宗教

要約

 マスコミ報道が「事件」を伝える際、情報の受け手側に様々な影響を与えるが、それによって、その事件の持つイメージが正反対に異なる場合がある。また、送り手側たるマスコミも、受け手側から影響を受ける。こうした状況下では、正しい情報の収集と冷静な判断、そして適切な報道が欠かせない。

参考文献:『新宗教の解読』,井上 順孝,筑摩書房


1.

 最近のマスコミ報道を見ていると、最初から「オウム真理教=犯人」と決めつけているものばかりが目につく。わざわざ言うまでもなく、刑事裁判で有罪が確定するまでは「被疑者」もしくは「容疑者」であり、この状態においては無罪なのであるが、マスコミの論調および報道の仕方には、いまに始まったことではないが問題があると言わざるをえない。

 宗教情報ブーム(宗教に関する話題自体が大量に消費される現象[前掲書 p.208])において、最近ではマスコミ、特にテレビや週刊誌が「ある新宗教が社会の秩序を大きく乱すものかどうか、あるいは常識を著しく逸脱するかどうかという判断をくだす際の、オピニオンリーダー役になって」(前掲書 p.35)いる。そうした状況下でオウム真理教を犯人扱いするということは、松本サリン事件の際に結果として無関係だった人を犯人扱いして、人権を無視した報道を行なったことから、何も学ばなかったことを如実に示している。

 勿論マスコミ側だけではなく、マスコミ大衆と言われる情報の受け手側にも問題がまったくないわけではない。興味本位の報道に対しておもしろがったりすれば、送り手側に「我々がやっていることは間違っていなかったのだ」と思わせてしまうのは避けられないだろう。そこで情報の受け手側はマスコミからどんな影響を受けやすいのか、またそれについてどうすればよいのか、といったことを思いつくままに挙げていきたい。

2.

 マスコミが人々に与える影響も大きいが、情報の受け手側、つまり一般的に「大衆」と呼ばれる人々がマスコミに与える影響も無視できない。これらの人々が抱く、新宗教に対する猜疑心を新宗教自身が持っていないか、ということを考えると次の三つが挙げられる(前掲書 p.11)。

  1. 情報の閉鎖性
  2. 運動の展開上のアンバランス
  3. 強引な布教
 これらは「ニュース性」の素になるものと思われる。マスコミはニュース性があると思えば、それをとりあげるだろう。ニュース性とは、次のようなものである(前掲書 p.14)。
  1. 新しく起こった運動である
  2. 教祖が特異な人物である
  3. 活動形態や教えに人目を惹くものがある
  4. 新宗教が「事件」を引き起こした

3.

 ニュース性に見られる「軸」とは別の軸として、情報の性格性の違いについて、どのような点が指摘されるだろうか。新聞、雑誌などの文字情報は、情報を発する側の視点、論点が固定されることが多くオピニオン性が強い。またテレビのような映像情報は、生の情報性が強いと言われる(前掲書 p.211)。

 一般的には、次のような順序によるのではなかろうか。まず、テレビのような生の情報をショッキングに受け取り、次に新聞や週刊誌を通じて、オピニオン性の強い情報を受け取る。後者の場合は、一見冷静な判断を下していると本人は思い込んでいるかもしれないが、その記事が捏造されているかもしれないし、そうでないとしても、どのような観点から論じているかによって、その印象が変わるということを客観的に感じながら読む人は少ないのではないだろうか。

4.

 以上のことから、情報の受け手側はマスコミから影響を受けるとき、

 それぞれの場合に、異なる影響を受けるということが言えるだろう。また、情報の送り手側であるマスコミも受け手側から影響を受けている、とも言える。

 そうした影響を受けることが必らずしも「悪いこと」ではないと思うが、それに振り回されるのは問題である。具体的には、先に述べた松本サリン事件の最初の容疑者に対するマスコミの扱い方が、それに当たるだろう。そうならないためには、やはり情報の受け手側たる各個人が、正しい情報を収集し冷静な判断を下すことが大切である。そしてそのためには、やはりマスコミの節度ある適切な報道が欠かせないと思われる。


Back to Top Page