Story #005:米国の最初の風景(3) |
私のHomestay先である家に到着して、部屋に荷物を置いたが、ほっと一息付く間もなく、再び中庭に出た。土曜日の午後のまったりと昼下がりで、天気は悪くなかったが、少し薄曇りだった。中庭には、Bernieと、ハウスメイトの女の子がいた。さて、いよいよ、これから英語だけの生活が始まる・・・と、少し緊張していた。そんな緊張を察したわけではないだろうが、Bernie(ホスト・ファーザー)がコーヒーを勧めてくれた。コーヒーは、昔から大好きで、一時期など、一日に10杯、15杯飲んでいた時期もあった。コーヒーを一口すすり、ようやく、一息付けたように思えた。Jeanneは、Bernieと、その東洋系のハウスメイトの女の子・Shihoを紹介してくれた。Shihoは、日本人だった。年齢は、私とそう違わないように見えた。実際、Shihoと私は、4歳違いだった。紹介が済んだところで、まずは、差し障りのない話題を、Jeannieは聞いてきた。飛行機のこと、日本からどれくらいで来たのか、家族のこと・・・。実はこれ、Jeannieが私がどの程度、英語が出来るかを推し量っていたと思われる(笑) しばらくの雑談の後、いきなり、Rent(家賃)のことを言われた。Rentを今日(到着した日)に払って、来月から、月末までに払うとのことだった。日本人的な感覚から言えば、到着早々、お金のことを口にするのは、なんとなく気が引けるように思えるが、初対面で、会ってから、まだ30分もたたないうちに、はっきりと、こういう話をされるとは・・・。改めて、「ああ、ここはアメリカなんだなぁ」と思った。日本だったら、その日に払ってほしいと思っても、やはり、こうまではっきりと、しかも会って短時間で、話を切り出すこともないだろう。当時こそ、それに違和感を感じたが、今は、もしも、私がJeannieの立場だったら、やっぱり、最初にお金のことを言うかもしれない(苦笑) Jeannieは、お金の話が済んでから、この家でのルール?というか、決まり事を話してくれたのだが、実際、今でこそ、あまり困らず話したり聞いたり出来るようなったが、当時は、本当に「聞き取れない」「しゃべれない」だった。Jeannieは、わりと、ゆっくり、はっきり、シンプルな言葉遣いでしゃべってくれていたはずなのだが、それでも、話の半分も理解できなかった。あまりに、どうしようもない状態だったので、ついに、Jeannieが、"Shiho, Translate."と言った(と思う)。Shihoが、日本語で次のようなことを説明してくれた。 まず、Jeannieの言ったことがわからないのに、わかった振りをしないこと。一緒に暮らすからには、疑問なことや、不愉快なことがあったら、はっきり言うこと。夕食は用意するので、食べられないときは、必ず、事前に言うか、電話で連絡をすること・・・など。まあ、ごく常識的なこと?だが、特に、最初の2つは、日本人的には、ついつい言い出せなくて、陥ってしまうことであろう。Jeannieは、非常に、優しさを持った人で、私やShihoと、心底、仲良く楽しく暮らしたいと思っていたようだ。 話は少しそれるが、Homestayの受け入れをする人は、皆、このような人好きで、寛大さを持ち合わせていると思っていたが、後に学校で多くのクラスメイトや、友達の話を聞いて、私がどれほど、運がいい家に、Homestayしていたのかを知ることになる。そもそも、Homestayというのは、受け入れる側の家は、ある種のボランティアで、実費で、留学生などを住まわせて、異文化交流だの、話し相手?だのという、無形の利益で満足する物だと思う。しかし、中には、これを商売とみなして、なんでも、金、金と要求するHomestay先も確実に存在する。もちろん、商売とみなすこと自体は、問題ではない。ただ、商売ならば、商売で、きちんとしたサービスを提供すべきだろう。だが、Homestayに商売っ気を出している奴に限って、Homestayなんだから、学生に不便や不自由があってもいいだろう、という一種の甘えを持ちつつ、金だけは、取れるだけ取ってやろうという態度が多い。実際、友達の何人かは、そう言う家にStayしていて、時々、トラブルを抱えていたようだ。学校も、入学してくる学生のために、常に、Homestay先の確保をしておかないといけないので、多少、そのような商売っ気のある家でも、頼らざる得ないような場合もあった。 ただ、私の通った、ESLスクールの名誉?のために言い添えておくが、この学校は、かなりしっかりした学校で、ちゃんと、Homestay先担当者を置いて、Homestay先が(ある程度)しっかりした受け入れが出来るかどうかをチェックし、その家の人を学校に呼んで、Interview(面接)したり、また、学生を紹介する前に、家庭訪問したりしていた。その担当者であり、学校の非常勤講師だったのが、私の2つめのHomestay先のホスト・マザーのMariaだ。私が、Mariaの家に住んでいるとき、Homestay受け入れを希望する家の都合などで、しばしば、夜の遅い時間に、家庭訪問に出かけなければいけないことがあった。勤務時間以外で働くなど、普通だったら、怒り出す所だろうが、Mariaは、もくもくと、学生たちのために、家庭訪問や、Homestay先でのトラブルなどの解決をしていた。 閑話休題。一通りの家のことを説明し終えた後、私は、部屋に戻り、Traveler's Checkをバックパックの中から、Rentの分だけ取り出して、中庭に戻り、早速、Jeannieに家賃を払った。その後、ユーモアと冗談を交えながら、中庭で話を続けた。日本では、英語学校(GEOS)で週3回、1回1時間程度しか、英語で話した経験のなかった私の頭は、ずっとフル回転しっぱなしだった。ただ、不思議とそれがストレスと感じることもなく、本当に楽しく、貴重な時間と感じていた。しかしながら、さすがに、いささか英語を聞いたり、しゃべったりするのに疲れてきた頃、Bernieが「レンタルビデオを借りに行くのだけど、一緒に来るか?」と聞いてきた。一瞬躊躇したが、とにかく、この程度?のことで、引っ込み思案では、米国では暮らしていけないと思い、ついて行くことにした。先ほど目にした、Jeannieの車-Pontiac Transam-に乗り込むと、Bernieは、車庫から出ると、まるで私の反応を楽しむために、一般道を、結構なスピードで近所のショッピングモールに向かった。近所と言って、距離にすれば、ゆうに4キロ以上は離れている。ショッピングモールまでのわずかな道程でも、私は、外に流れる風景に見入っていた。これから住む、この場所に少しでもなじもうしていた。 |