博士号取得体験記
2003.9.25 博士(工学)取得
まえがき
私の場合は、社会人になって約10年後に、出身した研究室の教授にお願いして、
取らせて頂きました。いわゆる論文博士です。分野は、電気工学です。
私の場合には、いくつか代表的な例を挙げると、以下のように私にとって
有利な幸運がありました。
- 修士を修了した後、メーカの研究所に就職したこと。またその研究所が
学会活動に理解が大きかったこと。
- さらにこのメーカから、この分野では名の知れた研究機関に3年間出向したこと。
- 学生時代と同じ分野の研究ができたこと。このため、学会など、
ことあるごとに出身した研究室の教授とも、お会いする機会が多かったこと。
- 出身した研究室の教授が、私の博士号取得を、常に応援してくれたこと。
お世話になった方々、本当にありがとうございました。
もっとも、当初就職したメーカの研究所は、博士号取得に理解があったのですが、
博士号取得をめざす直前の、就職9年目の年に、研究所から工場、さらには本社に
異動(左遷?)させられ、博士論文を書いていた当時は、SEのような仕事をしていました。
SEの仕事は、それはそれで面白かったのですが、自分にとってのキャリアにならないことと、
担当していた分野の先行きが分からなかったので、博士号取得直前に、
別のメーカに転職しちゃいました。
論博取得に関する費用は全部自費で会社からお金が出ている訳でもないし、
大学に行く時には休暇を使っていたし、転職の事実を明らかにする前に、
発表許可等のネゴはしっかりとっていたので、前の会社からは、
特に嫌がらせ等は無かったです。それは助かりました。
あまり詳しくは書きませんが、転職と博士号取得の両天秤をかけることに際し、
相談に乗っていただいた方がおります。お世話になりました。
以上は、自分と会社関係についてですが、次に大学関係について。
大学側に論博を取りたいと申し出るにあたって、どういった基準があるかは、
大学ごと、あるいは学科(分野)によっても結構異なるようです。
最も重要視されるのは、もちろん論文の数です。
私が論博を取った大学は、比較的少ない方かも知れません。
私の場合、筆頭国内論文2本、筆頭国際論文1本(ショートペーパ)で、
正直言って、大学の先生にお願いに行くときに、足りないと言われるかと
思ってましたが、ショートペーパが権威ある国際的な論文誌で、
分量的にはフルペーパと同等の量があり、
また、筆頭論文以外の業績がそこそこあったので、なんとか大丈夫でした。
(今思えば、かなり教授に頑張ってもらったと思います。)
ちなみに当時の研究業績を、その他も含めて書くと、以下の通りです。
- 電子情報通信学会 日本語論文 筆頭2本
- IEEE Short Paper 筆頭1本
- 電子情報通信学会 英語論文 共著2本
- IEEE Letter 共著1本
- 国際会議 筆頭4本 + 共著 7本
- 国内大会・研究会等 33本
- 受賞暦 3件(学生賞・学術奨励賞・論文賞)
論文の数としてカウントされるのは、一般的には筆頭論文だけですが、
大学によっては、筆頭何件+共著何件などの基準があったりします。
また、日本語の論文はカウントされない大学とかもあるようです。
論文博士の場合には、すでに提出された論文の数で決まります。
一方、詳しくは知らないのですが、社会人コースドクターの場合には、
一旦社会人の身分のまま大学に入学し、最終的に博士論文を提出するまでに、
必要数の論文を通すということのようです。
最近は、論博を廃止して、基本的に社会人コースドクターのみにする
ところが増えているようです。
これに関しては、論博を出すと、大学の収入にならないからだ、
などという話を聞きますが本当のところは不明です。
国立大学法人化などとも関連するかもしれません。
2002.10〜2003.3
教授の所に、第1回目の挨拶に行ったのは、10月ごろだったかと思います。
先に挙げた論文が9月で揃ったことと、研究所から異動になり、
仕事の関係上、もうこれ以上論文数を稼ぐのは難しくなったので、
ダメ元で、論文の別刷りと研究業績のリストを持って教授のところに
お伺いしました。なんとかなるでしょうとのことで、
その後、まずは博士論文をどういう構成とするかなどを話あいました。
実際の論文の執筆に着手したのは、だいたい11月に入る頃です。
すでに外部発表や社内の報告書などに書いたものがありましたので、
12月の末くらいには、かなりの部分が上がりました。
この時点で、社内報告書の内容などを含んでることから、
勤務先に外部発表許可をとりました。
年が明けて、1月末くらいに、第1稿を教授のところに持って行きました。
同時並行して、研究業績に挙げた論文や参考文献を集めはじめました。
自分が筆頭のものは、すぐ集まりましたが、他の方が筆頭のものや
参考文献に挙げた論文は、集めるのに結構苦労するものもありました。
それでも、インターネットや異動前にいた研究所の図書館などで
