Story #004:米国の最初の風景(2) |
San Francisco Intenational Airportに到着して、入国審査を経て、pick upしてもらい、途中、Mariaの家に立ち寄ったりしながら、Jeanne&Bernieの家に到着したのは、午後3時近かったと記憶している。当初、Stay先への到着は、昼前後を予定してようで、後から聞いた話では、到着が大幅に遅れたので、どうしたのか?と心配していたらしい。実は、私は、その辺の予定を全く聞かされていなかった。また、Stay先に関しても、あまりよく知らなかった。出国の前に、留学の斡旋機関を通じて、私の写真やプロフィールは、先方に渡っていたようだが、私がもらった資料では、JeanneとBernieのフルネームと、ペットで犬と猫がいるくらいのことだった。そんな訳で、Ralphが、私をStay先まで連れてきてくれなければ、途方に暮れていただろう。 到着した場所は、集合住宅が建ち並ぶ住宅街を通っている道のさらに脇道で、奥に向かうと30メールと位で、行き止まりになっている道だった。そんな路地とはいえ、さすが米国と言うべきか、道幅はゆうに7〜8メートルはあった。路地の両脇にはガレージの入り口が左右に8つくらいの並んでいて、各々のガレージには、電動のシャッターと、その脇にドアがついていた。ここに来る前に立ち寄った、Mariaの家とは、ずいぶんと違って、殺風景だと思っが、実は、これは裏口と言うべき方で、本来の玄関は、ガレージとは反対側にあった。どうやら、Ralphもこのタイプの住宅には馴染みがなかったようで、本来の玄関に気が付かなかったようだ。もっとも、車で来ている関係上、車で横付けすると、どうしても、こちら側に来てしまうのかもしれない。この家は、Town House という形式の賃貸住宅群の1軒であった。Town House は、日本で言えば、2階建ての長屋と言った感じで、1軒の家が縦に1階と2階を占有する形になっていて、2階建て住宅をびっちりならべたような感じだろうか? 到着したもののすぐには、私は降りなかった。Ralphに、到着の告知と、部屋の準備がちゃんとしているかどうかを、確認するので、車の中で待つように言われた。さすがに、Yちゃんのことがあった直後なのだろうか、妙に慎重な、Ralph。私は、時差ボケと疲労の中にあったのと、逆らう理由もないので、言われるがままに車の中で待っていた。ほんの5分か、そこいらの間だったが、一人きりになったとき、これから、この家に住み、ここから私の生活が始まるのかと、思いを巡らせた。それと同時に、ここまで来るまでのことを、少し思い出して、長い長い道程の一里塚の前に立っているような気分になった。江戸時代の東海道五十三次で言えば、ここはまだ日本橋を出て、品川にすら到着していない場所であろうけれど。 やがて、Ralphが(縦にも横にも)とても体格のいい白人の女性と一緒に、外に出てきた。ニコニコしていた、その女性は、Jeannieと名乗った。年齢は私よりも、9歳年上で、ホストマザーと言うよりは、お姉さんという感じだった。元の髪の毛の色はわからないが、赤色の髪の毛の混じった栗色の髪で、メガネをかけていた。その体格の良さに、やや圧倒されながら挨拶をした。そして、Ralphの車からスーツケースとバックパックを取り出すと、Ralphにお礼を言って、Jeannieと一緒に家の中に入った。 ガレージの中には、Pontiac Transamが停まっていた。後から知るのだが、Jeannieは、かなり車好きなようで、運転も、なかなか、迫力?がある走り方をする・・・はっきり言えば、運転が怖い。ガレージを抜けると、中庭があった。ガレージと母屋、左右の隣家とのしきりの壁とに囲まれた、箱庭のような場所だった。その庭には、プラスチック製の折りたたみが出来るちょうど畳1枚分ほどのテーブルと、それを覆い隠せるパラソルが刺さっていた。ガレージの壁側には、花壇があり、いくらかの植物が植わっていて、右隣の家との仕切り壁の側には、奇岩といえるような石やら、何かの動物の骨やら、がらくた・・・といってしまえばそれまでだが、面白そうな物が山積みになっていた。これが、Bernie(ホスト・ファーザー)の趣味で、庭園を造るときの材料になるとのこと。その収集物のある壁のちょうど反対側の隣家との壁際には、やはり、Bernieの趣味の盆栽の鉢植えが並んでいる。 そんな風景がいっぺんに目に飛び込んできたが、テーブルには、Bernieと、もう一人、東洋系の女の子が座っていた。この子が、この家でのハウスメイトになる子だった。この子は、日本人であったが、そのときは、まだ、その正体を知らず、一瞬、びっくりした。先に述べたように、ほとんど、この家のことは知らなかったからである。今でこそ、ハウスメイトが女の子でも、別にどうと言うことはないが、当時は、日本から到着したばかりで、年齢の近い女の子と同居すると言う事実に、とまどいを覚えた。挨拶もそこそこに、促されるままに、自分の住処となる部屋へと案内された。 中庭から、入ってすぐの部屋がダイニングキッチンで、広さは12畳くらいだったと思う。そこを通り過ぎて、隣が、リビングルーム。広さは18畳くらい。リビングの突き当たりが、エントランスになっていて、エントランスのドアの相対するように、2階への階段があった。私の部屋は、階段を上がってすぐの部屋だった。広さは6畳くらいだった。部屋の中には、小降りの机と椅子、鉄製のベットがあり、小さなクローゼットが一つあった。百聞は一見にしかずで、これがその部屋の写真。 私の部屋のドアの向かいが、バスルームの扉になっていた。隣の部屋はShihoの部屋、さらに、私の部屋のはす向かいがJeannie&Bernieの部屋になっていた。こじんまりとしていたが、さっぱりしていて、明るい部屋だったので、少しほっとした。私が、スーツケースを置き、バックパックをおろすと、Jeannieは、そのまま、私を中庭へと連れて戻った。 |