都会の雰囲気



最近、東京に行く回数が少なくて、つくづく田舎に住んでいるんだな、と感じる。 今、僕の住んでいる神奈川県相模原市というところは人口60万の結構大きな町のはずであるが、 最寄りの駅は単線の相模線の駅である。ドアを開けるためにはホームで待っていてはいけない。 「開」ボタンを押すという重要なアクションが無いとドアは開いてくれない。 最初に電車に乗るときは、自動的に開くものだと思い込んでいて、荷物を持って開くのを待っていたら、 中にいた女子高生が開けてくれた。 もし開けてくれなかったら、そのまま電車の発車を見送るはめになっていただろう。

でも、最近都会(=東京)に出ることはあまりないとは言っても、 大学にいた頃は中野区と練馬区を渡り歩いていたちゃんとした都民であった。 そもそも生まれたのも三鷹だし、決して東京と無縁と言う訳ではない。 東京の感覚が無くなっていったのは・・・そう、営団地下鉄の駅員が緑の制服を着はじめたころからだった。 (随分前だな。) 今では南北線なんか知らないし、新宿のタイムズスクエアなんてほとんど行ったことないし、 とだんだん筋金入りの田舎者になってきた。 そう、埼京線もいつのまにか恵比寿まで乗り入れているではないか。

そんな田舎者になって久しい僕であるが、東京について忘れられない思い出がある。 まだ小さい頃の事だが、新橋から銀座まで都電に乗ったことがある。 普段は東京駅まで電車で出るのに(といってもまだ1〜2回しか東京に行った記憶がない頃だが)なぜか両親が新橋駅で降りて、 どうしてなんだろう?とくっついて行くと、何と今まで乗ったこともなかった都電の停留所に・・・。 新橋から途中で一回乗り換えて、銀座の通りをずっと走り、銀座まで出た。 広い車道の真ん中の停留所に立ってまわりの街中の風景を見ているのがとても楽しかった。 ちなみに都電の本数もすごかった。次の電車が後ろに控えて走って来るのである。 待っていてもすぐに次の都電がやって来る。次のさらにその次の電車まで見えてしまうほどで、 ちょうどバスが軌道に乗って走っているのと同じような感覚であった。 それにあちこちで別の路線と交差したり合流したりで、他にもたくさん路線があるようだった。 帰りはもうすでに夜になっていて、日本橋まで出て(多分高島屋に行ったのではないのかと推測する)そこから東京駅まで歩いた。 駅から駅へ移動するのはすごく遠いと思い込んでいたので、日本橋駅と東京駅の近さに感動した。 次に東京に連れて行かれたときは都電は見なかったから、 多分都電の見納めのつもりで親が連れていった(というより親が見に行った時にたまたま僕がついていった)のかもしれない。 でもあの銀座のど真ん中を都電が悠々と通る光景ってなかなか風情があった・・・。 東京も今と違った趣のようなものが感じられたような気がした。 何か東京という町が光っていたような気がする。

と、子どもながらに覚えているのである。うん。



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