寝坊。 朝の薬を飲む時間もなくあたふたとバイトへ。今日の現場は中延。 仕事は楽だった。

午後から木枯らしが吹いてとても寒かった。 こういう日は煮込みとかを肴に日本酒でもきゅーっとやりたい気分。 屋台なんか最高。(オヤジ趣味)


1999年11月15日(月)

今日は両国で空調の調整のバイト。 ビルの中を登ったり降りたりで疲れた。 でも日当一万円なのでわりとおいしい。

バイトの後、 MSX World Expo '99 の打ち合わせ。というかおだべり。開催まで一週間切っているのに こんなんでいいのだろうか。というか作業しろ。>自分

帰りに ぴあ を買ってインド映画上映情報をチェック。


1999年11月14日(日)

今日はコミケ の拡大準備集会(スタッフ会議)だったが、 気分がうつうつして午後まで寝ていたので出席できなかった。

午後3時ごろからようやくやる気が出てきたのでホームページの 整備を始めた。今日は掲示板やカウンタなど、 CGI、SSI関連の作業をした。


1999年11月13日(土)

今日は二週間に一度の通院日。千葉県から横浜まで通う。

まず最初にリタリン を出してくれるクリニックに行って、 それから最初からずっと通っているクリニックに行った。

最初から通っている方の医師はリタリンを出したがらないが、 「すでに他で貰って飲んでしまっている」という既成事実があるなら 「仕方なく」出してくれるとの事。 次回からはこっちのクリニック一本に絞るつもり。

それから渋谷で印刷所の予約をして、 センター街のゲーセンをふらふらして帰る。


1999年11月12日(金)

昼頃まで寝て、この「ゆ〜うつなページ」の製作を始める。

とりあえずプロフィールと今までの経過と薬を書き始めた。

書いている途中で携帯に某氏から電話がかかってきて、 しばらく話していたが、いきなり電波が悪くなって切断。 残念。また電話してね。


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柏崎 太郎(Taro Kashiwazaki) taro_k@yk.rim.or.jp
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