集められました。
一応断っておきますが、博士論文提出にあたって、時間外に、節度をもって、
社のコピー機その他のOA機器を使用させてもらうことについては、
あらかじめ上長に許可を頂きました。
同時にこの頃は、突然に転職の話が来て、今の会社の方と、
面談等を始めた時期でもあります。
2003.4〜2003.6
ゴールデンウィークの直前か入ってすぐの頃に、大学に手続きに行きました。
この時点では、内見の手続きということで、私の方からは、
工学研究課の学務にいくつかの必要書類を提出しました。
同時に教授が、副査をして下さる先生を決めて下さったり、
必要な学内手続きを進めて下さいました。
この時、隣の研究室出身で、私の1つか2つ下の後輩も
同時に、論博の手続きをしていることを知りました。
ちょうどこの頃、転職の最終面接がありました。
確か5月の中ごろに、研究発表会を行ないました。
これは、学位申請資格認定のための手続きです。
つまり、主査(指導教授)および副査の先生方が、
私の論文内容・研究経歴・学歴等を確認して、私が論博を
取得を目指す資格があるかどうかを確認するという目的です。
実際には、論文内容の発表がメイン。時間は1時間か1時間半くらい。
ここで、論文内容がOKならすんなり行きます。
大抵の場合、NGとなることはまずないと思いますが、
条件付となる場合が結構あるようです。
つまり、論文内容や構成を再考して、論文を大幅改定する
ように言われることがあります。
先に書いた、後輩がまさにこの状態になってしまったのですが、
この場合には、本審査までに論文を修正します。
私の場合は、大きな指摘事項はほとんど無かったのですが、
細かい部分をいくつか修正して、最終原稿を仕上げました。
並行して、研究業績のうち、主論文として提出した3件について、
共著者の方と連絡をとって、私の学位論文提出に使用することの許諾を得ます。
私の場合、出向していた頃の共著者の行方を調べるのに手間取り、
ちょっと焦りましたが、海外に居ることが分かり何とか連絡がつきました。
6月上旬くらいに、大学に正式な学位申請手続きをして、
審査手数料を払いました。
2003.7〜2003.9
7月中に論文の修正をして、8月上旬に論文審査、いわゆる本発表です。
これも、1時間半くらいだったかな。
論文発表の後に、学力審査として、主査・副査の先生方から、
口頭での学力審査がありました。
当該分野についての知識があれば問題なく答えられる内容で、
わりと和やかな雰囲気で行なわれました。
当日審査していただき、夕方には結果が出ました。
無事OKでしたので、大学生協に論文の印刷を発注しました
(pdfファイルで発注しました)。
2週間くらいであがりましたので、会社のお盆休みに大学に行き、
国会図書館に収める分を含めて、このうち4部を大学に納め、
残りの製本をお願いしてきました。
私事では、7月は前の会社で引継ぎをして、8月から転職でした。
転職後すぐには休暇は取れないのですが、転職の際に、論博取得のために、
何度か通学することは了承してもらいましたので、
論文審査会等は出張扱いにしてもらいました。
9月25日に学位授与式でした。これも出張扱い。
ちょうど、学会のソサイエティ大会の時期と重なって、
前日まで新潟に行ってましたし、指導教授も出れなかったのですが、
無事、学位記を頂きました。
しばらくしてから、製本された論文が届きました。
あとがき
私の場合は、いろいろな要因が私にとって、プラスに働いた結果、
幸運に恵まれて、無事学位を頂くことが出来ました。
お世話になった方々、とりわけ、指導教授と副査の先生方
および文部技官の方に、深く感謝します。
博士号の取得は、大きな区切りではありますが、決してゴールでは無いと思っています。
これに奢らず、これからも精進していく所存です。
それから、良く聞かれるので書いておきますが、学位論文の分量ですが、
私の場合は、5章立て165ページになりました。
この分野の学位論文としては、大体、一般的な量ではないでしょうか。
それから、これも良く聞かれることですが、主査,副査の先生への
御礼(心づけ)ですが、基本的には、私はしていません。
まぁ、私の場合は、出身研究室の教授だったのでということもありますが、
もう1つの理由は、論文提出先が国立大学だったので、いわゆる、
国家公務員にの倫理に関する法律とやらで、金品のやり取りが、
後々問題になる可能性があったからです。
尤もこの法律も、個人の儀礼の範囲内では、問題ないということだし、
お世話になっておいて、知らん振りするのもかえって問題があるので、
その年の年末、3ヶ月以上たってから、主査の教授と、副査の先生のうち
学生時代から面識のあった助教授には、お歳暮をお贈りました。
逆に言うと、私の場合は、その程度で留めました。
最後に同様のページをいくつか紹介しておきます。
これから、博士号取得を目指す若手研究者の皆さん、是非がんばって下さい。