田部一志の天文歴


  •  1963年頃    始めて天の川と北斗七星を見て星に興味を抱く。

     

  • 1966年4月   小学校の先輩に土星の環が見えなくなる現象があることを教えられる。

  •  1967年?月   エイコー社製4cm屈折経緯台を買ってもらう。この望遠鏡は台がガタガタでほと んど何も見えなかった。

  •  1968年     この頃ラジオの製作に熱中して天文から離れる。

  •  1969年3月   小学校の卒業式の予行演習の日部分日食が有り再び天文に目覚める。

  •  1969年4月   中学入学と同時に理科部天文班に入る。6.5cm屈折赤道儀で毎日太陽黒点のスケッチ            を行う。

  •  1970年4月   顧問の先生が地人書館にコネがあり天文と気象を安く購入。

  •  1970年5月   水星の太陽面通過があり(確か土曜だった)観測する。

  •  1970年10月   藤沢市北部に限界のある掩蔽観測に参加(横浜天文研究会の主催)。曇って何も見えな            かった。掩蔽観測グループの広瀬敏夫氏、横浜天文研究会の前川光氏と知り合う。

     

  •  1973年4月   高校入学とともに帰宅部後にブラスバンドと天文から離れた生活を送る。神奈川県立青            少年センターの広瀬氏は高校の先輩だったとは後で知った。

  •  1975年4月   大学に入学すると再び天文部に入部する。木星観測を始める。 大学4年間は天文部と            大天連に明け暮れる。この当時から付き合いの続く友人は多い。高橋製作所製10cm反射            赤道儀を購入。金星スケッチ、木星スケッチを熱心にとる。1年の時、木星に南赤道縞撹乱、            北温帯流-Cの出現、南熱帯撹乱の発生、大赤斑の急激な淡化と面白い現象が立て続けに起こ            ったのが木星を今日まで続けてしまう原因となった。長谷川均氏とはこの頃からの付き合い。            2年の時は学生会館の屋上に21cm反射赤道儀を擁する観測小屋を作る。大天連では惑星分科            会に所属し、1976年以降木星会議にも欠かさず出席している。大学時代に数多くの人と出会う。

  •  1979年4月   天文に多少なりとも関連有りそうな仕事ということで株式会社五藤光学研究所へ入社。実際            にはプラネタリウムの仕事ばかりでつまらなかった。この年の10月より「天文と気象」誌に            木星研究グループの一員として記事を下記始める。またこの頃より日大生産工学部の森山茂            先生から気象力学を学ぶ。東北大学図書館を仙台天文台の小坂台長に紹介してもらい文献を            大量にコピーさせてもらう。HoughtonのPhysics of Atmosphereを1年かけて読み、その            後ScienceのVoyager特集 Icarusに載る地球流体力学的木星の論文を数多く読む。卒業後は            月惑星研究会会員になったような気がする。

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  •  1997年3月   モンゴルでの皆既日食とヘールボップ彗星を観測すべくダルハンへ遠征。北京天文館、古観象台を再訪。

  • 以下整理しますので、しばらくお待ちください。